苦しんできた就職氷河期世代を支えたい ひきこもり、親の高齢化、心身不調の40-50代…官民連携で支援充実
前口上 今年の7月にリリースされてから、早々に公式サイドバー広告入りするなど英語圏で圧倒的な人気を集めるfavstar.fm。ふぁぼったーは2008年の1月から英語版サービスを展開していたにもかかわらず、なぜ英語圏の制空権を得られなかったのか。たまたま見つけた海外のふぁぼったーユーザーに Twitterで直接インタビューしてみた。 インタビューに答えてくれたのはjoshsharpさん、メルボルンのWeb開発者らしい。 Togetter(トゥギャッター) - まとめ「なぜふぁぼったーは英語圏で負けたのか(インタビュー原文)」 やりとりはとぅぎゃったーにまとめたので、簡単な和訳を記します。 インタビュー ―― こんにちは、私はふぁぼったーの開発者です。海外の方の意見が知りたいので、ふぁぼったーとFavstarについて質問していいですか? joshsharp: いいですよ、お役に立てれば。 :)
韓国・ソウル(Seoul)中心部にある光化門(Gwanghwa Gate)で、木造の看板に書かれたハングル(2005年1月27日撮影。資料写真)。(c)AFP/JUNG YEON-JE 【8月6日 AFP】(一部訂正)独自の言語をもつが、表記文字を持たないインドネシアの少数民族が、韓国のハングル文字を採用することを決定した。このプロジェクトに参加する研究者が6日、語った。 ソウル大学(Seoul National University)のイ・ホヨン(Lee Ho-Young)教授によると、ハングルが他民族の社会で使用されることになるのは初めてだという。 ハングルを採用するのは、インドネシア・スラウェシ(Sulawesi)島の南西にあるブトン(Buton)島のバウバウ(Bau-Bau)に暮らす、人口約6万人のチアチア(Cia-Cia)人。 イ教授によると、バウバウでは7月21日からハングルを
http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2008/11/post_523.html、ほとんど同感なのだけど(ヨーロッパ人はTOEICって知らないよね。みんなケンブリッジ英検受けてる)、ひとつだけ気になったこと。 べつにいまさらなんじゃないかなあ。それを「ガラパゴス化する」とはいわないんじゃないかなあ。むしろもうだいぶん前から日本は英語教育に関してはガラパゴスで、19世紀にラテン語を教えていたようなやり方で語学教育をやっている珍しい国なのではなかっただろうか。私が大学生だった1986年、大学での英会話の授業は Oxford University Press の Person to Person*1 を使って、それこそ chunk を使った発話訓練とでもいうべき授業を受けたんだけど、他の国では最初の段階でこれを使って英語を一から覚えていくのだと聞いて、へえと思っ
文字の歴史はですねぇ・・・・。 大半の文字はシナイ半島で見つかった原シナイ文字が始まりなんです。 アラビア文字、ギリシャ文字、ラテン文字すべてがそうなんですよ。 少しずつ変化しながら脈々と受け継がれる文字の伝統。浪漫じゃないですか! 一方で中国で生まれた漢字/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\進化していったんですね。韓国、ベトナム \ そして日本と漢字は受け入| うるさい黙れ |われているのは中国と日本ぐらい  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\_______/ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∨ (゚д゚ ) <⌒/ヽ-、__ノヽノ | /<_/____/ < < ( ゚д゚ ) <⌒/ヽ-、__ノヽノ | /<_/____/ < < 調子に乗ってまた作ってしまいました。 進捗率:30%ぐらい。 目標:アメリカ大陸の文字の追加 PDF:http://www28095u.sakura.ne.jp/mozi
下の『日本語が亡びるとき』の感想エントリについて先輩と話しているときに考えた話。 以前にTwitterでも取り上げた話題なのだけど、日本語が亡ぶかどうか考えるよりは『普遍語』に「なってしまった」英語の未来について考える方が面白いのでは、とかなんとか。 さて。 下のエントリでも書いたが、現在科学研究の世界では中国がものすごい伸びを見せていて、すでに英独日を抜き去ってアメリカに次ぐ第二の研究大国にのし上がっている。 これは論文生産数の話なので、要は世界で出回っている主要な科学研究論文(ほとんどは英語)の多くの部分は英語を母語としない中国人によって書かれているということである。 さらに中国に限らずインド、韓国、台湾などアジア諸国の論文生産数もこの10年で倍増あるいはそれ以上のペースで伸びており、ランク上位には入ってこないがそれ以外の中東諸国(イランとか。トルコは中東でカウントすると微妙だが)やブ
Leo's Chronicle: 知性が失われて初めて言語が「亡びる」あたりを読んで、ちょっと違うんじゃないのと思った点を書いてみよう。 まず、論文の記述の話で言えば、流暢な表現は必要ないと思っている。格好悪くてもいいから意味が正確に伝わることが重要だ。査読はそういう視点で行われるべきだ。これが文学の世界なら中国人ながらに日本で芥川賞を受賞した楊逸氏が、前回の落選理由として「日本語表現が拙いから」と言われたのも仕方あるまいとなるわけだが。 その論旨の部分に対する査読という、論文特有の事情を鑑みれば、元記事の 別に難しい表現にこだわらなくても論理通ってれば意味を伝える表現は出来るだろうし、それが出来るのが科学研究分野なんだし。 いいじゃん、別に"Because"や"But"が何回続いたって。 "That's why..."とか"However..."を使わなくたって。意味通れば。 関係代名詞
もうすっかり話題も一段落した感じですが、『日本語が亡びるとき』読みました。流し読みだけど。 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 作者: 水村美苗出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/11/05メディア: 単行本購入: 169人 クリック: 12,657回この商品を含むブログ (459件) を見る 突っ込み始めるときりがない感じだったので特に気になったところだけ、数回に分けて突っ込んでいこうと思うのだけど。 とりあえず一番気になって仕方ないのは、p.256の以下の部分。 その日本の学者たちが、今、英語でそのまま書く(原文傍点あり)ようになりつつある。自然科学はいうまでもなく、人文科学でも、意味のある研究をしている研究者ほど、少しずつそうなりつつある。そして、英語で書くことによって、西洋の学問の紹介者という役割から、世界の学問の場に参加する研究者へと初めて変身を遂げつつある―世界の
あの有名な梅田望夫さんが、なんか日本語が亡びるとき―英語の世紀の中でとかいう本を祭り上げて全員読むべきと啓蒙したり、読みもしないでコメントするやつはバカだと嘲ってみたりと、巷はなにかと騒々しいわけであるが、当然私は読まない。読まないで適当なことを言う。 言語なんて、そもそもただのツールである。手段であって目的ではない。目的はコミュニケーションである。そういう意味で、言語も貨幣も一緒。コミュニケーションのインタフェース部分だ。そんなものにアイデンティティを感じたり、絶対化したがる人の神経がよくわからん。 確かに、言語に基づいた文化があることは知っている。文学とでも括ればよいのだろうか。しかしそれはそれ、これはこれ、である。本来の用途とはまた違う用途で取り上げられ、それが文化的な価値をおびるのはよくあることだ。CDの方が便利でもレコードの趣は廃れないし、写真のほうが正確であっても絵の情緒は失わ
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