続1000冊の読書 2024.09 御嶽山噴火から10年

2024年09月30日 | 読書
今年の9月は真夏でした。
寝室のエアコンのおかげで、体調を崩すこともなくここまできました。
いやあ~、夏バテって涼しくなったら出るんでしたっけ(笑)
夜中の読書、それでもなんとかこの程度、読書は私の活力です。

佐伯泰英しばらく止めますと言いましたが、これが最後の3冊です。
あきない世傳は読み直しです。
食卓の隅に置いているのは、佐久市誌です。
佐久市誌12冊もあるらしいのですが、手元にあるのは8冊だけ。
そのうちに調達に走らないといけません。

120  秘剣 爆流返し  佐伯泰英  祥伝社文庫
121  秘剣 雪割り   佐伯泰英  祥伝社文庫 
122  秘剣孤座     佐伯泰英  祥伝社文庫
123 あきない世傳 金と銀 特別巻下 幾世の鈴 高田郁 角川春樹事務所
124 125  縮尻鏡三郎 上下 佐藤雅美  文藝春秋
126  東村誌
127  虎に似たり あっぱれ毬谷慎十郎(一) 坂岡 真 ハルキ文庫

今年もこの日が来ました。
御嶽山が噴火した日です。10年経ちました。
10年前のその日、御嶽山と一筋違う伊那谷にいました。
穏やかで真っ青な青空がなにかボヤーと見えたのは噴煙だったのでしょうか。遠くで救急車の音がズッと聞こえていた記憶があります。

その日は、娘が亡くなってから20日ばかり、娘の夫はその時伊那谷に住んでいて、会社に移動願いを出していました。
いつ佐久に移動ができてもいいようにと、夫と私とCちゃんは、伊那のマンションでCちゃんと娘の荷物を整理して引っ越しの用意をしていました。
こんな切ないことがあろうか、の思いで。
夕方になってテレビのニュースで噴火のことを知りました。

毎年この時期に放映されるニュースは否応なくあの日にタイムスリップさせられます。
突然に親しい人を亡くした皆さん、私ときっと同じなんだろうなと。
今年も、噴火で命を落とされた皆さんのご冥福を祈りました。

娘の死から、Cちゃんパパが転勤してきて、我が家でCちゃんとパパが一緒に暮らせるようになるまでの5ケ月間が、この10年で一番切ない時でした。
今となればですが。
読みいただきありがとうございました。

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今日は宇都宮で餃子かな

2024年09月29日 | 住まいづくり
夫が今日時間ある?と聞いてきたのは、3日前。
何かあるの?と聞いたら、ローゼルを採ったらどうかとのこと。

先週末採ったけれど、あんまりの不作に心が弾まなくて、今度のお休みにでもと内心思っていたのですが・・・・・・。

 木曜の夜、嫁ちゃんから「中2のレスリングの大会がありますが、行かれますか?」とお誘いをいただいたのでした。

場所は栃木県壬生とのこと。

遠いかなあ~、とクグッたら2時間少しで行けそう、もちろん電車で。
小さな大会らしいけど、追っかけできる年数は有限、行ける時には行きたい。
急遽予定に入れたのでした。嫁ちゃんが強い子が参加しますよの言葉に背を押されて、さらに息子は審判なんだそう。
そっちの応援もありだわね。
それで、まあー、なんとも忙しくなって。
会社へ行っても、家に帰ってもやりたいことばかりが目に付きます。

10月5日の母校の創立100周年の記念式典の時、会社の構内を駐車場にという申し入れをいただきました。
会議に出たら駐車の区割りまでできていて60数台になっていました。
さすが段取りいいです。
でもねえ、この日営業日なんですょ(笑)
それなもんで会社の車の移動やら、お隣のリンゴ園さんの収穫する皆さんの車も移動のお願いやら(笑)

それでも少しは見栄え良く清掃と草取りもね・・・・・出かけていて間に合う?

でも行くんですよね(笑)

そんなこんなで、ローゼルを収穫して、その夜夜なべしてジャム4本作りました・・・・・そっと夫の手がでてきました(笑)

野菜室の野菜を一掃すべく料理。
最近、「かこさん」のブログで拝見した「ぼたんこしょう」の佃煮。
ほどほどあればいい「ぼたんこしょう」なんですが、採れる時があるんですよね。
頑張って食べれるものでないだけに消費拡大は懸案事項でした。
試しに、太目の千切りにして炒めて、みりんと醤油で味付けしました。
千切り1本食べても、カラッとなりますが、あとを引くようです。
私はダメでしたが、Cちゃんパパはいけそう。
野菜室の珍客は小さな保存容器に収まりました。

