先日、岡田斗司夫さんの『オタクはすでに死んでいる』に絡めてこんな記事を書いた。 ただ、岡田さんがいうように「オタク」がいきなり「個人」にまで解体されてしまうとは思わない。むしろ、「オタク」は「××オタク」という小集団に分かれ、それぞれの間では言葉が通じなくなった、というほうが正しいように思えます。 それでは、この集団を束ねているのは何か? ぼくはそれは「好き」、あるいは「萌え」といういたって私的な感情だと思う。 「好き」あるいは「萌え」とは、論理的な言葉ではありません。自分自身の主観的な好悪を表しているに過ぎない。したがって、広くひとと共有することは出来ません。 たとえば、『魔法先生ネギま!』が大好きなひとがいるとしましょう。このひとの「『ネギま!』を好き」という気持ちは、同じ気持ちをもっているひと同士なら共有できるかもしれませんが、「『ネギま!』が大嫌い」というひととは共有できません。