投票日まで一週間切ったし選挙のことでも書こうかなと思ったけど、いろいろめんどくさいのでフレフレ少女について。
おもしろかったよフレフレ少女、かわいいよ素敵だよガッキー。
「フレフレ少女おもしろかった」とか言うと目の肥えた映画好きの方々から白い目で見られそうですが、うるせーんだよオタクどもが!ひとさまの好みにケチつけるんじゃねえ!…などとキレるのも暑苦しいので普通に言い訳します。映画館で1800円(だっけ?)払って見たら腹立つだろうし300円でビデオ借りたとしてもその金で「ドロリッチ買って喜んで飲んだらカロリーが気になって一時間ジョギングしたら汗だくでシャワー浴びたら気持いいぜ」体験したほうが満足感高そうだけどつまり要するに夏の夜にテレビで見て暇つぶしするにはうってつけのアイドル映画としてたいへん結構でした。
この映画がどういう経緯で作られたものなのかぜんぜん知らないけれど、「ガッキーの学ラン姿が見たい!」というマニアックな誰かの欲望をかなえるためだと考えるとストンと腑に落ちるし、その誰かさんはすごく正しい!先見の明がある!あんたはエラい!と賞賛するのにやぶさかでない。以下ストーリーとか設定とか無視して新垣結衣さんのコスプレ映画として論じる無礼をどうかお許しください(誰に謝ってるんだ)。
画面に最初に登場したガッキーは女子高生ということでセーラー服を着ているのだけれど、正直言って微妙である。私はこの映画の存在をこれまでテレビCMだけでしか知らず、ガッキーの年齢(撮影当時20歳)とか雰囲気からして大学の応援団の話なのかな?と思っていた。まさか女子高生で攻めてくるとは思わなかった。無理があるだろjk。
新垣結衣さんは顔立ちも「かわいい」というより「すっきりした美人」であり、なにより手足がすらりと長い。セーラー服を着て教室で座っているよりスーツ着てメガネかけて教壇に立つほうが似合ってる。メガネ…美人教師…タイトスカート…いやいやそれはエロすぎだから!ガッキーアイドルだから!まったく男って奴はバカでスケベだから困る(って自分だろ)。
「なんだかなあ」と思って見ていたセーラー服はあくまでオードブルで(贅沢だなー)、この映画の本質はあくまでも学ランガッキーにある。ところがガッキーはなかなか学ランを着てくれない。ほのかな恋とか仲間集めとか地獄の合宿とか応援団精神とかどうでもいいから早くしろ早く。ガッキーの入浴シーン(といっても顔だけ)を忘れずに入れた製作者のサービス精神は高く評価できる。
汗と涙の応援団合宿でがんばったガッキーは暑苦しい先輩(内藤剛志)に認められて団服、つまり学ランを手渡される。よくがんばったガッキー、こぶしを握り締め目に涙を浮かべて応援していた私(嘘)も感動した。だから早く学ラン姿を見せてくれ。ちなみに、学ラン授与の儀式は二代目スケバン刑事が暗闇指令からヨーヨーを手渡されるシーンのオマージュである。 (←信じるなよ!)
学ラン姿のガッキーは期待にたがわずよく似合っていてカッコいい。素敵だ。やはりアイドル映画はコスプレしてなんぼである(セーラー服を含む)。ガッキーのセーラー服姿を微妙にしていた要素、つまりスッキリした美貌や手足の長さが学ランにピタリと決まって見映えがする。うる星やつらの竜之介とか「鈴木くんと佐藤くん」(変)の佐藤藍子とか、学ラン美少女は何人かいたけれどガッキーはそのすべてを超えた。ガイアがガッキーに輝けと囁いている。
学ランガッキーに大満足してその後のストーリーはよく覚えていない。というかクライマックスで野球部が勝とうと負けようとどうでもいい。あくまでも応援団(とガッキーコスプレ)の映画なのだから。むしろライバル校の応援団長が見せる硬派ぶりとか応援団文化のほうが面白かった。今でもあんなに気合の入った硬派がいるのだろうか?絶滅危惧種に指定してただちに保護すべきだ。私が高校生のころ(大昔)にはすでに応援団は「モノズキな連中だなー」と憫笑されていたように思う。自分も体育会とか硬派とか苦手な軟弱者だったので「ダサい、野蛮だ」と決め付けていた。だが今になってみると硬派の文化というのそれはそれで味わい深い。ヤンキー文化の源流としてシーラカンスとかオオサンショウウオのような存在感がある。応援団はたぶん旧制高校から続く日本独自のものなのだから、硬派一直線の高校生は自分は伝統文化の担い手なのだという誇りを胸にひたすら男磨きにはげんでいただきたい。
