はてなキーワード: 就職活動とは
気づけば、毎日のようにいくつもの配達アプリや単発バイトアプリを立ち上げ、その時々の仕事をこなしている。ウーバーイーツ、タイミー、その他の短期・日雇いの募集をリロードしながら、効率よく仕事を掛け持ちしてきた。好きな時間に好きなだけ働ける──そう思って始めたはずなのに、いつの間にか心も身体も追い詰められている。名前は伏せさせてもらうが、そんな自分の小さな物語をここに綴りたい。
最初は「自由に働ける」「拘束時間がない」「上司に叱られない」などの言葉に惹かれて、ウーバーイーツの配達パートナーになった。自転車さえあればスマホ一つで仕事がスタートできるという手軽さも大きな魅力だった。通勤電車に押しつぶされる苦痛も、会社独特の人間関係に煩わされるストレスもない。好きな時にアプリをオンにしてオフにするだけ。その自由さが、自分の未来を切り開いてくれそうに思えた。
しかし、現実は甘くはなかった。ウーバーイーツを始めた最初のうちは、「デリバリーして報酬を得る」ことへの単純な楽しさに勢いづけられていた。街を走り回り、新しいお店や道を知り、配達先のお客さんと時折交わすちょっとした会話に刺激をもらう。SNSで「今日は〇〇円稼げた!」と成果を自慢する仲間たちの投稿を見ると、自分ももっと頑張ろうという気持ちになっていた。
だが、いつの間にか市場には同じようなギグワーカーが増え、報酬は徐々に下がってきた。それに合わせるように、自分の身体も疲れやすくなっていることに気づく。最初は平気だった長距離移動も、今では足が鉛のように重く、坂道を見るだけで気が滅入るようになった。食事のタイミングも不規則になり、おまけに天候に左右される仕事なので、雨の日はカッパを着てもずぶ濡れ。真夏の猛暑日は灼熱地獄で、熱中症寸前の状態で走り回ることもある。
そんな中、稼ぎは思ったほど伸びない。ウーバーイーツだけでは生活が安定しないので、タイミーなどの単発アルバイトにも手を広げた。イベントの設営やチラシ配り、倉庫内作業に警備員の仕事まで、その日その時の募集に合わせてシフトを埋めていく。それこそ、朝から倉庫作業をして午後は配達、夜は警備の仕事へと転々とすることだって珍しくない。一日で3種類の仕事を掛け持ちする日もある。昼間の炎天下で自転車をこぎ回し、夜は立ちっぱなしで交通誘導。体力はぎりぎりだ。
スケジュール管理が地獄だ。スマホのカレンダーには隙間がないほどバイトや配達の予定が詰まっている。ちょっとでも時間が空くと、自分を奮い立たせるように「いま休んだら、その分稼ぎが減る」と考えてしまう。「休みたい」「眠りたい」と思っても、どうしてもスマホの通知が気になってしまうのだ。案件が出ては消え、人気の仕事は数分で埋まる。画面を閉じてしまうと、まるで「自分だけが損をする」ような気になって、結果的にはずっとアプリを見張ってしまう。
自由な働き方のはずが、いつの間にか24時間仕事のことを考えるようになっている。何時に寝ても「明日は朝イチでいい案件を取らなきゃ」と早起きをするし、日中は配達の合間に単発バイトの募集をチェックする。夜勤の警備を終えてフラフラになっても、「ウーバーイーツの朝活を逃したらもったいない」という気持ちが首をもたげる。こうして「休むタイミング」を自分で見失ってしまうのだ。
もちろん、成果があがる日はある。一日じゅう走り回って数万円稼げたときは、達成感も大きい。けれど、その分身体の疲れも半端ではない。一度寝込んでしまうと、翌日の予定がすべてキャンセルになり、収入は激減する。ギグワークは働いた分だけ金銭が入る仕組みだが、逆に言えば「休んだらゼロ」なのである。固定給が保障されているわけではない。契約社員でもなければ、正社員のような福利厚生もない。病気になればすべて自己責任だし、事故にあったときの補償や手続きも複雑で、泣き寝入りするケースも多い。
ある日、配達先に向かう途中で自転車のチェーンが外れ、修理に手間取ったことがあった。その時間が大きくロスとなり、その日の報酬は目標に届かなかった。それだけならまだ良かったが、焦る気持ちのあまり安全確認も疎かになってしまい、狭い路地で車との接触事故にヒヤッとした。幸い接触はギリギリ避けられたが、一歩間違えば大けがにつながっていただろうと思うと、冷や汗が止まらなかった。その時、「自分は今、どれほど危うい橋を渡っているのだろう」と改めて恐怖を感じた。
もう一つの悩みは、周りに相談できる相手がいないことだ。ギグワーカー仲間と呼べる人は、SNSや配達先でたまに顔を合わせる程度で、深い付き合いをする機会がほとんどない。配達や単発バイトは一匹狼のような働き方なので、基本的に個人プレー。上司も同僚もいない。困ったときに頼れるのは自分だけ。何かトラブルが起きても、サポートセンターに連絡したり、ネットで検索したり、自力で解決するしかない。そしていつの間にか、「人に相談する」という発想そのものが薄れてきてしまった。
親や友人には「自分で選んだ働き方だろう?」と半ば呆れられることもある。特に、昔ながらの正社員志向の強い人たちには理解されにくい。「きちんと就職しないのか」「いつまでそんな不安定な仕事をするのか」と詰問されると、言い返す気力も失われてしまう。正社員の道を選ばなかったのは自分の意思だが、それでも誰かに認めてもらいたい気持ちはある。だが、ギグワークを誇らしげに語るには、現状はあまりにも厳しい。結局、周りの声も気になって精神的に追い詰められ、だからと言ってこのままギグワークをやめると今度は生活費が足りなくなる。その堂々巡りから逃れられない。
一方で、「自分にはこれしかない」と思ってしまうほどに技術や経験を積み上げられずにいるのも事実だ。ギグワークは基本的に専門的なスキルが要求されにくい。もちろん配送の効率を高めるテクニックや、接客でのコミュニケーション能力は多少身につくが、いわゆる「キャリア形成」という視点では弱い。そのため「この先ずっと同じことを続けていても大丈夫だろうか」と不安がつきまとう。もしアプリの運営が急に方針を変えたり、報酬体系が改悪されたり、新しいテクノロジーが登場して仕事そのものが消滅したりしたら…。いまの自分には「スキルを生かして他の業界で働く」という保険がほとんどないのだ。
どこかで一度腰を据えてスキルを磨きたいと思いつつも、「今月の家賃と光熱費をどうにかしないと」という緊急事態が常に目の前にある。少しでも時間を惜しんで働かなければ、すぐに家計が赤字になる。勉強をしたり資格を取ったりするための時間を捻出するのが難しく、結局は今日のバイト、明日の配達を優先せざるを得ない。そして無理をして働いた結果、心身ともに疲弊してしまい、ますます長期的な展望が見えなくなる。そんな悪循環に陥っているのだ。
周囲には、器用にギグワークをこなしながらも別の副業や投資、またはクリエイティブ活動で成果をあげている人もいると耳にする。しかし、自分にはそうした才能や投資に回す資金もない。趣味が仕事につながるような器用さもなく、日常の大半の時間とエネルギーをバイトや配達に費やしている。結果として何のステップアップにもならないまま、ただ疲労だけが蓄積していく。そのことを考えると、閉塞感がいっそう強くなる。
さらに困ったことに、ギグワークを続けているうちに生活リズムが乱れ、毎日の食生活も疎かになりがちだ。食費を節約するためにコンビニ飯やカップラーメンで済ませることが多くなり、栄養バランスは崩れ気味。不規則な睡眠からくる倦怠感も加わり、最近ではよく体調を崩すようになった。病院に行くにも保険証の問題や医療費の負担が気になり、結局「大したことないから大丈夫」と先延ばしにしてしまう。自分の健康を後回しにしていることも、心のどこかではわかっているのだが、日々の仕事に追われる中でつい目をつぶってしまう。
こんな状態が続くと、気づかないうちに無性にイライラしてしまうこともある。ちょっとしたトラブル、たとえば注文の配達先がわかりづらいとか、バイト先で誰かに指示を出されるとか、そういった些細な場面でカッとなってしまう。もちろん、その後すぐに自己嫌悪に陥る。自分でもコントロールできない不安定な精神状態が、さらに自分を追い詰める。それでもアプリの通知が鳴ると、また仕事へと向かってしまうのだ。
たまに、どうしようもなく自分自身を情けなく感じることがある。かつては「正社員になりたくない」と言いながらも、「それでも自由に生きていける」と信じていた。だが今はどうだろう。休みもなく、全力で動き回ってやっと家賃と食費を確保するのが精一杯。何かの拍子で仕事に穴が空けば、一気に生活が破綻しかねない危うさがある。働いても働いても先行きが見えず、自分はこれから何を目指していくのか──そんな疑問が頭をもたげるたびに、どうしようもなく不安が胸を締め付ける。
先日、久しぶりに地元の友人と話す機会があった。「就職してもう3年になる」と彼は言う。昇給もあり、休日はゆっくり趣味を楽しむ余裕もあるらしい。もちろん会社勤めには会社勤めなりのストレスがあると彼は言う。それでも、安定した収入と社会保険、将来の見通しがあるのは大きいなと、正直羨ましく思った。かたや自分は、毎月のように思いがけない出費で苦しくなる度に、ギグワークの限界を感じてしまう。
最近は、「このままでいいのか」「もっと自分らしく働ける場所があるのでは」と、胸の内で葛藤することが増えてきた。もっと若い頃にちゃんとスキルを身につけておけばよかったとか、就職活動をまともにしていれば違う未来があったかもしれない──そんな後悔の念が頭をよぎる。だが、一方では「正社員になっても合わなかったらどうしよう」「自由を失うのは嫌だ」という思いも消えない。結局は自分の軸が定まらないまま、いくつものアプリに振り回されている状態だ。
それでも今、立ち止まって考えなければいけないと感じている。ギグワークのメリットだけを見て始めたけれど、その実態は思った以上にハードで、先行きも不透明だ。瞬間的に稼げる日があるからこそ、「もう少し頑張ったら、もっと上手くいくかもしれない」と期待してしまう自分もいる。しかし、その期待に何度裏切られてきたことだろう。そして今、文字通り身体も心も限界に近い。