長ナスも焼きナスや煮物では消費できないほどの生り。普通のナスはここのところ生りが悪いので、この長ナスをカラシ漬けにしてみました。
簡単に味見する勇気がないのでそのまま保存容器に収めました。

本日は朝早くに出かけていきます。
たぶん今夜は宇都宮の街を散策中。
思い出してみたら、宇都宮は今年2度目でしょうか、餃子食べているかもしれません。
読みいただきありがとうございました。

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またまた蛇の話ですが・・・・・

2024年09月28日 | 日々のこと
蛇の写真載せています。
ダメな方はスルーしてください。
蛇と遭遇する可能性の方は参考にしてください。

稲刈りが本番になりました。
しかし一斉に刈られないのは、コンバインで刈った後の乾燥機の能力があるからなのね。
それでも台風も来なかったのに、一面に倒れている田んぼが多いのは、暑さで地中の養分を稲が十分以上に吸い上げたからなんだろうね。

倒れた稲の刈り取りは大変だろうと思っていたら、コンバインで上手に刈っていて、私は車を停めて感心して眺めてしまいました。
1年に1回自分の田んぼだけやっている人と違い、今は委託を受けているプロは、その回数が多い分だけ上手になっているのだわね。

ミッキーさんが蛇との格闘をアップされていましたが、なんだか我が家は蛇ブームかも(笑)
先日玄関から入った蛇が何だか分からず、皆さんに教えていただきました。
暗闇で慌ただしく撮った写真でほんとうにわかりずらくて、すみませんでした。
ちょうど同じ頃、息子の家の玄関に張り付いていた蛇。
夜、鍵を開けようとした時、何かがいると気が付いたそうです。
スマホのライトでみたら、こちらも「マムシ」と思ったのだと。

みんな、実際蛇をじっくり眺めたことがないから、よく分からないのが実情。
写真を送ってもらってプロに見てもらいました。
この大きさでも、アオダイショウの子のようです。

マムシは、生まれた時から親と同じですが、アオダイショウは子の時と親の文様は違うのだそうです。
まあー、一番は頭が違うと言われました。

野の中の一軒家に住んでいる訳でもないのに、なぜと思いますが、住宅ができて潜んでいる場所が無くなってきたのかもしれませんね。と勝手な想像。

さすがに私、庭を歩くにも注意しています。
読みいただきありがとうございました。

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前向きに 悔いのない土俵人生を

2024年09月27日 | 日々のこと
相撲も大の里という、素晴らしい力士の登場で、テレビを見るのが楽しくなりました。

我が郷土の御嶽海の活躍をズッと応援してきました・・・・・が、なんとも切ない結果で今場所も終わりました。

昨年までは、テレビの放映が終わり、結果が出てから地元のニュースで観戦。
心配で観ていられなくて。

しかし3場所前、御嶽海がジムで身体を鍛えているという話がどこからか伝わってきて、これならばと、中継を見るようになりました。

しかしそれも結果が出たように思えたのは1場所だけでした(泣)

稽古がキライというのはよく聞く話でした。
しかし・・・・・体力があるうちはなんとかなったのかもしれませんね。

この8月地方巡業で佐久にも来ました。
もちろん見に行っていません(笑)

その後地元紙に掲載された、これも地元の元力士のコラムが辛口でした。

今場所が終わって、これも地元紙に掲載された「先代出羽海親方」のコラムがこれまた辛口。
どちらのお話も言っていることは同じみたい。
無理が効く26~28歳のころに稽古で貯金を作っておかなかった力士は、30歳を過ぎてから衰えが激しい、と。

引退した4歳下の貴景勝は自分に厳しく相撲道を追求して土俵を務めてた、と。
御嶽海も優勝3度の大関経験者なのだから、周りからいろいろいわれてやる立場にない、かとぃつて、イエスマンばかり回りに置くことなく、時には自分から苦言を求め、悔いのない相撲人生を送ってほしいと願う、とありました。

ここで気になったのは「イエスマン」と言う言葉。地元の元力士のコラムには「耳障りのいい人」の話を聞いているだけ、とありましたから。

頑張れ御嶽海、悔いのない相撲人生を送って欲しいと私も思います。

先日、急に県外にいる高校1年の孫が、佐久のレスリングクラブの練習に参加しに帰省したので、夫と顔を見に出かけて行きました。
その練習の最後の方を見てびっくり。
たしかに日本一厳しい練習とは聞いていましたが、まさにそうなんですね。
あー、この練習に耐えなければ強くはなれないのだと納得です。
と、ともに「考える」ことの必要性を監督は何回も口にしていました。
考えない練習をしていると、ステップアップしていかないのだと。

