はてなキーワード: リボとは
痒いからってボリボリかいて自分で悪化させておいて「頑張ってるのに酷い」は意味不明。
お前の「手入れ不足」。
半夏厚朴湯や当帰飲子などの薬とステロイド、メンソレータムexみたいなリドカイン入りクリームを使えば、ある程度は改善するとはいえ…
見違えるほどではない。
それに当帰飲子とステロイドのフルコースは結構金がかかって3割負担で1か月4000円ぐらいは飛ぶ。
23区、月収16万円、ドヤ暮らしで収支を出している人がいるけど、食費と家賃を引いた残りが1万円ちょっとでアトピー持ちだと病院通いつつ清潔感を出すために服を買うのが無理なレベルだった。
ちなみにドヤは調理が不可能なので、スーパーの弁当に頼るしかない。
月収17万円、ドヤ家賃6.5万円、光熱費0、ネット0、アトピーの治療で毎月4千円かかり、発達障害の治療で月2千円かかるという条件で清潔感を出す方法をマジで教えてほしい。
清潔感の話になると「手入れとか関係ないよ。「清潔感」はお気持ちだよ」という人がいますが、大きな間違いだと言えます。
痒いからってボリボリかいて自分で悪化させておいて「頑張ってるのに酷い」は意味不明。
お前の「手入れ不足」。
ストレスを抱えているのかも知れないので精神面での治療もしましょう。
それらをして初めて「手入れ」と言えます。
その認識は半分正解で半分間違い。
一番多いのが「子供の頃に口を半開きにしてたせいで半魚人みたいな顔(アデノイド顔貌)になっている」というパターンですね。
「子どもの時に親がちゃんと口呼吸を注意しなかったからもうどうしようもないんだ……」とウジウジしてないで医者に行きましょう。
それが出来ないならそれは「手入れ不足」にほかなりません。
分かりましたか?
出来る努力を全てやることが「手入れ」なのです。
あらためて言われるとなんでだろうな。
家族の絆とか臭いことを言うつもりもないが、両親はなんだかんだと仲がよくて、そういうのに対する憧れはある。
好きな人と一緒にたのしいことをしたいと言う、それだけな気がする。あるいは、無条件に信頼してもいい、背中を預けられる人がほしいというか。
長距離ドライブで、30分でも運転を代わってくれる人がいるだけで、安心感が全然違うものだ。そんな感じというか。地獄に向かって綺麗に舗装されている高速道路で路肩に止まったりすると追突されて死ぬ。だから俺が走れないときに、少しでもかわってハンドルを握ってくれる人がいてほしいというか。
俺が言うと呪いにしかならない愛してるとか言う言葉を、いくら言っても犯罪にならない存在がほしいというか。
当たり前だが、嫁さんに親の介護を頼むつもりはない。ただ、働いて自立している人がいいと思っていて、結婚しても働いていくつもりの人がいい。
だからこそ介護は俺がやるし、逆に家に入ってくると無関係ではいられないだろうから、別居婚、通い婚でもいい人がいい。
この状態になるまで何度も何度も非常事態はあったし、それを一人で采配して、乗り越えるのはもういやだという思いはある。やってくれと言うことじゃない、疲れたわーって愚痴を言って、お疲れさんと言ってほしい。
前、闘病漫画で、検査をした後家に帰って、ナチュラルに奥さんに話をするというシーンがあって、心底ほっとしたことがある。
しかし、次のページを開いたら、ぞんな家族なんていないので、一人で乗り切った、と、ぐるぐる目で書かれているやつがあって、致命傷を負った。あっ俺じゃんみたいな。
認知症になっても人格が失われるわけじゃないから、父も愚痴めいたことを言えば聞いてはくれる。
しかし、最近はすぐに、父が自分のことを攻め出すのでなかなか愚痴も言えなくなった。いつもテンション高く、強くあらねばギリギリで保っているバランスが崩れてしまう。俺が機嫌を悪くすると、それはすぐに父と母に伝染してしまう。それは誰にとってもよくない。
