はてなキーワード: 遠軽とは
記事への反応やブコメで集まった、皆さんの考える「中堅以上の回転寿司」が旅先でとても参考になるので、自分用にまとめようと思う。
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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26 | トリトン | 3.54/129人 (厚別店) | 札幌、旭川、北見、江別、遠軽/東京 | 東京はスカイツリーに店舗がある |
25 | 根室花まる | 3.59/1328人 (JRタワーステラプレイス店) | 札幌、函館、根室、中標津/東京 | 東京には回る店と回らない店がある。 札幌のJRタワーステラプレイス店は食べログの寿司百名店にも選ばれた |
7 | なごやか亭 | 3.55/100人 (草津木川店) | 札幌、釧路市、帯広/滋賀 | なぜか道外唯一の出店県が滋賀 (しかも北海道の店より食べログの点数が高い) |
6 | グルメ回転ずし 函太郎 | 3.50/254人 (宇賀浦本店) | 札幌、函館★、新千歳空港、北斗 /青森、岩手、秋田、山形、埼玉、 千葉、東京、新潟、大阪 | がってん寿司と同じRDCグループ。 「文春オンライン 全日本ローカル回転寿司 東日本編」第1位 |
5 | まつりや | 3.51/42人 (菊水元町店) | 札幌、釧路市、帯広、音更、幕別、釧路町 | |
3 | 活一鮮 | 3.52/443人 (南3条店) | 札幌 | 非チェーン店 |
3 | くるくる寿し | 3.48/182人 | 札幌 | 非チェーン店 |
3 | ぱさーる | 3.53/267人 | 札幌 | 非チェーン店 |
3 | とっぴー | 3.46/123人 (小樽運河通店) | 小樽、旭川、岩見沢、士別、滝川/福島 | 小樽の店では小樽ビールが飲める |
3 | 伊達和さび | 3.45/75人 (伊達本店) | 室蘭、伊達 | |
2 | 和楽 | 3.47/317人 (小樽店) | 札幌★、小樽 | |
2 | 回転寿司 函館旬花 | 3.30/20人 | 函館 | 系列に同名の海鮮料理店がある |
2 | 函館まるかつ水産 | 3.48/339人 (本店) | 函館/東京、神奈川 | |
2 | ちょいす | 3.11/41人 (登別店) | 旭川、室蘭、登別、恵庭、伊達、新ひだか | 「わかさいも」の会社なのでスイーツもおすすめ |
1 | 海天丸・北々亭 | 3.48/181人 (千歳店) | 札幌、旭川、苫小牧、千歳 | |
1 | 回転寿し 魚一心・一心 | 3.47/317人 (小樽店) | 札幌、小樽 | |
1 | あじこう | 3.39/94人 | 札幌 | 平禄寿司と同じグループ |
1 | えりも岬 | 3.47/105人 (菊水元町店) | 札幌 | 非チェーン店 |
1 | くるくる | - | 北見 | |
1 | 旬楽・クリッパー | 3.40/34人 (クリッパー明野店) | 苫小牧★、千歳、白老 |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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10 | 清次郎 | 3.19/65人 (仙台泉店) | 青森、岩手★、宮城 | グループに水産物仲卸会社 |
7 | うまい鮨勘 | 3.19/53人 (長町郡山店) | 青森、岩手、宮城★、山形、福島 | 系列に回らない店もある。 三陸沿岸を守るために植樹活動をしているらしい |
5 | 平禄寿司 | 3.11/33人 (仙台政岡通店) | 青森、岩手、宮城★、福島/東京、神奈川 | |
3 | 塩釜港 | 3.66/478人 (本店) | 宮城 | |
2 | 回転寿司 すノ家 | 3.42/41人 (南大通店) | 秋田、岩手★、宮城 | 系列に同名の居酒屋がある |
1 | 回転鮨処 あすか | 3.36/50人 (東大野店) | 青森 | 系列に回らない店もある |
1 | 八食市場寿司 | 3.48/206人 | 青森 | 非チェーン店。市場の中にある |
