はてなキーワード: 態度とは
実際はそう単純でもなかったりする。社会主義国では「右翼」「極左」はそれぞれ別に取締りの対象。
と考えたときに、その国や地域の現時点での政治体制から見て左と右が決まることになるからでしょう。例えば社会主義の国で資本主義を標榜すれば、現体制から革新しようという態度ですから、それは左翼に位置づけられます。
さらに日本の左翼と右翼については、内藤朝雄が次のように述べています。
右派も左派も、自分がコミットすると称するコア価値(たとえば人権)によって個々のトピックに賛成したり反対したりしているのではない。そうではなくて、右派と左派の線引きの後に所属の論理によって「どういう信念を持つか。どういう論理を採用するか」の内容が決まってくる。だから日ごろ人権が大嫌いなはずの右派が、北朝鮮政府を加害者とする被害者の人権擁護を担当し、「人権派」を称する左派が無視し続ける、といった不思議なことも起こる。
いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――
ということで、「????主義ならば右翼」「????主義ならば左翼」という区別が事前に存在するのではなく、何らかの問題に対して、右翼集団がとるような対応をとれば右翼、左翼集団がとるような対応をとれば左翼、ということになります(なんとも歯切れの悪い)
【まとめ】
三ツ沢子連れ日記のつのだま氏の好きそうな論法だが、かつてTVと同じ上層から試合を眺めていた私も同じ意見だった。
が、埼スタのゴール裏で試合前の、試合後の選手の顔を見て、言葉を聴いて、試合自体は恐ろしく見にくいゴール裏のサポーター達の態度と言葉に触れて、彼らは間違いなく「一緒に戦っている」と確信するようになった。それは微力ではあっても決して虚構ではない。
戦ってない、戦ってない。戦った気にさせてもらっただけ、
客商売の客を釣る為のものに過ぎないから。
お金を出してそんな気分を買っただけでしょ。
学校教育の中で、先生がやることといったらテストで悪いところの指摘と、先生の言うことを聞かない人に対するお説教。体育会系においても「根性居れてやる」とか、「もっと気合いいれろ」とかそんな発破のかけかたしかしない。
就職活動の面接だって、「圧迫面接」とかあるし。あと、ノルマとか勤務態度とか、叱られることはあっても褒められることはない。仮にあったとしても、それは他の不出来な連中に対する一種の見せしめでしかない。何か良いところがあっても「現状に満足せず、もっと上を」と言う。
常に完璧を目指して向上心を持ち続ける日本人は、人を褒めたりしない。また、完璧な人間がこの世に存在しないことを知っている日本人は、人を褒めることが誤りであることを知っている。
誠も嫌いだ。
彼女は誠に自ら恋のキューピット役を買ってでながら言葉から誠を奪う。
私も浮気をし、妊娠させられたあげく、子供をおろせと言い、言葉と幸せになろうとする誠は許せないと思う。
だが、誠のみを責め、惨殺するといった彼女の行動が理解できない。
自分の体を使って言葉から誠を奪っておいて、なぜ誠が他の女に手を出さないと思ったのだろうか。
誠のはっきりしない態度や、言葉への急に冷たくなった態度を見てういう男だとなぜ気付かなかったのか。
言葉は決して誠を殺そうとはしない。それは、彼女が誠に心底惚れているからだ。
だが、世界は違う。
世界の中の誠は他の女に手を出し、セックスが大好きな浮気性な男だ。
そして、世界はその「誠」を好きになったのだ。
私には、誠もそうだが世界も自己中に見える。
自ら言葉から誠を奪っておいて、誠と言葉が幸せになるのが許せないという。
じゃあ、世界に誠を奪われた言葉の立場は?