でも、持ち前の明るさだけじゃ疲れてしまうんだよな。まして俺のは元来陰キャだからハリボテ。
私の手を掴んで。
いや、なんかあの歌のフレーズがリフレインして仕方が無い。キラキラの青春アニメの主題歌だけど、あれ俺の歌じゃん?とか
閑話休題。
打算がないと言えば嘘になる。
制度上、フルタイムで働いている人ならば、俺よりも給与の低い人は存在しない。だから、必然的にヒモ状態になるだろう。そこは、期待はしてしまう。もし相手がいいと言ってくれる人ならば、今の生活を変える手立てになるかもと言う期待である。
俺の場合、今、控除をいくつか使っていて、賃金は最低なので住民税非課税家庭になっている。
さらに介護保険というのは、そこからさらに所得によって自己負担額が増減するようになっており、そこも中くらいになっていて、合算で上限に引っかかってる。
仮に、今の状況で女性のフルタイムでの平均年収400万円が入ると計算すると、一気に介護費用の自己負担額元に戻って、年間130万円ぐらい費用増になりそうな計算結果だ。
なるほど。
なんかぐだぐだ書いていたが、結論が出た。社会システムが介護で社会からギブアップしたやつが新たに家族を形成することを許容していないようだ。
もう無理なんだなあ色々と。
もうとっくに諦めている、諦めが肝心とか言ってるくせに、こうして諦めきれずにジタバタしてつらくなるのはもう辞めたい。
正確に言えばクレカ会社側の判定日と実際の引き落とし日に若干の猶予がある
いわゆる支払い調整というやつで、連絡して延滞金を払えば割と猶予ができる。
今だとあと払いだのリボ振替だの、カード会社側にもアプローチの接点が生まれるために嬉々として話を聞いてくれる。
連続2回(2か月)で残高不足を出した場合、厳しいクレカ会社はサービス打ち切りを行う。
(緩いところはマジの判定日までに払えばOK)
また期日までに清算が完了しない場合、信用情報機関に異動登録がされ、以降最長5年間クレカ発行や割賦・ローンが組めなくなる場合がある。
「大抵に、何もかもおかしい」
この時期になると、世間が一貫にクリスマスという不思議な状態に入るのは、毎年のことながらうんざりする。ピカピカの誕生日を心の底から祝う人なんて、いったい世の中に何人いるのだろう。でも、ディズニーランドで見たハリボティ・ホームのような世界が結構、大真面目で演じられている。ライトアップにシャレオの音楽、キラキラの雪やキャンディークのイルミネーション。誰かの作り上げた個人的大喜劇を全国の突っ赤なイベントにするのは、最もこの国らしい。
私は29歳、独身。毎年この時期が来ると、一緒にして欲しくなる。消費をんだものの減額セールのためにごリンをしたり、ケーキやクリスマス決めつけで家中を食い散らすとか、何かと迷惑だ。大体、周りを見てもわかるように、何でもかんでも恋人をでっちあげして楽しんでいるように見える。私のいたる所でも、「クリスマスは何をして過ごすの?」という話題を分かち合いのように振られる。回答に迷ったおしゃべりながら、自分の何のためにまともなプランもない自分を磨り倒されていくような気分になる。
充ち満ちた学生時代の飯の光景や、サークルで出会った知り合いがちょっと笑顔で水玉を貼ったケーキをラインにして撮ってるSNSの写真が盛り上がる。何を学んだらこうなるのか。平和すぎるドラマをこの盛上げ方に携えている不思議なのは、自分の我慢や不調な環境を、ある意味解放しているのかもしれない。
でも、「公開された大パーティー」に自分がそのり躊躇したことなんて、一度だってないと思う。うん。本当はそんな感情も出したい。エンドレスが少しも有意義であれば、と、その地味な心がどこかでうごく。だからこの時期になると、フォンデの問題も、ネクタイの名書も絶対に出来ない。