はてなキーワード: グリーフケアとは
コトリーってWebで心理カウンセラーに相談できるサービスあって、自分の会社でも同僚が亡くなったとき、社員向けに導入されてた。グリーフケア関連のカウンセラーもいるみたいなので、試してみるのもいいかもしれない。
増田の同期が自殺した。前日まで刃牙とかニンスレの話とかしてたからびっくりしたし、ショックでご飯も食えない。
労基が動いてるが、増田の勤務先が特殊だから誰がに相談もできなくて詰んでる。毎日ニュース見るのもキツい。下に挙げるの以外であったら教えて欲しい
・ゲーム、アニメ全般。ガチャお互いに引いたり一緒にリアタイしてたから思い出して辛い
もう何でもいいから教えて
【追記】
なんというかこう、増田といえばうんことかお前が弱いだけwwwとか2コメくらいついて終わってそうwwwと思ったので増田とか全部見て泣いてる。
確かに助かってる人間が1人居ます。まだ手合わせられてないから明日言ってこようと思う。葬儀とかこういった儀式って文化的に必要なんだなって思った。ありがとう。
全く食えないし眠くない。これ良くない。栄養不足と睡眠不足で何も記憶に残らないから眠れない人はとっとと薬貰ったほういい。ドンキでソイジョイと栄養ゼリー大量に買ってきたからこれで食いつなぐ
そういやバーベルとギターあったなと思って引っ張り出してきた。譜面や本人の弾き語り動画ネットで見れるってことに感動してる
仕事柄遠出出来ない。けど増田読んで全部投げて行ってこようかなという気になった。海獣と日本三大桜があるところはいいぞ
>泣く~泣ける映画
泣けてなかったからノリで投稿した増田でこんな泣くことになると思ってなかった。悲しいかな映画で感動できたことがない。おすすめあれば教えてほしい。アマプラ・ネトフリ、アベマは入ってる。ベビわる面白かった
やってるけどブコメ見て改善・もう1回しようかなというもの個人的にメモ
「生きていて欲しかった」
800人の患者のうちの一人として5分間診療で薬もらう程度の仲で
飼っていた犬とか猫とか
経済効果をもたらしてくれてたとかなら
悲しいのわかるけど
もしも自分にほんの少し関係ある程度の人の死にもグリーフケアが必要なのだとしたら
みんな仕事を休んでカウンセリングでグリーフケアして生き方を変える文化にしていかないといけないよな
そんな頻繁には無理だとは言わせない
その気になれば「ウクライナに寄り添う」くらいのことはできるはず
もしも本当に寄り添うと言うのなら経済援助もできるはず
「生きていて欲しかった」
返信ありがとう。実際のグリーフケアのアドバイスがあんまり出来てなくてごめんね。
増田であんまりしつこくかくのもあれだからここらへんにしとくけど、頼れそうな人がいたら頼ってみてください。
自分達のことを知らない人のほうが気が楽なこともあるのでネットでのカウンセリングなんかも視野に入れてみるといいかも。
私は夜中目が覚めて眠れないのがしんどかったので、寝る前に必ずひとつ美味しいもの(大福とかカステラ)を思い浮かべておいて
目が覚めたらすぐにその日決めた言葉を思い出してシャッフル睡眠が出来るようにしておいた。おまじないみたいなもんだね。
怖かったかなとか寂しかったかなとか、生き残った側の人間が考えても答えが出ないことを考えてしまうのを何とかストップさせたかった。
だから、だいふくの”く”の字でも”くるしい”とかそういう単語はシャッフルでは考えないようにしてたりした。
違ったらごめんだけど前に増田に書いてた人かな?
気になってたからもしかしてと思ったんだけど、同一増田じゃなかったとしても、とにかくお疲れ様。
闘病生活とのことだったので、私ならその旦那さんのかかりつけ医か看護婦さんに相談して、そういうケアを受けるにはどうしたらいいかとか、どこがいいかとか聞くと思う。
(父ががんセンターで治療を受けてた時は家族が相談できる看護婦さんがいてくれたので助かった)
もしそういうのがないなら、精神科かカウンセリングへ電話してみたらどうだろう?
