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はてなキーワード: 詩人とは

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する⑤

【前】anond:20250102174224

2-07「精霊たちの家」 イサベル・アジェンデ 木村榮一訳★★★★

世代女性たちの年代記であり、「百年の孤独」と対比されるんだけれど、こちらのほうがずっと読みやすい。ちなみにガルシアマルケスコロンビア人で、アジェンデチリ人

しかし、女性物語としての記憶は薄れていて、覚えているのは暴君として君臨していた祖父エステバン・トゥルエバのことだ。彼が地元女性強姦して産ませた息子が、因果が回って彼の孫娘を強姦する。因果というか、悪い行いの結果って一番弱い立場の人に最悪のしわ寄せがくる。しかし、孫娘の嘆きや苦痛強姦の苦しみの割にはごく短く語られている。

同じく、よしもとばななアルゼンチンババア」かなにかで、語り手がいとこに犯されそうになったことをさらりと書いているのだが(そして、そのいとことほとんど恐れもなく顔を合わせるのだが)、性暴力について文学でどう扱えばいいのかは自分はよくわからない。女性からセクハラされた僕だって迷う。性暴力表現するときにどれくらい気をつかうかは、殺人事件よりも慎重になっている印象がある(それだけ殺人が稀になったってことかもしれない)。

書かなかったのか、書くことができなかったのか。アンソニー・ドーア「すべての見えない光」でも、ソ連兵に犯されたドイツ人女性がたくさん出てくるが、彼女たちが戦後どう生きたのかについては、わずしか触れられない。

道徳的理由表現規制されるのは、真実から目をそらすことになる気がするので好まない。一方で、当事者の声を無視しても結果的には良い物にはならない。このあたりは想像力の飛翔との兼ね合いでいつも居心地が悪くなる。「好きなように書かせろ」という書き手としての自分と、「当事者以外が勝手なことを書くんじゃないよ」と別の自分がいつも喧嘩している。

2-08「パタゴニア/老いぼれグリンゴブルースチャトウィン 芹沢真理子訳/カルロスフエンテス 安藤哲行訳★★★★/★★

ブルースチャトウィンパタゴニアを読むと、旅はいい、とため息が漏れる。何度だって書くが、紀行文はいい。定期的に読みたくなる。その土地しかない暮らし風土、それゆえに自分たちと異なった風習を持ち、理解しがたい態度を取る人々。航空機以前のように、数か月の旅を空想するのが好きだ。チャトゥインはオーストラリア舞台にした「ソングライン」もある。アボリジニは他の文化の持ち主には見えない道をたどり、万物名前を付けて大陸中を歩いてきたのだ。

カルロスフエンテス老いぼれグリンゴはあまり記憶していない。モデルとなったアンブローズ・ビアスの書いた「悪魔の辞典」はかなり好きなんだけどな。筒井康隆を始めいろんな翻訳があるのでオススメ

フエンテス短篇集「アウラ・純な魂」のほうがずっと面白かった。老いが迫る男、幼馴染のようにべったりした兄妹の別離、小さい頃に一緒に遊んであげた小さな女の子の末路、鏡のある真っ暗な部屋で魔術によって若さを保つ老婆、それから脱走兵が出てくる。

2-09「フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者」ミシェル・トゥルニエ 榊原晃三訳/J・M・G・ル・クレジオ 中地義和訳★★/★★

ミシェル・トゥルニエフライデーあるいは太平洋の冥界」はかなり観念的な話だったと記憶している。文明自然を対比させるために(?)読者に理解やすロビンソン・クルーソーとカオティックな行動をするフライデーが出てくるのだが、舞台ロビンソンが島そのものとの性交子どもが生まれるという神話的な世界だった。これを読んだ後で、理解を深めるためにデフォー原作を読んだのだが、記憶していたような絶海の孤島ではなく、近くに南米大陸がある島だった。そういえば子どものための抄訳版にも、近隣から人食い人種が攻めてくる描写があった。

M・G・ル・クレジオ黄金探索者」は姉と弟の閉じた世界が壊れるというか、外部の世界を知るような話だったと記憶している。姉と不可分な存在となって、マダガスカルサトウキビ畑を歩いていた場面があったはずだ。小さな子供の目から見た植民地世界の、どこかに宝物が埋まっているんじゃないかと期待しながらも、閉塞した記憶だ。ラストでは故郷家族恋人黄金もすべて失い少年期が終わる。しかし、不思議と読後感が清々しいのはなぜだろう。まるで、すべてはここから本当に始まるのだ、という気分である

ル・クレジオ難解な作品とそうでない作品の差が激しい。「海から来た少年」はまだわかりやすいんだけれども、太陽を見つめて意図的盲目になる「大洪水」は二回読んだはずなんだがさっぱりわからなかった。

2-10「賜物」ウラジーミル・ナボコフ 沼野充義訳★★★★

一時期ナボコフがすごく好きで、文学講義シリーズも読んだんだよね。前のエントリで書いた「ロリータ」だけじゃなくて、ソ連から亡命した冴えない教授を主役にした「プニン」だとか、架空の国ゼンブラを舞台にした架空の詩と、それに対する真実虚構かわからないような注釈が、見開きの右と左に分かれていた「青白い炎」だとか、そもそも実在する世界舞台にしているかどうかさえ疑わしい兄妹の恋物語「アーダ」だとか、みんな好きだった。で、これらは英語創作されているんだけれど、最後ロシア語で書いたのがこれ。詩人になるまでのお話

難民のように食うや食わずではなかったけれども(そしてそのせいで政治的過小評価されることもあるけれど)、ナボコフはやっぱり偉大な亡命作家の一人だ。でも、ユーモアを忘れていない。

で、本作では片想いをしている女性を思い浮かべながら、どの女性を見ても彼女のことを思い出し、彼女連想できないタイプ女性には嫌悪を覚えたという趣旨のことを書いていて、ちょっとだけ分かるんだけれどひどいことを平気で言う作家だなと苦笑いをした。

フョードルコンスタンチノヴィチに向かってうら若い牛乳瓶を持った娘がやってきたが、彼女はどことなジーナに似ていた。いや、より正確に言えば、この娘には、彼が多くの女性たちに見出しているある種の魅力――それは明確なものであると同時に、無意識的なものであった――ひとかけらが含まれていたのだ。そして、彼はその魅力の完璧ものジーナの中に認めていた。だから、そういう女性たちは皆、ジーナとある種の神秘的な親族関係にあるということになるが、その関係について知っているのは彼一人だったのであるもっとも、その関係の具体的に言い表せと言われても、彼にはまったくできなかったけれど。(ただ、この親族関係の外にある女性たちを見ると、彼は病的な嫌悪感を覚えた)。

僕は基本的に豊かな知識を持ち、普通に文章を書くだけでその該博さがこぼれてしまうために、結果的にひけらかしと受け止められてしま作家が割と好きで、一時期円城塔にもどっぷりハマっていた。一方で、「ロリータ」については、暇なときパラパラとページを開いていると、語り手の身勝手さがだんだんと鼻につくようになってきた。ハンバート・ハンバートって、でっぷりしたおばさんを見て、「ニンフェットの美しい肢体を生き埋めにした棺桶だ」って趣旨のことを平気で言うんだもん。性格悪いよね。

とにかく、前は金に困っていない人間が、道徳を踏みにじっているのを美々しい文章で糊塗しているのが(当時は悪とは何か知りたかったし、悪いことをしている狂った人間の話が読みたかったし、知性を感じる文章が好きだった。そういう意味でも「悪」を扱った遠藤周作がすごく好きだった)面白くてしょうがなかったのだが、いまとなってはそこまででもなくなっており、自分の中で「ロリータ」の魅力が少しかすんできた。それとも僕が少女に心惹かれなくなっただけなのか。

なんにせよ猛烈な魅力を感じていたのにプツンと魔力が消えてしまうことはある。以前は三島由紀夫が大好きだったのに、「豊饒の海」を読む前に魔法が消えた。たとえば「潮騒」を読もうとしたら、彼の文章リズムが心に響かず、全然読めなくなっていた。

少女と言えば、初めて「ロリータ」を読んでいた二十代の頃、一年に数回ほど発作的に年端もいかない少女に対する強烈な憧れが募っていた時期があったのだが、少女と知り合って仲良くなるプロセス現実的に細かいところまで検討すると、真っ当な手段がどこにも存在しないと気づいて、途端にこうした欲望への嫌悪の情が浮かんび、緩解していった。それに、無知相手自分利益のためだけに利用するのは邪悪定義に当てはまってしまうしね。