世界は一度は言葉に誠と上手くいくように協力するといった分罪が重いと私は思う。
だから、私は世界が嫌いだ。
職場の先輩。とても魅力的で、心の底から尊敬する。その人みたいになりたい、と考え方ややり方を参考にする。皆がその人を好き。告白をしたけれど、ダメだった。その人の態度は次の日からも全く変わらない。告白をなかったことにしたいのか?…と思った時期もあるけど、告白された人に今まで通り接するっていうのも結構難しいんじゃないのか?と今は思う。告白してから数年。今も関係は良好。何もなかったかのように二人は顔を合わせる。告白後、すごく今までより手厚く保護されるようにはなった(当社比)けど。
ああ、あの人は本当にいい人なんだって唐突に思った。皆に人当たりがいいのは、ずっと事なかれ主義なだけだって思ってた。でもそれは違うかもって。本当にあの人は人間ができてるんだ。ああ、あの人みたいな人になりたい。あの人、すげーいいやつだ。すごいお人よし。もう馬鹿の域。でも、あの人に恋人として大事にされたかったな。あの人の恋人になる人はどんな人だろう?
http://anond.hatelabo.jp/20070928005712
「終わったなぁ」って思ってる間に別れて、浮気女に慰めてもらえよ。
どっちつかずの態度じゃどっちも離れてくぞ。
それで良いなら、それこそ「馬鹿男」だろ。
んーまあ、マジレスをするわけだけど。
ツッコミ所満載の記事を煽りっぽく書いたために各所から個別にツッコミが入る、そのツッコミ量に負けるって、要するに炎上のパターンね。
よってたかってやってるわけではなく、各人が個別の理由で「これはひどい」とタグ付けしたら当人にとっては(あるいはあなたにとっては)集団で攻撃されるように見えたってこと。
俗に言う炎上ほどにはプレッシャーが強かったとは思わないけど、打たれ弱ければ負けてしまうことはあるよね。
ま、一連のやり取りをワイドショーを見るがごとき視線で見ていて、尻馬に乗ってコメントしたやつもいたようだから、群集心理がまったくなかったとは言わんけどさ。ブクマついでに不要な皮肉を書いたような人は反省すべきだよね。打たれ強い人は平気かもしれんけど(猫猫先生とか池田信夫氏とか)、気の弱い人には結構利くよ。
んでもこれは、結局は自分が書いたものにたいして批判が入った場合に、プレッシャーに負けずにきちんと対処できなかった当人の態度の問題でしょ。
正直、負け方(逃げ方)としては最悪もいいところだから、あれが当人のその後に響かないといいんだけどね。
無理だわー。雄ですがね。
中高とさんざ痴漢&ナンパ(逆はつかない)に遭ってきたけど、一分たりとも「あ、いけるかも……」とか思えなかった。
理解もするし尊重もするし、なんか楽しそうにしてるな、とは思うけど巻き込まないでくれ、という。
そのとおりで年増園で芸も無いアナウンサーに何の関心も持てんよ。
そんなの受ける、欲情する価値基準と正面から向き合って低学歴底辺からの有象無象が投入されて選別される芸能人とAV女優に敵うはずが無い。ヘッジファンドのスターディーラーと山村農協にコネ入社した三男坊みたいなもんだ。
アナウンサーでもいいんじゃないかという価値観はスチュワーデスと同じで未開貧困社会では化粧してまともな態度を取れる女性がまぶしいという文化的遺物だろ。
まあ現実にはテレビ局側に安い素材集ぐらいの色気にプロモーション予算を付けてるんだろうけど。
でも費用対効果なら安くて若いモデル使ったほうが安上がりだと思うんだがね。どうせ当たるまで金を投じて成長させたら独立するんだし。もうすこし、お嬢様のお社会体験つうようなコネ的な理由もあるか。
好きな漫画は連載中のものでいうと「大きく振りかぶって」「ヒストリエ」「エマ」「よつばと」「ランドリオール」「皇国の守護者」「放浪息子」「クレイモア」「ネウロ」「少女ファイト」「正義の味方」「カラクリオデット」「しゃにむにGO」「ぼくらの」「ガンスリンガーガール」「へうげもの」「群青学舎」「ヘルシング」「7SEEDS」とか。蔵書は2000以上5000以下くらいだと推測される。
(http://anond.hatelabo.jp/20070926103154)
この仕事をしてれば一生食べていけるのは確実。年収は上がるだろうし、かなり優雅な生活はできるだろう。でも性格的に独身貴族を貫けるほど強くないと思う。というか子供が欲しい(でも好きなので仕事は続けたい)。
(http://anond.hatelabo.jp/20070926103118)
デブというよりは学生時代の水泳柔道テニスによりがっちり型(脂肪もたくさんあるが)。168/65で体脂肪率22??25%くらい。今はたまの水泳くらいなのでおそらく脂肪増加中。
偏食というのは、他人が作った家庭料理(酢の物煮物の類)が食べられないことと、香りもの(生姜紫蘇わさび山椒芥子その他もろもろ)が食べられないこと。あと基本的に外食の和食が無理なことくらい。
というか男性と友達として付き合うスタンスを10年近く続けてきて、もうそれ以外の態度の取り方が分らない。そしてあんまり女の子扱いも受けない(それが楽だというのもある)。ベリーベリーショートだしスカートはかないし、まあ当然かも。下ネタに平気で爆笑してる限りは出会いはないのだろうか……結婚したいだけで、付き合いたい恋愛したいという欲求がないのが一番問題なのかも。
(http://anond.hatelabo.jp/20070926112902)
お幸せに!
