世論が真っ二つに割れる賛否両論の生き方 「プア充」に共感できる? できない?(DIAMONDonline)
「プア充」、共感できる? こんな調査がヤフーの意識調査で行われたのは11月中旬。「プア充」とは宗教学者の島田裕巳氏が著書『プア充―高収入は、要らない―』で提唱した言葉で、年収300万円でも希望にあふれ豊かで幸せな生活が送れること、「そこそこ働き、企業に縛られず、自分の生活を生き生きさせていく」考え方だという。俄かに浸透しつつあるこの「プア充」という言葉に、世間の反応は?
(中略)
島田氏はインタビュー「年収300万円だからこそいい “プア充”提唱者が語る、女性が本当に幸せになれる結婚とは?」、「出産・子育ても年収300万円で十分! リスクだらけの高収入男性より、”確実な幸せ”をつかむべし」の中で、昔よりもお金をかけずに娯楽を楽しめる方法がたくさんあることや、「少ないお金のなかでやりくりする」ことの大切さを説いている。また、教育費については「高校まで公立なら実質タダ」とし、学歴主義が今後なくなっていくのではという予測も。本当に年収が低くても「豊かな暮らし」は叶えられるのかというインタビュアーの問いにひとつひとつ答えている。
「プア充」なる浸透しているとはとうてい考えられない言葉が、お笑いダイヤモンドで取り上げられています。提唱者の島田裕巳氏は上記引用元のリンク先でも色々と無茶苦茶なことを述べていますけれど、まぁ先日取り上げました朝日新聞が識者とヨイショするところの論者と似たような性質を感じますね(参考、胡散臭い就活ビジネスで学生をカモにする輩へギャラを払うのをやめろ)。海老原嗣生という占い師が、さも「中小へ入ればストレスから逃れられますよ」という根拠のない、かつ中小企業を舐めたミスリーディングを繰り広げていたものですが、今回の島田氏の「プア充」も似たようなものでしょう。
まず「(教育費については)高校まで公立なら実質タダ」、「学歴主義が今後なくなっていくのでは」といった発言があります。しかし公立の学校でマトモに勉強を教えてもらえるところがどれだけあるのやら。塾代を出せない家庭の子供と、ただ公立の学校に通うしかない子供とでは深刻な教育格差が生まれるものです。学歴主義云々もまた無責任かつ根拠なき憶測が披露されていますけれど、いかがなものでしょう。そりゃ大学の成績が問われる時代は遙か昔に過ぎ去ったかも知れませんが、大学のネームブランドは今なお根強く問われ続けており、そこに変化の兆しは見えていないと思います。
「『そこそこ働いて低収入か、一生懸命働いて高収入か』と言っているが、一生懸命働いても低収入という場合も多い。そういった場合はどうやって充実させればいいのか」(20代男性/年収200万円代)
こちらは「プア充」を巡るアンケート回答の一つですが、まさにその通りと言いますか、島田氏の想定できていない現実があるわけです。今回の島田氏や前述の海老原氏のように社会を舐めている連中の頭の中では、高収入/大企業の仕事=激務、低収入/中小企業の仕事=楽という設定があるのかも知れません。そうであったなら、意図して中小企業を選ぶ意味、収入の少ない仕事を選ぶ意味もあると言えます。しかるに現実は厳しいもの、論説委員のようにバカでも務まるのに高給の仕事もある一方、激務でありながら低収入で不安定な仕事も数多あって、「年収300万円でも希望にあふれ豊かで幸せな生活」なんてものは収入や企業規模を妥協さえすれば得られるようなものではないのです。
むしろ賃金の安い仕事の方が過酷かつハイリスクのケースも多いのではないかという気がしないでもありませんし、本当に「給料は(非常に)安いけれど楽な仕事」は若者や主婦の家計扶助向けであって、自分の稼ぎで生活している人が年金受給年齢まで働き続けられる仕事など皆無でしょう。ましてや経済衰退の続いた日本で年収300万円というのは決して軽くない、むしろ300万円の年収を得るために私生活上の諸々を犠牲にすることを厭わない人も少なくない領域です。金のためなら何でもと覚悟を決めても状況によっては300万円が「無理」な場合すらあるはずです。年収300万円を、さも「妥協した額」であるかのように思えるのは「持てるもの」の奢りでしかありません。
給料が安くても負担の少ない仕事か、過酷でも高給を求めるか、それは本人が決めることであって他人がとやかく言うものではないのですが、「給与(企業規模)を妥協すれば楽な仕事にありつける」というのが幻想でしかないことは、改めて繰り返しておきたいと思います。そもそも仮に運良く「給料は安いけれど余裕のある仕事」にありつけたとして、それを周りがどう見るのか。本人は満足していたとしても、婚活「女子」がそれを嫌がるなら(婚活女子が求める「平均的な年収」は682万円だそうで)、なおさら日本の少子高齢化は進みそうです。むしろ本人より「周り」の問題もあるのではないでしょうか。
「『低収入でもいいじゃない』という考え方は“逃げ”のように感じる。甘えることの得意な人もなかにはいるので、頑張らないことの言い訳に『プア充』という言葉を使おうとするなら違うと思う」(30代男性/年収500万円代)
「上昇志向がないと仕事ができるようにならないと思うから。一緒に働く人には上昇志向を持っていてほしい」(40代男性/年収1000万円代)
こちらも同様に「プア充」を巡るアンケート結果の一つです。全く共感できない言葉ではありますが、島田氏の想定できていないものを端的に語ってくれているようにも思います。「仕事よりも自分の生活を充実させるのが優先なので、年収は300万円くらいで十分です」と――私自身がそう感じないでもないのですけれど――このような姿勢を人事権を持つ側がどう判断するか、権限のある方が変わらないとどうにもなりません。正規に採用するのは上昇志向を持った人だけ、そして中高年になっても上昇できなければリストラしたい、そういう思惑が強い中で仕事より私生活を優先する人が安定した仕事に就く機会があるのかどうか、その辺は考えてから発言して欲しいなと。
充してません。
充してるのは休日がやたら多い
稼げない
楽だけど
だけど移送ばかりで膝傷め
雑用で自尊心傷つき
どこにも出かけられません
>くり金時さん
>ヤナギさん
結局のところ、この種の言説は賃金格差の正当化に繋がっているのかなと言う気もしますね。実際のところ賃金の少ない仕事も楽ではない、そして中には楽な仕事で高給を得ている人もいる中で、「低賃金の仕事=楽で充実」、「高収入の仕事=ストレスが多くリスクも高い」と位置づけることで、「収入を得ている人は相応の負担をしているのだ」「収入が低い人はその分だけ楽ができているのだ」と、そうこじつけたいところがあるように思います。現実に安く賃金で働いたことがある人にとっては全く頷けないところですが、そういう世界観を広めたがっている人もいるのでしょう。