おそらく、当時の自分が憧れていたのは現実少女ではなく、思春期の頃に空想するような、成長の痛みや性の悩みに寄り添ってくれる同い年の少女で、その記憶を引きずっているに過ぎないのだ。つまり、幼馴染への憧れだ。そういう少女思春期の頃に出会えるはずはないし、自分問題自分解決しないといけない。そのうえ、よしんば実在したとしても、そんな少女とは「ノルウェイの森」のキズキと直子や、「海辺のカフカ」の佐伯さんと彼女恋人のように閉じた関係になってしまうだろう。結局は、成長の痛みを引き受けないことによる歪みを必ずや生み出すだろう。そういう空想上の女の子自分自身の鏡像ユングのいうアニマで、つまるところこれは自己愛である。今はむしろ年上好きである

(どうでもいいけどウィキペディアロリコン写真集記事、内容がやたらと詳しいんだがこれって倫理的にどうなのよ。誰かが興味持っちゃったらどうすんの)

2-11ヴァインランドトマス・ピンチョン 佐藤良明訳★★

ピンチョンはよくわからない。陰謀論ネタにしているんだろうが、直接扱ったエーコフーコーの振り子」のほうがエンタメとして好き。陰謀論的な思考ちゃんと茶化しているしね。個人的にはエーコが作中で既存の有名どころの陰謀論をすべて統合したオリジナルの壮大な陰謀論を作り上げているあたりがヤバい。あるいは架空史の仁木稔の「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」か。困ったことに、これらの作品が発表されてから陰謀論ネタとして面白い物から現実の脅威となってしまっている。

エーコが楽しめてピンチョンにピンとこなかった理由を考えてみると、たぶん元ネタとなる知識をどれくらい知っていたかに尽きる気がする。自分キリスト教やオカルティズム、カバラや魔術については多少わかるのだが、六十年代アメリカポップカルチャー現代エンタメには詳しくない。だが、この作品は実際、死をもたらすツボ押しマッサージが出てきて「あと何日でお前は死ぬ」みたいな「北斗神拳」っぽいネタを扱っている。なんせこの爆弾を埋め込まれるのが日本人サラリーマンなのだ

2-12ブリキの太鼓ギュンター・グラス 池内紀訳★★★

文庫本にして三冊の本を無理やり一冊に押し込んで、小さな活字二段組みなので読むのがしんどいし、「早く読み終えなきゃ」って焦ってしまった覚えがある。馬の生首のシーンが有名だよね。

三歳で成長するのをやめたダンツィヒ回廊生まれ少年主人公の癖に、義母を寝取って子どもを産ませているんだから、とんでもない話だ。純粋無垢なままでいるために三歳よりも大きくなるのをやめた話と思わせて、実は様々な女性恋愛遍歴をしている。家族が次々と殺されて行ってもね。

そういえば、さっきモテる奴の話を読んで何が面白いのかと書いたけれども、舞台現代日本でなければ別世界ファンタジーとして享受できるらしい。幼馴染のロマンスだって、別の国や時代舞台ならまだ受け入れられる。たとえばロンゴス「ダフニスクロエ」だけじゃなくてコレット青い麦」も割と好き。どっちも少年側が人妻に性の手ほどきを受けるので、これで多少性癖が歪んだ気がする。村上春樹海辺のカフカ」と合わせておねショタに目覚めてしまった。あと、青春物があまりきじゃないのに、「十三機兵防衛圏」はプレイできているの、あれが一つは君と僕みたいだけみたいな閉じた雰囲気じゃなく、感傷ダダ洩れの地の文章が無く、群像劇からってのもある気がする。

話を戻す。うじうじしているくせに、本当はモテることにすごく憧れているただ。だが、十五分の自慰行為あいだならエロ漫画主人公と同一化できるかもしれないけれど、数時間かけて読む文学では自己同一化魔法は解けてしまう。細かい設定があるのだから自分との差異がどんどん強調される。自分は到底なれそうにもない、かっこいいキャラモテても、ちっとも面白くないのであるしかしこんな話を聞かされる読者も面白くないだろうしこのあたりで切り上げる。小説ダメ人間、僕が先に好きだったのにという人間にならなんとか自己同一化できたのである(余談だが、かつての週刊誌の中づり広告のようなエロス無法地帯ウェブ広告で「カラミざかり」が出てきたとき主人公の来ている服のロゴに「cuckold」と書いてあったが、これは英語で「寝取られ男」という意味である。そういう芸の細かいところ、わかる人にはわかる小ネタは好きよ)。

少し現実的に考えてみれば、滅茶苦茶にモテ複数女性から同時に交際を求められたら、しかも好みの相手でなければ、それはそれで面倒そうなのであるが、嫉妬と羨望に狂っているさなかにはそれはわからない。同じく、浅ましいことに3Pとかも憧れるけれど、よしんばそんな機会が訪れたとして、絶対気をつかうし面倒くさい。自分が手に入れられなかったもの理想化されて頭の中で猛烈な輝きを持つが、一度頭を冷やしてみよう。

続く。

2025-01-01

冬来りなば春遠から

というのは19世紀英国詩人 Percy Shelley の詩の一文を日本語訳したものなのだ

中国でも「冬天来了春天还会远吗」みたいな訳でよく知られているようだ

2024-12-31

はてな匿名ダイアリー投稿の思い出 1/5


大晦日に失礼します。

これまで多くの作品はてな匿名ダイアリー投稿してきました。

2019年12月から投稿を始めております

今回、このようなまとめ記事を書こうと思ったのは、よい区切りだと思ったからです。

例えば、学校というのは、概ね三年程度で卒業するのが一般的です。

私も投稿開始から約四年が経った頃、2023年の秋頃からでしょうか。ある程度のまとめを綴ってみたいと思い立ちました。が、会社員生活副業で忙しく、時間が取れませんでした。

まとめを綴るよりも、思いついた作品を書いてみたいという本能の方が強く、書けずじまいでした。

まれる人にとっても、到底読み切れない量であるのも悩みの種でした。

この度は、日常生活区切りとなる出来事が間近に控えていること、今回を逃したらいい時期がさらに遠のいていくこと、皆さまにとっても時間が取りやす年末年始ということで、いわゆる増田作品のまとめを寄稿します。

本まとめの作成要領(ルール)は、次のとおりとしています

作品選び・紹介のルール

1. 作者(私)にとって"思い入れのある"作品とする。ブクマコメント数は関係なし

2. 投稿時期は、2019年12月2023年3月

3. 投稿本数は、計48本+α

4. 作品紹介文は、概ね600字以内とする

5. ブクマカの名前はぼかした表現とする

  (例 青い目の女性おたまじゃくしの人、宮内女史など)

私の作風等につきましては、作品紹介の中で適宜説明します。

スマホでも読みやすいよう、改行は多めです。



作品紹介に入る直前に、今回のまとめの一番最初きっかけです。

ロマンシング サ・ガ2】のsteam版です(リベンジオブザセブン)。

吟遊詩人が、酒場で詩を奏でる場面で物語スタートします。

ここに始まるは、遥かなる戦いの詩。偉大な帝国と麗しきアバロンの詩。

そして、代々の皇帝とその仲間達の詩。

この詩をうたい終えられるよう、精霊よ、我に力を与えよ!