勝手に改行・修正してみた。
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迷走というか「書いた増田自身に問題があるんじゃないか」という方向に向かってるね。
「書いた本人自体に矛先が行くパターン」って結構あるんだけど、元エントリ自体が彼らにとって気に食わないものなんだよね。
でも論理的に批判がしにくい。そういうとき「本人が悪いのでは?」と元記事を書いた人間へ矛先が行く。
元エントリからでは「本人が本当は対話が出来ていない」のか「相手が出来ていない」のか判断することはできない。
読者にとっては半々の確率でしかないのにも関わらずコメントの内容は半々にはならない。
「元増田自身に問題がある」という方向へ皆一斉に向かう。
コメントの中には「自分たちは感情的であるはずがない」と信じ込んでいるゆえに反発したい男性たちもいるだろうし、この増田の態度が「偉そう」「思いあがっている」と感じ不快感を抱く者たちもいるだろう。
実際に本人が誇っているかどうかには関わらず、日本人は他者が他者自身を誇る表現をする事が気に食わない民族だ。
元増田の言い分を認めてしまうと「自分はまともに対話できるが、それについてこれる他者がなかなかいない」という事を認める(元記事を書いた増田が優秀である事を認める)事になる。
元記事の増田自身はそんな事を言っているつもりはないのだろうが、読者が勝手に反発的な感情を抱く。
全く利害関係のない立場から、読んだ人間が勝手に元増田のよさを見つけ「優秀だ」と評価するのは許される。
ところが、元記事の増田が自慢しているその能力を認める事は多くの読者には我慢がならない。
多くの読者は「思いあがってる」と感じてしまう。
結果として「この増田が感情的になってるんじゃないのか」「この増田の程度が低いだけなんじゃないのか」そういう方向に向かう。
迷走というか、ほとんどが書いた増田自身に問題があるんじゃないかという方向に向かってるね。
この、書いた本人自体に矛先が行くパターンって結構あるんだけど、要するにそれは、このエントリ自体が彼らにとって気に食わないものなんだよね。でも、論理的に批判がしにくい。そう言うとき、本人が悪いのでは?と本人へ矛先が行く。このエントリからでは、本人が本当は対話が出来ていないのか、相手が出来ていないのか、読者にとっては半々の確率でしかないのにも関わらず、コメントは半々にはならず、増田自身に問題がある、という方向へ皆一斉に向かう。その中には自分たちは感情的であるはずがないと信じ込んでいるゆえに反発したい男性たちもいるだろうし、この増田の態度が「偉そう」「思いあがっている」と感じ不快感を抱くものたちもいるだろう。日本人は他者が他者自身を誇る事が気に食わない民族だ。それが真実であろうとなかろうと。増田の言い分を認めてしまうと「自分はまともに対話できるが、それについてこれる他者がなかなかいない」という事を認める事に、つまり増田自身が優秀である事を認めてしまう事になる。(増田自身はそんな事を言っているつもりはないのだろうが、読者が勝手にそういった反発を抱く)全く関係ないところから、自分が勝手に、増田のよさを見つけ、優秀だというのはいいが、増田が自慢しているその能力を認める(再度言うが増田自身にそんな気はないにしても)事は多くの日本人は我慢ならないのだ。「思いあがってる」そう感じてしまう。だから、「この増田が感情的になってるんじゃないのか」「この増田の程度が低いだけなんじゃないのか」そういう方向に向かう。悲しいね、この、日本のルサンチマンって。
KOKIAの曲じゃないけど、そういう曲が聞こえてきてもいいくらいしんみりしている。
とはいってもそんな大それた話ではなくて、単に人とのつながりってありがたいなあと。
自分のスペックを晒すと、22歳大学生♂、一留+半年休学でこの後期から復学する。
ある意味現代っ子らしいというか、将来に対する見通しとかを何も立てないまま3回生あたりになり、
自分自身への葛藤や人間関係などもろもろのことがきっかけで、ひきこもり+鬱っぽい状態になってしまった。
