2008年3月3日、携帯電話端末事業から撤退すると発表した三菱電機。現在販売中のドコモD905iとD705i、D705iμが最後の製品となり、新規開発を行わないというニュースに衝撃を受けた人も多いだろう。 携帯電話を1000台以上所有する、移動体通信ジャーナリストの木暮祐一氏もその一人だ。 「デジタルツーカーの頃、D製の端末は東京では売っていなかった。その頃は地域によって売られている端末が違っていた時代。東海だったか関西だったか定かでないが、D製の端末のために遠くまでD端末を買いに行った。それほどファンだったので、残念」と話す。 近年は、ドコモ一本にしぼって開発を続けてきた三菱電機。 「昔は売れていたと思うし、フリップ型の端末はアイデンティティもあって人気もあった。FOMA D800iDSのように、革新的なものをつくる気質もあった。自分自身、フリップ型のころDを愛用していて、アナログ電話の
タモリがデビュー前、赤塚不二夫宅に居候をしていたことは有名な話だけど、こちらに書かれているように、「笑っていいとも!」でもその秘訣を明かしている。 「卑屈になるな」 「こいつはもしかしたらすごい奴なのかもしれないと家の人に思わせる」 これを実践し、タモさんは、赤塚から小遣いとして月20万をもらいながら、我が家のように生活していた。 スカパーのテレ朝チャンネルの「徹子の部屋classic」で、1981年に放送された赤塚不二夫がゲストの回で、当時のタモリとの生活について語っていた。 徹子 「タモリさんにアナタ、おうちを乗っ取られてたじゃない?」 赤塚 「1年ぐらい(笑)」 徹子 「アナタ(が逆に)、こそこそ居候のように。スタジオの隅で寝たりして」 赤塚 「僕は仕事場で寝てたりしてね。自分の洋服取りに行くときにね、電話かけたりしてね。『今からいってもいいでしょうか?』なんていってね(笑)。それで
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