働き方は人それぞれで、ギグワークが心地よい人ももちろんいるだろう。だが、自分のように生活が常に綱渡り状態で、休めない、将来が見えない、そんな不安に怯え続ける日々が正解とは思えない。自分を否定したくはないが、このままでは本当に持たない。そう思う瞬間が増えてきた。いまの自分にとって必要なのは、「仕事を詰め込むこと」ではなく、「働き方を根本から見直すこと」なのかもしれない。
けれど、現実には今月の家賃支払いが迫っている。止まってしまうと収入がゼロになる。タイミーに登録しているバイト先も、急にキャンセルすると二度と仕事をもらえなくなるかもしれない。そういう不安が頭をよぎるからこそ、「もう少しだけ頑張ろう」とアプリを起動してしまう。その葛藤の繰り返しに、心が悲鳴を上げている状態だ。
こんなふうに自分の本音を言葉にすること自体が、ひさしぶりかもしれない。いつもは一人で走り、一人で悩み、身体を酷使してひたすら稼ぐだけの毎日だから。もし似たような境遇の人がいるなら、「限界を感じるのはあなただけじゃないよ」と伝えたい。世間では「ギグワークは自由で気軽」なんて言葉がよく飛び交うが、その裏でこうして苦しんでいる人もいるのだと知ってほしい。
この先、どうするのかはまだわからない。いきなり正社員の道に進むのも気が引けるし、あるいは資格を取るために短期的に集中するのも現実問題として難しい。だけどこのままのギグワーク漬けの生活が続くと、いつか本当に身体を壊してしまいそうだ。そうなって初めて「働きたくても働けない」と、取り返しのつかない事態になるかもしれない。考えるだけでも恐ろしい。
小さな覚悟として、明日は一日だけでも休みを取ろうと決めた。生活費は苦しくなるだろうが、まずは自分自身のために時間を使わなければならない。それがきっと最初の一歩になる。スマホの通知をオフにして、久々に一日じゅう寝るもよし、図書館で情報を調べるもよし。心と身体を整え、将来について冷静に考えるための時間を確保してみる。そうしなければ、きっと何も変わらないまま、自分をさらに追い詰めてしまうだろう。
「ギグワーカーだけど、もう限界」――こんな言葉を自分の口から発することになるとは思わなかった。けれど、今の自分にとってこの言葉は紛れもない真実だ。自由を夢見て飛び込んだ世界で、いつの間にか不自由の枷に縛られていた。それでもまだ、どこかで「自分らしく生きたい」と願う気持ちが残っている。この文章を書きながら、せめてその願いを灯し続けたいと思うのだ。
もう少しだけ悩んでみよう。もう少しだけ自分を大切にしてみよう。もし同じように疲れ果てているギグワーカーがいれば、いまが踏ん張り時かもしれない。休む勇気を持つのも、逃げる決断をするのも、次の一歩を踏み出すためには必要だ。自分らしさを取り戻すために何ができるのか、ぎりぎりのところで考える機会をつくってみたい。そう、ほんの少しだけの勇気で、自分の人生は変えられると信じているから。いずれにしろ、僕は今、限界寸前だ。だけどこの限界をきっかけに、新しい一歩を踏み出せると信じたい。
利根川幸一(とねがわこういち)は、かつてバブル崩壊後の氷河期を生き抜いた男だ。その心には荒ぶる烈風が吹き荒れていた。
理不尽な社会、冷たい世間、そして未来を信じられなかった自分――すべてに怒りと悲しみを抱えながらも、利根川は生き延びた。
しかし、時代は移ろう。氷河期世代が中年に差し掛かる頃、彼の前に現れたのは「Z世代」と呼ばれる若者たち。
彼らの態度と価値観は、利根川の中の「忘れていた怒り」を再燃させるのだった。
会議室の空気はどこか緩んでいた。企業の採用チームと新入社員たちが一堂に会し、これからの働き方について議論している。
「初任給、25万くらいは欲しいっすよね。まあ、それくらいが普通じゃないですか?」
その瞬間、空気が凍り付いた。
利根川が立ち上がる。その目には、氷河期の記憶がよみがえり、彼の中にある激情が解き放たれた。
ざわつく若者たち。
「え、え、ちょっと…何? 急に怖くない?」
「この人、大丈夫?」
「お前らは勘違いしている!」
「初任給で25万が欲しいだと? 安くない、安くないんだ、25万円という金は!」
「お前らにわかるか……!」
声が低く響く。その言葉はまるで床を這い、壁に反射し、若者たちの心を揺さぶる。
「俺が就職活動をしていた頃はな、内定なんて一握りだったんだ。大学を出たところで、何が待っていたか――門前払いだ。『経験不足』、『若さだけではダメだ』、『我々に君を雇う余裕はない』……そんな言葉を何十回、いや、何百回も浴びせられたんだ!」
若者たちの表情がこわばる。ざわざわとした空気がさらに重くなった。
「やっとの思いで見つけた会社……そう、俺も最初は夢を抱いていたさ。だけど、そこは地獄だった。終電間際まで働かされ、翌日は始発で出社。昼食をとる暇もなく、上司からは『使えない奴だ』と罵倒され、同僚は次々に辞めていく……」
利根川は目を伏せた。その声は次第に震えを帯びる。
「体はボロボロだ……だけど、辞められないんだ。辞めたらどうなる? 次の仕事が見つからないかもしれない。親には心配をかけたくないし、自分自身が情けなくて……だから這いつくばってでも働き続けるしかなかった!」
彼は拳を握りしめる。その爪が食い込み、血が滲むように見えた。
その言葉に、若者たちは息を呑んだ。会議室にはシーンとした静寂が広がった。
「そんな10年、いや20年を経て、やっとの思いで掴めるかどうかの額が25万円なんだ!」
利根川の叫びは会議室を震わせた。若者たちはただ言葉を失い、ざわつく声もやがて消えていく。
「それに比べてお前らは何だ! 何も築かず、何も絶えず、何も乗り越えず、ダラダラ過ごし……」
利根川の声が震える。涙が一筋、頬を伝った。
「それで……それで、月収25万円を欲しがるだと? ふざけるな!」
利根川は静かに泣き始めた。会議室にはただ彼の嗚咽が響く。若者たちはその姿に動揺し、何も言えないまま俯いた。
「俺たちは、どれだけ夢を諦め、どれだけ歯を食いしばってきたか……お前らにはわからないだろう……」
子ども(高1)が哲学思想の研究者になりたいと言ってきた。それから、色々言いたい気持ちを我慢して、どんな大学のどんな専攻に進学するのが良いかを調べているが、以下の事が分かってきた。
2.大学教員になっても、事務や授業の負担が多く、殆ど研究に時間を割けない。
こう考えると、「偏差値の高い大学に行って、すぐに大学院に行って大学教員になれば、研究者になれる」ってほぼ成功しない無理ゲーなのではないか。
受験勉強頑張って、早慶か東大行って、海外で学位を取って、フルタイム勤務をめぐって少ない椅子の取り合いをするのは幸せな人生なのか。普通に大卒で就職活動するほうがイージーだろ。
ブラックだったりヘンな慣習があったりと、色々とめんどくさい日本の仕事習慣。
ふと思いついたので、何がめんどくさいか考えてみた。
先述した通り、日本では管理職は同じ組織の現場プレイヤーから引き上げていく。
当然ながら、MBAなどでマネジメントスキルを習得する機会もほぼない。
そして現場仕事は優秀でも管理業務は得意ではない、という場合が少なくない。
また昇進には拒否権がないかったり、逆に現場プレイヤーに戻ることもできない場合が多い。
これが災難を生むのである。そう、「自分の感覚で他人を管理しようとする」のである。
やる気も能力も体力も自分と同じと考えてしまうので、それを当たり前と思っていたり、ひどい時には部下に自分と同じパフォーマンスを強制するのである。
やる気・成長意欲といえば、それを押し付けがましく喧伝してくる管理職の存在がうっとうしい。
日本では、ある程度までは年齢や勤続年数に応じて自動で上がれるケースが多いが、
・それより先を目指したい
・早く出世したい
・昇進試験がある
なので、「やる気のある管理職」が生まれるが、これが問題なのだ。
当然だが、全員がやる気にみなぎっているわけではない。
やる気のない人はそれなりに多くおり、仮に当初はやる気があっても時間で低下することも大いにある。
やる気のない人を自己都合退職に誘導するなどして排除したとしても、環境などの変化でやる気のない人は一定数出る(要するに2:6:2の法則)。
ところが、日本の職場はこのような「やる気のない人」を認めないのである。
確かに、パワハラやセクハラ、機密漏洩、警察のお世話になるなど迷惑行為を繰り返す人は退場してもらった方が賢明だろう。
しかしながら、恐ろしいことに「みんながやる気を持っている」と錯覚しているのである。
日本型の管理職はただやる気がない人(指示されて与えられた仕事はする)もいないものどころか「あってはならないもの」として扱うのである。
あるいは、そのように見える人がいたとしても一時的にスランプに陥っているだけと思い違いをしている。
なので、やる気のない人に対しては「仕事のやりがいや楽しさを伝える」「責任感を出すよう指導する」ことしか考えていない。
何とかしてやる気を引き出そうと考えているようだが、ないものはない。
契約しているだけの時間は仕事をするから、その分の仕事だけ割り振って後は放置してくれた方がうれしいのだが、そうは思わないらしい。
このような人たちは、やる気のない人に対して必ずこう言う。
「でもこれはやったほうがいい」
と返す。なんなんだ。仕事の報酬は仕事というのもいただけない。
「面接では一生懸命やりますって言ったでしょ」…これもよく言われることだ。
だが、これは「言った」のではなく「言わされた」のだ。
となると、答えは「言わされましたが、あれは嘘です」となる。
ところで、やる気がないのを表現する場はどこにあるのだろうか。
年度初めの挨拶で「やる気がないし定時に帰りたいのであまり仕事は任せないでください」と公言すべきか。
