山女の私。
2ヶ月前の同じ日に御嶽山山頂に立っていたことを、噴火当日に書きました。
御嶽山山頂あたりの様子や道が 手に取るように分かるので、
テレビに流されるNewsを我が事のように胸を痛めながら、目が離せないでいます。
夫も同様です。
夫は山には登りません。 いつも私を送り出してくれる立場です。
「僕が、家族の一人で山のふもとに駆けつけていたかもしれない。」と、人事でない思いで、Newsを見ています。
「こんなに身近に感じる恐ろしさを見ても、まだ山に登るの?」 と、夫は聞きます。
今のところ。
”又山に登る!” と考えるだけで・・・恐ろしさで、体が硬くなって緊張します。 この反応には我ながら驚いています。
”ついさっきあの頂上に立っていたのだ!” と。
大きな恐ろしさが、テレビに何回も何回も繰り返される頂上の姿を見る度に、襲ってきます。
登山ベテランのアドバイスが、テレビから流れてきます。
無慈悲に降り注ぐ火山弾から頭を守るためには、『ヘルメット』。
そして。 積もった火山灰の中を歩くためには、『2本のストック』。 を準備しましょう。 と。
私のいつもの 『常備品』 は
ストック1本。 完全防水の雨具。 携帯用特殊毛布(遭難時用。7cm四方ほどの大きさで普通の毛布の2~3倍の保温力があります)。 ヘッドライト(換え電池も2個)。 熊よけ鈴。 遭難時のための笛(小さいのに非常に大きな音が出る)。 万能ナイフ(遭難時。草や実を食べる)。 三角巾(骨折時のため)。
早速に加えました。 『ヘルメット & ストックをもう一本』
常備品だけでは、『備えあれば憂いなし』 とはいかない。
常備品。 事前訓練。 強い心と覚悟。 以上の3つ。
『備えなくして登山はなし』 と、思い知らされました。
私が、再び高山に登れる日は くるのだろうか?
私が、恐ろしさを乗り越えて、登山を再開できる日は いつだろうか? 来るのだろうか?
ここで。
いまだに山に残る方々が、一日も早く下山できますようにと、お祈り申し上げます。
又
過酷な状態の中、救援活動をなさっている方々が、決して事故のないようにとも、お祈り申し上げます。
そして。
聖書も語ります。
『備えあれば憂いなし』 と。
たとえ今の暮らしが平穏であっても、人生には何が起こるか分からない。
・・・と。コヘレトは備えを呼びかけます。
『長生きし、喜びに満ちているときにも
暗い日々も多くあろうことを忘れないように。』
コヘレトの言葉 11章8節
青年時代は、まさにそうした『備えの時期』です。
やがて訪れる困難や苦しみに耐える力を養う時期。 といえるかもしれません。
では・・・備えの時期に、何を備えるのか?
コヘレトは答えます。
『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。
「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
太陽が闇に変わらないうちに。
月や星の光がうせないうちに。
雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。』
コヘレトの言葉 12章1&2節
そして。
いつの日か・・・『その時』 が必ず来ます。 と。
『何事にも時がある。
生まれる時、死ぬ時。
保つ時、放つ時。 黙する時、語る時。』
コヘレトの言葉 3章1&2&6&7節
最後には・・・
私たち一人一人が、それぞれに、準備しなくてはならない 『備え』 があります。
聖書は、
『終わりの日にキリストに会うための備えをしなさい。』 と教えています。
『わたしは、こう祈ります。
知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。
そして、
キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、
イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、
神の栄光と誉とをたたえることができるように。』
フィリピへの手紙 1章9~11節
以上。
山の恐ろしさに肝を冷やし、驚き恐ろしく、改めて…自然を畏れかしこまっている私の報告でした。
『備えあれば憂いなし』 と。 考えさせられています。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
何事にも備えが大事ですね。 いろいろの目標に向かって・・・楽しい備えの日々でありますように!
