タグ

2008年11月21日のブックマーク (18件)

  • 活字中毒R。

    『QJ(クイック・ジャパン)・vol.71』(太田出版)の「永久保存版 高橋留美子」という特集記事の「トップを走り続ける最強の少年マンガ家〜高橋留美子・15000字インタビュー」より。取材・文は渋谷直角さん。 【それともう一つ感じたことは、「人気を取ること」へのコダワリだ。唐沢俊一氏が、デビュー直後の高橋留美子にファンレターを送ったという。「これからどんどん売れてくると、描きたいものと作品が乖離していくと思うので、お身体にはご注意下さい」といった内容だった。すると高橋留美子からの返事はこうだ。「私は売れたいと思ってこの業界に入った人間なので、絶対に潰れないからご安心ください」。(月刊『創』2006年11月号より) 高橋留美子「すげえ、私(笑)。つうか、こえ〜(笑)。全然忘れてますね(笑)。そうか、そんなことも書いていたか……。でもね、間違いないです。やっぱりね、私はマンガは売れた方が良いと

  • 活字中毒R。

    『このマンガがすごい! SIDE-B』(宝島社)の記事「巻頭大特集・『さよなら絶望先生』久米田康治スペシャルインタビュー!」より。取材・文は前田久さん。 【――まずはマンガ家になられる前のお話から伺っていきたいのですが。 久米田康治:ああ、そんなにさかのぼりますか……できれば話したくもないし、思い出したくもないんですけどねぇ。 ――掘り起こしてすいません(笑)。和光大学在学中に漫研に所属されていたそうですが、その前からマンガは描かれていましたか? 久米田:もともと絵を描くのは好きだったんですけど、コマを割ってちゃんとマンガを描いたのは大学3年からですね。和光大学のマンガ研究会は、松大洋さんがいたり、先輩に『寄生獣』の岩明均さんがいらしたりして、学生の人数の割にはデビュー率が高かったんです。まあ、「美術の先生になるかマンガ家になるしか進路がない」と悪口を言われているような大学だからというの

  • 活字中毒R。

    『凡人として生きるということ』(押井守著・幻冬舎新書)より。 【では、友人仕事仲間の違いとは何か。仕事仲間とは、ともに仕事をする仲間なのだから、仕事上の自分の可能性を高めてくれる相手ということになる。いくら監督がいばっても、スタッフがいなければ映画は完成しない。つまり、僕にとっての仕事仲間であるスタッフのおかげで、僕は映画監督を名乗っていられる。 『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』では、若い石井明彦プロデューサーと一緒に作品を作り上げてきた。彼と僕は親子ほども年が離れているが、それでも仕事仲間である以上、年齢の差はまったく気にならない。始終一緒にいて映画のことを語り合い、何十時間、何百時間と話し合っているが、彼は友人ではない。信頼できる仕事仲間であって、仕事以外で付き合う気は僕にはないし、彼にもその気はないはずだ。 僕にとって彼は自分の仕事で有用だから付き合っているので

  • 活字中毒R。:『花の慶次』誕生秘話

    「九州スポーツ」2006年12月1日号の記事「ジャンプ653万部編集長・堀江信彦氏『マンガ編集人熱伝』」(構成・古川泰裕)より。 【「花の慶次」は、いろいろと思い出深いんだ。あれはちょうど連載担当がない時だったな、原(哲夫)君も「北斗――」が終わって何もしてなかったから、「次の連載何がいいかな」なんて考えながら神保町の三省堂にブラリと行ったんですよ。そしたら「男の中の男を見た」というポップがあって、偶然手に取ったのが隆慶一郎(1923-89)さんの「吉原御免状」だった。「おもしろいなあ、この先生に会いたいな」と思って、ツテをたどっていったら「今、病院にいる」と。僕は「人間ドックかな」ぐらいに思ってたんだけど、病院に会いに行ったら、点滴のスタンドを引っ張りながら来るご老人がいる。それが隆さんだった。ただ作品が面白いという思いだけで行ったから、年も病状も知らなかった。その時は「宮武蔵のような

  • 宮崎駿監督を悩ませた、『風の谷のナウシカ』の「3つのラストシーン」 - 活字中毒R。

    仕事道楽―スタジオジブリの現場』(鈴木敏夫著・岩波新書)より。 【『ナウシカ』というと、ぼくがいつもふれるエピソードが二つあります。 一つは製作終盤のときの話。当然のように、どんどんどんどん制作期間をっちゃって、映画がなかなか完成しない。さすがの宮さん(宮崎駿監督)もあせった。じつは宮さんというのは、締切りになんとかして間に合わせたいタイプの人なんです。それで、彼が高畑(勲)さんとかぼくとか、関係する主要な人をみんな集めて訴えた。「このままじゃ映画が間に合わない」と。 進行に責任を持つプロデューサーは高畑さんです。宮さんはプロデューサーの判断を聞きたいと言う。そこで高畑さんがやおら前に出て言った言葉を、ぼくはいまだによく覚えています。何と言ったと思います? 「間に合わないものはしようがない」 高畑さんという人は、こういうときよけいな形容詞を挟まない。しかも声がでかい。人間っておもしろい

