今週,死刑反対論者の千葉法相が始めて死刑執行を決裁し,実際の死刑に立ち会ったというニュースを聞きました。わたしは死刑執行の決裁は大臣の業務だと思うので,執行すべきだと思いますし,死刑反対なら,国会でそれを議論して刑法を変えればいいと思うので,そういう意味では今回の執行は当然のことをしたのだとは思います。ただ,いままで執行に立ち会った大臣はいないということからも,それなりに千葉法相には思うところがあったのかもしれませんが,よくわかりません。
死刑の是非については難しいのですが,現状日本には死刑の反対派は国民の大半にはなってなかったと思います。議論して国会で決めればいいとは思いますが,じゃぁ自分の意見は?というと,死刑の是非以前に日本の刑法が刑に対してどういう意味を持たせているかが良くわからないので判断が出来なくて困ってます。もしかしたら刑法のどこかにそういうことは書かれてるのかもしれませんが,あまり刑の意味というのは説明されて無いように思います。
刑の意味で考えら得るのは「罰」「犯罪抑止」「犯罪者隔離」「再発防止」「被害者(の遺族)救済」「犯罪者更正」などでしょう。これのどれかによって実際の刑が持つ意味と適切な量刑は変わるように思います。もちろん凶悪犯罪と軽犯罪では違っていてもいいとは思います。もしかしたら軽犯罪は犯罪者の更正や再発防止などの目的を持っているのかもしれません。そうであれば,犯罪者を反省させたり,職業訓練などを受けて,社会復帰をさせるのは正しいように思います。でも凶悪犯罪者の中には,とても更正を望めないような人もいます。偶然弾氏が無期懲役囚の心情を書いた本を紹介してますが,反省しない受刑者もそれなりにいるということです。
更正しない凶悪犯罪者に対しては,一市民としてのわたしの心情としては社会から隔離して欲しいというのがあります。怖いからです。死刑は犯罪者の隔離や再発防止という意味では,もっとも強力な手段ですが,終身刑でも同じことは可能です。ただし終身刑の場合はその費用を国民の税金で支払うことになります。それを国民が納得するか?ということでしょう。ただし実際は刑法は,どんなひどい犯罪でも犯罪者にそれをしようという気持ちが無かったり,精神的に異常な状態でおきていれば罪に問われないこともあります。もちろん,そういう人は病院なので隔離はされますが,期間的にも十分ではないというような話も聞きます。ということは,犯罪者の隔離や再発防止という意味では,刑法は考えられてないということなのでしょうか。
案外日本の刑法の考えは「罰」は「償い」として刑を考えているのかもしれません。罰も償いというのは漠然としていて,何を指してるのか判らないのですが,その漠然とした感じで「罪を犯した人は,それなりの辛い思いをしなければならない」という意味になります。ただし実際は最近刑務所で看守が暴行とかをすると問題になるように,犯罪者に辛い思いをさせるのも減ってるように思います。そうなるとますます刑務所の意義というのが判らなくなります。
というわけで,国会で話し合えばいいとは書きましたが,前提の思想が決まらないと刑の設計は出来ないし,そもそも最近の裁判員制度も,裁判員はどういう観点で量刑を決めればいいかわからないのでは無いでしょうか?判らないまま個人の感覚で決めるのが裁判員制度といわれればそれまでですが…。
わたしは以前も書きましたが,死刑の是非には明確な意見はまだ持ちえてません。賛成も反対も上に書いた疑問が解けて無いので判断がうまくできません。ただし冤罪があった場合に死刑は取り返しがつかないと思うので,実際は慎重に判決を出すべき量刑の様に思います。そういえば,いまひとつ「疑わしきは罰せず」も実行されて無いような気もするのですが気のせいでしょうか?。
わたしは国民に刑法の量刑の議論を起こさせるなら上に書いたような話をまずしないといけないと思ってます。千葉法相は死刑について思うところがあるんでしょうが,国民に何を訴えたいのか?今のところその意図はわたしには見えません。
死刑の是非については難しいのですが,現状日本には死刑の反対派は国民の大半にはなってなかったと思います。議論して国会で決めればいいとは思いますが,じゃぁ自分の意見は?というと,死刑の是非以前に日本の刑法が刑に対してどういう意味を持たせているかが良くわからないので判断が出来なくて困ってます。もしかしたら刑法のどこかにそういうことは書かれてるのかもしれませんが,あまり刑の意味というのは説明されて無いように思います。
刑の意味で考えら得るのは「罰」「犯罪抑止」「犯罪者隔離」「再発防止」「被害者(の遺族)救済」「犯罪者更正」などでしょう。これのどれかによって実際の刑が持つ意味と適切な量刑は変わるように思います。もちろん凶悪犯罪と軽犯罪では違っていてもいいとは思います。もしかしたら軽犯罪は犯罪者の更正や再発防止などの目的を持っているのかもしれません。そうであれば,犯罪者を反省させたり,職業訓練などを受けて,社会復帰をさせるのは正しいように思います。でも凶悪犯罪者の中には,とても更正を望めないような人もいます。偶然弾氏が無期懲役囚の心情を書いた本を紹介してますが,反省しない受刑者もそれなりにいるということです。
更正しない凶悪犯罪者に対しては,一市民としてのわたしの心情としては社会から隔離して欲しいというのがあります。怖いからです。死刑は犯罪者の隔離や再発防止という意味では,もっとも強力な手段ですが,終身刑でも同じことは可能です。ただし終身刑の場合はその費用を国民の税金で支払うことになります。それを国民が納得するか?ということでしょう。ただし実際は刑法は,どんなひどい犯罪でも犯罪者にそれをしようという気持ちが無かったり,精神的に異常な状態でおきていれば罪に問われないこともあります。もちろん,そういう人は病院なので隔離はされますが,期間的にも十分ではないというような話も聞きます。ということは,犯罪者の隔離や再発防止という意味では,刑法は考えられてないということなのでしょうか。
案外日本の刑法の考えは「罰」は「償い」として刑を考えているのかもしれません。罰も償いというのは漠然としていて,何を指してるのか判らないのですが,その漠然とした感じで「罪を犯した人は,それなりの辛い思いをしなければならない」という意味になります。ただし実際は最近刑務所で看守が暴行とかをすると問題になるように,犯罪者に辛い思いをさせるのも減ってるように思います。そうなるとますます刑務所の意義というのが判らなくなります。
というわけで,国会で話し合えばいいとは書きましたが,前提の思想が決まらないと刑の設計は出来ないし,そもそも最近の裁判員制度も,裁判員はどういう観点で量刑を決めればいいかわからないのでは無いでしょうか?判らないまま個人の感覚で決めるのが裁判員制度といわれればそれまでですが…。
わたしは以前も書きましたが,死刑の是非には明確な意見はまだ持ちえてません。賛成も反対も上に書いた疑問が解けて無いので判断がうまくできません。ただし冤罪があった場合に死刑は取り返しがつかないと思うので,実際は慎重に判決を出すべき量刑の様に思います。そういえば,いまひとつ「疑わしきは罰せず」も実行されて無いような気もするのですが気のせいでしょうか?。
わたしは国民に刑法の量刑の議論を起こさせるなら上に書いたような話をまずしないといけないと思ってます。千葉法相は死刑について思うところがあるんでしょうが,国民に何を訴えたいのか?今のところその意図はわたしには見えません。