やる気とほぼ同意義の言葉に「成長」というものがあり、その成果としての昇進があるそうな。
やる気がない人の存在が認められないのであれば、仕事を通じて成長したくない人や昇進したくない人の存在も認められなくなる。
言い換えると、金をもらうかわりに一定時間作業しているという労働の目的を理解しない人が多いのである。
もっというと、生活(と休んで遊ぶため)に必要な金が手に入ればそれ以上の労働は必要ないということが理解できないのである。
なぜか、労働にやりがいだの奉仕だのとよくわからないものを取りつけ、それを他にも強要するのである。
なので、早出や残業が推奨されるし、休憩時間も労働に励むなどの姿勢が好まれる。
逆にいえばon-offをはっきり分けて所定時間外は労働しないという姿勢は好まれない。
昇進についても同様だ。昇進することが唯一のアイデンティティとなっており、それ以外の価値観が認められない。
つまり、昇進はせず、仕事はそこそこにとどめて定時に帰り、家でのんびりするという価値観が認められにくいのである。
確かに欧米でもエリート層はバリバリ働き、ほとんど休みがないのは事実だ。
しかし、それは対価を十分に払った一部のメンバーに限られる話だ。そしてそれも始めのうちにどちらになるか決まっている。
日本の場合、全員がエリート層を目指す前提となっていることが問題なのである(人数が多くなるので、給与も低くなる)。
もちろん業績などによってどこかで昇進は止まるが、それは40-50代と遅い時期になる。
入社時か、せめて25-30歳でコース分けし、バリバリ働きたい人はどんどん昇進し、そうでない人はのんびりというわけにいかないのだろうか。
日本では「総合職」といった職種を限定しない枠組みで人を集める場合が多い。
このため、どこで勤務するか(そこまで通いやすいか、そこでの人間関係はどうか)は赴任直前までわからない。
業務も同様で、赴任して実際に割り振られるまで何をするかわからない。
業務内容は日によって変わることもあるし、突然降ってくるのが常態化していることも多い。
というか、各従業員に業務が割り振られていても、それは便宜的なものであるケースもしばしばある。
一応希望は聞くも「希望は通らないと思いますが自分の成長のためと思ってください」と。だったら聞くなよ。
一応労働契約書があり、業務内容も明記されてはいるものの、結構漠然としている。
また、「その他当社に関係する業務」などと記載し担当業務を無制限に広げることが横行している。
人を増やして業務を分散すればいいのに、なぜか限られた従業員に業務を集中させるのも不思議な点だ。
業務内容が全くわからない募集の段階ではなおさらで、「未来を作る仕事」「成長できる仕事」などとふざけたことを抜かす。
おそらく、業務外の飲み会など、「給料は出ないけど仕事のうち」という価値観もこれが原因と思われる。
年功序列もその結果の一つであり、新人や若年者に雑用やら難しいことやらを押し付けるのが流行っている。
やはりこれも「あなたの成長を期待してあえて難しい仕事を与えている」という建前がある。
管理職の項目にも書いたが、なぜか「与えられた仕事を時間だけする」という労働の本質が理解されにくいのも変なところだ。
「時間で仕事をする人」を見下し「成果で仕事をする人」が正しいと考えている。
雇用契約では時間で給与が出ている。成果で仕事するのは委任契約とかフリーランスの方だが。
なので、資格や専攻分野は法律で定められたものを除き参考程度にしかならず、やる気だのコミュニケーション能力だのと変なものばかり推すようになる。
転属もありいろいろな業務を浅く広く経験して管理職に上がるキャリアパスが一般的だ。本人の適性はほぼ考慮されない。
ちなみに、これに年齢と比較した経験値判定が加わってくるのが新卒偏重の原因となっているそうだ。
これは法律で資格保持者しか従事できないようになっている職種も同様だ。
資格に関係する業務のみ行っていればよいわけでなく、無資格者でも可能な業務をやらせるパターンが多い。
労働者の権利は権利である。行使する条件を満たしていれば行使して全く問題ない。
例えば有給休暇は、6カ月以上8割以上の出勤率で5日以上付与せねばならず、労働者は利用できるようになる。
もちろんそれ以前から付与したり定められている以上に付与した場合は労働者は自由に使える。
時季変更権はあるが、かなり条件は厳しい。
さて、労働者と経営者は利害が対立するのは当たり前だ。権利を行使されると人員調整をすることになるからだ。
だから経営者が嫌な顔をするのは理解できる。しかしながら、ここ日本ではなぜか同じ立場の労働者が足を引っ張ってくるのである。
有給休暇だけでなく病気休暇などあらゆる面でお互い足を引っ張っており、経営者に都合がよいようになっているのである。
色々な建前はあるが、要するに権利を使う人が妬ましいのだろう。「みんなで不幸になろうキャンペーン」とも呼ばれていたっけ。
下手すると「人間性」だのと持ち出して権利を使う人を批判するようになる。
これが行き過ぎると、「権利を使うのは仕事ができるようになってから」ととんでもない基準が出来上がってしまう。
この精神が、穴が開かないこと前提の無茶な計画を押し出すことになる。
誰でも病気にはなるし、機械は壊れる。なので計画に穴が開くことは避けられない。
しかし、日本ではなぜか全員が最大限稼働していることを前提とした計画が組まれてしまう。
当然この計画は簡単に破綻するのだが、破綻しないように監視しあったり、負担を強いるなどして無理やり押し切ろうとしている。
人を増やすか余裕を持った計画にすればいいのに。それで会社や社会が潰れるなら潰れてしまえばいいのに。
おそらく同じ原因だろうが、「社会は厳しくあらねばならない」という謎の価値観がある。
別に緩くても何も実害はないのに、勝手に厳しさを演出しては人を縛り付けて自己満足に浸る。
それだからか、労働環境の改善はリストラや格差社会の予兆と不安視しだす。
うるさいお客様、要するにクレーマーがいて会社側が折れてしまうことも原因といえる。
もちろん海外でもクレーマーや無茶な要求をするお客様はいる。しかし会社側が毅然と断り、ひどいようなら出禁にして対応している。
一方日本は長らく要求をのんできた経緯があるため、お客様が調子に乗るのである。結果、サービスの範疇にないことや無料サービスを強制されるのである。
労働者の権利を主張する最後の手段がストライキなのだが、それを迷惑行為と判断するのも日本人らしい。
というか、「権利を主張する人がしてくるサービスなんて嬉しくない」というお気持ちでしか考えられないのも不思議なところである。
あくまでサービスは対価にと交換で定められたことをするだけのはずで、そこに気持ちはないはずだが。
自分の適性がわからないうちからナビサイトが流布した与太話につられて手探りで自分史やら意図不明の面接やらがある就職活動を始める。
既卒者になったら一気に不利になる(だから意図的に留年することもある)のはよく知られた話だ。
他の分野が合いそうだからと別の大学に入りなおすのも認められない。
とにかく懲役40年(それ以上か)を過ごすことは日本人のステイタスらしい。
今はそうでもないが、昔は成人男性が平日昼間に外を出歩いていることがおかしいこととされていたらしい。
その証拠に団地ふもとの公園でビールをすすっていたら通報されたらしく職務質問にあった話があるとか。
おそらくみなさんが感じていることと大差ないと思うが、いつになったら改善するんだろうね。
千切れかかった薄曇りの空の下、木造の古いアパートの部屋で、川端賢介(かわばた・けんすけ)は頭を抱えていた。狭い部屋の隅には紙くずが散らばり、机の上にはペットボトルとカップ麺の空容器が乱雑に転がっている。アルバイトのシフトを週に四回こなすだけでも精一杯で、残りの日は家に引きこもって何もしない。部屋のカーテンは閉め切られ、部屋の中はやや薄暗い。壁の向こうからは近所の子供が走り回る音や、誰かがテレビを大音量でつけている様子が聞こえてくる。その些細な音ですら、賢介には自分の存在を嘲笑する響きに思えてくる。
かつては夢があった。大学に入った当初は、弁護士になりたいと思ったのだ。しかし理想と現実のギャップにすぐ打ちのめされ、受験勉強も中途半端なまま途中退学。就職活動もうまく行かず、今のアルバイト暮らしをしている。自分が「社会の落ちこぼれ」になってしまったことは認めざるを得ない。一方で、大学時代に同じサークルで出会った女性がいる。彼女の名は比嘉優里子(ひが・ゆりこ)。彼女はサークルの中でもリーダー的存在で、いつも自信に満ち溢れ、まるで何でも手に入れることができるかのようなオーラを放っていた。
優里子は、その明るい性格と優れたコミュニケーション能力を武器に、大企業の総合職に入社し、今や順調にキャリアを積んでいるらしい。SNSを覗くと、華やかなパーティーに参加したり、出張で海外を飛び回ったりしている写真がいくつも投稿されている。彼女の姿を見るたびに、賢介は胸の奥に黒い感情が渦巻くのを感じていた。「なんで俺ばかり……」という思いが、日に日に大きくなっていく。かつてサークルでほんの少し仲良くなった時期があったため、彼女の成功が余計に妬ましく思えた。
そんな折、ひょんなことから賢介は、SNSに投稿された優里子の写真を見て、あることを思い出した。大学2年の頃、サークルの新人歓迎会で二次会のカラオケにみんなが行くときに、なぜか自分だけが「ごめんね、席もう埋まっちゃったみたい」と断られたことがあった。当時は「仕方ないか」と思っていたが、あのとき中心になっていたのが優里子だった。後日、別のメンバーから「あのとき、優里子が“あの人いると空気が重くなるから外していい?”って言ってたよ」と、笑い話のように聞かされた。そのときは、ただ恥ずかしさと悔しさで頭が真っ白になり、「そうなんだ」と笑って流すしかなかった。その記憶が、今になって鮮明に蘇る。
――人の心を踏みにじり、自分の快楽や満足のためだけに周囲を利用している。