結果、大学生活やその他数少ない人間関係からの撤退を推し進めてしまった。
最近までそういう状態が続いていたのだが、通院やカウンセリングの成果がでてきて、
なんとか復学、そして進路を考えられる状態になってきた。
そんな自分にも、なぜかまめに連絡をとってくれる人間が3人いる。
中学のころは気が合ってよく遊んでいたが、高校に入って少し疎遠になってしまった。
大学になってからはたまに連絡を取り合っていたが、
自分自身が落ち込んでいるとき、彼もまた精神的に病んでいるらしかった。
そういうこともあってかお互い漠然とした悩みを話したり、またそういうことを抜きにして遊んだりもした。
蛇足だが元来無趣味であった自分に、いわゆるオタ(アキバ系)の知識を吹き込んだのは彼である。
世間的にみてプラスかどうかはわからないが、おかげでそれが日常のハリとなり、他の趣味もできた。
基本的に彼には何事も敵う気がしないのだが、最近では不思議と劣等感を感じることは少なくなってきた。
それはいろいろと悩むうちに、自分なりに自分の価値を構築することができたからではないかと思う。
1人は大学の同じ学科だった友達。
彼とは入学してすぐ知り合った。
しばらくは仲良くしていたのだが、次第に彼の言動や自分に対する態度に疑問をもつようになり、
結局は一方的に自分から接することをやめてしまい、また彼の周辺の人間とも話さなくなった。
自分から人間関係を構築することが苦手だったので、それからは大学で孤立しがちになってしまった。
約一年前に彼から連絡が入り、半信半疑で会ったのだが、以前に彼から受けた嫌な感じはほとんどなくなっていた。
詳しいことはわからないが、おそらく彼自身、それ以後様々な経験を積み、成長していったのだと思う。
大学生活もろともから逃げ出してしまった自分との対比が浮き彫りになり、恥ずかしかった。
それからは意外と話があうようになり(たまに政治や社会問題のことも話したりする)、いい励みになっている。
1人は母親。
父親が高校のときに死んでしまい、以後家族を支えてくれている。
母の性格は一言でいえば天真爛漫であり、いい歳してかわいげのある感じなのだが、
無口な自分とは合わない部分もあり、衝突することも少なくなかった。
ときには死にたいと漏らしてしまったこともあり、過度の心配をかけてしまった。ごめんなさい。
それでも、完全に無気力で不貞腐れてしまった自分に対して、嫌な顔を見せず明るく振舞ってくれた。
私はあなたの意見に反対します。
論旨は、
交通死亡事故の被害者遺族が受け取る死亡保険金程度(あるいは、それ以上)の経済的救済を受けられたとしたら、被害者遺族は被告の死刑をこれほど強く望むだろうか
と、主に家族の大黒柱を失った場合の生活・金銭面のことを想定しているが、
たとえば今回の事件のように奥さんだったり子供だったりを失った場合は、有り体に言ってしまえば、
今後必要だったはずの彼らの分の生活費が不要になって、逆に得をしている(!)ことになる
(実際に浮いたであろう生活費は交通事故の損害賠償の際には控除される)。
そうすると、一家の大黒柱以外の人が死んだ場合、金銭面での被害はないのだから、
金銭を受け取ることによって完全に慰藉されると考えていると思われる。
しかしながら、民法上、死亡したこと自体を元に損害賠償出来るのは、
カネで賠償されさえすればそれだけで満足して被害者が救われるからではなく、
被害者を救済する方法が他に見あたらないから、しかたなく、カネで賠償するしかないことによる。
要するに、カネをもらえば満足するからではなく、カネをもらう以外に方法がないから、カネをもらえる法律があるのだ。
もちろん、カネをもらった段階で宥恕に至る被害者も多いと思われるが、
いかに金銭を積まれようとも救われない被害者がいるであろうことにも思いを至らすべきだ。
以上、カネで解決出来る、という論旨に対して、それでは解決出来ないという意見を述べました。
以下、細かい点を指摘したいと思います。
