1937年(昭和12年)、画家・森本仁平の長男として朝鮮全羅北道に生まれる[1]。アジア・太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に内地へ帰ったものの再度朝鮮へ戻り、1945年(昭和20年)に日本が敗戦すると、一家での逃避行を強いられた。岩手・東京で育つ[1]。子の森本純(1970- )も画家で美人画を描く。 1951年(昭和26年)墨田区立堅川中学校へ転入学。 1958年(昭和33年)、東京芸術大学絵画科油画専攻に入学し、在学中の1961年(昭和36年)に安宅賞を受賞した。1962年(昭和37年)に大学を卒業すると専攻科に進んで翌年に修了、東京芸術大学の助手となった。 1963年(昭和38年)国画会第37回展に初出品し、初入選[1]。1966年(昭和41年)には国画賞を受賞、助手職を辞した。 1969年(昭和44年)、国画会会員に推挙される[1]。 1969年(昭和44年)、「十騎会」の結