  • 活字中毒R。 - 荒木飛呂彦先生の「悪役」への奇妙な愛情

    「週刊SPA!2007/1/23号」(扶桑社)の「トーキングエクスプロージョン〜エッジな人々・第471回」漫画家・荒木飛呂彦さんのインタビュー記事です。取材・文は伊熊恒介さん。 (荒木先生の「悪役」の描きかたについて) 【インタビュアー:ディオは悪役中の悪役。ストイックなまでの悪役ですね。 荒木:悪いヤツは最後まで悪を貫いてほしいんです。急に改心して「悪いことをしたな……」なんて思いながら死んでいってほしくない。 インタビュアー:潔さの美学。 荒木:少年マンガなので読者が悪役に味方してほしくはないんですけど、ヤツらなりに一生懸命生きているんだってことを伝えたい。それが『ジョジョ』の作品テーマである人間賛歌にもつながる。だから中途半端には描きません。残酷な描写もやるときはやります。作者としては、それが愛情なんです。 インタビュー:戦いを描くうえでの美学、ルールみたいなものもあるんですよね。

  • 活字中毒R。

    『オトナファミ』2007・February(エンターブレイン)での『魁!!男塾』の作者・宮下あきら先生へのインタビュー記事の一部です。 【インタビュアー:漫画家になろうと思ったきっかけは? 宮下あきら:よく覚えてないけど、漫画以外にやれそうなことがなかったから。最初の漫画が、講談社でマガジンの新人賞とったんだよね。博打もので『サガ』っていう漫画だったかな。集英社で描くことになったのは、宮ひろ志先生の紹介なんですよ。宮先生と高橋よしひろ先生は、仕事場が同じだったから、両方手伝ってた。だから両先生のテイストを吸収できたね。小谷憲一も一緒にやってたかな。当時の月収は、6、7万だったけど住み込みで家賃もいらなかったしね。 そのうち『極道高校』でジャンプデビューして、三回連続巻頭カラーって、派手に出してもらえた。宮先生がプッシュしてくれて、トントン拍子だったね。いきなり連載を持たされたプレッシ

  • 活字中毒R。 - 安野モヨコさんの「マンガを描くという『仕事』」

    「CONTINUE Vol.30」(太田出版)の「特集・永久保存版50ページ!!働きマン」の「安野モヨコロングインタビュー」より。 (「働きマン」の作者・安野モヨコさんの盟友の女性編集者ふたり(『なかよし』編集部の鎌形圭代さんと『VOCE』編集部の寺田純子さん)を交えてのロングインタビューの一部です) 【インタビュアー:安野先生に「働く」ということを聞いてみたいんですけど、安野先生はマンガを描くことを「仕事」として認識したのはいつ頃からですか? 安野モヨコ:「仕事」として考えたのは、遅いほうだと思います。私は17歳でデビューしたんですけど(編集部注:『別冊フレンドDXジュリエット』に掲載された『まったくイカしたやつらだぜ!)、私が「マンガ」を「仕事」と考えたのは23歳ぐらいですね。 インタビュアー:「仕事」と捉える前の「マンガ」は、どんな風に捉えていたんですか? 安野:編集者からアドバイス

  • 活字中毒R。 富樫義博さんと本宮ひろ志さん、二人の「天才マンガ家」の肖像

    『サイゾー』2007年10月号(インフォバーン)の特集記事「人気マンガの罪と罰」より。 (2人の「人気マンガ家」の裏話。まず『HUNTER×HUNTER』が連載再開されたばかりの富樫義博さんについて) 【連載再開の知らせは、ファンにとって喜ばしいものだが、業界内では「8〜10週分ほど、掲載できる分量がたまったというだけで、完全復活には至らない」という見方が濃厚だ。一部のマンガ編集者の間では、「富樫を超えるマンガ家をもっと輩出しなければいけないのが『週刊少年ジャンプ』なんだから、富樫にまだ頼っている編集部はヤバいのでは?」といった、厳しい指摘もある。 「当は、富樫さんが今『もう一度描きたい』って言っても、『今さら何言ってるんだ』と、編集部が制さなきゃならないんですよ。それなのに、連載を喜んで再開させちゃうのは、ジャンプが弱体化していることの表れですね」(元編集プロダクション社員) 1998