元々はスーファミソフト(1993)です。今年10月リメイク

序盤をプレイしていたところ、私にとっての『詩』と、詩人の言う『精霊』が何なのかを考えることがありました。今しか機会はないだろう、と決心しました。

作成12月に入ってからです。年末投稿に間に合うように大急ぎで作りました

至らない点は多々あります飛ばし飛ばしでも、興味のある方はお読みいただけると幸いです。

(以下本文です)



№1 心臓がすり潰されてる感じをどうにかしたい

anond:20191221115245

2019年12月投稿

投稿作品です。人生最初ブクマカはおたまじゃくしでした。

なぜ、はてな匿名ダイアリー(以下「増田」とする。)に投稿しようとしたのか。

自分でわかるだけの理由ひとつだけあります

この作品に出てくる女性は、実際の人物モデルにしています

私がまだ二十代の若かりし頃、その同僚の女性が苦しんでいました。

同じ部署であり、間近で見ていたのですが、何もできませんでした。結果は悲惨でした。

その頃の後悔を、どうしても文字にして表現したい思いがありました。

結局、その子社会人三年目で辞めました。本人にとってはよい選択だったと信じています

でも、あの子が不幸な目に遭うのを目の当たりにして、私にも実はできたことがあって、あの子には別の道もあったのではないか、と小太りの下級管理職(ロワーマネジメント)おじさんになった今でも夢に見るのです。

この作品以外にも、彼女モデルになっているものがいくつかあります



№2 俺がモテるってどうして早く教えてくれなかったんだ?

anond:20200128205241

2020年1月投稿

この頃は精神が病んでおり、精神病質的な日記を書くことがありました。

こちらはその一つです。

私の日記スタイルとして、実在人物について、この目で直接見言動記述するというのがあります

今回、まとめた作品のうち、他者を題材としたものはすべてそうです。

稀に完全創作もありますが、基本はノンフィクションです。私自身がその人に成り代わって書く、というやり方――私が幽霊になって、その人に乗り移って日記を書いてるイメージです。

この手法を、私は勝手ゴーストライド(Ghost Ride)と呼んでいます

さて、この日記について。私が二十代後半の頃、京都市内にある役場に勤めていました。中途採用

最初に配属されたのは府税事務所です。新卒世代の子と一緒に税務の仕事をしていました。

其処には善き人もいれば、反対にそうでない人もいました。

この日記で取り上げたのは、公務員人生最初の先輩です。年は離れていましたが、公的メンターとして指導いただきました。

その仕事ぶりは、まさに破天荒でした。

若い頃に市町村役場採用されたのが公務員人生スタートらしいです。公務職場現場仕事をしてきた経験が、その後の事務職としての府税徴収仕事に反映されてました。

一方、はっちゃけ性格の方で、何度か処分歴があったのも事実です。彼自身から飲み屋で何度も処分を受けた時の思い出を聞きました。本人いはく、信念に基づいた結果としての処分は……勲章らしいです笑

私が民間企業に居た頃は、公務員というのはキレイにまとまった方ばかりだと思っていました。

この先輩のことは、今でも思い出すことがあります

その節は、ご指導いただき誠にありがとうございました。



№3 地方公務員だけど、正直言ってコロナウイルスには感謝している 

anond:20200430220802

2020年4月投稿

こちらは、コロナウイルス流行り始めた時期に、もし私がまだ地方公務員で、あの仕事をしていたとしたら……? という想定で書きました。

この日記では、定額給付金のことを扱っています

かつて、新型プリウス流行った折に、国民全員に定額給付金10万円がもらえることがあったと思います。今から四年前とは信じられません。もっと最近だった気がします。

すでに公務員を辞めて民間転職していた私ですが、交付事務が「失敗する」ことを予想していました。

というのも、このレベル事務というのはエクセルなどではなく、それ専用のシステム管理しています

経験上、システム運用においては、申請手順のわかりやすさとか、申請用紙の書きやすさとか、そういう点が不十分です。住民企業登録情報が誤っていることすらあります

交付事務で多くの失敗が出た地方自治体というのは、国が推奨するシステムを使い、電子申請をするやり方をメインに採っていました。

旧来通りの紙申請推していた地方自治体は、まだキズが小さかった記憶があります

民間企業でも公務職場でも、いくら上が推奨するからといって、何が正しいか考える姿勢を忘れてはいけません。



№4 恋愛に一番大切なのは人間への興味』だと知った 

anond:20200615205925

2020年6月投稿

こちらに出てくるのは、私が公務員を辞めた後、次の転職企業出会った『すごくモテる男性』です。

彼を主人公に据えた増田作品は、これ以外に少なくとも三点あります。それくらい特徴的な人でした。

彼は、私の数コ上の先輩でした。同じ職場の。あまり喋らないキャラでしたが、必要な場面では冗舌でした。

普段は寡黙なのですが、いざ喋り始めてみると、超然としつつもクールキャラで、堂々としているのですが……自分の話にすら興味がないのが伝わってきます

ブコメで「スキゾイド」という見事な洞察がありました。

ところで、見た目のよい方でした。藤木直人福山雅治山崎賢人中村倫也、その他ジャニーズの有名どころと肩を並べても……見劣りはしないでしょう。見劣りしたとしても、ほんの僅かです。

同じ会社事務員♀の方々からも人気でした。しかし、そっち方面の噂は聞きません。

この人と一緒に仕事をしているうち、実は猫を飼っていることがわかりました。

本人は「チンチラも飼ってみたい。山を歩いてるけど、野生のチンチラ見つからないよ」と、同じ車内で冗談を言ってました。

今では職場が離れましたが、まだ同じ会社に勤めています。未だに結婚はしていないようです。飲み会を利用して女子社員を紹介したこともあるのですが、あまり興味なしでした笑



№5 とある人事部長の後悔を聞いてほしい

anond:20200828203511

2020年8月投稿

この頃は、精神的に不安定な症状が落ち着いていました。今もなんとか。

こちらの日記は、昔に祖父から聞いた話です。

私には子どもの時の引っ越し関係で、地元と呼べる市区町村複数あります。そのうちひとつ広島県福山市でした。

祖父新卒から定年まで福山市役所で勤め上げた人間で、まさにチャキチャキの地方公務員です。

私が高校生の頃、祖父が住んでいる田舎の一軒家で、夜に食卓でくつろいでいました。すると、隣にいた祖父がいつの間にか酔っぱらっていました。管を巻くというやつです。私の実父が諫めている様子でした。

その時の、祖父の無念そうな言葉が今でも耳に残っています

福山はのう、採用試験を受けに来た人間をのう、個人情報をひとりひとり調べとったんよ。生まれ場所も育ちも。そのほかも。それで合否を決めとったんよ。それを、それを松永の分をのう、わしにやらせとったんよ」

「悔しかったのう。悔しいよお。なんでそぎゃあなことを、せないかのんじゃ」

「でも上から命令じゃけのお。当時のワシはのう、さからえんかったんよ。情けないんじゃ!! 殺してくれ」

こんな具合のことを、お酒に酔って管を巻きながら、ずっと喋っていました。

当時の私はそれを聞いていて、可哀想とか、情けないとか、みっともないとか、そういう気持ちになりました。

今の私には、祖父の無念さがわかります

社会的によくない行為でも、組織の中では是となっていることがあります。ましてやそれをやりたくなかったのであれば、相当無念だったと思うのです。



№6 精神的に不健康作品コンテンツについて考えてみた 

anond:20200904203318

2020年9月投稿

この頃、手塚治虫が書いた自伝的なものを読んでいました。

その本の中で、創作でやってはいけないことがいくつか挙げられていました。

戦争災害犠牲者からかうようなこと。

特定職業を見くだすようなこと。

民族や、国民、そして大衆をばかにするようなこと。

社会コンテンツについて、政治思想アピールとか、人権軽視とか、人間同士が傷つけあうとか、そういう方向性は受けないのだと私は認識しました。

「あ~、だから近年のプリキュア(※2019前後意識)はネット意見割れているのか」と実感した記憶があります

自分がこれまで観てきた、読んできたコンテンツで、そういった『精神的に不健康な』作品群について考察してみたいと考えて日記を書きました。マズローの『完全なる経営』を底本としています

語り手は、二十代半ば頃の私自身をイメージしました。



№7 地方公務員を目指すはてな民面接突破法を教えたい

anond:20200923212241

2020年9月投稿

Twitterで、公務員試験面接に受からなかった人が歎いていました。

公務員試験関係ネット掲示板でも、どうしても面接に受からない人がボヤキを続けています

官民問わず面接試験で見られていることは同じです。ありていに言うと、

私たちの仲間になれそうか?」

ということです。自分を正直に出して、そのうえで不採用だったのであれば、お互いにwinwinということです。

しかし、どうしても入りたい組織があるなら、重点対策をするのもその人にとって大事なことです。そんな人に向けて、公務員試験面接で重視されていることを述べました。

構造面接」や「試験全体の標準化」というのが長年続くトレンドひとつです。

地方公務員試験面接官というのは、皆素人です。一次面接だと、各部署の責任者クラスが選ばれて実施しますが、何年も面接官をやっている人は稀です。

そこで素人感をカバーするため、彼らは専門のコンサルから研修を受けます受験者を公平・中立平等選考するコツを会得するために。

ということは、採点表が概ねどんなものかを知っていれば、対策可能ということです。

「この程度のことで悩む必要はないと思う。悩んでいる人がいるなら救いたい」という思いがあって、日記をしたためました。



№8 任天堂を辞めてから5年以上が経った

anond:20200930204140

2020年9月投稿

私が通っていた大学の同期で、任天堂株式会社内定を取った人がいました。

この大学だと、毎年1人内定が出れば多い方です。

彼は、特別な何かを持っているタイプではありませんでした。本当に普通の子でした。

しいて言えば、大学1回生の頃から熱中していることがありました。音楽イベントサークル運営だったはずです。

それだけでなく、ニガテな教科やゼミ活動があったとしても、ひるまずに、毎日シコシコと学びを続けて試練を突破するような、そういうタイプの人でした。

社会人になって約二十年が経ちますが、今では地道に努力ができる人が会社員に一番向いているのだと理解できます

その人は、任天堂を途中で退職したのですが、今は自分にとって健やかに過ごせる環境で働いています(はず)。最後に会ったのは五年以上前になりますが、幸せであることを祈っています