みんな凄いわ!!
なかなか練習を見ることがなかったので感心して帰ってきました。

読みいただきありがとうございました。

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秋仕事始まりました

2024年09月26日 | 日々のこと
年がら年中、暇な時が無いのだけど、秋は収穫という仕事が入る分だけ、追われる日々となります。

今のところはペチャ豆の鞘取り、乾燥、鞘外しして選別してまた乾燥を繰り返します。これが2日に1度のペースで来月下旬まで。

ローゼルもだんだんに熟していきます。これは採ればジャムまで一直線。

そして植木屋さんが入る前の準備が始まりました。
植木の下の草やシダ類をすべて刈り取り、そしてサツキとツツジの根元のボウボウと出ている枝をカットする仕事。

これを昨日は3本。ひどく出ている徒長枝はカットしますが、頭をまるめるのは夫の分担。
根元にもぐるに邪魔な枝はバッサリと切り落とします。
この仕事を始めて3年目か4年目になりました。
最初は躊躇していたこの剪定も、だんだん大胆になりました。
樹木は年々歳々成長しますが、私は年々歳々・・・・・・ですからね(笑)
さすがに鋸で切り倒せないから、絶対量は減りません・・・・・ので夫に進言中です。

会社ではお客様訪問とポスティングと郵送分を終えたので、次の仕事に移りました。
仕事は終わりから片付けていく、というのがあって、年賀状の準備に入りました。
住所録の補充や欠礼の確認、そして年賀状の封筒の印刷・・・・・さすがに宛名まではですが。

これから年賀状の中身をどんなふうにするか、合間隙間に考えていきます。
Ą3の裏表です。

ショールーム見学会と小旅行の企画は、おかげさまで定員になりました。
こちらは11月ですので、まだ余裕があります。

たぶん今月中に発注してあるカレンダーが届きます。これを丸める作業が入ります。
これをお届けするのは、11月の中島木材通信と一緒です。
ということは、この通信も作らなくてはなりません・・・・・やっぱり忙しいわ(笑)。
 今日は月に1度のエッセーの会です。先月お休みしたので、皆さん2本持ち寄りです。私も印刷できました。
そのお茶受け、昨夜頑張りました。
読みいただきありがとうございました。

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100歳をお祝いしていただきました

2024年09月25日 | 家族
23日に、市から義母の100歳のお祝いに副市長さんが見えてくださいました。
市長さんが直前に体調を崩されたので、としばらく前にご連絡いただきました。

自宅には帰れないので施設でお迎えしました。
それにしても施設は至れり尽くせりで対応してくださって、頭が下がります。
会場の設定から、進行まで、職員も何人も立ち会ってくださって賑やかに、市と国からのお祝いをいただきました。

義母によると、お化粧もしてくださったと。ハイいつも以上にきれいになっていました。

お祝いをいただいた後、義母は自作の俳句を披露。そして施設にはいってから始めている塗り絵も皆さんにご披露しました。
義母曰く、お礼の言葉も思っていたことの半分も言えなくてとのこと。

100歳になっても、こんなにしっかりしている方はいままでおられませんでしたと、職員の方が私にお話ししてくれました。

確かに・・・・・・ケーブルテレビのインタビューに「認知症にならないように俳句や塗り絵を、寝たきりにならないように運動を」しています、と言っていました。

さすがです、くよくよしないで前向きです。

終わった後、お部屋に寄りましたら、壁には孫たちの写真が一杯貼られていました。
「しいばあ、大好きだよ」「しいばあ、長生きしてね」と書かれた色紙に、その時々の写真が添えられています。
これを見ていると幸せな気持ちになれるのだそうです。
いまでも新聞を読んで、ひ孫の活躍が載るのを楽しみにしています。

「俺はばあちゃんに育ててもらったから」という息子の声が聞こえたような・・・・肩を揉んでやっていました。

一度聞いたことは忘れないと、嫁いだ頃言われました。記憶力がいいのです。
旅行に行って帰ればすっかり忘れ去ってしまう私と違って、宿泊先のホテルや乗った列車までを正確に覚えているのは、楽しかったことを繰り返し思い出して、記憶の定着をしていたからかもしれません。

 一度家に連れて帰りたいと計画していたのですが、コロナが再燃して果たせずにいました。
100歳は特別ですからと、外出の許可は出ましたが、義母に腰痛だからイヤだと断られました。
ケアーマネも、よくなってきた腰痛がまた戻ってしまうかもと。そしておまけは会食の禁止。