  • 活字中毒R。

    『オトナファミ』August 2008 No.13(エンターブレイン)での「『キン肉マン』生誕29周年特集」より。『キン肉マン』の作者・ゆでたまごの嶋田隆司先生へのインタビュー記事の一部です。ちなみに、「ゆでたまご」は嶋田さんと中井義則さんの二人を合わせたペンネーム。 【インタビュアー:ゆでたまご先生は作画と原作に分かれてお二人で作業されていますが、何故そのような手法に? 嶋田隆司:最初は大阪の公団住宅を借りて、ふたりで描いていたんです。ストーリーも画も共同作業で。相棒で画担当の中井義則は小学校からの友達なんで気心も知れていたんですけれど……ひとつ屋根の下で住むと、最終的には、箸の上げ下ろしまで腹が立つようになるんですよ(笑)。それで、1回ボクから「もう『キン肉マン』をやめたい」って、連載を始めてホントに間もない頃に思いまして。編集さんに相談したところ、「ストーリーと画を分けてみたらどうか

  • 活字中毒R。

    『BRUTUS (ブルータス)』2008年 7/1号(マガジンハウス)の「緊急特集・井上雄彦」より。 (2008年の春にアメリカで行われた「スラムダンク奨学金」の最終選考に同行した井上雄彦さんに密着取材したものの一部です。『バガボンド』を筆で描きはじめた頃の話。「」内は井上さんの発言です) 【練習期間はなし。いきなり番で試した。主線はすべて面相筆でペン入れならぬ「筆入れ」をする。初回はまったくイメージ通りに描けず、ファンからは作画のレベルが下がったと評された。しかし井上自身は筆でうまく線を引けるようになれば、狙った効果が出せるという確信を得たという。ハードはソフトを規定する。例えばポータブルプレイヤーの出現が音楽の聴き方を変え、やがて楽曲の形式にさえ影響を及ぼしたように、道具の変化は井上の作品に質的な変化を引き起こす引き金となった。 「やっぱりペンは”コントロール下のもの”なんです。こ

  • 活字中毒R。

    『BSアニメ夜話 Vol.02〜機動戦士ガンダム』(キネマ旬報社)より。 (名作アニメについて、思い入れの深い業界人やファンが語り合うというNHK−BSの人気番組の「機動戦士ガンダム」の回を書籍化したものです。この回の参加者は、岡田斗司夫さん(作家・評論家)、乾貴美子さん(タレント)、北久保弘之さん(アニメ演出家・監督)、有野晋哉さん(タレント)、福井晴敏さん(作家)、小谷真理さん(評論家)、井上伸一郎さん(元アニメ雑誌編集者)、氷川竜介さん(アニメ評論家・ライター)です) 【岡田斗司夫:あの、『ガンダム』の打ち切り、あれってどうだったんですか? 氷川竜介:え〜っとね、スポンサー事情とか低視聴率とか言われているんですけど、人気はね、あったんですよ。雑誌はバカ売れしていたし、僕は放映中からレコードの仕事をやらせてもらっているんですけど、最終回の放映前に台もらってドラマ編の構成作れと言われて

  • 活字中毒R。 - 「宮崎駿もこれで最後だね」と言われて、初めて気づいたこと

    「ダ・カーポ」596号(マガジンハウス)の特集記事「私の生き方の原点・原則」のスタジオジブリ代表取締役社長・映画プロデューサーの鈴木敏夫さんへのインタビュー記事より。 【インタビュアー:宮崎駿監督との出会いはその徳間時代ですよね。 鈴木敏夫「ええ、アニメ誌『アニメージュ』の編集者時代です。創刊号で取材を依頼しました。16ページ書かせろ、と条件を出されて決裂(笑)。次に僕が宮さん(宮崎駿)の『ルパン三世 カリオストロの城』を取材しました。最初はチャラチャラした雑誌の取材を受けると自分がダメになる、と断られました(笑)。しかたがなく、帰ってくれ、と言われながらまる一日張り付いた。でも、何も話してくれない。2日目もダメ。3日目にやっと仲良くなって、それから29年毎日会っています。不思議な縁です。 ルパンの頃の宮さんは一般的知名度こそ低かったけれど、僕は才能を感じていたから、何度も特集しました。当

  • 活字中毒R。

    『シャアへの鎮魂歌〜わが青春の赤い彗星』(池田秀一著・ワニブックス)より。 (シャア・アズナブル役の声優・池田秀一さんが語る「シャア・アズナブルになったきっかけ) 【松浦さん(音響ディレクター・松浦典良さん)が、『機動戦士ガンダム』のオーディションで、僕にアムロ・レイ役を振って来たのは、『次郎物語』当時のイメージが頭にあったからなんだと思います。内気で多感な少年・アムロを、次郎を演じた僕になら、もしかしたら出来るかな? と考えていたのかもしれません。しかし、すでにそのとき、僕は28歳になっていましたので、16歳の少年を演じるのには抵抗もあります。 僕としては消極的なオーディションであり、もっぱら関心は後の飲み会でした。 僕が呼ばれたのはその日の最終テストの時間でした。当時、松浦さんが所属していた事務所には、簡単なスタジオスペースがあり、その日も何人かの声優がオーディションを受けに来ていたは