№9 もしかしてお米に寄生されてるんじゃない? 

anond:20201020205739

2020年10月投稿

当時、おたまじゃくしの人が私の日記をよくブックマークしていました。ほかの常連さんは少なめでした。

今回の増田まとめですが、Meryというテキストエディタに打ち込み始めるまでに、対象期間の日記をまとめ読みしました。コメントもすべてです。実時間24時間以上使いました。

その中で、ブクマコメントをいただいた方々に、できるだけスターを付けて回りました。緑スターと赤スターを多めにしました。

話は逸れましたが、作品紹介に入ります。まだ学生だった頃の思い出です。道路自転車で走っていると、二車線の車道を横断しようとするカマキリがいて、それを見守っていて……という流れです。

カマキリが車に轢かれると物凄い音がするとか、ハリガネムシ自動車カマキリごと轢かれても死なないとか、いくつもの学びがありました。


10 マッチングアプリ中の人だけど社会の役に立ってない感がすごい 

anond:20201026205330

2020年10月投稿

舞台となった出来事日記を書く約一年前。民間企業転職してそんなに時間が経っていません。

都内環境に慣れてきた頃、いわゆる異業種交流会に参加しました。商売メインじゃないやつです。

多くの業界の方が参加されていたのですが、その中で仲良くなった人にメルカリの方がいました。

今でこそ業界の一流ですが、当時はまだ混沌とした面があったようです。マスク転売事件の裏顛末を恨めしそうにぼやいていました。

その人と一緒に、マッチングアプリ運営会社の方もおられて、いろいろ話をすることがありました。

一次会でも二次会でも、その人達と一緒にお店を周らせてもらい、楽しい思い出になりました。

その日の夜に居酒屋お酒に酔って、はっちゃけた人々がした話を、日記に書き留めたのです。マッチングアプリの人の話が一番記憶に残ってました。

今でも楽しい思い出です。KさんTさん。その節はどうもありがとうございました。



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【閑話①】日記作りの方針その他

基本としている方針があります

先ほど述べたとおり、この目で直接目撃できたエピソードを主に描写します。

本人特定危険アリ、と判断したら本質に影響しない程度のフェイクを入れます

読者である貴方日記で読んだ人は、この世界に確かに存在しています

※本人が書いているという設定なので、コメント返信も行います

完全な小説などのオリジナル創作は、年に多くて三本程度です。

なぜこうなのかと言われると、「矜持」です。

オリジナル小説だと、私よりも世間一般小説家の方が上手です。おそらく敵わないでしょう。

だとしたら、自分立ち位置を定めて向き合いたい思いがあります

自分の天性にあったやり方が一番正しいやり方を。

純粋に、増田利用者ブクマカに喜んでもらいたい気持ちもあります

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※今回は連投しています。続きはページ左上から飛べます

2024-12-30

2024年もっと伸びてほしかった増田

今年は増田をよく見ていました。調味料タイミー、短歌や110年前の投書、UOの思い出やジークアクスの妄想増田がとても勉強になりました。

増田推してたバンドももっと売れるといいなと思ってます

音楽

トラバの「包み込むように」もいい曲だった。

音楽大好きなので。

映画

時間あるときにいっぱい見ておきたい。

漫画ラノベ

これより前に投稿されていた増田が伸びてほしかった。以前増田で読んだことあるのに、何も指摘されないままこの増田ブクマけが伸びていった。

熱量を持つことがインターネットにおいて最強だと思う。

NANA読んでます

疑問

対話

どうなりましたか?うまくいってればいいな。

その他

今まさにこんな感じなので。

知見

ヨーヨーブーム狭間世代なので勉強になった。

一年ありがとうございました。よいお年を

2024-12-29

「月が綺麗ですね」の歴史

以前「夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る」という記事を書いたのだが、いろいろ追記することがあったので改めて整理しなおそうと思う。

大雑把に言えば、この「夏目漱石I love you を月が綺麗ですねと訳した」という話は、

に分解できる。ひとつずつ追っていこう。

I love youは訳せない」

まず、夏目漱石は「I love you日本語にない表現である」と書き残している。これは漱石イギリス留学時代である1901年から1902年にかけて書き留められたメモ書きの一つで、ジョージメレディスの『Vittoria』という小説言及したものである。ただし、この台詞はヴィットリア(Vittoria)がラウラ夫人(Signora Laura)に向けて言った台詞なので、恋愛の「I love you」ではなく親愛の「I love youである

formula ノ差西洋日本I will excuse myself to you another time,” said Vittoria. “I love you, Signora Laura.”――Vittoria p. 113. 此 I love you日本ニナキ formula ナリ.

dl.ndl.go.jp/pid/12443067/1/168


1908年の『明治学報』に掲載された、上田敏の「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにも、同様に「I love youは訳せない」というような記述がある。上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンためいきの」などの詩訳で知られる。漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だった。

日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです

dl.ndl.go.jp/pid/1890371/1/24


同じく1908年劇作家益田太郎冠者という人物も次のように書いている。

欧羅巴人にはアイ・ラブ・ユーといつた、美しい詞があり、此の詞の中には、女の身上を刺激する意味が十分に含まれて居るが、日本人には斯ういふ詞が無く、その上「言はぬは言ふにいや優る」などといふ事が古来から上品としてあつて、万事詞が引込み思案になつて居るのです。

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やや遅れるが、1922年刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村近代恋愛観』にも、同様の主張が書かれている。厨川白村漱石の教え子で、恋愛観について議論を交わしたこともあったという。

日本語には英語の『ラブ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you" や "Je t'aime" に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。さう云ふ英語や佛蘭西語にある言語感情が、全く日本語では出ないのある。『わたしあなたを愛してよ』、『わたしや、あなたいろはほの字よ』では、まるで成つて居ない。言葉が無いのは、それによつて現はさるべき思想が無いからだ。

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以上からすると、夏目漱石最初に言い出したかどうかはともかく、この時期にさまざまな人が「I love you日本語に訳せない」と主張していたことは確かなようである

「月が綺麗ですね」

そしてこの「I love youは訳せない」という話から「月が綺麗ですね」が派生する。いまのところ見つけられたかぎりでは、1927年の『帝人タイムス』に掲載されたコラム東方へ」での記述が最も古かった。

西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス

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1935年刊行笠間杲雄『沙漠の国』にもそうした表現がある。元になった記事雑誌掲載されたのは1926年ごろのようなので帝人タイムスの記事より早いかもしれない。

第一欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味外国人に答へると、然らばあなた日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。

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以降も「月が綺麗ですね」という話は散見される。たとえば1950年雑誌英語研究』。

月下に若い男女が語らい合つている. 男が女に愛の言葉をささやくとして, この場合の純日本的な表現は今夜はいい月ですねえ!ということであり, 女がほんとうにいい月ですこと!といつたとすれば, それは男の愛を受け入れたことになる.