しかし今回、外出したいと言い出しました。
一番の問題は、義母を車イスのまま移動させることです。
抱き上げての移動はできないみたい。

これは若い人たちの手を借りなければできません。

そして、義母の頭の中では、家にいる時も車イスで家の中を移動していたからになっていました・・・・・えー、ばあちゃん車で移動していたんだけど(笑)
そして食事は禁止だそうです。

ただ今夫と方法を思案中。
読みいただきありがとうございました。

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自家製醤油  食料自給率の実態は

2024年09月24日 | 日々のこと
空気が入れ替わって、涼しさを通り越したような朝でした。
連休も終わり始動です。

連休2日目は、前日の庭の手入れをと思っていたのに、朝食の後常備菜を作っているうちに雨がパラパラ・・・・・程度だけど外仕事は無理だわね。
それで、気になっていた、自家製醤油の瓶の移し替えです。
1升瓶12本を4合瓶に移します。

麹屋さんが、これで2年分はあるはずと昨年の今頃、仕込んだ醤油を届けてくれた最後の分です。
移し終えた1升瓶を洗い、来年用に保存です。
最近、1升瓶のお酒を飲まなくなって、その確保が大変です。

もう醤油絞りは止めますと、麹屋さんに言われたのは、2年前。
その時もう自家製醤油はできないのだとあきらめて、持っていた1升瓶を酒屋さんにお返ししました・・・・・その頃1升瓶が不足していたからね。

それが思いがけずに、麹屋さんが絞ったのがいただけるようになり、また1升瓶集めでした。

スーパーで買う醤油との違いって?
味が違うのです。素材が十分に使われているということなのでしょう。
大豆を煮た時の汁は、とっても甘味がありますが、そういう素材の積み重ねかな。
化学調味料と色で嵩増ししたものとの違いでしょうね。
煮物を作ってもダシが要らない位です。

先日何かで目にしました、わが国の食料自給率がカロリーベースで38とか39といわれていますが、飼料や肥料なともろもろ入れて考えると10パーセント、という衝撃なものでした。
ありうるかもしれません。
食の自給なくして、何をか語るのでしょうかと思うこの頃です。

午後、夫は先祖祭りに出かけ、私は庭の手入れ。
よく働きました。
コロナで先祖祭りも1軒一人になり、会食もなく折り詰めとお酒はお持ち帰り。
もうみんなのお顔忘れてしまいそう(笑)
人の見送り方も変わり、いえ簡単になり最後のお別れも十分にできない今です。先祖祭りで顔を合わせていられる間は、健在ということなんだわね。
微妙な世の中になりました。
読みいただきありがとうございました。

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またまたの3連休の1日目は

2024年09月22日 | 日々のこと
またまたの3連休。

能登の大雨に驚いています。
復興が進み始めたところに、こんな災害はお気の毒としかいいようがありません。お見舞い申し上げます。

休日あれもこれもと欲張りムード。
姪にローゼルを採りに来てとお誘い。
来るまでの間、庭の手入れ。たった1時間だったのに、汗で1回目の着替え。
姪とローゼルを採りながらおしゃべり。
これが楽しい。
夕方には家に帰るというので、夫が野菜を用意してくれ、姪もモロッコと穂紫蘇の収穫体験。
自分で採ってみると、時間がかかるって分かるんだよね。


そのあと私は、ペチャ豆の鞘取りと、野アヤメの種取り。
この種1升も採れたのだけど、この後が問題。
野に帰したいのだけど、なかなか適地がない。
適当に人の手が入らないと、他の草に負けてしまう。

ある程度育ててから移植するがいいのだけど、それでも人の手が入らないとこはダメみたい。
ひと様のお庭がいいわねえ。

こうなりやあ袋詰めにして、お役所のカウンターに置いてもらおうか、なんて考えてみたり。昨年は適当にばらまいてみたけれど、2年目以降出ないと花は咲かないから、結果はまだ未知。
ここで2回目の着替え。

昼食後、空を見上げつつ庭の手入れの続き。
3時間みっちり。
夫が軽トラで運び出してくれた量は3台分。
この内1台分は、紫蘇。
孫娘が紫蘇の実の醤油漬けを好んだから、畑のほかに保険として裏庭に育てていたのだけど、使わずじまい。
もう来年はそうそうに見切りを付けよう(笑)
大木に成長した木を抜くのも大変。
おまけに種が来春の草になるんだわあ(笑)
もう1台分はアヤメの葉。
あっちにもこっちもアヤメが増殖中。
まあー、好きだからね。
あと残り2割。
ここで着替えて・・・・・夫に野良着のシャツが無くなりそうって言いました。汗かきの私、毎日3回も着替えるのだけど、天気が悪すぎ(笑)我が家洗濯は夫担当。


