ロシア構成主義とは? わかりやすく解説

ロシア構成主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/08 08:03 UTC 版)

ロシア構成主義(ロシアこうせいしゅぎ、ロシア語: Конструктивизм英語: Constructivism)とは、キュビスムシュプレマティスムの影響を受け、1910年代半ばにはじまった、ロシアソ連における芸術運動。絵画彫刻建築写真等。

特徴

1917年ロシア革命のもと、新しい社会主義国家の建設への動きと連動して大きく展開した。1922年のアレクセイ・ガン(Aleksei Gan)の『構成主義』が理論的基盤をもたらした。その特徴は、抽象性(非対象性・幾何学的形態)、革新性、象徴性等である。平面作品にとどまらず、立体的な作品が多いことも、特徴の1つである。構成主義という言葉は、ナウム・ガボ(Naum Gabo, Наум Габо, 1890年-1977年)とアントワーヌ・ペヴスナー(Antoine Pevsner, Антуан ПевзнерまたはНатан Певзнер, 1886年-1962年)が、最初に使ったとされる。

作家群

ロシア構成主義に属するとされる主要な作家は、上記2名の他に以下のとおり。

1920年代後半には、スターリンの下でソ連政府が保守化し、社会主義リアリズムが重視されて、ロシア構成主義は衰退した。これに伴って、一部の作家がソ連から西欧やアメリカ合衆国へ逃れたこともあり、遅くとも1930年代には、ロシア構成主義は、国際的に広まった。この段階においては、「国際的構成主義」と呼ばれることもある。また、1930年代の抽象絵画に与えた影響も大きい。

団体・組織・機関

ロシア構成主義に関係して、いくつかの団体・組織や教育機関が設立されている。主たるものは、次のとおりである。

  • ヴフテマス(Vkhutemas (VKhUTEMAS)、VhutemasまたはVchutemas, 国立高等美術工芸工房または国立高等芸術技術工房:BXУTEMAC, Bxyтeмac, "Выcшие Государственные Художественнo-Texническиe Macтepcкиe"
    1920年に、スヴォマス(Svomas, 国立自由美術工房、国立自由芸術工房または国立自由芸術スタジオ:CBOMAC, Cвoмac, "Свободные Государственные Художественные Мастерские")が改組されてモスクワに設立される。のち、1927年にヴフテイン(Vkhutein (VKhUTEIN) またはVhutein, 国立高等美術工芸研究所または国立高等芸術技術学校:BXУTEИH, Bxyтeин, Выcший, "Гocyдapcтвенный Художественнo-Texнический Институт")に改称するも1930年に閉鎖。基礎過程や建築を重視する、バウハウス的な総合的美術教育をソ連に導入した。

教官の中には、ロドチェンコやタトリンをはじめとして、リシツキー、ガボ、マレーヴィチ、ポポーヴァ、ヴェスニン兄弟イワン・レオニドフ、クリュンなども含まれており、初期にはバウハウスに向う前のカンディンスキーも加わっていた。

  • インフク(InkhukまたはInhuk, 芸術文化研究所:ИНXУK, Инхук ,"Институт Художественной Культуры"
  • ウノヴィス(Unovis, 「新しい芸術の主張者」:УHOBИC, Уновис, "Утвердители нового искусства"
  • オブモフ(ObmokhuまたはObmohu, 「若い芸術家による会」:OБМОХУ, Oбмoxy, "Oбщество Moлoдыx Xyдoжников"
※「:」より後のロシア語表記は、「大文字のみによる略語, 小文字入り略語, "略されていない正式名称"」の順に記載

関連書籍

  • 五十殿利治土肥美夫編『ロシア・アヴァンギャルド4 コンストルクツィア 構成主義の展開』国書刊行会 1991 
  • 河村彩『ロシア構成主義 生活と造形の組織学』共和国 2019
  • 『革命の印刷術―ロシア構成主義、生産主義のグラフィック論』[1]河村彩編訳、水声社 2021

脚注

  1. ^ 各・当事者である、エリ・リシツキー/オシップ・ブリーク/ニコライ・タラブーキン/ヴィクトル・ペルツォフ/グスタフ・クルツィス/ウラジーミル・ファヴォルスキーの証言集

関連項目


ロシア構成主義

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ロシア建築」の記事における「ロシア構成主義」の解説

詳細は「ロシア構成主義」を参照 ロシア革命は、ロシア芸術にとっても一大転機となったいままで権威主義的宮廷芸術的な建築否定され社会主義的合理主義的な先鋭化した様式への回帰叫ばれた。これらの芸術革新運動ロシア・アヴァンギャルド呼ばれたロシア・アヴァンギャルド建築中でもっとも論理的な手法用いたのが「構成主義」だった。構成主義は、建築物力学的に計算しつくした構造による構造美こそが建築美であるという単純化し主張だった。建物ファサード装飾ではなく構成全体美しさ表現するようになった1925年パリ装飾博覧会ソビエト館を設計し外国グランプリを手にしたのがコンスタンチン・メーリニコフだった。メーリニコフは以後「コロンブス・モニュメント」の設計など世界的に活躍しロシア建築界の巨匠となり、構成主義旗手であったウラジーミル・シューホフは、双曲面構造外観をもつシューホフ・タワー呼ばれる塔を創出した。ソビエト成立以後初めての大型構造物であったシャーボロフスカヤのラジオ塔設計した一方1920年に、モスクワ美術・建築などの教育機関ヴフテマス」(国立高芸術技術工房1920年1930年)が創設された。ウラジーミル・タトリンやメリーニコフが教鞭をとり、非常に短期間だったが先鋭的作品数多く生まれた。まさにロシア版のバウハウスだった。

※この「ロシア構成主義」の解説は、「ロシア建築」の解説の一部です。
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