おもしろかったよフレフレ少女、かわいいよ素敵だよガッキー。
「フレフレ少女おもしろかった」とか言うと目の肥えた映画好きの方々から白い目で見られそうですが、うるせーんだよオタクどもが!ひとさまの好みにケチつけるんじゃねえ!…などとキレるのも暑苦しいので普通に言い訳します。映画館で1800円(だっけ?)払って見たら腹立つだろうし300円でビデオ借りたとしてもその金で「ドロリッチ買って喜んで飲んだらカロリーが気になって一時間ジョギングしたら汗だくでシャワー浴びたら気持いいぜ」体験したほうが満足感高そうだけどつまり要するに夏の夜にテレビで見て暇つぶしするにはうってつけのアイドル映画としてたいへん結構でした。
この映画がどういう経緯で作られたものなのかぜんぜん知らないけれど、「ガッキーの学ラン姿が見たい!」というマニアックな誰かの欲望をかなえるためだと考えるとストンと腑に落ちるし、その誰かさんはすごく正しい!先見の明がある!あんたはエラい!と賞賛するのにやぶさかでない。以下ストーリーとか設定とか無視して新垣結衣さんのコスプレ映画として論じる無礼をどうかお許しください(誰に謝ってるんだ)。
画面に最初に登場したガッキーは女子高生ということでセーラー服を着ているのだけれど、正直言って微妙である。私はこの映画の存在をこれまでテレビCMだけでしか知らず、ガッキーの年齢(撮影当時20歳)とか雰囲気からして大学の応援団の話なのかな?と思っていた。まさか女子高生で攻めてくるとは思わなかった。無理があるだろjk。
新垣結衣さんは顔立ちも「かわいい」というより「すっきりした美人」であり、なにより手足がすらりと長い。セーラー服を着て教室で座っているよりスーツ着てメガネかけて教壇に立つほうが似合ってる。メガネ…美人教師…タイトスカート…いやいやそれはエロすぎだから!ガッキーアイドルだから!まったく男って奴はバカでスケベだから困る(って自分だろ)。
「なんだかなあ」と思って見ていたセーラー服はあくまでオードブルで(贅沢だなー)、この映画の本質はあくまでも学ランガッキーにある。ところがガッキーはなかなか学ランを着てくれない。ほのかな恋とか仲間集めとか地獄の合宿とか応援団精神とかどうでもいいから早くしろ早く。ガッキーの入浴シーン(といっても顔だけ)を忘れずに入れた製作者のサービス精神は高く評価できる。
汗と涙の応援団合宿でがんばったガッキーは暑苦しい先輩(内藤剛志)に認められて団服、つまり学ランを手渡される。よくがんばったガッキー、こぶしを握り締め目に涙を浮かべて応援していた私(嘘)も感動した。だから早く学ラン姿を見せてくれ。ちなみに、学ラン授与の儀式は二代目スケバン刑事が暗闇指令からヨーヨーを手渡されるシーンのオマージュである。 (←信じるなよ!)
学ラン姿のガッキーは期待にたがわずよく似合っていてカッコいい。素敵だ。やはりアイドル映画はコスプレしてなんぼである(セーラー服を含む)。ガッキーのセーラー服姿を微妙にしていた要素、つまりスッキリした美貌や手足の長さが学ランにピタリと決まって見映えがする。うる星やつらの竜之介とか「鈴木くんと佐藤くん」(変)の佐藤藍子とか、学ラン美少女は何人かいたけれどガッキーはそのすべてを超えた。ガイアがガッキーに輝けと囁いている。
学ランガッキーに大満足してその後のストーリーはよく覚えていない。というかクライマックスで野球部が勝とうと負けようとどうでもいい。あくまでも応援団(とガッキーコスプレ)の映画なのだから。むしろライバル校の応援団長が見せる硬派ぶりとか応援団文化のほうが面白かった。今でもあんなに気合の入った硬派がいるのだろうか?絶滅危惧種に指定してただちに保護すべきだ。私が高校生のころ(大昔)にはすでに応援団は「モノズキな連中だなー」と憫笑されていたように思う。自分も体育会とか硬派とか苦手な軟弱者だったので「ダサい、野蛮だ」と決め付けていた。だが今になってみると硬派の文化というのそれはそれで味わい深い。ヤンキー文化の源流としてシーラカンスとかオオサンショウウオのような存在感がある。応援団はたぶん旧制高校から続く日本独自のものなのだから、硬派一直線の高校生は自分は伝統文化の担い手なのだという誇りを胸にひたすら男磨きにはげんでいただきたい。