1 | まわる鮨太助 | 3.23/13人 (北町店) | 山形 | |
1 | 源洋丸 | 3.35/51人 (岡小名店) | 福島 | 系列に回らない店もある |
1 | うまか亭 | 3.50/154人 (福島駅ピボット店) | 福島 | 系列に回らない店もある |
1 | まぐろ亭 | 3.36/30人 (郡山八山田店) | 福島 | |
1 | 海鮮寿司 おのざき | 3.47/81人 (ラトブ店) | 福島 | 非チェーン店 |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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29 | すし銚子丸 | 3.21/118人 (千葉駅前店) | 埼玉、千葉、東京、神奈川 | 2023年4月、回転寿司をやめてフルオーダー制に |
18 | もり一 | 3.49/412人 (神保町店) | 千葉、東京 | お寿司がいっぱい回ってるタイプの回転寿司 |
14 | 回転寿司みさき | 3.28/53人 (水戸駅ビル店) | 茨城、栃木、埼玉、千葉、東京、神奈川 /宮城、山梨、愛知、三重、滋賀、 京都、大阪、兵庫、岡山 | 元海鮮三崎港。スシローの傘下となり改名 |
13 | がってん寿司系 | 3.11/79人 (としまえん店) | 茨城、栃木、群馬、埼玉★、千葉、東京、神奈川 /長野、愛知、大阪、兵庫 | 海なし県埼玉発祥。函太郎と同じRDCグループ。 オーダー時の店員の「がってん承知!」が特徴的 |
13 | やまと | 3.49/264人 (館山店) | 茨城、千葉★、東京 | |
5 | 回転寿司 かね㐂 | 3.50/26人 (阿見店) | 茨城 | 系列に同名の料亭がある |
5 | 独楽寿司・まさのすけ本店 | 3.35/61人 (八王子オクトーレ店) | 東京★、神奈川 | |
5 | 魚屋路 | 3.11/69人 (下高井戸店) | 埼玉、東京★、神奈川/山梨 | 読み方は「ととやみち」。すかいらーくグループ |
4 | 天下寿司 | 3.34/169人 (池袋店) | 東京 | |
4 | 回し寿司活 活美登利 | 3.49/666人 (目黒店) | 千葉、東京★ | 上の美登利寿司とは別物っぽい? 系列に回らない店もある |
3 | ABURI百貫 | 3.21/53人 (有明ガーデン店) | 茨城、千葉、東京/岐阜、佐賀、福岡 | |
3 | 廻転鮨 銀座おのでら | 3.51/376人 (本店) | 東京 | 上質な江戸前寿司が回る。系列に回らない店もある |
3 | 寿し常・寿しの魚常 | 3.32/65人 (巣鴨店) | 東京★、神奈川 | 系列は回らない店がメインで、回るのは東京3店、神奈川1店のみ |
3 | 元祖寿司 | 3.23/145人 (羽田空港第2 ターミナル店) | 成田空港、東京★、羽田空港、神奈川 | 空港の広告でよく見るお店 |
2 | 千両 | 3.33/31人 (小山店) | 茨城、栃木 | 魚べいと同じグループの高級路線 |
2 | 回転すし美登利 | 3.33/105人 (高井戸店) | 東京 | 美登利寿司の系列。回るのは高井戸の1店のみ |
2 | 回転寿司江戸っ子 | 3.49/289人 (神田店) | 東京 | 系列に回らない店もある |
2 | 沼津港 | 3.47/307人 (新宿本店) | 東京 | 非チェーン店。「うに富士山盛り」が目玉 |
2 | まぐろ問屋(三浦三崎港・ やざえもん・恵み・ めぐみ水産) | 3.28/118人 (三浦三崎港横浜 ワールドポーターズ店) | 埼玉、東京、神奈川★/沖縄 | 沖縄も内地から仕入れた魚の寿司らしい |
2 | ジャンボおしどり寿司 | 3.21/63人 (日野本店) | 神奈川 | |
2 | あじわい回転寿司 禅 | 3.71/608人 | 神奈川 | 非チェーン店。回転寿司ビストロという一風変わった店。 食べログTOP5000 |
1 | 新鮮回転寿司 お魚天国 | 3.47/190人 | 茨城 | 大洗のお店。系列に同名の海鮮料理店がある |
1 | まるくに | 3.52/35人 (河和田店) | 茨城 | |