社会全体にとっても、死刑にならないことを前提で取り調べが行われたほうが、検察の言いなりになって供述調書にサインをしたり、弁護士の小手先の法廷戦術で事実に反する供述調書を丸呑みしたりして「事実の究明=事件の教訓化」よりも「反省の態度=上辺の取りつくろい」を優先するようなケースが減るんじゃなかろうか。
これは今回の事件に影響を受けすぎと思われる。
死刑の事案でなくとも、検察官が作ったストーリー通りの供述調書にサインを強要されているのが現状である。
痴漢冤罪でも「認めてしまえば帰れるよ」とささやく捜査官がいるのが問題になっていることは有名だ。
そして、刑訴法1条は刑事訴訟法は「公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかに」するのが目的であると規定している。
早く身柄拘束を解くという意味があれば、このような法廷戦術は、義憤を感じるのはともかく、なんらとがめられるものではない。
そもそもこの「事案の真相を明らかに」というのは、神から見た絶対的真実ではありえないし、
そのようなものが人間様が関与する訴訟ごときで明らかになるはずはない。
この真相とは、通常、証拠で積み上げられた真相と解釈されている(実体的真実主義)。
このことは論旨を何ら補強するものでないと考える。
いい議論をしたいので、反論などありましたらお願いします。
光市母子殺害事件で取り上げられるにいつも出てくるのはこの言葉だ。
しかし被告人の反省の努力を表明しつつ検察・裁判官への敵意を隠さない態度を見ると
彼には遺族である本村氏の存在が強烈すぎて遺族を納得させることしか眼中にないように見える。
しかし(彼をかつて騙していたとしても)検察の質問に誠実に答えなければ
罪への反省の努力をしている事にしているとこにならないと思う。
仮に二人に身寄りがなかったら人々が怒りを覚えることはなかったのだろうか?
そんなことはないだろう。
マスコミ、世論、そして被告人に反省させようと試みている弁護団も遺族の事を意識しすぎだと思う。
罪無き母子を無残に殺した罪そのものを事の中心におかないと。
はっきり断れない優柔不断な態度こそが忌避されるべきと思われるがね。
増田の言う値切りは客側からの一方的なものと解釈する。
脅しているという時点で客と店との間でのコミュニケーションが破綻している。
客も店も双方が納得した値切りは誰も損をしない。
>気に食わないやつが殺されたらスッキリするっていう人権感覚が蔓延したら「正義のための人殺しは容認される」っていうことにならないかと心配だ。
何これ。あまりにも飛躍しててついていけない。
これ、強姦殺人の裁判に、弁護士と被告側が被害者を冒涜するような発言を繰り返している、って話だよね?
「スッキリする」の主語は匿名掲示板が背負った「声なき声」、ある種の「民意」だわな。
彼らは「気に食わないやつを殺したい」のか?「正義のために」死刑制度を望んでいるのか?これ書いた人、他人を馬鹿にしすぎてないか?
彼らはああいう言い方で「こんな恐ろしい、不条理なことがあってはならない」「人権を踏みにじってはならない」と訴えてるんじゃないのか?
己の衝動的な快楽のために他人を犯して殺した奴を、野放しにするな、ってのは、真っ当な「人権意識」じゃないの?
>例えば、殺人事件の被害者遺族が、交通死亡事故の被害者遺族が受け取る死亡保険金程度(あるいは、それ以上)の経済的救済を受けられたとしたら、被害者遺族は被告の死刑をこれほど強く望むだろうか?
よく、そんなこと言えるなぁ・・・ 被害者に直接聞いたらどうだ?「お金が貰えないから、死刑にしないと気が済まないんですか?」って。
>死刑にならないことを前提で取り調べが行われたほうが、検察の言いなりになって供述調書にサインをしたり、弁護士の小手先の法廷戦術で事実に反する供述調書を丸呑みしたりして「事実の究明=事件の教訓化」よりも「反省の態度=上辺の取りつくろい」を優先するようなケースが減るんじゃなかろうか。
戦後、汚職で死刑になった人はいないけど、彼らは上辺を毎度毎度とりつくろってないか?
