何が突然のブームになるか、わからんもんだよねえ。自分だって昔からとても好きだったわけじゃなく、通り一遍しか知らなかったですよ。 どんな分野でも、突然こういうことは起こり得るのかもしれない… そういう動きの、実はtwitter上では中心になっていた気がする、「まとめ管理人」氏のツイートからいろいろ派生したり、検索してまとめた「突然の室町ブーム」を振り返る。 ツイートを使わせていただいたアカウントはこちら(※追加は除く) 続きを読む
何が突然のブームになるか、わからんもんだよねえ。自分だって昔からとても好きだったわけじゃなく、通り一遍しか知らなかったですよ。 どんな分野でも、突然こういうことは起こり得るのかもしれない… そういう動きの、実はtwitter上では中心になっていた気がする、「まとめ管理人」氏のツイートからいろいろ派生したり、検索してまとめた「突然の室町ブーム」を振り返る。 ツイートを使わせていただいたアカウントはこちら(※追加は除く) 続きを読む
太平洋戦争が1945年に終わり、二、三年後、ベビーブームと呼ばれるが、新しい日本人が多く生まれた。その子供たちが青春を迎えた1960年代後半は、日本の歴史においても特異な時代となった。戦後のリアルな貧困は体験しているものの、戦争を知らずに育った多数の若者たちは、その時代、親の世代や、因習と米国に盲従する日本というシステムに反抗した。 戦後世代の反抗。そう概括することはたやすい。現在からあの時代を記録のような大著にまとめることも、簡単とは言えないまでも、難しい作業とは言い難い。難しいのは、あの時代に生きて、その反抗の総括をその後の人生において成し遂げること。「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘、加納建太)」(参照)は、その見事な達成だった。 昨今のネット時代では、1957年生まれの私なども爺扱いされ、団塊世代とごっちゃにされることがあるが、私はポスト全共闘世代で、それなり
Thoughts on Flash(フラッシュについての見解)が、Steve Jobsのサイン入り、Appleの正式見解として発表されていた。素晴らしい日本語訳のページも登場した。(感謝です!)振り返ってみると、Appleは過去にも、その当時に主流だったものをバッサリ切り捨ててきた経緯がある。それに替わって取り入れた技術がどうなったか追ってみると、とっても興味深い。 スティーブ・ジョブズの出来事年表 1984年 Macintosh発売 1985年 Appleを退社、NeXTを創業 1989年 NeXTSTEPマシン発売 1996年12月 AppleがNeXTを買収、暫定CEOとして復帰 1998年05月 iMac発売、FD・ADB・SCSI無し、USB採用 1999年06月 iBook発売、AirPort(無線LAN)採用 2000年09月 OSX Public Betaリリー
もしも戦国時代にtwitterがあったら。みたいなネタで盛り上がったのでやってみた。結構時間かかった。書いた人 @yamashiro nobu1534俺、この発言が 99 fav 行ったら天下とるんだ。天・下・布武!天・下・布武!linkiessa_tokuウンコもらしちゃった><linknobu1534猿いるんだろ。出てこいや!linkhideyoshitうきっうきっきっlinknobu1534@hideyoshit 日本語でおklinkakechimitsuhide@nobu1534 信長様followさせ候。以後よろしくお頼み申し上げ奉ります。linkakechimitsuhide@iessa_toku 家康殿followさせていただきました。今後ともよろしくお願い申し上げる。linkakechimitsuhide@hideyoshit 秀吉殿followさせていただきました。今後と
外務省が廃棄した機密文書などから作られたトイレットペーパー 60年の日米安保条約改定にともなう「核密約」関連文書の破棄を幹部が指示していた――。国民への説明責任をないがしろにする姿勢が朝日新聞の取材で明らかになった外務省。その廃棄文書の量は省庁の中で突出している。しかも、01年の情報公開法の施行前に急増し、その後は減るという「駆け込み」だ。情報公開を求める団体は「法の施行を前に、入念に準備して捨てた疑い」を指摘する。 中央省庁が機密文書を処理する主な方法は、(1)書類ごとにシュレッダーにかける(2)書類を詰めた段ボールごと大型機械で破砕する(3)書類を水に溶かして固まりにする――の三つだ。 例えば法務省は、まず、地下にある大型シュレッダーで書類を刻む。それを回収業者が工場に運んで水に溶かしている。(1)と(3)の合わせ技だ。他に、(1)を徹底して粉状になるまでシュレッダーにかけている
「あるロッククライミングの上級選抜試験で、試験官は偽の頂上に待機し、受験者たちが一通り登頂し終えたところで、ここが偽の頂上であり、本当の頂上は別のところにあると告げた。試験官は受験者たちの表情を観察し、落胆の表情を浮かべた者には上級クラスへの進級を断り、さらに登頂が続くと興奮した者を合格とした。 チクセントミハイ教授によれば。ほとんどの最適経験(持続するタイプの快楽)はこのようなテレオロジカルな行為によってもたらされる。テレオロジカルな行為とは、結果に関わらずそれ自体から充足感が得られる行為だ。自分が格好よく見えるに違いない、あるいはきっとお金になるに違いないと信じているからではなく、それをすることが好きで仕方がないという理由で行動する時、最適経験に入る可能性は高まる」(ポール・マッケンナ) 以上をふまえ、2980円のジーンズと59800円のジーンズのどこが違うのかを説明しよう。それは考え