1 | 海鮮処 森田 | 3.48/144人 (那珂湊1号店) | 茨城 | 水産会社のお店 |
1 | 活鮮 | 3.38/39人 (船尾店) | 埼玉、千葉、東京、神奈川/山梨 | |
1 | 大江戸 | 3.23/106人 (新宿西口店) | 東京 | |
1 | すし 台所家 | 3.48/203人 (三軒茶屋店) | 東京 | 読み方は「だいどこや」。孤独のグルメにも登場したらしい。 三軒茶屋のは回る、渋谷のは回らない |
1 | まぐろ人 | 3.37/115人 (吉祥寺店) | 東京 | |
1 | 廻転 びっくり寿司 | 3.21/60人 (西国分寺店) | 東京 | 系列で回るのは西国分寺店のみ? |
1 | 羽田市場 回転寿司 | 3.44/273人 (グランスタ東京店) | 東京 | 系列に回らない店もある |
1 | 桜すし | 3.32/76人 | 東京 | 非チェーン店 |
1 | 若貴 | 3.39/166人 (池袋サンシャイン 60通り店) | 東京 | 非チェーン店 |
1 | 廻るすしざんまい | 3.22/170人 (築地店) | 埼玉、東京★ | あの「すしざんまい」の回る店 |
1 | 魚屋さんの新鮮回転寿司 ・魚喜 | 3.39/81人 (横須賀中央店) | 神奈川 | |
1 | 寿司鷹 | 3.55/63人 (エルミロード店) | 神奈川 | |
1 | タフ | 3.50/99人 (藤沢店) | 神奈川 | |
1 | 海鮮 | 3.56/715人 (銀座) | 神奈川 | 非チェーン店 |
1 | ぐるめ亭 | 3.44/67人 (西谷店) | 神奈川 | テナント型の「二代目ぐるめ亭」もあるらしい(価格帯がちょっと違う) |
1 | ゆうきと寿し | 3.00/3人 (上田店) | 長野 | 海のない長野で富山の魚が食べられる |
コメント数 | 店名 | 食べログ | 出店地域 | 一言コメント |
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23 | 金沢まいもん寿司 | 3.50/557人 (本店) | 石川★、愛知/埼玉、千葉、東京、 神奈川、京都、大阪、兵庫、福岡 | 第7回全日本回転寿司MVP選手権 総合1位は三軒茶屋店の店長 |
15 | もりもり寿し | 3.60/55人 (能登総本店) | 石川★、愛知/埼玉、東京、神奈川、 滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良 | 公式サイトがないため出店地域が不確実 |
10 | 佐渡 廻転寿司 弁慶 | 3.64/876人 (新潟ピア万代店) | 新潟 | 佐渡島に本店。系列に回らない店もある |
9 | すし玉 | 3.53/404人 (富山掛尾本店) | 富山★、石川 | 築地玉寿司の系列店とは無関係 |
8 | 海鮮アトム | 3.19/65人 (敦賀若葉店) | 福井 | 元アトムボーイかと思いきやもっと複雑らしい (票はここに集約しました)。詳しくはググるべし |
7 | 氷見きときと寿し | 3.56/224人 (氷見本店) | 新潟、富山★、石川、長野/三重 | 「きときと」とは、富山弁で「新鮮な」という意味 (富山きときと空港公式HPより) |
6 | すし食いねぇ! | 3.62/217人 (高岡南店) | 富山、石川 | 増田はこのシングルより後の生まれです |
4 | 番やのすし | 3.46/69人 (小杉店) | 富山 | |
3 | ことぶき寿司・一心寿司 | 3.55/89人 (ことぶき寿司内野店) | 新潟 | |
3 | すしやまるいし | 3.56/122人 | 新潟(佐渡島) | 佐渡島民いちおし |
3 | 廻転とやま鮨 | 3.49/302人 (富山駅前店) | 富山、富山空港/東京 | |
2 | 廻鮮富寿し | 3.11/34人 (上越みなと店) | 新潟★、長野 | |
2 | すしだるま | 3.35/74人 | 富山 | 非チェーン店 |
2 | 廻る寿しぽん太 | 3.48/152人 | 石川 | 非チェーン店 |
1 | 鼓響 | 3.40/37人 (吉田店) | 新潟 | |
1 | 祭ばやし | 3.41/46人 (滑川店) | 富山 | 上の番やのすしと同じ会社 |