――だけど表面上は、誰にでも優しく礼儀正しく接する。だから多くの人が騙される。
自分もその一人だったのかもしれない。無邪気に笑う彼女の姿が、いつの間にか脳裏で黒く塗り替えられていく。嫌悪感と羨望、そして劣等感が入り混じったやるせない感情。それが「復讐」という形で凝縮されていくまで、そう時間はかからなかった。
その日もいつものようにアルバイトのシフトを終え、コンビニで半額弁当と缶チューハイを買って帰宅した賢介は、スマートフォンの画面に映る優里子のSNSを眺めながらひとり考え込んでいた。
「どうやって復讐すればいい……?」
彼女に危害を加えるなど現実的には難しいし、そもそも暴力を振るう勇気すらない。だが、何らかの方法で“彼女から大切なものを奪う”ことができないか。彼女に対して「仕返し」をする手段はないだろうか。
そのとき、ある記事が目に入った。ある企業のSNS炎上に関するニュースだった。社員のプライベートな発言が切り取られ、誹謗中傷が集中して、当事者が退職に追い込まれたという事件。SNSを使えば、世論を簡単に操作できる。もし優里子のスキャンダルを世に広めることができれば……と、賢介は思いついた。
しかし、彼女のスキャンダルなど何も知らない。そもそも本当に「悪いこと」をしている保証もない。しかし、賢介にはひとつだけ心当たりがあった。大学3年の頃、仲の良かった友人から、あの優里子がゼミの教授と不倫関係にあるらしいという噂を聞いたのだ。証拠もない、ただの噂話だった。だがもしそれを“事実”としてでっちあげることができたら……。
その日は深夜まで、賢介はインターネット上での炎上事例やフェイクニュース、SNSの拡散の手法などを徹底的に調べ上げた。何度も缶チューハイを口に運びながら、脳内で“彼女を社会的に抹殺する”シナリオを組み立てていく。いつしか空が白み始め、鳥のさえずりが聞こえるころになってようやく、賢介は“準備”を整える決心をした。
翌週、賢介はまず複数のSNSアカウントを作成した。男でも女でもない、あるいはビジネスマンを装ったり、女性OLを装ったり、学生を装ったりと、プロフィールを細かく設定した。次に、大学時代のサークルやゼミの仲間をフォローし、タイムラインに溶け込めるように少しずつ発言を増やしていった。彼らがシェアしている記事に対してコメントを残したり、ニュースや流行りのトピックに無難な意見を書き込んだり。
一方で、別のSNSでは大学の裏アカウントを探し回った。そこには学生時代のうわさ話や、卒業後の同窓会の噂などが色々と書き込まれていた。優里子のフルネームで検索すれば、過去に撮られた写真や些細な情報が断片的に出てくる。その断片を拾い集め、賢介は少しずつ“フェイクの積み木”を組み上げていった。
そしてタイミングを見計らって、複数のアカウントから「あの優里子って、大学時代に教授と不倫して単位もらってたって噂あったの知ってる?」と囁くように書き込み始めた。直接的な断定は避け、「らしいよ」「誰かが言ってた」「本当かは知らないけど」という曖昧な言い回しで、火種をポツリポツリと落としていく。最初は誰も相手にしなかったが、何度か同じような書き込みが異なるアカウントから行われるうちに、少しずつ噂が広がり始めた。
さらに、賢介は裏アカウントを使って、まるで「元ゼミ生」を名乗る人物が優里子と教授の決定的な写真を持っているかのようにほのめかした。もちろん実際にはそんな写真など存在しない。しかし曖昧な文章で「以前、優里子さんが教授とふたりで深夜に研究室を出てきたところを見た」という“目撃情報”を投稿したり、他のアカウントから「そういえば卒業旅行をキャンセルしてたのは、教授と旅行に行ったとか?」とコメントをつけたりして、複数の証言があるように見せかけるのだ。
噂というのは恐ろしいもので、火種を絶やさない限り、どこかで燃え広がる。次第に、フォローの数が少ない裏アカウントでも、その書き込みを目にした人がリツイートやスクリーンショットで拡散していく。やがては大学のOB・OGグループにも届き、少しずつ「あの優秀な比嘉優里子が、実は……?」という疑惑が生まれていった。
数週間後、賢介は満足感に浸りながら、アパートの部屋でSNSのタイムラインを追っていた。匿名掲示板でも「比嘉優里子は不倫で単位を取った最低女」というスレッドが立ち、心ない言葉が書き連ねられている。その勢いはとどまるところを知らず、“噂が噂を呼ぶ”状態が加速していた。
「ざまあみろ……」
内心でほくそ笑んだ。かつてパーティーでもSNS上でも脚光を浴びていた彼女が、今や不名誉な噂の的になっている。それは賢介にとって、大学時代に味わった屈辱を晴らすささやかな“仕返し”だった。優里子の正義感あふれる投稿に、「説得力ゼロ」「偽善者」「自分のことは棚に上げて」などとコメントがつく様を見て、賢介は自分が強くなったような錯覚を覚える。
しかし、いくら噂が拡散しても、実害がなければ彼女は痛くも痒くもないだろう。気の強い彼女なら、「そんなデマに動じないわ」と宣言し、むしろ毅然と反論するかもしれない。実際、優里子のSNSアカウントはしばらく更新が止まっていたが、新しい投稿が上がったときには、たくさんの応援コメントも寄せられていた。結局、噂に踊らされず彼女を信じるファンも多かったのだ。
「このままじゃ、まだ足りない……」
賢介は次なる一手を考え始める。実害――たとえば、会社での信用や顧客との関係に亀裂が入るように仕向ければ、彼女のキャリアは深刻な痛手を負うだろう。そこまでやるのかと自問しながらも、頭の中には「どうせやるなら徹底的に」という声が沸き上がっていた。
それからというもの、賢介は優里子の会社名を調べ上げ、その会社の名前とともに「以前、不倫スキャンダルが噂されていた社員がいる」という書き込みを、ビジネス系SNSや就職活動系の掲示板に投下した。もちろん優里子の名前は直接出さない。あくまで「ヒント」をばらまき、興味を持った人たちが「調べてみよう」と思うように誘導する。
さらに巧妙なのは、賢介がわざと別の人物を示唆するようなフェイク情報も織り交ぜたことだった。「〇〇商事の女性社員でM・Hという人だ」など、デタラメな名前をいくつか挙げる。その後になって「あれは誤情報らしい。本当は比嘉優里子という社員」という流れを作ることで、最初にあった偽情報が訂正される形になり、逆に“本当の情報”だという信頼感を高めるのだ。
噂はSNSからまとめサイトへ、まとめサイトから大手ニュース風の匿名ブログへと伝播していく。その過程で誇張や憶測が混ざり、いつの間にか「社内不倫で昇進している」「上層部を篭絡した悪女」などと書き立てられていた。もはや当初の大学教授との噂すら混線し、「彼女は昔から男を利用してのし上がってきた」という筋書きまで付け足されている。
賢介はその様子を見届けながら、もはや半ば狂喜に近い感情を抱いていた。自分の言葉が誰かを巻き込み、誰かがそれを信じ、さらに多くの人に伝えている。“弱者”だった自分が、こうして“強者”に打撃を与えられるという実感。それが彼の孤独な心を満たす唯一の悦びになっていた。
やがて、SNS上では優里子を名指しする投稿が急激に増え始める。誹謗中傷のコメントが飛び交い、会社にも問い合わせが相次ぐようになったらしい。それを示すように、優里子の個人アカウントには「会社に電話したけど?」「逃げんなよ」「暴露してやるからな」といった執拗なメッセージが送りつけられていた。賢介は「ここまで来たか」と、どこか他人事のように画面を見つめる。
するとある日、優里子のSNSアカウントが非公開になった。続いて、彼女の友人たちが「優里子が精神的に追い詰められてるらしい」「病院に行った方がいいかもしれない」と心配する投稿をしているのを発見した。ここで初めて、賢介は自分がやっていることの重大さを痛感した。もはや噂を広めるとかいうレベルではなく、ひとりの人生を破壊する行為に手を染めているのだ、と。
しかし同時に、賢介の心の奥には「彼女が苦しんでいる」という事実への暗い快感が芽生えていた。「俺があの強気な彼女を追い詰めているんだ」という優越感が、胸の中をぐつぐつと煮え立たせる。
――俺にだって、これくらいの力があるんだ。
――ずっと惨めだったけど、今は違う。俺の言葉ひとつで、あいつは奈落に落ちていくんだ。
ある晩、賢介がいつものようにネットの反応をチェックしていると、見覚えのある名前を見つけた。大学時代に同じサークルだった友人・小峰だ。小峰はSNS上で「これはさすがに酷い。優里子に直接連絡を取って確認したけど、全部事実無根らしい。彼女は名誉毀損で訴えることを検討している」とコメントしていた。
名誉毀損――訴えられたらどうなるのだろうか。賢介の背筋に冷たいものが走る。自分がやってきたことは当然、罪に問われる可能性がある。しかし同時に、「誰がやったか特定できるはずがない」という妙な自信もあった。複数のアカウントを使い分け、匿名で投稿してきたのだ。しかも、あくまで「らしいよ」とか「噂だよ」と書いたにすぎない。そこまで簡単には追跡できないだろう、と。
しかし、万が一ということもある。さらに、優里子が法的手段に出るとなれば、彼女の上司や会社も本気で調査に乗り出すかもしれない。「疑わしきアカウント」に対して情報開示請求がなされれば、IPアドレスから身元が割り出されることもありうる。
賢介は不安に駆られながらも、嘘だろう、そんなの上手くやり過ごせる――と自分に言い聞かせた。だが、なぜかスマートフォンを握る手が震えた。こんな気持ちは初めてだった。いつもならアルコールを摂取すれば薄れる不安が、今回ばかりは煽られて大きくなるばかりだ。
数日後、小峰から「久しぶりに話したいことがある」というメッセージが来た。学生時代はそこそこ仲が良かったが、卒業後はほとんど交流がなかった相手だ。どうやら、賢介が今どこで何をしているかは、小峰のほうも把握していないらしい。
「このタイミングで俺に連絡してくるってことは、もしかして……」