またまた夫は会議に出かけ、その留守にローゼルのジャム作り。
額と実を取り正味420グラムだと、中瓶2本にならない。
さわやかで美味しい。
今年は10本しか作らないと決めているけど、生っているローゼルの絶対量が少なそうだからそんな心配いらないかもね。
佐藤雅美さんの小説「縮尻鏡三郎」、2冊目に入りようやく主人公と同化してきたみたい。江戸が舞台なのだけど、新しい分野で面白い。
いいわね、本の世界は果てしなくて。

読みいただきありがとうございました。

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またひとつ新しい目標です

2024年09月21日 | 読書
ようやく、ポスティングも終わり近くになりました。
伺えなかった方に郵送する作業が残っています。

畑仕事はペチャ豆の鞘取りが始まりました。
これは私の分担・・・・・お客様感謝祭ができた頃は、このお豆でおこわを蒸かしてお客様に食べていただいていました。
だから私がやらなくてはと。
今は感謝祭ができないので、今年はいつもの半分だけ作ってもらいました。

確かに半分は半分ですが、3日に1度は採りに行かねばなりません。
でも凄い不作。
昨日はそれを採りに行ったあと、ローゼルを採ってみました。
姪に採りにおいでといったので、その前の様子見。
作り始めて2年目。
昨年、枝が広がって大変だったので、夫が杭と棒で工夫してくれました。今年は高さが2m以上になっています。
採り始めた私、夫に「中の方に実が付いていないのだけど」、と。
「木作りの実とらず」なんでしょうか、それとも今年の酷暑が影響しているのでしょうか。

1年かけて読んでいた「東村誌」を読み終えました。
というか一応読みました(笑)
実にためになりました。まさに郷土の歴史です。
近代になると、知っている方のお名前が出てきてなんとも興味ふかかったです。
それにしても知らなかったことばかりでした。

400年前はチャンバラやっていたんですね。
この先400年経ったらどうなっているでしょうね。
20年もしないうちに、車が空を飛んでいるかもですね。
そのチャンバラの世界から、今や兵器は格段に凶悪になりました。
この調子でいがみ合っていたら、400年後に人類が生き残っているでしょうかと思います。
その前に気候変動で食糧難かもしれません。

明治・大正・昭和になっても、庶民の生活は厳しかったですね。
食べて生きていくことに・・・・・。
戦後生まれの私でも、まだその厳しさの一旦を垣間見ることがありました。
それがあっという間に、飽食なんていう時代になったのですもの。
良かったと言えばよかったでしょうが、何かを置き去りにしてきてしまった思いもしています。

東村は昭和35年に佐久市に合併しました。
これから「佐久市誌」に入ります。
何冊もあるのです、何年もかかるかも(笑)
なんせ厚いのでベットの中で読めないから。
新しい目標がまたひとつできました。
読みいただきありがとうございました。

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金婚式の記念新聞から

2024年09月19日 | 家族
昨夕の夕立から涼しくなった佐久です。
ヘビ騒ぎでお騒がせしました。
とりあえず、庭仕事は中断しています、と言うよりほかの仕事でてんてこ舞いなので。

先日、金婚式のお祝いで新聞社の社長の小坂壮太郎さんからいただきました「ごあいさつ」文がとっても心に残りました。

50年前、こんなことがあったのだと懐かしく思い出させてくれました。
そこで引用させていただきます。
昭和49年は、前年来の物不足、物価高が生活を直撃し、政界は田中角栄首相の金脈問題に揺れました。プロ野球巨人の背番号3番、長島茂雄選手が引退し、佐藤栄作元首相が日本人初のノーベル平和賞を受賞。
小野田寛郎・元陸軍少尉がフィリッピン・ルバング島で救出されました。

第1次オイルショツクが起き、結婚する時未来が明るく見えませんでした。

周囲を見回せば、こんなことを知っている人たちも少なくなりました。
あげていただいた一つひとつが、この国の歴史の一旦なんだと改めて思いました。
いただいたのは、結婚式当日の3月3日の新聞の一面の縮小版でしたが、やっはりどれも歴史史上の残っていますね。

新聞の見出し
石油製品、平均で65%高に  通産省、首相(田中角栄)に方針説明 
スーパーと百貨店 価格の凍結を了承
加工食品など2~3カ月間

証人喚問ヤマ場へ 衆院予算委 与野党、歩み寄りか 明日の理事会で詰める

本当に歴史に記憶される年だったと思う。
よくぞまあ、ここまで来ました(笑)
読みいただきありがとうございました。

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