>そして「だれがそのコストを負担するんだ!?」って反論には「もちろん税金で」と答えたい。
税金は国民の金だわな?つまり、強姦殺人鬼出現→被害者の心を慰めるのは銭→「お前らが払え」ってことだよね?
>大事なことは、事件の背景にある社会矛盾や人間心理の不条理を解明して教訓化し、社会全体が努力してこれを取り除くこと
この人の言う「努力」ってあれか?殺人犯に無関係な国民みんなが金払えってことか?
この論のキーワードは「コストパフォーマンスより人命尊重」らしいけど、俺の反論はこういうことだ。
人間心理の不条理が解明されて、それを取り除く日はこない。それは全体主義の発想だ。
ここから先は例え話。ポル・ポトが怠け者や精神異常者を片っ端から殺したことを思い出して欲しい。
死刑じゃない。虐殺だ。彼らは、理想社会の建設に努力しない、わけのわからない人間を、「浄化」といって「取り除いた」んだよ。
クメール・ルージュはとっくに崩壊した。犠牲者には親も親類もいただろう。
それなりの金を払えば解決か?彼らは「一生忘れない」と誓うだろう。寝首をかくチャンスを探すだろう。
彼らの生まれた場所は矛盾と不条理に満ちている。彼らは「社会全体の努力」なんてハナから信じないだろう。
人が社会に対する信頼を失えば、犯罪は犯罪でなくなる。残るのはやったもん勝ちの荒廃だ。
今の日本で「殺人鬼を死刑にしろ!」と訴える側も「それは人間としてどうよ?」の反対派も、
人が安心して生きていける社会を望んでいるという点では同じ筈だ。
ヒステリックな発言に苛立つ気持ちはわかるけれど、
あいかわらず、この国の死刑制度に対する存置世論は強いようで、、、
痛いニュース(ノ∀`)【光市母子惨殺】 元少年「生きたい」「検察、僕をなめないでいただきたい」…弁護団、涙で「こんなに胸を張って弁護できたことはない」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1033297.html
ブログ主の編集方針が偏ってるって事情を差し引いても「吊るせ吊るせの大合唱」状態。あまりに人の命の重さに対する感覚が軽すぎるんじゃなかろうか?
気に食わないやつが殺されたらスッキリするっていう人権感覚が蔓延したら「正義のための人殺しは容認される」っていうことにならないかと心配だ。
さてそれにしても、僕にはむしろ悲しみにくれる被害者を救済する手段が「被告の死だけしかない」というこの国の現状こそ問題にすべきだと思える。
刑事裁判の目的が、被害者救済ではなく社会秩序の維持に偏っている(っていうか、それしかない)現状のもとで、被害者家族は裁判へ参加することもできず、真実から遠ざけられてきた。(少しは改善がみられるが)
悔しさを晴らしてくれるのは「厳しい量刑=死刑」のみ、それだけが唯一の望みという人生はあまりに虚しい。
一家の大黒柱を失った被害者に必要なのは、加害者への報復的判決よりも、むしろ明日を生きる「生活の糧」じゃないだろうか?
例えば、殺人事件の被害者遺族が、交通死亡事故の被害者遺族が受け取る死亡保険金程度(あるいは、それ以上)の経済的救済を受けられたとしたら、被害者遺族は被告の死刑をこれほど強く望むだろうか?
いまでも量刑の判断基準に「被害者(遺族)感情」が加わっているため、加害者に経済的な余裕があれば、賠償金と引き換えの減刑っていうのが現実に行われているけど、これって金持ちなら加害者になっても減刑されるっていう不公平な仕組みだと思う。
自動車事故のように、過失割合も加味して、被害者に落ち度がなければ100:0、怨恨であれば80:20、正当防衛であれば30:70といった具合に、刑事裁判と民事の救済をセットにして判定をし、はじき出された金額を国庫から支出、加害者に財産があれば、それを没収して国庫に充当させるのだ。こうすれば、加害者の経済状態に関わらずに被害者全員の救済が行われ、金持ちだけを特別に減刑させる手段を取り上げてしまえる。
また、社会全体にとっても、死刑にならないことを前提で取り調べが行われたほうが、検察の言いなりになって供述調書にサインをしたり、弁護士の小手先の法廷戦術で事実に反する供述調書を丸呑みしたりして「事実の究明=事件の教訓化」よりも「反省の態度=上辺の取りつくろい」を優先するようなケースが減るんじゃなかろうか。
大事なことは、事件の背景にある社会矛盾や人間心理の不条理を解明して教訓化し、社会全体が努力してこれを取り除くことであって、上辺だけの反省は真実の究明にとって邪魔なだけだ。
そして「だれがそのコストを負担するんだ!?」って反論には「もちろん税金で」と答えたい。っていうか、人命よりもコストを優先する発想って、先進国としてどうよ?