不安と警戒を抱えつつも、賢介は小峰の誘いに応じ、駅前の喫茶店で会うことにした。平日の昼間だったため、人影はまばらだった。カフェの奥の席につき、ぎこちない様子で向かい合う二人。
小峰は当初、大学時代の思い出話をするふりをしながら、少しずつ近況に話を移していった。どうやら彼は一般企業で働きながら、サークルのOB会などを取りまとめる役をしているらしい。しばらく雑談が続いた後、小峰は急に真顔になって切り出した。
「優里子の件、知ってるか?」
「……ああ、SNSで色々言われてるみたいだな」
「正直、今までもちょっとした誹謗中傷なんかはあったけど、今回のはあまりにも悪質なんだ。で、優里子が精神的に参ってる。裁判も視野に入れて動き始めてるんだよ」
そう言いながら、小峰はじっと賢介の目を見つめる。まるで「お前がやってることだろう?」と問い詰めるように。だが小峰はそれ以上は何も言わず、ただ「何か心当たりはないか?」と探るように続けた。
賢介は動揺を抑えつつ、わざと素っ気なく答えた。
「いや、俺は知らないな。そもそも優里子に昔からいい感情ないし、SNSもほとんど見てないし……。そんな嫌がらせみたいなこと、わざわざやる動機もないよ」
自分で言っていて、嘘臭さを感じた。しかし、小峰はそれ以上深追いしなかった。ただ、「そうか、もし知ってることがあったら教えてほしい。俺は、誤解や嘘で人が傷つくのは嫌だからさ」と言って、曖昧に微笑んだだけだった。
小峰と別れたあと、賢介は駅前のコンコースをぶらぶらと歩きながら、頭の中で考えを巡らせる。小峰がわざわざ自分に接触してきたのは、やはり“犯人”を探っているからではないか。しかし決定的な証拠がなければ、自分を追及することはできないだろう。そう思う一方で、不安は拭えない。
「このまま、俺は逃げられるんだろうか……」
後ろめたさと、復讐を達成するために奔走してきた興奮が入り混じり、心が不安定になっていく。
結局、賢介はその夜からパソコンを開いても、優里子関連の情報収集や書き込みをする気が起きなかった。代わりにアルバイトを休んで酒量が増え、明け方まで起きては昼間に寝るという、ますます不健康な生活に陥っていく。何もかもが嫌になった。自分でも止められないままここまで来てしまったが、“復讐”という言葉は、もはや虚ろに響くだけだった。
するとある日、いつもどおりアパートの狭い部屋にこもって缶ビールをあおっていると、スマートフォンが鳴った。画面には「小峰」の文字。嫌な予感がしたが、出ないわけにもいかない。
「もしもし……」
「俺だ。突然で悪いんだけど、優里子が入院した。心が限界だったらしい。……正直、原因を作った奴が許せない」
小峰の声は怒りで震えていた。賢介は何も言えずに黙り込む。
「でな、俺はこのままじゃ黙ってられないと思うんだ。警察に相談して、サイバー犯罪対策なんかも含めて捜査を依頼しようって話が出てる。会社も動いてるらしいから、情報開示請求なんかも時間の問題だろう」
脳がぐらぐら揺れるような感覚とともに、賢介は息が詰まりそうになった。ついに、もう逃げられなくなる。そう思った瞬間、彼は全身の力が抜けて床にへたり込んだ。
「……そうか」
それだけ呟くと、小峰は最後に低い声で「もし、何か知ってるなら、今のうちにやめておけ」とだけ言って電話を切った。
やめておけ――もう、やり続けること自体が無理だ。もはや罪悪感が勝っていて、賢介はこれ以上フェイクを撒くこともできなかった。だが、今さら何をどうすればいい? 彼女に直接謝って許しを乞う? そんなことをしても彼女はますます憎むだけだろう。
翌朝、賢介は警察からではなく、思いがけない相手から連絡を受けた。なんと、優里子本人からのメッセージだった。非公開になっていたSNSのアカウントから、突然「直接会って話したい」という短文が送られてきたのである。
「……どういうことだ……?」
半信半疑のまま、賢介は指定された場所――大学近くの駅前のカフェへ向かった。指定された時刻は夜の8時過ぎ。混雑する時間帯を外したのか、店内には数組の客しかいない。
席に着いてしばらくすると、店の入口から見覚えのある女性が姿を現した。比嘉優里子――かつてのサークル仲間で、今や“噂”の被害者。その顔には明らかに疲労の色がにじみ、かつての凛とした雰囲気は薄れていた。
「……久しぶり」
少しかすれた声で言う。賢介はどう反応すればいいか分からず、黙って会釈した。二人がテーブルを挟んで向かい合う。彼女は沈黙を破るようにゆっくりと口を開いた。
「私も気づいてた。あの噂、あなたがやってるんじゃないかって」
「……どうして」
「大学のとき、あまり話したことはなかったけど、あなたが私に抱いてた感情は分かってた。私のことをよく思ってなかったのは感じてた。今になって急にこんな悪質な噂が広がって、あのサークル関係の裏アカや書き込みを見ると、文章の癖とか表現が、なんとなくあなたに似てる気がして……。確信まではいかないけど、ね」
賢介は言葉を失った。彼女がここまで鋭く察していたとは思わなかった。冷静に考えれば、自分しか知らないような細かいエピソードが混ざっていたのだから、勘づかれても不思議ではない。
「……申し訳ない」
それ以外、言葉が出てこない。どんな理屈も通用しない。ただ自分が虚勢を張り、彼女を傷つけようと目論んだ事実は消えないのだから。
「一つ聞かせて欲しいの。どうしてここま
この言葉は「Not in Education, Employment or Training」の頭文字を取って作られた造語です。
性行為中に考えることについて、自分だけなのか? と感じる習慣を文字にしました。
セックスをしている最中、相手が違う人間であると考えながらするのは、果たして一般的なのかということです。
悪い言い方をすると、相手の身体で自慰行為をするということです。
私の場合は、数回に一度やってる程度です。キスとかの目を閉じている場面、相手の背中が見えている体位の時、そういうことを考えたりします。
誰を想像しているかは恥ずかしくて言えないのですが、私にはそういう習慣があります。
皆さまはいかがでしょうか? 悲しいことは言わないでください。
大学生だった当時、京都市内の木屋町という歓楽街のクラブで、黒服(ボーイ)のアルバイトを約四年間してました。ほかにも付近の居酒屋などでアルバイトをいくつか。
今は跡形もありませんが、その名も『CLUB ZOO』という老舗でした。大手芸能事務所が経営母体のクラブです。繰り返しますが、今では跡形もありません。
当時の求人情報誌には「当店が木屋町で№1です!」と書いてありました。まさか本当だとは思わずに面接を受けに行きました。
あの頃は、まだ19才でした。世の中がなんでも楽しくて、初めて見るものがたくさんありました。夜のお店のお仕事だってそうです。刺激的でした。
日記については、「あの時は確か……?」と必死で記憶を思い出したり、当時のリアル日記を読み返したりして、まとめました。
若手社会人の頃、会社帰りにアパート近くにあるスーパーを利用してました。
都市部で働いていたのですが、ほかのお店に寄ることはなく、いつも其処でした。
いろんなお客さんがいました。平日夜の同じような時間帯に来店する関係で、"いつものメンツ"みたいになることが頻繁でした。肉弾戦闘で半額惣菜を奪い合っていました。
そのうち1人のお客さんが、日記に出てくる男性です(※彼は肉弾戦闘には参加してません)。
この頃はセルフレジはありません。お会計をする間、その男性は女性店員さんと話をしていました。
別に、店員さんとお話するのはいいと思います。ただ彼のよくなかったところは、違う店員さんともお話をするところでした。
「おい、あんた……そんな節操のないことをしてはダメなのでは??」と、若かりし日の私ですら感じました。
結局、彼がどうなったのかわかりません。ある日、スーパーの正社員と思しき人と夜の店内でバトルになっているのを見ました(※肉弾戦闘ではありません)。
それ以降に見ることはなくなりました。出入り禁止になったのかもしれません。
自宅を掃除していると、本棚に旧約・新約聖書があるのを見つけました。とんでもない分厚さでした。二千ページ以上はあります。
でもこれを、大学1回生だった頃の私は、半年以上かけて読み切ったのです。
聖書の中には、特に旧約の中には、素人ながらに「それは……ひょっとしてギャグで言ってるのか!?」と思わざるを得ない描写が多々ありました。放蕩息子など。後は、槍のひと突きで800人を刺し殺す凄腕の兵士がいて、今だったらFGOに参戦してもよいのでは!? というレベルです。
しかし、それを上回るほどの感動があったのも事実です。あれは壮大な文学書 兼 自己啓発本 兼 歴史記録なのだと思います。
聖書全体ですが、日本語が極限まで洗練されている中で、神秘的なエピソードや、示唆に富むエピソード――ひとつの例として、士師記の中でサムソンが活躍するあたりは、現代のエンタメに通じるコメディ要素を感じ取りました。
懐かしいという感慨とともに、19才当時の考えを日記にまとめました。
わけあって日付の間隔が空いています。
こちらの日記も、上にあるスーパーと同じ店でのことです。新卒で入ったリクルートで働いていた頃の思い出です。
会社帰りにあのスーパーに通っていると、見た目が瀟洒なサラリーマンの人が、大学生くらいの女子店員に話をしていました。お会計の時に。
上の人とは違って、この人はいつも同じ人のレジへ行き、話をしていました。
女子店員の方も、まんざらではなさそうでした。お菓子売り場に私がいて、まっすぐの位置にあるレジへ向かおうとすると、その子がレジの後ろからスッと、身体を覗かせてこちらを見るのです。
私の真後ろには、その男性がいました。「なるほど、そういうことか……」と気を利かせた24才当時の私は、空気を読んで違うレジに入りました。
それから悲しい出来事がありました。その男性がある日、違う店員のいるレジに入ったのです。あの子がいたのに!!