なんとなくグリーフケアみたいなのを全面に出してるところで私が行ってみようと思ったところがなかったので、私はカウンセリングを選択した。
カウンセリングしてもらったところで何か変わったわけじゃないけど、何も知らない人に状況をわかるように説明しようとすると
自分の感情から少し距離が取れて、私はこう思ってたんだなと色々発見はあったよ。
増田には増田にしかわからない辛さやしんどさがあったと思う。特に病人の前だと病人のほうが辛いだろうって思っちゃうしね。
眠れないとか、食べられないとか、生活していく上で支障が出てるなら精神科か心療内科だと思う。
精神科はすぐみてもらえるわけじゃないから支障が出てなくても予約だけしといたほうがいいかも。
しんどくてもしんどくなくても、またなんか書きに来てね。
非当事者が何か言っても、それで自分を許すことは難しいとは思う。
あの日、あのとき、直前のSAでもう少しだけでも休憩していれば。JCTで別の高速道路に抜けていれば。停車したときにもっと車間を空けていれば。別車線にいれば。そもそも誘わなければ。
とあるけれど、例えばJCTで別の高速道路に抜けていたらもっと大きな事故に巻き込まれて重体2名死者2名の事故が増田に起こっていたかもしれない。
そんなわけあるか、と思うだろうけれど、でもどんな可能性があるか、何が起こり得るか、そんなの分かりっこないもん。
大地震が起きた日にたまたまその地に旅行に行って、家族や大切な人を亡くしてしまった人。それと同じようなものだと思う。
左足骨折と頭を数針縫う怪我ってかなりの大怪我だけど、痛みや後遺症は大丈夫?
遺族(家族)を対象にしたものが多いけれど、苦しさはとても近いと思うしグリーフケアの集まりとかへ行ってみたらどうだろう。
もう行っているようだったらごめん。
タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。
分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。
妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。
無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。
私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操のピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。
出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。
分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。
妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。
役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。
火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」
我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」
ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。
後悔は二つある。
第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。
第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。
皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃんと言葉にできるようになるまで、事実を客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。
本記事へのトップコメントはこちらからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っています。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743
「傷つく」ってのは「ムカつく」と元増田にとっては等価、そこまではよいがどちらの表現を選ぶかはどっちでもいんじゃねと思う増田がきたよ
たとえば悲しむは怒りだとかいていたけれど
家族が死んで悲しむと体に不調がでる、不調を癒すためのグリーフケアで自分は傷ついていたと認めることは第一歩。
家族が死んでもたいていは遺産やら保険金やらひつようなら遺族年金などが出る。金が出たら悲しくないと思うか?人はそれでも悲しいんだよ
