ふと思ったこと。
絵とか音楽とか小説とか…。これらは芸術でもあるんですが,名作と呼ばれるものは当時多くの人に愛されたものである場合が多い気がします(例外もあるけど)。多くの人に愛される作品というのはエンターティメント性が高いと思います。エンターティメント性が高いものは「時代性」を多く含みます。でも,その作品が芸術となるには,今の時代だけではなく10年後50年後100年後も人に愛される必要があります。つまり「普遍性」が必要だと思います。
逆にエンターティメント性がまったくない芸術作品もあるのですが,そもそもそういう作品は作者が食べていけなくて作られなかったり,誰も見向きもしないので,すぐに破棄されたりします。芸術性だけではなかなか残る作品は生まれません。
つまり芸術作品として後世に残るには,芸術につながる普遍性とエンターテイメントにつながる時代性の両方を持っていることが必要だと思います。
現在芸術と呼ばれる昔の音楽や絵画や,また文学や,そういうものも当時は大衆を喜ばせる人気作品だったのだよなぁと時々思います。今の人がそれらの作品を高尚なものと大事に評するのは悪くはないけど,それだけの作品じゃなかったということだし,逆に今のエンターテイメントから芸術が生まれる可能性もだいぶある気がします。
絵とか音楽とか小説とか…。これらは芸術でもあるんですが,名作と呼ばれるものは当時多くの人に愛されたものである場合が多い気がします(例外もあるけど)。多くの人に愛される作品というのはエンターティメント性が高いと思います。エンターティメント性が高いものは「時代性」を多く含みます。でも,その作品が芸術となるには,今の時代だけではなく10年後50年後100年後も人に愛される必要があります。つまり「普遍性」が必要だと思います。
逆にエンターティメント性がまったくない芸術作品もあるのですが,そもそもそういう作品は作者が食べていけなくて作られなかったり,誰も見向きもしないので,すぐに破棄されたりします。芸術性だけではなかなか残る作品は生まれません。
つまり芸術作品として後世に残るには,芸術につながる普遍性とエンターテイメントにつながる時代性の両方を持っていることが必要だと思います。
現在芸術と呼ばれる昔の音楽や絵画や,また文学や,そういうものも当時は大衆を喜ばせる人気作品だったのだよなぁと時々思います。今の人がそれらの作品を高尚なものと大事に評するのは悪くはないけど,それだけの作品じゃなかったということだし,逆に今のエンターテイメントから芸術が生まれる可能性もだいぶある気がします。