「なん……だと……」
と、BLEACHキャラ並みの衝撃を受けた私があの女子店員を見ると、残念そうに俯いていました。
嫌な思い出になりましたが、何らかの学びを得たのは間違いありません。
そのお店ですが、今ではウイルス除けの透明壁が付いて、店員さんと話をしにくい構造になっています☺
上記日記の冒頭にツイートが引用してあります。これが執筆の動機になりました。
先のマッチングアプリの記事紹介の際、異業種交流会の話をしました。商売が目的ではない緩めのイベントです。
この時、民間企業の人だけでなく、大学職員といった準公務員や、純粋な公務員の人も参加していました。
メルカリの中の人と楽しく話をしている最中、慶応義塾大学の事務職員が会話に入ってきました。
商売の繋がりが目的でない異業種交流会なので、できるだけ離れた業界の人との話が楽しみでした。
ところで、その彼が語ったのは……よく言えば赤裸々、悪く言えば守秘義務違反に等しいレベルの生々しいお話でした。それがずっと続いて、当時の私は辟易しました。
いや、悪い思い出だったとは言いません。実際、刺激的なお話でした。ただ彼にとって想定外だったのは、私がそれを日記としてまとめたことです。
前回株式投資のことを書いたため、今度は仮想通貨投資について書いてみようと思い立ちました。
これからビットコインなど仮想通貨を始めようという方は、しばらく待った方がいいかもしれません。この執筆時点と比べると、世界的に仮想通貨が受け入れられています。
日本でも、将来は税率が一律20%になったり、アメリカのように仮想通貨ETFが出てくる可能性もあります。それ以外にも金融商品がいくつも登場することでしょう。
今から買われる方は、積み立てタイプで毎月一定額を投資するスタイルがいいと思います。間違ってもレバレッジ取引には手を出さないように。あれはFXと同じく、投機であって投資では決してありません。
いつかやろうと思っていたとか、そういうのではありません。ある日、急にあのおじさんの思い出が蘇ってきたので、執筆に挑戦しようと思い立ちました。
こちらの日記に出てくる土木会社のおじさんですが、私が歓楽街でアルバイトをしていた居酒屋(木屋町にあったどんがまと言います。今はもうありません)で、よくしていただいたおじさんです。
気のいいおじさんで、会話が盛り上がると、お店のシフトが終わった後でお酒や食事をおごってくれるのです。私がお金を出したことは一度もありません。
ただ、こちらのおじさんですが、たまに反社会的なアレなんじゃないか……と感じる場面がありました。詳細は日記内にあります。
当時(約二十年前)の木屋町は、暴力団員や半グレが普通に闊歩しており、警察官と鉢合わせても動じることはありませんでした。深夜になると、酔客が高瀬川沿いの往来で取っ組み合いのケンカをするのが風物詩でした。大晦日になると、お酒に酔った若人が、友達を……小橋の上から高瀬川に突き落とすのです😭
悲しいことに、天下の往来での殺人事件も起きています。今でも犯人は捕まっていません。
現在の木屋町は、平和です。お巡りさんの待機人数が昔に比べると明らかに増えており、高瀬川沿いの街道をガラの悪い連中が闊歩することも(ほぼ)ないです。
今の会社で新人の頃、お世話になった先輩の思い出を綴りました。№4の先輩とは別人です。
今の仕事の詳細は言えませんが、現場が多い不動産の仕事です。最初の配属先は、不動産関係の商業登記を取り扱う部署でした。
同じ職場に、ある先輩がいました。その先輩は、私が中堅どころになる頃に退職したのですが、記憶が残っている時間もそう多くはないと思い、まとめてみようと考えました。
一言でいうと、モテる先輩でした。イケメンというよりは、気遣いができる人でした。
他人にマウントを取ったりしませんし、愚痴や泣き言も言いませんし、相手の話をずっと聞いてくれる人でした。
そこまでお喋りをする方ではありません。本当の優しさをもった先輩でした。今でも尊敬しています。
その頃の思い出を、ひとつずつ思い出しながら日記を書きました。
先輩視点の第一人称は、物語として大変難しかった記憶があります。
大学四回生の時のことです。不定期活動のイベントサークルに在籍していたのですが、そのメンバーの1人に、悪い噂が立ちました。
噂の証人が言うには、その悪いメンバーというのが、サークル活動の中では地味な役割だったにもかかわらず、とある企業面接の場で「リーダーをしていました!」と真っ赤な嘘をついていた、というものです。
これ自体、特に思うところはありません。就職活動の面接でどのように振る舞うかは、完全に自己責任です。
本人がやっていないことを「やっていました」と発言しても、入社後にどうにかできるのであれば、本人の責任で行えばいいと思います。
しかし……「真っ赤な嘘をついてまで入りたい企業があるのか?」が当時の私には疑問でした。今もそうです。
そんな疑問への答えに近づくために、サークルの噂の証人だった女性の視点に立って日記を書きました。
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【閑話③】よくブクマしてくれる方 ※順不同
以下の表中のコメント回数(期間:2019.12~2023.3)ですが、概算になります。
データは整理していますが、専門的なスクレイピング・データ加工はしていません。ご理解ください。
コメント回数は、すべて「少なくとも」です。確実にこれだけの回数があります。
ブクマカ名 | 私個人の感想など | コメント回数 |
---|---|---|
おたまじゃくしの人 | いつも登録ありがとうございます☺ | 7 |
林檎の人 | 小説系によくブクマをされてますね | 0 |
青い目の女性 | 私の作風を完全に見抜いておられます笑 | 5 |
宮内女氏 | 恋愛ネタや、バイオレンス日記によくコメントされます。いつも感謝です笑 | 8 |
ピンク背景の女性 | 経済社会を取り扱った作品によくコメントされます(^^) | 2 |
メガネの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 1 |
エイリアンの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 2 |
ゆゆゆのキャラの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 3 |
ピンク髪の女性の人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 4 |
メガネおじさん社長 | 評論系をよくブクマされます。小説も。楽しんでいただけたなら幸いです | 1 |
スター数1位の人 | 実はほとんどブクマをいただいてませんが、ひとつトップブコメがあります | 4 |
たんじろうの人 | 昔から多くのジャンルにコメントをいただき、ありがとうございます😭 | 2 |
口紅の女性 | 感動系の日記や小説において、キリッと雰囲気を締めるコメントをされます | 3 |
マフラーの女性 | いつも含蓄のあるコメントをいただいております | 2 |
紫の女性 | いつも鋭いご意見をありがとうございます。釣りを見抜く天才です笑 | 3 |
ヘルシェイク | 最近はブクマをいただきません。熱量のあるコメント感謝です | 2 |
関内関外日記の人 | ほどよい絶望感のあるコメントをいただくことがあります😰 | 3 |
ハックルベリーの女性 | 感情がそのまま出ていて、よきブクマコメントです('ω') | 5 |
本に栞を挟む女性 | 社会問題を扱った作品にコメントされます。はてブ最高知性です | 2 |
すみっコぐらし | 私の作品が読めるのははてなだけです笑 | 1 |
あごひげ眼鏡のおじさん | 成熟した大人のご意見です。小説風の増田にコメントを書かれます | 2 |
ゆとりずむの人 | たまにコメントされます。スマートなご意見です。私と同じ年齢……? | 2 |
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まだ生活保護を抜けられてはいませんが、年明けからの就職が決まりました。
アラフォーになり、正直なところ、もう就職は無理だろうと思っていました。
生活保護を受け始めた頃は、毎日「死にたい」「消えたい」と思ってばかりで、それでも死ねなかったからこそ受給したのです。
月日が経つにつれ、不思議と「死にたい」という気持ちは薄れました。
それが薬のおかげなのか、ただ時間が解決しただけなのかはわかりません。でも、変わり始めたのです。
精神障害者手帳2級を持っている私ですが、いつまでも障害を理由に働かないという選択肢は、自分にとってはなかったです。
正直なところ、通所先の選択を間違えたかもと思うこともありました。
もっと大手のLITALICOに行けば良かったかもしれない。でも、それでも奇跡的に就職が決まったのです。