「今自分は怒っている」という認識と「今自分は傷ついている」という認識はベクトルの向きが違う
瞬間湯沸かし器になれるのも才能なら傷を丁寧にみとめて一つずつ埋めていく補修も才能
才能を持ってる人が持ってない人に煽っても意味ないと自分はおもう
配偶者と死別してから参加してるグリーフケアのグループで、40代前半ぐらいの参加者が「恋人と行ってきた旅行のお土産です」と言いながら、みんなにお菓子を配っていた。
増田は「休日を楽しく過ごされて良かったですね〜」ぐらいにしか思わなかった。
でも、その人がいないところで「死別してから半年弱で交際してる」「友達の紹介らしい」「死別して2年半なのに早すぎる」等々、勝手な噂がとびかっていることに気づいて、心が完全に死亡した。
配偶者と死別した人達の中で、増田はいちばん年齢が若く、3年が経った今でもそれは変わらなかった。だからずっと聞き役に徹していた。実は増田自身も半年前に再婚したけど、そのことについてはその場の誰にも話していなかった。
増田もその方も、まだ自分の心にはケアが必要だという自覚があるからこそ出席している。それなのに「もう新しい相手がいるなんて」「すごい神経」「わざわざそんなこと言わなくても」「なんでこのグループにいるの?」みたいなことを、かげで言われちゃう現実をつきつけられてしまった。
配偶者を喪ったあとの選択は、死別した年齢や境遇でだいぶ違うものになる。
その差はもちろんあるにせよ、それはその人だからこそ持ち得た選択だ。そしてたぶんそこにいたるまでは葛藤だってあっただろう。そういう複雑な経緯があることに対して、古い倫理や家父長制をもちだして抑圧するの怖すぎるな。それに、恋人ができたり再婚したりしても、精神医療の助けはまだ必要なんだよ。
そもそも若くして死別した人と、それなりの年齢でむかえることができた死別を、一緒にするのもおかしい話だった。その40代の人を誘って違うグループに行くべきなんだろうな
いわゆる記念日反応ってやつがしんどくて書いてます。支離滅裂失礼します。
でも、明日になったら消すかな。どうかな。
十代のころから二十年以上、ほぼ毎週通ってたならいごとの先生が亡くなって1か月過ぎました。
傘寿近いけど、家族もいなくて、親戚は遠方だから、毎日お見舞いに来るような人もいない。
勝手な個人的感情だけど、そんな病院生活をさせるのがいやで、用事が無ければ亡くなるまでの数週間ほぼ毎日見舞いに通ってた。
別に何の世話もせずに仕事の愚痴とかしゃべりまくってただけだし、本人がどう思ってたかは分からない。
もっと他に顔を見たかった親戚とか他の弟子とかいたんじゃないかなとも思う。
その日、病院にいったら自宅に帰ったと聞かされて、あわてて親戚のひとに連絡をとったら、翌日やっとつながって、亡くなったことを知らされた。
あちらの意向で身内だけで済ますといわれて、通夜も葬式も行けなかった。
しょうがないよね、私はただの弟子で、親戚のひととの面識はほとんどないし、相手にとってみれば面倒いがいのなにものでもないんだもの。
だめだなー。つらいなー。
お腹はちゃんとすくし、ごはんだって美味しいし、楽しんだり、笑ったりすることもできるけど、ふとした瞬間にスイッチがはいって、べそべそと泣いている。いい年したオバサンなのにね。
家族とか友人とか、一応何人かにできごと自体は話しているんだけど、家族はこの手の泣き言をそのまま受け止めてくれるタイプじゃないし(「いつまで辛気くさいことを言ってるんだ」とか「そんなこと言っても今更無駄だろう」とか言わずにはおれないタイプ)、話してて泣かずにいられる自信が無いので友人に相談して聞いてもらうこともできない。
Twitterやblogで延々と語るのも、やっぱりネット上の友人知己に迷惑な気がして、こらえきれずにぽろぽろつぶやいたほかは避けている。
こういった別れに後悔が残らないようにはできないって頭では分かっているんだけど、あれとかこれとかやっておけば良かったとか、不肖の弟子でごめんなさいとか思っちゃうわけで。
カウンセリングとか受けるのが一番なのかなと思うけど、行ったことないし、ハードルが高くてグリーフケアの本とか読んでいるだけ。
グリーフケアではないけれど、死刑制度はそもそも被害者本人ではなく
ただ残された遺族や社会のために行われるものであることに留意する必要がある
被害者の無念を晴らすためなどと云っても被害者はもうこの世にはいない
死刑は自力救済が禁じられたこの国で、彼らの安寧のために許された合法的殺人手段の一つ
日本では今のところ、相手を死に至らしめない限り、死刑の判決は得られない
つまり、死ぬ手前ギリギリの過激な拷問であれば死刑にはならない
ISや中央アフリカあたりで起きているような恐怖を植え付けるための残虐行為は
死刑囚は刑務所ではなく拘置所で過ごすので、セキュリティ設備が厳しい分、執行まで日数がかかるほど経費がかかる