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1957年雑誌産業産業人』の対談記事ニッポン居よいか住みよいか」。

三宅 その言葉が昔からないんだね。向うはアイ・ラブ・ユウ、実に簡単ですよ。ところが日本はそういう表現はない。「ああいい月ですな」というのが、ほれたと翻訳しなきゃならんのだ。(笑)

大山 「いい月ですね」ってそのくらいのことは言われたような気がしますけど……。(笑)

三宅 アイ・ラブ・ユウと直接には言わない。古来そういう文学表現方法日本にはない

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1961年早川東三『じゃぱん紳士周遊記』。こちらは「月が青いですね」である

ドイツ人学生日本女の子に夢中になった。日本語で愛の告白は何と言うのだい、と切なそうに聞くから、「われわれは皆んな詩人からね、イヒ・リーベ・ディヒ(わたしはお前を愛する)なんて散文的なことは言わない。月が青いですねと言うんだ」と教えてやったが、ご使用に及んだかどうかは知らない。

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1962年日本人の知恵』。これは朝日新聞に連載された記事をまとめたものらしい。

さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき西洋人のように、

「私はあなたを愛していますI love you)」

などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、

「いいお月さんですね」

そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。

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以上のように、戦後にも「I love youは訳せない」や「月が綺麗ですね」はそれなりに広まっていたと思われるが、しかし、この時点ではまだ夏目漱石とは結びついていなかった。

夏目漱石が訳した」

それらの話を夏目漱石と結びつけたのは、おそらくSF作家豊田有恒だろう。たとえば1978年の『SF文迷論入門』(雑誌掲載1977年)では以下のように書かれているが、他のいくつかの著作でも同様のことを書いており、いわゆる「持ちネタ」のようなものだったことが窺える。

明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代から、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。

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ほぼ同時期に、つかこうへい小田島雄平との対談で同様のエピソードを語っているが、こちらの記事の初出は1978年なので豊田有恒よりも後ではある。つかこうへい豊田有恒記述を読んだのか、それとも共通元ネタがまだどこかにあるのか。

古くは夏目漱石I love you はどう訳せるかって言ったという有名な話がありますよね。生徒たちがそれは「愛してます」って訳すると言ったら、夏目漱石が教壇からばかやろうとどなりつけて、「月がとっても青いから」って訳すのだと言った話がありますけど、そういう翻訳リアリティーっていいますか、それは、時代とともにいろいろ変わっていってるんでしょうね。

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以降の流れは「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証に詳しい。

余談

ツルゲーネフの『片恋』における「Yours」という台詞二葉亭四迷が「死んでも可いわ…」と訳したという話を、「二葉亭四迷I love youを死んでもいいわと訳した」に変形させた犯人探しも行われているが、それはおそらく土岐善麿だろう。1957年の『ことば随筆』にこう書かれている。

「アイ・ラブ・ユウ」を日本語に直訳すれば「われ、なんじを愛す」であろうが、二葉亭四迷はそれを「死んでもいいわ」と表現したことがある。ツルゲーネフの「あいびき」の中にあるのを読んで、その訳しぶりのすばらしさにおどろいた記憶がある。

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この記述は、のちに金田一春彦がいくつかの著書で引用しており、そのあたりから広がっていったのだろう。たとえば金田一春彦1975年日本人の言語表現』ではこういった具合だ。

土岐善麿氏によると、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフのある小説女性の言うI love you.を訳すのにはたと困ったそうだ。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面であるが、男がI love you.と言い、女もそれに答えてI love you.と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単だ。が女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のないあばずれ女ということになる。女のI love you.を日本語で何と訳すべきか、二葉亭は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている日本語を思いついた。それは「死んでもいいわ」という文句という文句だという。

dl.ndl.go.jp/pid/12446973/1/120


いかがでしたか

2024-12-24

赤飯じゃないけど anond:20241223193949

今年亡くなった詩人谷川俊太郎氏の最近主食は、もっぱらセブンイレブンレトルト玄米ごはん

ていうのを2018年ぐらいに見たw

2024-12-16

山十十日月

増田は山十十日月記というタイトル童話を知っているかな。

むかしむかし、中国とある村に、詩人である袁傪という若者が住んでいました。彼は文才に優れ、村の人々から一目置かれていましたが、どこか物足りなさを感じていました。そんな彼には幼馴染の李徴と、そして不思議妖精ラムちゃんという友人がいました。

ある日、李徴が突然いなくなったという知らせが届きました。彼が何か重大な決断をして、村を飛び出したという噂が立ち始めました。袁傪とラムちゃん心配になり、李徴を探す旅に出ることにしました。

二人は山奥に入ると、そこで光り輝く夜空に浮かぶ日月に吸い込まれるような感覚を覚えました。しばらく進んでいくと、見たこともない幻想的な景色が広がっており、そこで李徴の姿を見つけることができました。彼はどうして村を飛び出したのか、二人にゆっくりと語り始めました。

李徴は、自分価値を見失い、何か新しい道を見つけるために旅に出たと言いますしかし、旅をしているうちに、自分を見つめ直し、自分の中にある真の強さを発見したのです。そして、その気づきが、彼の周りの自然からも認められた時、彼は十日月の下で新たな自信を持つことができたのでした。

袁傪とラムちゃんは、彼が見つめ直した自分の姿に感銘を受け、共に村に帰ることを決めました。村に戻った彼らは、李徴の新たな姿を見て人々が驚き、その変化に感動したのでした。

物語は、三人が仲良く村に戻り、李徴の新しい詩に村の人々が感動し続けるという、幸せな結末を迎えました。

この童話の教訓は、自分自身を見つめ直し、本当に大切な価値を見つけることの重要性です。ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.

2024-12-06

死者の声

金烏臨西舎

鼓声催短命

泉路無賓主

此夕離家向


夕陽が沈む。

寺では鐘が鳴っている。私の命はきわまった。

冥府には主もなく客も来るまい。

この夕暮れに家を離れ、私はそこへと向かうのだ。

懐風藻大津皇子辞世六朝体の流麗な韻律を維持し乱れない。後世の仮託とされるが詩にあるとおり皇子は夕刻に連行され翌日処刑された。遺体近江二上山に葬られた。望まぬ争いに巻き込まれ継母によって殺される二十三歳の青年最期の声が聞こえるだろうか。

最初に声を聞いたのは古い時代歌人詩人だった。いつのころから伝承が生まれた。曰く「皇子は無実」と。沈潜する伝承に形をあたえたのは明治時代折口信夫だった。しかしこの時代、『日本書紀』を疑うことは禁じられていた。折口は『死者の書』という不気味な小説を著わしこれを表象した。戦後歴史学者がそれを受けた。『日本書紀』の詳細な解読が始まったのだ。暗喩に満ちた断片的な記述が発掘で得られた傍証史料とあわせて詳細に検討された。緊迫した皇位争い、持統女帝のすさまじい性格が浮かび上がっていく。考古学者は近江朝における二上山位置意味検討し、それが反逆者にふさわしくない手厚い葬礼であることを指摘した。不比等のかけた封印が解かれた。皇位争いは、皇子意志はるかに超えた次元で、大津、草壁それぞれを擁立しようとする天智系、天武系という巨大な勢力うしの闘争として行なわれていた。このとき国家の中枢では、ふたたび「壬申の乱」のような状況におちいることとシンボルの1人が犠牲になることの費用対効果が、非情にも計量されたのだった。皇子政治的犠牲として殺害され、そこには後の持統天皇が関与していた可能性が高いという現代学説はこうして築かれた。そのために費やされた時間は1000年を超えている。微細な記録の断片から何らかのメッセージを読み取り忘却の彼方に沈んだ記憶に光をあてる歴史学は、ときにはこのような作業に信じがたいほどの労力を傾注する。それを可能としたのは懐風藻なのか、それとも後世の歌人研究者なのか。答えは両方であろう。

アーカイブはただ記録する。その声を聞けとまでは言わない。聞くかどうかは閲覧者にゆだねられる。アーカイブ価値基本的にはその編纂手法によって決定されるのだが、より厳密には、その価値は送り手と受け手関係性の中に存在する。アーカイブはそれを、ときには時空を越えて繋ぐ。

 

2024-11-25

anond:20241125122948

谷川さんの意思リベラルにとっては関係ないよ。

詩人でも故人でも利用できるものは何でも利用する。

しゃぶれる骨は髄までしゃぶり尽くすのがリベラル

でもね、これくらい徹底しないとナチス煽動者に対抗できる力がつかないのよね。

背に腹は代えられない。

肉を切らして骨を断つ。

現実を見るのが現代リベラル

谷川俊太郎反原発カンパみかじめ料、手切金、付き合いの可能

詩人谷川俊太郎さんが亡くなられた。

亡くなられて間もないうちに、名前を出さないことを条件にしていた反原発デモへのカンパバラされてしまった。

(はてブ)亡くなった谷川俊太郎さん、反原発デモに「名前は出さないが金は出す」とカンパしていたことをバラされる

ブコメは当然批判が多数だが、眺めているとリベラルであろう方々から擁護があった。

反原発運動賛同していた」(はず)

「売名をと思われるのを嫌った」(はず)

「詩で反原発表現していたので色がつくのを嫌った」(はず)

などとのブコメ散見される。

はたしてそうだろうか。

12年前、カンパをした当時と思われるツイート(現ポスト)があるので見てみよう。

https://x.com/ikeda_kayoko/status/164948426902093824

谷川俊太郎さん「デモには行かない。行かないデモ賛同はしない。カンパはする。振込先教えろ」やった!!