.jp ドメインお持ちのお客様大歓迎。maido3.jp .fm 取得代行します。(US) maido3.fm .ca 取得代行します。(US) maido3.ca .com .net .org 取得代行します。(US) maido3.com .cc .to .tv 取得代行はじめました。NEW ■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫めにゅーに戻る■ 中世ヨーロッパ人の暮らし 1 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/02/03(土) 01:03 中世ヨーロッパを舞台にした歴史物小説が好きで、あの時代に生まれて暮らしたいなと昔から思ってました。 だけど、登場するのは王族や貴族の話が多くて、一般庶民の生活ってどんなものだったかわかんないんですよ。 どなたか詳しい方いらっしゃいませんか? 2 名前: る 投稿日: 2001/02/03(土) 01:44 中世かどうかはわからんが「
ヴァンゼー一帯は、それこそ日本で言えば湘南辺りにイメージの重なる高級保養地ですが、東京都と江ノ島が電車で1時間以上かかるのに比べて、市の中心街から20分そこらで到着する近さが売り物でしょう。しかしこのヴァンゼー、ご存じの方はご存じと思いますが、歴史上に大変不名誉な形で名を刻むことになりました。1942年1月20日、後世「ヴァンゼー会議」と呼ばれることになるミーティングが、この地で開かれたのです。「ヴァンゼー会議」ではナチス・ドイツの「ユダヤ人問題Judenfrageに関する最終解決die Endlösung」が決定されました。 金融恐慌直後に成立したナチス政権 後世の私たちは、ナチス・ドイツ政府が行ったユダヤ人への迫害や虐殺を「史実」として振り返ります。しかしこれを「あり得べからざる犯罪」「狂気」といった言葉で修飾しがちである傾向に、私は大きく憂慮しています。ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレン
山本兼一 織田信長の頃からバブルが始まっていました。南蛮人のポルトガル人らが日本にやってきた目的の1つは、銀が目当てでした。それ以前には中国の銀が有名でしたが、中国での採掘量が減少し始めた頃でした。 そこに日本で生野に大きな銀の鉱脈が見つかり、世界遺産として有名になったあの石見銀山の開発が本格的に始まりました。銀の生産量が急激に増えたことで、バブルが起こったのです。そういう意味では、茶の湯はバブルの申し子です。1つの茶入れが3000貫の値がつくなど、あり得ないことです。 この時代は町人というか、富裕な町民文化が育ちました。堺の貿易、銀のバブルで富裕な町人たちが増えてきましたから。利休も豊かな家で、経済的には上の中、少なくとも上の下ぐらいの階層にはいました。 ―― 急速に豊かになることで、人間の欲も前面に出てくる。 山本 この時代は上から抑えつけるようなものがなかった。江戸時代と比べたら、絶
_ 文化大革命 妻が撮り溜めしてあったビデオを飯食いながら見てたら、えらく感動してしまった。 あまりにも出来過ぎているから、もしかしたら新説あるいは珍説かも知れないが、それにしても説得力があったからだ。 その時歴史が動いた「ひらがな革命」 正直最初は大して興味も持たずに見ていたのだが、大好きな曹丕の「文章は経世の大業にして……」が出てきたので、思わずまじめに見始めたところ、菅原道真が遊びもしなければ家庭も省みない勉強一代男として学の分野で君臨せんとするまさにそのとき、わずか16歳にして大貴族藤原の息子、藤原時平が出現する。この男、権門の子弟ということで日本版科挙も受けずに参内するという裏口っぷりを発揮する(が、政治は不可解なものだから、このシステムも実はここぞというときには機能することもあるのだな、と後でおれは気付く仕組みだ)。 発揮するのは良いのだが、当時、女がすなる和歌で恋歌ばかり詠む
以下、郷田ほづみの声でお読みください。 オレの名は「ジェイ・スクリプト」。20世紀最末期の「第一次ブラウザ戦争」でエース部隊に徴用され、最前線で殺戮を繰り広げた。オレたちに課せられた課題は重大だった。相手方ブラウザの殲滅。オレたちはマイクロソフト帝国の最新鋭上陸艦「IE4」に搭載され、次から次へとコードを実行した。戦いは熾烈を極めた。オレたちはどんな汚いコードでも動いた。カーソルをクマさんに変える。アイコンを点滅させる。今日のお知らせをポップアップさせる。世界時計をスクロール表示させる。それが果たして本当にそのウェブページに必要なユーザビリティなのかを問うこともなかった。しかしいつしかオレたちは気づいた。敵艦「NN4」に搭載されているのもオレたちとまったく同じスクリプトなのだと。やがてオレたちが属する帝国が領土のほぼ九割を制圧するに至り、戦争は膠着状態にはいった。敵国は壊滅されたかに見えた
受験勉強のころお世話になった参考書が、10年ぶりに改訂された。いろいろ話題になっているが、古代史がかなり大幅に書き換えられている: 「魏志倭人伝」は存在しない:三国志の一書である魏書に「倭人の条」があるだけで、「倭人伝」という書物はない。その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、信頼性は低い。 「任那日本府」は存在しなかった:4世紀ごろ、朝鮮半島の南部に加耶と呼ばれる小国の連合があったが、任那という統一国家はなく、日本の植民地でもなかった。これは『日本書紀』の誤った記述。 世界最大の墓は「仁徳天皇陵」ではない:堺市にある大仙陵古墳は、つくられた時期が仁徳天皇の在位期間と違うので、彼の墓ではありえない。被葬者が大王(おおきみ)であることは確実だが、内部調査が許されないので誰かわからない。 「聖徳太子」は架空の人物:厩戸王という推古天皇の甥が、氏寺として斑鳩寺(のちの法隆寺)を建立したことは
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