2ヶ月前の同じ日に御嶽山山頂に立っていたことを、噴火当日に書きました。
御嶽山山頂あたりの様子や道が 手に取るように分かるので、
テレビに流されるNewsを我が事のように胸を痛めながら、目が離せないでいます。
夫も同様です。
夫は山には登りません。 いつも私を送り出してくれる立場です。
「僕が、家族の一人で山のふもとに駆けつけていたかもしれない。」と、人事でない思いで、Newsを見ています。
「こんなに身近に感じる恐ろしさを見ても、まだ山に登るの?」 と、夫は聞きます。
今のところ。
”又山に登る!” と考えるだけで・・・恐ろしさで、体が硬くなって緊張します。 この反応には我ながら驚いています。
”ついさっきあの頂上に立っていたのだ!” と。
大きな恐ろしさが、テレビに何回も何回も繰り返される頂上の姿を見る度に、襲ってきます。
登山ベテランのアドバイスが、テレビから流れてきます。
無慈悲に降り注ぐ火山弾から頭を守るためには、『ヘルメット』。
そして。 積もった火山灰の中を歩くためには、『2本のストック』。 を準備しましょう。 と。
私のいつもの 『常備品』 は
ストック1本。 完全防水の雨具。 携帯用特殊毛布(遭難時用。7cm四方ほどの大きさで普通の毛布の2~3倍の保温力があります)。 ヘッドライト(換え電池も2個)。 熊よけ鈴。 遭難時のための笛(小さいのに非常に大きな音が出る)。 万能ナイフ(遭難時。草や実を食べる)。 三角巾(骨折時のため)。
早速に加えました。 『ヘルメット & ストックをもう一本』
常備品だけでは、『備えあれば憂いなし』 とはいかない。
常備品。 事前訓練。 強い心と覚悟。 以上の3つ。
『備えなくして登山はなし』 と、思い知らされました。
私が、再び高山に登れる日は くるのだろうか?
私が、恐ろしさを乗り越えて、登山を再開できる日は いつだろうか? 来るのだろうか?
ここで。
いまだに山に残る方々が、一日も早く下山できますようにと、お祈り申し上げます。
又
過酷な状態の中、救援活動をなさっている方々が、決して事故のないようにとも、お祈り申し上げます。
そして。
聖書も語ります。
『備えあれば憂いなし』 と。
たとえ今の暮らしが平穏であっても、人生には何が起こるか分からない。
・・・と。コヘレトは備えを呼びかけます。
『長生きし、喜びに満ちているときにも
暗い日々も多くあろうことを忘れないように。』
コヘレトの言葉 11章8節
青年時代は、まさにそうした『備えの時期』です。
やがて訪れる困難や苦しみに耐える力を養う時期。 といえるかもしれません。
では・・・備えの時期に、何を備えるのか?
コヘレトは答えます。
『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。
「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。
太陽が闇に変わらないうちに。
月や星の光がうせないうちに。
雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。』
コヘレトの言葉 12章1&2節
そして。
いつの日か・・・『その時』 が必ず来ます。 と。
『何事にも時がある。
生まれる時、死ぬ時。
保つ時、放つ時。 黙する時、語る時。』
コヘレトの言葉 3章1&2&6&7節
最後には・・・
私たち一人一人が、それぞれに、準備しなくてはならない 『備え』 があります。
聖書は、
『終わりの日にキリストに会うための備えをしなさい。』 と教えています。
『わたしは、こう祈ります。
知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。
そして、
キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、
イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、
神の栄光と誉とをたたえることができるように。』
フィリピへの手紙 1章9~11節
以上。
山の恐ろしさに肝を冷やし、驚き恐ろしく、改めて…自然を畏れかしこまっている私の報告でした。
『備えあれば憂いなし』 と。 考えさせられています。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
何事にも備えが大事ですね。 いろいろの目標に向かって・・・楽しい備えの日々でありますように!