確実に言えることは、「谷川俊太郎さんは反原発デモ賛同はしていない」だ。

谷川俊太郎さんの内心を自分リベラル)に都合の良いように妄想したブクマカ達は恥ずかしくないのか。というか陰謀論に足踏み込んでるよ、自覚する必要があるよね。

不明なのはカンパした理由だ。

ツイートを読むに、反原発界隈からカンパの求めがあったことは読み取れるが、それに応じた理由はわからない。

①この界隈にカンパしないと粘着されると思ったのか(みかじめ料)、

②この界隈と縁を切りたいと思ったのか(手切れ金)、

普段の交友関係の多くが反原発運動に参加していたからなのか(付き合い)、

これは谷川俊太郎さんの内心に聞かなければわからないだろう。個人的には①〜③の合わせ技だと思うがね。

2024-11-22

おっさん目線ロマサガリメイクの悪い点

1.酔う

おっさん3Dに酔うのだ。

休みの日にたっぷり睡眠時間を取って元気100倍でやってるときはまだいいが

1日中ソモニターとにらめっこして帰ってきて3Dダンジョンをうろうろしてるとてきめんに酔う。

しっかりと作りこまれダンジョンなため障害物や隙間も多くカメラ移動が多いのでつらい。

つらたん

 

2.無駄アクション

MAP3Dになったことで原作ではダッシュ自動で飛び越えてくれた場所

ダッシュで勢いをつけてタイミングよくジャンプボタンを押して飛び越えるというアクションが加わっている。

これがちょいちょい失敗してうざったい。

ダッシュも設定でトグル方式などに切り替えることもできるのだが、

慣れ親しんだ「ボタンを押している間だけダッシュ」設定だと、押しているのに走り出しまで謎のラグがあったりする。

結果、失敗してまたやり直しになる。

 

3.七英雄過去

ノエルロックブーケ美男美女兄妹なのは原作同様だが、他の七英雄過去イケメンだったという事になった。

いや、ボクオーンやクジンシーイケメンだったわけないだろ。

ワグナスもあのキモカワな感じがよかったのに、何普通の長髪イケメンになってんだよ。認めん。

全体的に線の細いイケメン美女ばっかなのもつまらん。

 

4.ロード時間

これはSwitch版買った俺が悪い。

わけねーだろ。最適化くらいしろ

詩人とかの各地を巡るお使い系クエストストレス半端なさすぎるだろ。

 

後は概ね良かった。

過去プレイしたすべてのリメイク作品を並べてもまぁ5本の指は確実に入るレベル

帰ったらドラクエ3のリメイク版やるけど、評判すでに悪くて草。

ドラクエFC版、SFC版、GBC版をガキのとき死ぬほどやりこんだから期待してるのに。

2024-11-20

なんでもおまん

詩人谷川俊太郎11月13日に亡くなった。

死因は老衰とのこと。

俺は彼の詩が大好きだった。

彼の親しみやすい詩が好きだった。

以下に、

彼が遺した作品の中から

最もフィジカルで、

最もプリミティブで、

そして最もフェティッシュな詩を

紹介させていただく。














なんでもおまんこ   谷川俊太郎

 

 

なんでもおまんこなんだよ

あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ

やれたらやりてえんだよ

おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな

すっぱだかの巨人だよ

でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな

だって色っぽいよお

晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ

空なんか抱いたらおれすぐいっちゃう

どうにかしてくれよ

そこに咲いてるその花とだってやりてえよ

形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ

花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ

あれだけ入れるんじゃねえよお

ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお

どこ行くと思う?

わかるはずねえだろそんなこと

蜂がうらやましいよお

ああたまんねえ

風が吹いてくるよお

風とはもうやってるも同然だよ

頼みもしないのにさわってくるんだ

そよそよそよそようまいんだよさわりかたが

女なんかめじゃねえよお

ああ毛が立っちゃう

どうしてくれるんだよお

おれのから

おれの気持ち

溶けてなくなっちゃいそうだよ

おれ地面掘るよ

土の匂いだよ

水もじゅくじゅく湧いてくるよ

おれに土かけてくれよお

草も葉っぱも虫もいっしょくたによお

でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ

笑っちゃう

おれ死にてえのかなあ

2024-11-09

日本でもシェイクスピアキャンセルするべき

知らない人も多いと思うが、欧米では大学教育からシェイクスピア排除する動きがある。

理由は単純で、白人男性作品神格化する態度は時代遅れで、大学が掲げるダイバーシティに反しているから。

日本は、まだまだ遅れている。

糸井重里とかがシェイクスピアに夢中になるのはまだ分かる。糸井重里知識人ではなく商人からだ。

しか大学人が、授業の冒頭でトランプ再選に懸念を表明しておきながら、その後シェイクスピアを教え出してどうする。あなた達が、無神経にも「白人男性の偉大な芸術」を若い学徒に布教することが、どんな社会を作ることになるか考えて欲しい。

当たり前のことが出来ないから、文系不要文学部不要とか言われるんです。

参考

アメリカ大学で、シェイクスピア肖像画黒人詩人に置き換える

https://www.washingtonpost.com/news/answer-sheet/wp/2016/12/13/students-remove-shakespeare-portrait-from-english-department-at-ivy-league-school/

イギリス大学で、カリキュラム白人男性中心主義学生が抗議

https://www.usatoday.com/story/college/2016/06/10/yale-undergraduates-aim-to-decolonize-the-english-departments-curriculum/37418303/

2024-11-05

結婚メリデメは?

結婚についての後悔には、結婚するかしないかの両面でそれぞれの理由があります結婚決断する際には、どちらの選択肢にもメリットデメリット存在し、その中から個人自分にとって価値あるものを見つけ出す必要があります。以下では、先人の名言を参考にしながら、それぞれの面を比較します。

 

結婚することのメリットデメリット

 

メリット

愛情と支え:結婚には、精神的な安定や孤独感を解消し、人生の困難に共に立ち向かう相手を得るという利点がありますジョージ・エリオットは「結婚ふたり人間が互いに成長し合うための機会」と述べています結婚は、お互いの成長を促し、共に豊かな人生を歩む機会でもあります

社会的経済的安定:結婚家族としての結束を強め、社会的経済的な安定をもたらす場合も多くありますシェイクスピアも「愛とは二人が一つの魂を共有することだ」と述べ、経済生活の支え合いを示唆しています

 

デメリット

自由制限結婚個人自由一定程度制限する場合があります哲学者ショーペンハウアーは「結婚は愛の終わりである」と述べ、結婚により愛が失われることや制限されることへの懸念を示しています。つまり自由を奪われることでストレスや抑圧を感じることも少なくありません。

対立可能性:結婚生活には、相手価値観や生活習慣との調整が必要で、時に大きな対立が生じますコメディアングラウチョ・マルクスも「結婚とは二人の人間が苦しみを共有するものだ」と皮肉を込めて述べており、対立が増えるリスクを指摘しています

 

結婚しないことのメリットデメリット

 

メリット

自己実現自由独身でいることで、自己実現自分自身の時間自由に使える点が魅力です。サルトルは「自由こそが人間にとって最も価値のあるものである」と述べ、個人自由重要性を強調しています結婚せずに独身生活を選ぶことで、自分キャリア趣味に集中することが可能です。

• 対人関係ストレスが軽減される:結婚生活でのパートナーとの対立意見の不一致がないため、ストレスの要因が減ります哲学者カミュは「孤独は人を深くする」と述べ、独身生活内面の深まり自己探求を助ける側面があるとしました。

 

デメリット

孤独と老後の不安独身生活には、歳を取るにつれて孤独や支えのなさが不安として浮上することもありますアメリカ詩人ヘンリー・デイヴィッド・ソローは「独りでいることは孤独とは異なるが、歳を重ねるとそれが孤独に感じられることもある」と述べています

経済的社会的支援が少ない:独身生活では、家庭としてのサポートがなく、経済的不安が増す可能性もあります。これは病気や老後の際に特に顕著になると考えられます

 

結論

結婚の有無には一長一短があり、重要なのは自分価値観や人生設計に基づいて選択することです。

2024-10-08

anond:20241008123356

逆に何らかのきっかけがなくても詩人でいいという考えだと

そもそも詩人を目指すという状況が発生しないよ

目指したらもう詩人ってことだし

anond:20241008043926

生計は立てる必要がないにしても客観的詩人であることを承認してもらわないと自称詩人のままなんじゃないか

そういう意味媒体は何であれ詩人自称したうえで詩を公開する必要があるように思う

anond:20241007204531

こっそり詩人を目指してる女の子梅毒になった、に見えた

2024-10-03

anond:20241002215902

現代小説家としては日本最高峰SSRガチャの親だろ

池澤夏樹一族

母:原條あき子詩人日本女子大学卒→アテネ・フランセ卒)

