はてなキーワード: 中勘助とは
青空文庫に掲載済み→ https://www.aozora.gr.jp/cards/000207/files/357_22446.html
正直、10人が読んだら9人以上は「面白くない」と言うような気がする。
でも、大人になって以降、自分にとっては、あらゆる小説の中で『外套』が最高峰にある。
箸にも棒にも引っかからないような人間に、どれだけの尊さが詰まっているかを、これ以上ないほどの解像度で描いている。
訳注を入れても文庫で53ページしかない短編なので、読んでもらえたら嬉しい。
青空文庫に掲載済み→ https://www.aozora.gr.jp/cards/001799/files/56638_61335.html
大人になるとわからなくなってしまう、子供から見た世界を、世界中の誰も真似できないくらい生き生きと描き出している。
ただ、そのせいで、この作品の真価を理解できる大人はとても少ないと思う。
自分はこれを小学生の時に読んで、この作品は大人の文章力としても凄いくらいなのに、子供の感覚をあまりにそのまま、手触りや空気まで再現されてしまうくらい鮮烈に、それこそ子供が一心不乱に遊ぶ時のような底なしの没入感で描いていて、恐怖を覚えるほど驚き感動した。
それなのに、中学生の時にはもう、読み手としての解像度が決定的に劣化していて、以前ほど理解できなくなってしまった。
でも、例えば夏目漱石はこれを読んで「子供の世界の描写として未曾有のもの」と激賞したらしいから、わかる人もどこかにはいるだろうし、なにかのきっかけで子供の人に伝わると嬉しいから、書く。
自分はここに4年から6年まで通っていた。妹は四谷大塚に行った。理由が値段なのかそれ以外なのかわからん。
通ってる途中でsapixが分離独立して、そっちについて行った生徒もいたけど残った生徒としてはsapixなんてパチモンだよみたいな反発があったかな。
国語の教材がよくて、授業で扱った小説や随筆が面白くて次の日に本屋に買いに行くことがよくあった。大江健三郎とか中勘助とかイザヤベンダサンとかを毎週ランダムに読む機会をもらえて感謝している。
講師はバイトもいたのかもしれないが、中年のいわゆるフルタイムの講師もいて講義は良かったと思う。
希望校には受かった。
最寄り駅まで帰りは講師が引率してくれてみんなで帰ったこととか、進学した後も友達と長い付き合いになったこととか、小学校は楽しくなかったけど塾の思い出はたくさんあるな。
先日ツイッターでこの記事が流れてきて読み、ずっと心に引っかかっていたので筆者さんが読まれることがあるかはわからないですが、一人の異性の立場から気になったことを書かせていただこうと思いました。
大きなお世話と思われるかもしれませんが、筆者さんを批判するつもりも、書かれてあることに対する怒りでも、男性批判でもありません。
>昔は女が憎くてたまらず(それなのに優しくされたくてたまらず)ネットで女叩きをしていた。
筆者さんをかつていじめた「女」や、「弱者男性」が「敵」とする「女」以外にも社会には女性が存在しています。
ネット上や現実世界で、女叩きをしている人が叩く女性は上記以外の女性であることが多いように思います。
自分が危害を加えられたわけではない、“ただ自分が憎い「女」”という性が当てはまる、叩いたところで自分に危害は及ばない、自分が傷つくことのない相手を選んでいませんか。
憎い「女」を叩くことで、「弱者男性」と近い立場にある女性(いじめを受けた、容姿に恵まれない、男性に危害を加えられたことがある、貧困でギリギリの生活をしている…)を傷つけているかもしれません。
(坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのかもしれませんが)
「優しくされたい」「支え合う女」
とはどういうものを望んでいるのでしょうか。
自分と近い価値観を持っている相手と話をして、相手に自分を理解して欲しいのか。
お互いに尊重しあえるような相手と、支え合いながら生涯を共に生きていきたいのか。
自分にとって都合のいい、自分の心を癒してくれて、自分を認め受け入れて生活面でも性的にも望むことをしてくれるアイドルのような若くて可愛い美少女を求めているのか…
とありますが、
「恋愛」や「性欲」を一旦置いて、日常で関わる女性を「女」ではなく自分と同じさまざまな内面をもつ一人の人間として向かい合うことで、
また筆者さん自身が女性や社会に対する考え方や認識を少し変えてみることで
「結婚」はわからないですが、受け入れてくれる女性に出会えるかもしれません。
「おっさんが嫌がるおっさん」を女性は嫌がらないのでしょうか?と、疑問が湧きました。
「男が怖がる男」も怖いですが、「男を怖がる男(筆者さんや女叩きをする男性)」も
(私自身低身長なので性別問わず小学5年生以上なら襲われたら負けると思うので
>男同志の関係が築けていたなら、多分女なんてどうでもよくなる。
女を叩いてる時間、そのコミュミティだけは同性の強い肉体を持つ仲間がいるんだ。
「女叩き」が女性を叩く男性間の共通言語というか、コミュニケーションツールとなって、それをしている間は気持ちが繋がることができるんですよね。
「敵」を攻撃することで繋がる関係じゃなくて、もっと前向きで明るい関係を、同性とも作れたほうが筆者さんの気持ちにも将来にも良いような気がします。
>男は怖いが男を怖いと言ってはいけない気がした
男が怖い男性はたくさんいると思うので、現実で言うのは相手を選ぶと思いますが、ネットやSNSで誰かを攻撃するためではなく、自分や自分と同じ気持ちを持っているかもしれない他人のために、素直な気持ちや考えたことを吐露することはどんどんしたらいいのではないでしょうか。
憎しみを、他人を攻撃する原動力にするのではなく、自分を含めた将来の社会のために使えたらいいなと思います。
余計なお世話ついでに、本読みませんか?
本の世界は負け犬(この言葉は好きじゃないけれど)のために書かれたものや、
世間の言うところの負け犬が書いた本が古今東西山のようにあります。
文学なんてなんの役にもたたない、と思われるかもしれませんが、自分と同じようなことで悩みながら生きてきた人を世界中の様々な時代に見つけることができるかもしれませんし、自分以外の人間の視点で世界を見ることができます。
それによって今までとは違う価値観が生まれるかもしれないし、少しでも筆者さんが生きてゆく力となるかもしれません。
差し出がましいのですが少しだけ筆者さんに私が勧めたい本を…
・整形前夜(穂村弘)
・蚊がいる(穂村弘)
・もうおうちへかえりましょう(穂村弘)
・プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年
(アンウォームズリー)
・見える光、見えない光(朝永振一郎)
長々とすみません。