文化調査船「ガラクタ号」 プログ版

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1月20日(水)のつぶやき

2016年01月21日 05時01分13秒 | 個人的な感想とか意見

朝起きたら雪国だった。久し振りにテレビを付けてニュースを見たら警報が出ていた。雪の警報なんて珍しい。解除されるのも早かったが。昨日医者のハシゴを済ませておいて良かった。


Windows上でやっているネットゲームのメインテナンス時間帯になっていたので、音楽録音や雑用を済ませるためにMacOS Xに切り替えて作業中。12月まではゲームと並行して電子小説も読んでいたのだが、この頃はゲーム中心になっている。


小説は小説で自分の世界を拡大できるので楽しいのだが、いくらでも主体的に行動できるネットゲームは中毒性がある気がする。貧乏なのでゲームにリアルマネーを注ぎ込むことは出来ないが、ゲーム内のバーチャルであっても働いてマネーを稼ぐのは楽しい。


自分のやっているゲームではモンスターを狩ると「財布」を得るのだが、開けると行動ポイントを消費してしまうので別の生産活動が出来なくなる仕様。なので殆ど捨ててしまう。中には高額で売れる物が入っている場合もあるようだが、(バーチャルでも)賭けは負けると決め込んでいるのでしない。


戦闘や狩りは各種経験値を稼ぐだけと割り切って、ドロップ素材も拾いに行かない。拾わないと倒した敵が消えないで困る場合は、その場では拾っても後でまとめて捨てる。ゲーム内マネーは主に生産活動で稼ぎ、足りない素材はオークションで買う。いわゆる農民生活。


武器や防具などを自分でつくらなければ、ドロップ素材の価値もわからないままだし集めたいとも思わない。「知らない」というのはゲーム内では一番の弱点ではあるが、逆に欲望に惑わされないで済むという利点にもなる。リアル世界でも似た面がある。知識は力になるが、平穏を乱し争いを生む。


二十歳前後に老子や荘子を読んでいた頃や30代後半にニーチェを再読した頃に、知を求める行動や知識に対してある程度の疑問を持つようになっていた。それが昨年の断捨離接近体験や、本格的な寝たきり・引きこもり生活を経て、親「知性」であるけれど反まではいかない非親「知識」になったと思う。


「知るを楽しむ」が基本で、書籍・情報・録音物の収集癖も強い自分が、いきなり全部止めて捨てるというレベルで変わることはないだろうが、対象をシフトしながら徐々に止めて捨てることになっていくのだろうと覚悟している。まあ世間では普通にありふれていることなのでしょうが。