父:福永武彦小説家東京帝国大学文学部卒業

祖母福永トヨ(日本聖公会の伝道師

祖父福永末次郎(三井銀行勤務・東京帝国大学経済学部卒業

大伯父:秋吉利雄(天文学者理学博士海軍少将

又従兄:秋吉輝雄(立教大学名誉教授

池澤夏樹の受賞歴

中央公論新人賞スティル・ライフ

芥川龍之介賞スティル・ライフ

小学館文学賞「南の島のティオ」

読売文学賞 随筆・紀行賞「母なる自然おっぱい

谷崎潤一郎賞マシアス・ギリの失脚

伊藤整文学賞楽しい終末」

JTB出版文化賞「ハワイイ紀行」

毎日出版文化賞 文学芸術部門「花を運ぶ妹」

芸術選奨文部科学大臣賞すばらしい新世界

宮沢賢治賞「言葉流星群

司馬遼太郎賞イラクの小さな橋を渡って」「憲法なんて知らないよ」「静かな大地」などの著作活動全般

親鸞賞「世界文学を読みほどく」「静かな大地」

桑原武夫学芸賞パレオマニア

紫綬褒章

毎日出版文化賞 企画部門世界文学全集

朝日賞

毎日出版文化賞 企画部門日本文学全集

フランス芸術文化勲章オフィシエ

早稲田大学坪内逍遥大賞

2024-10-01

五  門をはいると、このあいだの萩が、人の丈より高く茂って、株の根に黒い影ができている。この黒い影が地の上をはって、奥の方へゆくと、見えなくなる。葉と葉の重なる裏まで上ってくるようにも思われる。それほど表には濃い日があたっている。手洗水のそば南天がある。これも普通よりは背が高い。三本寄ってひょろひょろしている。葉は便所の窓の上にある。  萩と南天の間に椽側が少し見える。椽側は南天を基点としてはすに向こうへ走っている。萩の影になった所は、いちばん遠いはずれになる。それで萩はいちばん手前にある。よし子はこの萩の影にいた。椽側に腰をかけて。  三四郎は萩とすれすれに立った。よし子は椽から腰を上げた。足は平たい石の上にある。三四郎はいさらその背の高いのに驚いた。 「おはいりなさい」  依然として三四郎を待ち設けたような言葉かいである三四郎病院の当時を思い出した。萩を通り越して椽鼻まで来た。 「お掛けなさい」  三四郎は靴をはいている。命のごとく腰をかけた。よし子は座蒲団を取って来た。 「お敷きなさい」  三四郎蒲団を敷いた。門をはいってから三四郎はまだ一言も口を開かない。この単純な少女はただ自分の思うとおりを三四郎に言うが、三四郎からは毫も返事を求めていないように思われる。三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持ちがした。命を聞くだけである。お世辞を使う必要がない。一言でも先方の意を迎えるような事をいえば、急に卑しくなる、唖の奴隷のごとく、さきのいうがままにふるまっていれば愉快である三四郎子供のようなよし子から子供扱いにされながら、少しもわが自尊心を傷つけたとは感じえなかった。 「兄ですか」とよし子はその次に聞いた。  野々宮を尋ねて来たわけでもない。尋ねないわけでもない。なんで来たか三四郎にもじつはわからないのである。 「野々宮さんはまだ学校ですか」 「ええ、いつでも夜おそくでなくっちゃ帰りません」  これは三四郎も知ってる事である三四郎挨拶に窮した。見ると椽側に絵の具箱がある。かきかけた水彩がある。 「絵をお習いですか」 「ええ、好きだからかきます」 「先生はだれですか」 「先生に習うほどじょうずじゃないの」 「ちょっと拝見」 「これ? これまだできていないの」とかきかけを三四郎の方へ出す。なるほど自分のうちの庭がかきかけてある。空と、前の家の柿の木と、はいり口の萩だけができている。なかにも柿の木ははなはだ赤くできている。 「なかなかうまい」と三四郎が絵をながめながら言う。 「これが?」とよし子は少し驚いた。本当に驚いたのである三四郎のようなわざとらしい調子は少しもなかった。  三四郎はいさら自分言葉冗談にすることもできず、またまじめにすることもできなくなった。どっちにしても、よし子から軽蔑されそうである三四郎は絵をながめながら、腹の中で赤面した。  椽側から座敷を見回すと、しんと静かである茶の間はむろん、台所にも人はいないようである。 「おっかさんはもうお国へお帰りになったんですか」 「まだ帰りません。近いうちに立つはずですけれど」 「今、いらっしゃるんですか」 「今ちょっと買物に出ました」 「あなた里見さんの所へお移りになるというのは本当ですか」 「どうして」 「どうしてって――このあい広田先生の所でそんな話がありましたから」 「まだきまりません。ことによると、そうなるかもしれませんけれど」  三四郎は少しく要領を得た。 「野々宮さんはもとから里見さんと御懇意なんですか」 「ええ。お友だちなの」  男と女の友だちという意味かしらと思ったが、なんだかおかしい。けれども三四郎はそれ以上を聞きえなかった。 「広田先生は野々宮さんのもとの先生だそうですね」 「ええ」  話は「ええ」でつかえた。 「あなた里見さんの所へいらっしゃるほうがいいんですか」 「私? そうね。でも美禰子さんのお兄いさんにお気の毒ですから」 「美禰子さんのにいさんがあるんですか」 「ええ。うちの兄と同年の卒業なんです」 「やっぱり理学士ですか」 「いいえ、科は違います法学士です。そのまた上の兄さんが広田先生のお友だちだったのですけれども、早くおなくなりになって、今では恭助さんだけなんです」 「おとっさんやおっかさんは」  よし子は少し笑いながら、 「ないわ」と言った。美禰子の父母の存在想像するのは滑稽であるといわぬばかりである。よほど早く死んだものみえる。よし子の記憶にはまるでないのだろう。 「そういう関係で美禰子さんは広田先生の家へ出入をなさるんですね」 「ええ。死んだにいさんが広田先生とはたいへん仲良しだったそうです。それに美禰子さんは英語が好きだから、時々英語を習いにいらっしゃるんでしょう」 「こちらへも来ますか」  よし子はいつのまにか、水彩画の続きをかき始めた。三四郎そばにいるのがまるで苦になっていない。それでいて、よく返事をする。 「美禰子さん?」と聞きながら、柿の木の下にある藁葺屋根に影をつけたが、 「少し黒すぎますね」と絵を三四郎の前へ出した。三四郎は今度は正直に、 「ええ、少し黒すぎます」と答えた。すると、よし子は画筆に水を含ませて、黒い所を洗いながら、 「いらっしゃいますわ」とようやく三四郎に返事をした。 「たびたび?」 「ええたびたび」とよし子は依然として画紙に向かっている。三四郎は、よし子が絵のつづきをかきだしてから、問答がたいへん楽になった。  しばらく無言のまま、絵のなかをのぞいていると、よし子はたんねんに藁葺屋根の黒い影を洗っていたが、あまり水が多すぎたのと、筆の使い方がなかなか不慣れなので、黒いものがかってに四方へ浮き出して、せっかく赤くできた柿が、陰干の渋柿のような色になった。よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワットマンをなるべく遠くからながめていたが、しまいに、小さな声で、 「もう駄目ね」と言う。じっさいだめなのだからしかたがない。三四郎は気の毒になった。 「もうおよしなさい。そうして、また新しくおかきなさい」  よし子は顔を絵に向けたまま、しりめに三四郎を見た。大きな潤いのある目である三四郎ますます気の毒になった。すると女が急に笑いだした。 「ばかね。二時間ばかり損をして」と言いながら、せっかくかいた水彩の上へ、横縦に二、三本太い棒を引いて、絵の具箱の蓋をぱたりと伏せた。 「もうよしましょう。座敷へおはいりなさい。お茶をあげますから」と言いながら、自分は上へ上がった。三四郎は靴を脱ぐのが面倒なので、やはり椽側に腰をかけていた。腹の中では、今になって、茶をやるという女を非常におもしろいと思っていた。三四郎に度はずれの女をおもしろがるつもりは少しもないのだが、突然お茶をあげますといわれた時には、一種の愉快を感ぜぬわけにゆかなかったのである。その感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかった。  茶の間で話し声がする。下女はいたに違いない。やがて襖を開いて、茶器を持って、よし子があらわれた。その顔を正面から見た時に、三四郎はまた、女性中のもっと女性的な顔であると思った。  よし子は茶をくんで椽側へ出して、自分は座敷の畳の上へすわった。三四郎はもう帰ろうと思っていたが、この女のそばにいると、帰らないでもかまわないような気がする。病院ではかつてこの女の顔をながめすぎて、少し赤面させたために、さっそく引き取ったが、きょうはなんともない。茶を出したのをさいわいに椽側と座敷でまた談話を始めた。いろいろ話しているうちに、よし子は三四郎に妙な事を聞きだした。それは、自分の兄の野々宮が好きかいやかという質問であった。ちょっと聞くとまるでがんぜない子供の言いそうな事であるが、よし子の意味はもう少し深いところにあった。研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなるわけである人情で物をみると、すべてが好ききらいの二つになる。研究する気なぞが起こるものではない。自分の兄は理学者だものから自分研究していけない。自分研究すればするほど、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。けれども、あのくらい研究好きの兄が、このくらい自分を可愛がってくれるのだから、それを思うと、兄は日本じゅうでいちばんいい人に違いないという結論であった。  三四郎はこの説を聞いて、大いにもっともなような、またどこか抜けているような気がしたが、さてどこが抜けているんだか、頭がぼんやりして、ちょっとからなかった。それでおもてむきこの説に対してはべつだんの批評を加えなかった。ただ腹の中で、これしきの女の言う事を、明瞭に批評しえないのは、男児としてふがいないことだと、いたく赤面した。同時に、東京女学生はけっしてばかにできないものだということを悟った。  三四郎はよし子に対する敬愛の念をいだいて下宿へ帰った。はがきが来ている。「明日午後一時ごろから人形を見にまいりますから広田先生の家までいらっしゃい。美禰子」  その字が、野々宮さんのポッケットから半分はみ出していた封筒の上書に似ているので、三四郎は何べんも読み直してみた。  翌日は日曜である三四郎は昼飯を済ましてすぐ西片町へ来た。新調の制服を着て、光った靴をはいている。静かな横町広田先生の前まで来ると、人声がする。  先生の家は門をはいると、左手がすぐ庭で、木戸をあければ玄関へかからずに、座敷の椽へ出られる。三四郎は要目垣のあいだに見える桟をはずそうとして、ふと、庭の中の話し声を耳にした。話は野々宮と美禰子のあいだに起こりつつある。 「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬばかりだ」これは男の声である。 「死んでも、そのほうがいいと思います」これは女の答である。 「もっともそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬだけの価値は十分ある」 「残酷な事をおっしゃる」  三四郎はここで木戸をあけた。庭のまん中に立っていた会話の主は二人ともこっちを見た。野々宮はただ「やあ」と平凡に言って、頭をうなずかせただけである。頭に新しい茶の中折帽をかぶっている。美禰子は、すぐ、 「はがきはいつごろ着きましたか」と聞いた。二人の今までやっていた会話はこれで中絶した。  椽側には主人が洋服を着て腰をかけて、相変らず哲学を吹いている。これは西洋雑誌を手にしていた。そばによし子がいる。両手をうしろに突いて、からだを空に持たせながら、伸ばした足にはいた厚い草履をながめていた。――三四郎はみんなから待ち受けられていたとみえる。  主人は雑誌をなげ出した。 「では行くかな。とうとう引っぱり出された」 「御苦労さま」と野々宮さんが言った。女は二人で顔を見合わせて、ひとに知れないような笑をもらした。庭を出る時、女が二人つづいた。 「背が高いのね」と美禰子があとから言った。 「のっぽ」とよし子が一言答えた。門の側で並んだ時、「だからなりたけ草履をはくの」と弁解をした。三四郎もつづいて庭を出ようとすると、二階の障子ががらりと開いた。与次郎が手欄の所まで出てきた。 「行くのか」と聞く。 「うん、君は」 「行かない。菊細工なんぞ見てなんになるものか。ばかだな」 「いっしょに行こう。家にいたってしようがないじゃないか」 「今論文を書いている。大論文を書いている。なかなかそれどころじゃない」