どうも最近の死刑論議・刑事司法論議を眺めていると、感情的な死刑存置派の背後に隠れて(時にはそれを煽って)被害者救済や犯罪者厚生のためのコスト負担を安上がりにしたいという国家権力の怠慢を感じる。
http://anond.hatelabo.jp/20070921072110
そういえば俺の大学にも、やたら偉そうな態度で授業でしゃべって学生に授業と関係ない本を売りまくって
(売り子は研究室の院生)、実質の授業はその本の朗読と校正(!)だけ、この大学のほかの教授なんて
素直になった方がいい
この頃皆素直になることを忘れてる
皆して意地はってツンケンして、勝ち負けを争ってるけど
分からないなら分からないで別にいいんだし
間違ったら謝ればいいし
変に保険張ったりせずに
素直に対話すれば、それは素直になってない今から見ると、屈辱的だと思うかもしれないけど、案外、心地がいい。
素直になると、相手も、態度が和らぐ。
ネット上でくらい、素直になりたいものだけど、なぜか寧ろネット上の方が、何かと発言するのに保険をはりまくったり虚勢をはったりしてしまう、不思議。ネットの方が、「叩き」が容赦なくて酷いからなんだろうけど。
悲しい時は素直に悲しめばいいし怒りたいときは素直に怒ればいい
「こんな事でいちいち悲しんでたら子供だよな」とか思って無理して「悲しくない」とか思い込むより
素直に「悲しい」と思ったほうが悲しさはあっさり消えたりする
素直にダメな自分を認めてやった方が案外苦しみは少ない
ダメな自分を認めようとせず抑圧するほうが、結局本当は勘付いてるから、苦しい
素直に認めてやった方が前にも動きやすい
俺もいわゆるでぶ専だよ。
きっかけは高校生の時行った60分1000円のAVの試写室だったかな。
何選んでいいかわかんなかったからとりあえず巨乳コーナーに行って、
Dカップの女優が出てるAVとGカップの女優が出てるAVを借りたけど、
断然Gカップの方に魅力を感じた。
その後もその店には足しげくかよったけど17歳くらいの時に潰れた。
18歳の時に出会い系で知り合った女子高生と付き合って童貞を捨てた。
そりゃもう楽しかったよ、Hカップとかさ。まぁ体重もそれなりにあったろうけど。
でもいわゆるデートの時はいつも隣の県まで行ってた。
今もだけど、やっぱり太った女の子を連れて知り合いとかに会うとなんか気まずい。
なんでなんだろうな。
そんな事もあってか、19歳の時、俺の態度に気づいた彼女は「どうせ体目当て」と言って去っていった。
確かに体目当てって言っても間違ってはいないけど、ずっと一緒にいたかったしずっと抱き合ってたいと思った程だった。
でもやっぱ彼女が言ったように体目当てだったのかな。
20歳を超えて風俗を覚えてからはぽっちゃりした女の子と触れ合うには困らなくなった。
Hカップ、Iカップは当たり前でJカップとかKカップもざらだったよ。
で、23歳の時Lカップの彼女ができた、風俗の子だったけど付き合う時に辞めてくれた。
身長がちっさくて顔も愛らしくてホントに可愛かった。
でも24歳の時に彼女がAVに出演した事を知った、俺にだまって。
それがどうしても許せずに別れてしまった。
こないだ通販で彼女の出ているAVを買ってみた、なんだか泣けたよ。
今はFカップだけど痩せてる175センチの女の子と付き合ってる。
今度は堂々と街を歩けるし、AVにも出演しないと思う。
でも、もう3ヶ月以上セックスしてない。
バカにするなとかそういうの言えないし、別に何が言いたいって事はないけど、
コンビニのレジのぽっちゃりした子を好きになって毎日通ったり、