  • 活字中毒R。

    「オトナファミ」2006・AUTUMN(エンターブレイン)の記事「ヒストリー・オブ・武論尊」より。 (『北斗の拳』『ドーベルマン刑事』などの数々のヒット作を生んだマンガ原作者・武論尊さん(史村翔名義の作品も多数)へのインタビュー記事の一部です) 【武論尊は、キャラクターの設定についても、豪快に笑いながら語る。 武論尊「ケンシロウって当にズルい男だよな〜。周りの人間、バタバタ死んでいくんだよ、アイツのせいで。まあ、そういう作り方したのオレなんだけど(笑)。胸の7つの傷も、とりあえずつけといてくれって言って、何でついたのか、理由は何も考えてなかったんだよなあ」 とりあえず!?かなり周到な伏線としての傷跡と思いきや……。 武論尊「そ、とりあえずね。んで、それが最終的にシンがつけた、としたとき、オレは上手いなぁ、と。これだけウソがつければ大したもんだと(笑)」 ならば、その後に明らかになる北斗四

  • 活字中毒R。 - 宇多田ヒカルと「エヴァンゲリオン」

    「週刊プレイボーイ」(集英社)2006.6/5(Vol.23)号の特集記事「エヴァンゲリオン10年目の真実」より。 (「新世紀エヴァンゲリオン」のファンだという宇多田ヒカルさんへのインタビューの一部です) 【インタビュアー:最も印象的なシーンは? 宇多田:シンジ君がクラスメート2人をエントリープラグの中に招き入れて使徒と戦う第参話の『鳴らない、電話』かな? 活動限界ギリギリで絶叫しながら使徒を倒すでしょ? 私も『うわぁぁぁぁ』って泣いちゃって(笑) インタビュアー:感情移入しまくりですね。 宇多田:エヴァに乗ることって生きることだと思う。細かく言っちゃえば、仕事をすることだったりね。こんなに辛いのに何で私は仕事をしているのだろうとか。結果的には自分で選んだことなのに。辞めたい、とデビューした頃とか思ってて……。あのナイフで使徒を刺しているシーンに私が抱くすべてが集約されていたというか。『う

  • 活字中毒R。:『もやしもん』の作者の「マンガを読んでマンガを描くな」

    『ダ・ヴィンチ』2008年12月号(メディアファクトリー)の記事「石川雅之インタビュー」より。石川さんは『もやしもん』が大ヒット中の人気マンガ家です。 【「マンガは娯楽」と言いながら、その一方で、作品を描く際には入念な下準備を怠らない石川氏。専門的な知識を必要とする『もやしもん』のため、忙しい合間をぬって海外に取材に行くこともしょっちゅうだ。とにかく厳密な研究と資料集めを怠らず、もはや学者肌とまでいえる執念を持って、真摯な姿勢で作品作りに取り組む。 石川雅之「偉そうな言い方になりますが、『マンガを読んでマンガを描くな』って思うんです。たとえば、魔女っ子モノと呼ばれる作品は多い。でも、当の“魔女”についてちゃんと勉強したの?と思っちゃう内容をいくつか見かけたりして。だから、きちんと調べたほうがいいなって。当の“魔女”を勉強したら、今までのマンガとは違う魔女が描けるのでは、と思っています。

  • 宮崎駿監督、麻生首相の自称「漫画好き」に苦言

    外国特派員協会(FCCJ)で記者会見する宮崎駿(Hayao Miyazaki)監督(2008年11月20日撮影)。(c)AFP/Kazuhiro NOGI 【11月20日 AFP】(一部更新)アニメ映画監督の大家、宮崎駿(Hayao Miyazaki)氏(67)が20日に行われた記者会見で、麻生太郎(Taro Aso)首相が度々自らの漫画好きを強調することに苦言を呈した。 保守派のベテラン政治家である麻生首相はイメージを和らげようと機会のあるごとに「オタク文化を理解する人物として自分を打ち出している。 しかし、都内の日外国特派員協会(FCCJ)で行われた記者会見で、麻生氏がアニメ好きだと大々的に公言していることについてどう考えるかと聞かれた宮崎氏は、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」と述べ、熱心に漫画を読んでいることを首相が宣伝する必要はないという考えを示した。

    宮崎駿監督、麻生首相の自称「漫画好き」に苦言