気が付いたら3か月くらい経ってたりするのが常ですな。やり始めは。
(「もし幸せになったら」なんかその人格に乗っ取られて、気が付いたら過ぎ去った老後になっているんじゃないかと空想してみたり、
単純に我慢の限界で殺したあとに刑務所で気づくとか。)
人格って、スクリーンに映されただけのものなんじゃないか。記憶や思考を統合して一貫性のある物語(=人格)にしているだけ。
映さなくてもフィルムは回ってるし、捨象されるものもある。人間とて反応の寄せ集め、虫みたいなもの。さらに崩壊すると虫でさえなくなるのだろう。
いいならいいけど。苦しみがないわけじゃないだろう。
Permalink | 記事への反応(0) | 19:06
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