三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎自分の今の生活熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。

 四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。

 三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、

「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。

「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」

「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」

我慢しなければ、死ぬばかりですもの

「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」

 野々宮さんは返事をやめて、広田先生の方を向いたが、

「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、

男子の弊はかえって純粋詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。

「今のは何のお話なんですか」

「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎落語のおちを聞くような気がした。

 それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。

「君あの乞食に銭をやりましたか

「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。

「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。

「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である

「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。

「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」

「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。

 三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。

 行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議現象である

「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。

「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生説明した。

わたしそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。

「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。

「追っかけるのはいや」

「なぜ」

「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」

「やっぱり責任をのがれるんだ」と広田が言う。

「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである

「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。

 坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則うごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、

「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。

 一行は左の小屋はいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装恰好となるように作ったものである

 よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。

 ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、

里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。

「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさももうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議ある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。

「もう出ましょう」

 眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。

 二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。

「どうかしましたか

 女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。

「ここはどこでしょう」

「こっちへ行くと谷中天王寺の方へ出てしまます。帰り道とはまるで反対です」

「そう。私心持ちが悪くって……」

 三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。

「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。

 谷中千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋そばである

「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。

「歩きます

 二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋こちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である

 三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。

「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしまたか

 女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。

ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。

休みましょうか」

「ええ」

「もう少し歩けますか」

「ええ」

「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから

「ええ」

 一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。

 向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。

「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。

「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。

ありがとう。これでたくさん」

「やっぱり心持ちが悪いですか」

あんまり疲れたから

 三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上百姓大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。

 ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。

「空の色が濁りました」と美禰子が言った。

anond:20241001033922

2024-09-25

AIビビってるネット絵師ってアナログ絵描かないの

俺は18歳の頃からもう20年くらいアクリルケント紙、油絵の具とキャンバス段ボールと水彩みたいなマテリアルアナログ絵描いてそれを売って食ってんだけど、これがずーっと好評で、ネット絵師たちの言うAIの脅威を全く実感出来なくて困惑してる

 

ちな絵の売上は現在で平均で月50万前後

 

きっかけは母親がやってた携帯サイト詩人グループ常連が詩に合わせた挿絵が欲しいからってことで、俺が描いて個展とかやったのがきっかけで

展示を前提とした詩って書道的な側面もあって、視覚表現重要から、書と合わせて絵を使った表現も主流なのね(今はどうだか知らん)

それで個展のたびに詩に合わせて描いた俺の絵を展示してたら各方面から問い合わせが沢山来て、個人から広告代理店まで、あんなのを描いて欲しい、こんなのを描けないか制作依頼が多発したのがきっか

ちなみに現在顧客ネットよりも社交界で活発な40代〜の富裕層女性が90%を占めていて、彼女らの完全口コミ仕事が来てるので、俺の名前ネット検索しても2件しか引っかからない

それでも売れてるのは幼少期から母と母の友人たち、学生時代交際相手など、女に自分の絵を批評され続けて女性感性無意識内面化していてるせいもあるだろう

 

あと,こういう絵描きってセラピストとかホスト的な側面もあるっぽくて、どういう絵が欲しいのか顧客お茶飲みながら打ち合わせするたびにお客さんが食事代奢ってくれたり、金一封くれる

 

まあ、ありがたいよね

 

たまに制作過程を見たいって家に押しかけて来る顧客もいるんだけど、要は自分より若い男が非日常的な職人技術で美しいものを作り上げる耽美的な世界観に飢えてるらしく、筆を走らすたびにきゃぁ~って奇声を上げたり、ほんとあの人らのツボは安い(けど旦那金持ちから支払額は高い)よな

チョロいぜ、お前もやってみろや

 

それとコロナ以降この手の女性客に反ワクスピ系ウヨがめちゃくちゃ増えてきてたまに接客がツライときがあるぜ

 

追記

なんか言い争いに発展しててつらい

喧嘩って楽しい?俺は大嫌いだから付き合わないけど

 

顧客と向き合って絵を描くのはセザンヌから伝統だと美大で習ったが、ネット絵師たちも見た感じSNSで固定ファンいる人多いようだし、絶対リアル接客したほうがいいぜ

客によってはこんなんを100万200万で買ってくれるの?って体験も出来るから

不思議と気に入ってる作品ほどあんまり高値で売れないんだよな…

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