私にとっては最高のクリスマスプレゼントでした。障害者雇用での採用ですが、激務と噂される企業なので、きっと厳しい環境になるでしょう。
生活保護を受給している間は、国民健康保険証を持つことができません。それがどれだけ辛かったか。
病院や薬局に行くたび、保険証がないことに後ろめたさを感じました。
精神科の受診すら、気持ち的に負担になることもありました(私は被害にあっていないが、窓口で大声で生活保護受給者と言われる人もいるそうだ)。
でも、これからは堂々と保険証を出して病院に行ける。その事実が、本当に嬉しいのです。
生活保護を受ける前には当たり前だと思っていたことが、こんなにも大きな意味を持つとは思いませんでした。
この気持ちは一度生活保護まで落ちた人にしか共感はされないと思う。
本当に嬉しいのだ。
生活保護を受給していた間、経済的には非常に手厚い支援をいただきました。
生活保護の受給額は障害者加算があったので、単身だと1給地-1で147,990円でした。
月に額面で18万円稼いでいる人よりも手取りにすると多いのだ。
医療費は無料、それに加えて就労移行支援所に行く交通費、病院に行く交通費も出していただいた。
技能習得費というのもあり、年間87,000円も支給された(特別基準というのもあり、133,000円にもなる)。2年度に渡って支援してもらったので、×2だ。
墨田区だと就職活動に必要なスーツ代35,000円、就労活動支援費として写真代も2,000円出た。
カウンセリング代も年間72,000円出た。こんなにも手厚い制度もあるのだ。詳しくは次のリンクを見てください。
https://www.city.sumida.lg.jp/reiki_int/reiki_honbun/g108RG00001309.html
正直月20万円稼いでいる人よりも遥かに豊かで、時間がある生活だった。
このように知っていれば様々な制度もあり、図書館で本を借りたりこの制度を使って生活保護を受給しながら勉強をした。
そうしたらオファーが出たのだ。激務で有名なので続けられるか心配だが、障害者雇用なので頑張るから続けられるような合理的配慮がある事を祈っています。
https://665257b062be733.lolipop.jp/tokyo2017%EF%BC%882021.6%EF%BC%89.pdf
生活保護に関しては色々サイトもあるが、東京都生活保護運用事例集2017年(令和3年6月改訂版)が生活保護手帳並みに事例も載っているし、無料なのでおすすめしたい。
https://ameblo.jp/capybara321/
この元ケースワーカーの方のブログは本当にお世話になった。今年は更新が少なかったが、わからない制度があるとここで検索していた。
「生活保護の審査請求をしよう」というブログタイトルは刺激的だが、内容は至ってまともで詳しい。
長い間生活保護を受けていたので、それを返すことはできませんが、少しでも社会に貢献し、納税することで恩返しをしたいです。
普段なら寝ている時間ですが、就職する事を考えるとワクワクして寝られなくてそのテンションで書いてしまいました。
文章表現も整ってないし、読みづらくてごめんなさい。
社会では生活保護受給者に対して厳しい視線を向ける人も少なくありませんが、増田は比較的優しいイメージでした。
助かりました。本当にありがとうございました。
俺が最初に入ったのは、食品メーカーの営業職。大学時代は「人の役に立つ仕事がしたい!」なんて考えてたけど、正直、就職活動ではそこまで深く考えてなかった。「まあ、そこそこ大きい会社だし、安定してそうだな」くらいのノリだった。
朝8時に出社すると、先輩たちはすでにデスクで仕事してた。「おはようございます!」って声を出しても、返事はほとんどない。なんかピリピリしてて、誰も笑ってない。「あれ、こんな感じなの?」って最初はただの緊張感だと思ってたけど、結局それがずっと続くんだよね。
最初の外回りは上司と一緒だったんだけど、その時点で「あ、ここダメかも」って思った。
「売上落ちてるみたいですけど、原因なんですか?」ってめちゃくちゃ高圧的。店長も苦笑いしながら答えてたけど、明らかに嫌がってた。車に戻ったあと、「営業は押しが大事だからな。隙を見せるなよ」ってドヤ顔で言われた時、俺の心は半分折れてた。
入社して3カ月くらい経つと、毎日家に帰る電車の中で「俺、これでいいのか?」ってずっと考えるようになった。朝5時起きで夜10時帰り。休日も「来週の営業資料作っとけよ」ってメールが飛んでくる。
唯一の息抜きだったNetflixも、疲れすぎて画面を見る気力すらなくて、寝落ちしてばっかりだった。
で、ある日とうとう限界がきた。
あれは5カ月目の月次会議。みんなの売上が未達で、部長からの怒鳴り声が飛び交う中、上司が急に泣き出した。「俺だって辞めたいよ!でも、家族がいるんだよ!」って叫んで、会議室がシーンとなった。
その瞬間、俺は「あ、辞めよう」と思った。「この会社で頑張る意味なんてない!」って心の中で叫んでた。
退職の意思を伝えたら、部長にめっちゃ怒られた。「お前、社会人舐めてんのか?」とか言われたけど、正直どうでもよかった。同期も「なんで辞めるの?まだ頑張れるでしょ?」って言ってきたけど、それにも特に感情は湧かなかった。
ただ、退職届を提出した日の帰り道、久々に空が明るく見えたのを覚えてる。ちょっと泣きそうになった。
辞めた後は半年間バイトしながら、職業訓練校に通った。そこでExcelとか簿記とかを覚えて、IT系の営業アシスタントに転職した。
今の会社は、びっくりするくらい普通。朝はちゃんと始まって、昼はみんなリラックスして雑談してる。上司も「無理しないでいいよ」って言ってくれる。前の会社が異常すぎたんだなって、今になって気づいた。
たぶん「辞めたいけど、どうしよう」って悩んでる人がいると思う。
俺も最初は「辞めたら終わりだ」って思ってたけど、実際に辞めてみると、世界は全然変わらなかった。むしろ、辞めたことで新しい道が開けた。
あなたがすべき事はハラスメントを受けた段階で速やかに会話を録音する事でした。plaudのような専門端末があります。それがあれば傷病手当金を受けて、ゆっくり就職活動できましたね。今回は証拠がないので泣き寝入りになります。次回就職したら何もない日々でも毎日終日icレコーダーを回して、今回のような場面に備えてください。
雇用保険をこれから受けると思いますが、直ぐに職業訓練校で期間が1から2年のものに申し込んでください。お金をもらいながら技能習得をできます。その間に就職活動をしてください。若く、1、2年の猶予があるので挽回可能です。
つぎに就活ですが、日系企業は避けてください。私は売上数兆の日本企業にいますが、ハラスメントは日常茶飯事です。キャリア形成もなく、上司や総務のお思いつきに左右されます。勤務地は田舎です。なので、必ず外資系企業を狙う。欧州がベスト。英語能力は現時点でなくていいです。彼らは日本人に売ったり提供が商売なので、日本語で仕事をします。外資系の場合は絶対に零細、中小企業に入らないでください。必ず親会社が上場し、日本で10年以上商売している会社にしてください。
数年以内に台湾有事が起こるのは間違いなさそうだ
10年以上前なら"まさか"と思うようなことが現実に起き続けている
まだまだ連鎖するのだろう
これまで何となく俺の中では、現代の戦争はすぐに終わるイメージがあった
そうなったら俺は志願兵に応募する
俺の学生時代や仕事での出来事は、他の人には普通のことかもしれないけれど、
俺にとっては全てが痛みを伴う経験だった
どんなに努力しても、何も報われないような気がして、どんどん自分が小さくなっていった
同級生との関係はあまりうまくいかなかったし、運動も得意じゃなかった
もちろん、俺は得意じゃないから、参加するのが嫌だった
でも、無理にでも試合に出させられた
その時、誰も俺をパスしなかった
ボールが回ってくることはなく、俺が何かしようとしても誰も助けてくれなかった
それどころか、ボールが来ても周りの奴らは意図的に避けるような素振りを見せていた
自分がいかに無価値で、誰からも必要とされていないかを実感した瞬間だった
その後、俺がサッカーの試合でゴールを決めたわけでもなく、チームに貢献したわけでもない
他の生徒たちがグループで楽しんでいる中で、俺だけが一人でいることが多かった
誰からも声をかけられず、逆に誰かに声をかけることもできなかった
サークルに入ろうとしても、すぐに自分が必要とされていないことを感じた
特に、勉強面ではみんながどんどん先に進んでいく中で、俺は取り残されているような気がした
ある日、ゼミのグループワークで、課題を一緒にやろうと声をかけられた
最初は嬉しかったみんなで協力して何かを成し遂げることができると思った
しかし、いざ作業を始めると、他のメンバーたちは次々と仕事を分担していくのに、
俺には何も振られなかった
最初は気にしなかったが、時間が経つにつれて、自分だけが何もできていないことに気づいた
そして、他のメンバーたちがどんどん作業を進めていくのを見て、俺が必要ない存在だと痛感した