1 | 廻鮮氷見前寿し | 3.46/152人 | 富山 | 非チェーン店 |
1 | 金沢回転寿司 輝らり | 3.48/209人 (金沢本店) | 石川/東京、群馬 | |
1 | くるくる寿司ほがらか亭 | 3.53/152人 | 福井 | 非チェーン店 |
こんなもん地上で爆発したらどうなるねん
https://www.youtube.com/watch?v=wtthhilAO3Y
昭和17年(1942年)5月、日本軍の攻勢により推移していた太平洋戦争は、後に戦局の変わり目として位置づけられる事になる「ミッドウェイ海戦」を目前に控え、重要な局面を迎えていました。
しかし、戦時中とは言え普段とほとんど変わらない生活を送っていたここ下湧別村の漁民にとっては、そんな国家の重大事など知る由もなく、折しもオホーツク海沖合に現れたニシンの大群の行方が目下の関心事でした。
ニシンの豊・不漁はその年の村民の生活水準にそのまま直結するため、その群の到来に村はにわかに活気づきます。
そんな5月17日、その日も沿岸では村の漁師たちが総出で網を仕掛けていましたが、その作業中に一人が波間に浮遊する金属製の樽状の物体を発見します。
そして、素人目から見ても異様な雰囲気を醸し出すその”水に浮く不思議な鉄の塊”がおそらく「機雷」であろう事に彼らが気付くまでにはそれほど時間はかかりませんでした。
思わぬ危険物の漂着に漁場は騒然となりましたが、「これが機雷であればなおさら放置しておく訳にもいかぬ」との”勇気ある”漁労長指示により網に掛けながらひとまず浜まで引き揚げる事にします。
数十分後、幸い移送途中で爆発する事もなく「ポント浜」の砂上に”恐る恐る”陸揚げされた直径約1.2m・長さ約1.5mの機雷と対峙した一同は、まず警察への通報が先決との判断により代表者が市街地にある派出所へと向かいました。
ところが、その時派出所では村の東側に隣接する「サロマ湖」内で時を同じくして発見された”もうひとつの機雷”を巡って既に大騒動となっていたのです。
”国籍不明”の危険物が二つ同時に漂着したこの”大事件”については、一帯を所轄していた「遠軽警察署」を経て直ちに「北海道庁警察部」へ連絡が取られましたが、意外にも警察部からの回答は「所轄署責任において爆破処理せよ」というまことに素気ないものでした。
実は北海道の特に日本海沿岸地域における浮遊機雷の漂着は当時それほど珍しくはなく、これまでの事例では当該所轄警察署の手によって難なく処理されていたという事実が、先の無関心とも思える本部指示につながる訳ですが、当地では前例がなく、ましてや爆発物処理の専門知識もない遠軽警察署としてはその対処方法に頭を悩ます事になります。
その後即刻開かれた署内幹部会議上では「軍の協力を仰ぐ」という策も提案されたものの、遠軽警察署長としては「他の署が自力で処理しているレベルの事案について他所の助けを乞う」などその自尊心が許しませんでした。
こうして、意地でも地元の手によって行わざるを得なくなった作業は約1週間後の5月26日午後1時に決行すべく、二つの機雷を「ポント浜」一箇所に集め、遠軽警察署の監督の下、その運搬・管理を地元警防団(警察や消防業務を補助する民間組織)に、そして爆破処理を管内にある「生田原銅山」の”発破技師”に依頼する事が正式決定されました。
しかし、この時署長の頭の中ではこれを機にもうひとつの”とんでもない”計画が進行中だったのです。
ここ下湧別村をはじめとする遠軽警察署所轄管内では普段大事件が発生する事もなく、平穏であるがゆえ警察署長の立場としては至って”退屈”な日々を過ごしていました。
また、生活のため日頃と変わらず農・漁業に勤しんでいる人々が、署長の目には「戦時中にも拘わらず危機意識がない不心得者」のようにも映っていました。
そこで、この機雷爆破処理作業を一般に公開、爆発の威力を見せる事で庶民の「戦意」と「国防意識」を高めると同時に、警察の威信を確固たるものにするべく画策していたのです。
かくして、村役場などを介し回覧や口コミで村内はおろか近隣地域にまであまねく周知されたこの”一大イベント”は、物珍しさも手伝っていたずらに人々の興味をそそり、更には当日わざわざそのために臨時列車が手配された事もあって、その日は爆破時刻の午後1時に向けて老若男女合わせて一千人規模の見学者が各地から現場へ向かっていたと聞きます。
