タグ

kyotoとkoreaに関するuserinjapanのブックマーク (6)

  • 京都府内市町村史目次(久御山町史 第二巻) [総合資料館]/京都府ホームページ

    userinjapan
    userinjapan 2011/03/30
    久御山町史第二巻に京都飛行場建設に関する記述がある
  • 不法占拠を政府が補償? - 依存症の独り言

  • ウトロ地区 - Wikipedia

    京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地。この地区には1940年から日政府が推進した「京都飛行場建設」に集められた在日朝鮮人労働者たちが居住していた。 第二次世界大戦中の1942年2月に京都飛行場[2]と、併設の飛行機工場の建設工事が正式決定した。日国際航空工業(日産車体の源流企業)が建設工事を請け負い、工事には約2000名が従事した。従事者の約1300名が朝鮮人であり、彼等とその家族が生活していた1943年建造の飯場(宿泊設備)が現在のウトロ地区の前身である。元来ウトロと言う名称は、宇治に向かう口と言う意味の宇土口(うとぐち)と言う集落の名称であったが特有の訛りや誤読が定着して、俗にウトロと現在に至り呼ばれている。かつて当地区住民側は居住権を主張する根拠として「ウトロ住民は1944年9月から1945年3月までの間、出稼ぎに来た朝鮮半島出身労務者とその子孫であり、ウトロ住民の居住権は日政府

    ウトロ地区 - Wikipedia
  • 朝鮮日報も認めた「ウトロ」のウソ - 依存症の独り言

    このバナーは、2008年8月7日まで常にトップに表示されます。ボイコットに賛成の方はこちらまで。 中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄   国境なき記者団 京都府宇治市の「ウトロ地区強制立ち退き問題」について、朝鮮日報が真実を報じている。「やっとウソと認めたか」、これが朝鮮日報の記事を読んだ後の正直な感想である。 私は、この問題に、2005年9月6日付のエントリ「不法占拠を政府が補償?」で詳しく言及した。 以下は、そのエントリからの引用である。 戦時中、日政府はこの地域に軍用飛行場を建設していた。この工事に、当時日人だった韓国・朝鮮人が数多く従事していた。 飛行場の建設そのものは、敗戦によって頓挫する。仕事がなくなったので、日人者はもちろん、大半の韓国・朝鮮人もこの地を去った。ところが、一部の韓国・朝鮮人が飯場だった建物を不法占拠し、そのまま居座ったのである。 飛行場用地の所有

    朝鮮日報も認めた「ウトロ」のウソ - 依存症の独り言
  • 宇治市・ウトロ51番地 (1) - 大阪DEEP案内

    戦後60年の歴史、「在日」の問題を語るのに関西という地域は欠かすことは出来ない。 戦前の日において、航空機工場の建設に多くの労働力を求めていた時代、京都府宇治市の現・陸上自衛隊大久保駐屯地の辺りにも、沢山の労働者が仕事を求め移住してきていた。2000人居た労働者のうちの1300人が朝鮮人労働者であったと言われている。一部団体が主張する「強制徴用」という事はなく、多くの労働者が貧しさから仕事を求めて自主的に移住してきた人々である。 それら家族が生活する飯場(宿泊場)は、終戦後進駐軍により祖国への帰国命令が彼らに下された後も、帰国後の生活を頼る筋もなかった労働者の多くが、そのまま地区に住み続ける事となり、土地は不法占拠状態、それが現在も続いているというのが、ウトロ地区の特徴である。 他の「在日」集落の問題とは異なり、ウトロ地区の土地は民間会社所有であり、それは何度も所有者の会社が変わっ

  • [2011/01/06]「在日コリアン地区 “ウトロ問題”遠のく解決」

    特集です。 戦時中、朝鮮人の人たちが強制労働に従事した場所、京都府宇治市の「ウトロ地区」。 現在も「ウトロ」で暮らすおよそ200人は法律上は不法占拠の状態ですが、韓国政府の支援もあって問題は解決に向かっていました。 ところがいま、その解決策が破談の危機を迎えています。 「残された道は強制執行しかないんですね」 京都府宇治市に立ち退きを迫られている人たちがいました。 「あきらめてるけど、なんぼどないしても向こうが『アカン』言うたらそれまでやんね」 宇治市伊勢田町、「ウトロ」。 在日コリアン65世帯、およそ200人が住む町には今も下水道が整備されておらず、上水道がひかれていない世帯も半数に上ります。 「ウトロ」はもともと戦前、京都飛行場建設のため集められた朝鮮人労働者の飯場でした。 戦後、在日の人々が住み始めたのですが、地権者も宇治市もこれを放置してきました。 そして1987年になって土地は

    userinjapan
    userinjapan 2011/01/12
    京都府宇治市 ウトロ地区
  • 1