結局、そのグループは俺をほとんど無視する形で、最終的に提出物をまとめ上げてしまった
その後、ゼミの教授からも、「君は積極性が足りないね」と言われ、
自分はただ、流されているだけの存在だと感じて、心の中でどんどん孤立していった
俺は他の学生たちと同じように準備をして、いくつかの企業の面接に臨んだ
しかし、面接で何度も落ちた面接官に言われた言葉が今でも忘れられない
「君は自分に自信がないように見えるし、仕事に対する熱意が伝わってこない」と言われた
その言葉が刺さった
自分でもわかっていた
何度面接を受けても、結果は同じだった
最初に配属された部署では、先輩たちがすでにチームとしてうまく回っていた
最初の頃、上司から与えられた仕事を必死でこなしていたが、何度もミスをしてしまい、
同僚たちに迷惑をかけた
すると、同僚たちは徐々に俺を無視するようになった
ランチの時間になっても、みんなで食堂に行くわけでもなく、俺だけが一人で食べることが多くなった
すると、言われた
「君が積極的に動かない限り、チームに溶け込むのは難しいよ」と
そんな中で、ふと思ったことがある
しかし、何もできないまま生きていくのは、
そしてふと「戦場に行けば死ぬことで何かを残せるんじゃないか」という考えが頭をよぎった
戦争に行くことで、
今までの無意味な時間を終わらせることができるんじゃないかと思うようになった
停戦になると俺は思っていた
台湾有事も実際に起きれば長引くのだろう
事実上、「弱者が戦場へ構造的に連れて行かれ早死する」ということが
あらゆる時代で起きる
それに自覚的に乗ろうと思う
誰にも惜しまれない命として
一昨年くらいからか円安の影響もあって、ここ最近、物価の上昇がエグいと思ってる。
物によっては余裕で以前の1.5倍〜2倍くらいするものもあるんじゃなかろうか。
ワンコインランチなんて遥か昔、昼飯は1000円前後するのが普通というか、しょうがないと思っている。もちろん安ければ安いほどありがたいが。※自分は東京在住
けれど給与は据え置きかそれ以下で、就職活動(転職活動)でもおそらく30代対象の既卒・経験者対象で年収300万前後、手取り20万円前半の求人が殆どだった。希望業種・職種関係なく見境なくスカウト送りつけてくるところも多かったけど、大体そんなもんだった。今までの給与(手取り30万以上)を狙うのは相当厳しかった。
企業もお金がないのか、人手不足を謳う割にはアルバイト・パート・インターン・業務委託を「未経験積極採用!」と募集しているところが多かった。それらは最低時給ばかりだった。
自分のフィードが偏っているのかもしれないが、Twitterでも貧困層の多さや生活の苦しさ、不況に関する話が溢れてきて、今の状態はいわゆるスタグフレーションじゃないかと思ってる。
というような話を地方の人 ※九州の沿岸 にしたところ、株取引方面は好調で昨年より業績を上回っている会社もあると言われた。だからその人自身は日本全体が不況だとかは全く思っていないと。(はっきりとは言われなかったが、その人は生活に困っていたり、物価の上昇でしんどい思いは特にしていなさそうだった。)
そう言われて自分の認識が間違っていたのか?とかなりショックを受けた。
生活保護を抜けた。抜けれた。
体調崩して、生活がままならなくなって。症状検索して病院行っても診断つかなくて、そのうち動けなくなって働けなくなった。
自分が生活保護を受けることになるなんてちっとも思ってなかった。
親は助けてくれない、ガスも電気も止まってる。家賃も大家さんに頭を下げて待ってもらってた。
明日食べるものにも困ってる、そんな状態で申請した生活保護だった。
生活保護を受けて医療費がかからなくなって、病院行ってやっと診断ついて。数年かけて治療した。
完治じゃないけど、お薬飲んで上手に病気と付き合っていきましょうね。みたいな状態。
生活保護を受けてるなんて誰にも言えなかった。私が生活保護を受けてるのを知ってるのは家族ぐらい。
友人たちには病気して今フリーターなんだー超貧乏だよーて言ってた。本当は生活保護受けてるって気付いてる友人もいると思う。何も聞かずにいてくれてすごく感謝してる。変わらずに接してくれてありがとう。
そのうち4.5年はバイトをしたり、フルタイムで働いてたりしているので、ずっと満額貰ってたわけじゃない。
バイトの時は差額分だけ。
フルタイムの時は停止と言って、生活保護費を貰わない、自分の収入で生活を回してるけど、このまま保護を廃止しても大丈夫か、というのを見る期間を少し長めに設けてもらっていた。
最初はとにかく病気を受け入れることに時間がかかった。薬も色々試すし、体も心もしんどかった。自分が生活保護を受けているんだという後ろめたさと申し訳なさもすごかった。
落ち着いて来たら就職活動し始めた。
病気があって、年単位で離職期間がある人に社会はめちゃくちゃ厳しかった。特別なスキルもないしね。
給料が安すぎて「医療費諸々とか計算したらこのお給料では生活保護の廃止は厳しくない?」とかもあった。
その度に生活保護停止して、再開して、停止して、再開して。みたいな。
あまりにブラックな会社を引くのでケースワーカーさんたちも「無理しないで…」と言うほどだった。
そんな感じで何度もケースワーカーさんたちがかわって、10年ぐらいお世話になってた生活保護を少し前に抜けた。
今までお世話になったケースワーカーさんたちももうほとんどいなくて、最後の担当さんと話して「廃止できそうですね」となった。
「増田さんは真面目だから、少し休んでください」とか「増田さんみたいに何か趣味がある人は絶対にいつか抜けて行くからその趣味は辞めないでください」とか。
仕事続かなくて情けなくてめそめそしてる私に、厳しい言葉を言う人は一人もいなかった。
それだけでもすごくありがたかった。
向こうは仕事だろうけど、二人三脚してもらってるぐらいの気持ちだった。
既に停止はしていて、観察期間みたいなのはこの日までですよって通知は貰ったいた。
保護を抜けるぞ、このタイミングで抜けないときっといつまでたっても廃止ができないぞ、って唱えながら役所に向かった。
ケースワーカーさんと話して、廃止できそうですね。となって、書類を書いて終わってきた。
役所を出たあと、この先の生活への怖さと抜けれた嬉しさとで泣きながら家に帰った。
ネットでは不正受給が問題になりがちだし、もしかしたらそのまま受けてたらよかったのに、って言う人たちもいるかもしれない。
すごく時間がかかったけど、すごい額の税金を使ったことになるけど。
セーフティは社会に必要だし、生活保護がなかったら無敵の人だった。生活苦で罪をおかして刑務所に行ってた可能性だってあったんだと思う。
当たり前のことだけど、これからは私が働いて得たお給料でご飯を食べるし、欲しいものを買うよ。それで、ちゃんと納税するよ。
お世話になりました。ご迷惑おかけしました。ありがとうございました。
◆
この10年生活保護に対しての言葉はほとんど強い言葉しか目に入らなかったから、皆さんの優しいコメントにいい年した大人だけど鼻水垂らしてお家で泣きました。笑
えらい、すごい、頑張ったね。って私にあたたかい言葉をかけてくれた人たちはどうか自分にも同じ言葉をかけてあげてね。みんなは既に当たり前にやっていることだから。
生活保護には収入申告というものがあるのだけど、時々ちょっとだけ売れたりするので、「この振込みは何?」と聞かれて「時々こうしてお金が発生することもあるかと思うのですが、保護を受けている立場だし、金銭のやり取りが発生する趣味は控えた方がよいですか?」と伝えた際に頂いた言葉でした。私の居住地ではちゃんと収入申告をすれば問題ないとの返答でした。
金銭のやり取りが発生しない趣味まで根掘り葉掘り聞かれることはないと思います。
ちなみに季節によって変動はあるけれど、単身世帯(親族には助けて貰えなかったので一人暮らしです)受給額は家賃込み116,420円でした。
都道府県に寄って違いがあるかもしれないので、参考程度にしてください。
生活保護は権利とはいえ、やはりいいイメージがない人がほとんどだと思います。生活保護という制度にも、それを受給している人たちにも。どうしても不正受給の悪いイメージが強い気がして。
少なくとも私自身はそうでした。
「生活保護は恥ずかしいし申し訳ない」という内容の言葉をぽつりと溢した際にケースワーカーさんが私に言った言葉を残しておきます。
「生活保護もね、色んな人がいるんですよ。満額貰ってる人、働いて足りない分だけ貰ってる人。病気や障害で抜けられない人、療養してる人、全部に絶望しちゃった人、増田さんみたいに働こうと仕事を探している人。本当にね、色んな人がいるんですよ」とのことでした。
これを読んでくれた皆さんが心身共に健やかであることを祈っています。
みんな少しでも体がおかしいなと思ったら早めに病院へ行ってね!
ありがとうございました!
就職活動をする大学生を企業に斡旋することで、利益を得る、有料職業紹介事業者。
代表取締役は山下 健晴(創業者)で、出身の北海道大学から「北大発認定スタートアップ企業」として称号を受けている。