さて、決行2時間前の5月26日午前11時頃、現場のポント浜では遠軽警察署長以下警察官9名と、署長命令によってなかば強制的にもれなく召集された下湧別市街及び近隣集落の警防団員約150名が事前集結していました。
二つ並べられた機雷を前に、あとは生田原から火薬の専門家が到着するのを待つばかりでしたが、しかしここに至って爆破方法を巡り現場が混乱する事になります。
通常、機雷の爆破処理というのは水中において一つずつ行われるのが定石であり、その日もそれに従って実行される予定でしたが、当日になってその事実を知る事になった漁業本職の警防団からの猛反対を受けます。
というのも、海中での爆破は一帯の魚介類を死滅させる恐れがあり、それは漁民にとっては明日からの生きる糧を失う事を意味しました。
彼らにしてみれば死活問題だけに警察側からの再三の説得や恫喝に対してさえ一歩も退く事は出来ず、しばらくの”攻防”の末、漁師たちのあまりの頑強さについに根負けした署長は陸上処理への変更をやむなく了承します。
粘った甲斐あって勝ち取った結果に安堵した警防団員たちでしたがその代わり、陸上で爆破するには現在近過ぎる二つの機雷を、誘爆させない距離として設定された約50mの間隔まで引き離す作業が待っていました。
こうして気乗りしないまま予定外の力仕事をする羽目となった彼らの心中には、これらが「既に機能を失った不発弾に違いない」という思いが一様にあったようです。
発見されてから1週間まったくの変化も見せなかったこの”錆びた鉄塊”に対して徐々に警戒心が薄れていった事に加え、ことサロマ湖から運ばれてきた方には、実は数日前に”命知らず”な村の鍛冶屋によってあろうことか持ち寄ったハンマーで叩くという危険極まりない試みがなされていますが、結果その衝撃にもびくともしなかったという事実も、「もはや危険ではない」と彼らを暗に確信させる要因になっていたのでしょう。
それぞれ多忙な仕事が待つ警防団員たちにとって、本業もままならない毎日を無理強いするこの”いまいましい敵”への扱いは、そんな思いもあってか最初と最後では大きく異なっていました。
初めこそその取扱いには慎重を期され、移動も衝撃を与えないように砂上をゆっくり”引きずる”方法がとられていましたが、この段階では労力を惜しんでか本体にロープが巻きつけられ無造作に”転がされて”いたと言います。
しかしやがて、鍛冶屋の”無謀な挑戦”を受けていない方、つまりオホーツク海で発見された機雷が、軟らかい砂から馬車道の硬い轍(わだち)の上に転がり出た瞬間…それは既に浜に到着していた気の早い数百名の”観衆”が見守る中で起こりました。
今まであれほどいかなる反応も示さなかった機雷が、まるでこの時を待っていたかのように火花一閃、大爆発を起こしたのです。
そもそも軍艦をも爆沈させるほどのその破壊力は当初の想像をはるかに超えるもので、破片は爆風に乗って障害物がない砂浜の中を数百メートルに渡り飛散、傍らにいた警防団員や警察官は言うまでもなく、一応安全を考慮して遠巻きに置かれた一般見学者の多くも無事ではいられませんでした。
爆発による黒煙が消えた後には、直径10m・深さ3mの穴と共に、周辺に斃れたおびただしい数の人々が残され、そのほとんどは瞬時にしてその命が失われたであろう様子が一目で判るほど現場は凄惨を極めたそうです。
現場から4kmほど離れた下湧別市街地でさえもその轟音と震動に激しく揺れたと言われるこの前代未聞の機雷爆発事故においては、死亡者112名・重軽傷者112名という未曽有の惨禍を見る事になりました。
そして、この”公開爆破”を企画した遠軽警察署長や、直前において爆破地点を変更させた警防団の代表者も、その過ちを悔やむ時間すら与えられないままこの日帰らぬ人となっています。
この大惨事により現場に居合わせた警防団員のほとんどが死傷し、下湧別村は多くの”働き手”を、そして家族にとっては一家の”大黒柱”を一瞬にして失いました。
「一体誰のせいでこんな事になってしまったのか」…機雷を放った知らざる敵か、現場に丸投げした道庁警察部か、それとも無謀な計画を立案した警察署長あるいは陸上処理を主張した警防団員か…もはやそれをぶつける相手もいない中、人々の行き場をなくした怒りと悲しみだけがポント浜には残されました。
合掌