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artに関するbartleby0911のブックマーク (23)

  • 鈴木理策に学ぶ、安心できないくらい「美しい」写真を撮る方法 | CINRA

    大判カメラで鮮やかに撮影、現像された、聖地・熊野の山河や、咲き誇る桜、一面の銀世界。レンズを通して生まれる鮮明さとボケの織りなす妙も、観る者をその世界に引き込む――。しかし、鈴木理策の写真は、同じような「わかりやすい」対象を写した優等生的な「美しい写真」とは異質の何かを、常にこちらに投げかけてきた。そこで、東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の大規模個展『鈴木理策写真展 意識の流れ』を訪ね、「『見るということ』そのものを提示したい」という写真家の真意、またそこへ辿り着くまでの軌跡をじっくり聞いた。その異質な「美しさ」の秘密を、ぜひ知ってほしい。 写真を見ることって、今いるのとは違う場所・時間を見ることだから、基的に落ち着かない気分になるはず。 ―今回の個展は、鈴木さんのライフワークと言える熊野の自然をとらえた『海と山のあいだ』、雪景色の『White』、咲き誇る『SAKURA』などの

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  • Engadget | Technology News & Reviews

    How to watch NASA's first Boeing Starliner crewed flight launch today (scrubbed)

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  • のど飴とアンディ・ウォーホルが世界初のコラボ UHA味覚糖から - はてなニュース

    UHA味覚糖は、同社のタブレットタイプののど飴とアンディ・ウォーホルがコラボレートした「味覚糖のど飴缶 アンディ・ウォーホル」を3月2日(月)に発売しました。アンディ・ウォーホルによる30種類の作品が、缶のデザインとして使用されています。想定小売価格は200円前後(税別)です。 ▽ http://mikakuto-nodoame.jp/product.html 缶のデザインには、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバムアートワークに使われた「BANANA」や「FLOWER」シリーズ、「サムという名の」などの作品が使われています。アンディ・ウォーホルの作品がお菓子とコラボレートするのは日初で、のど飴としては世界初だそうです。 UHA味覚糖はこれまで日のさまざまなアーティストとコラボレートし、お菓子を通じてアートやサブカルチャーを発信する取り組みを行ってきました。それらをアンディ・ウ

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  • THE GIANT MAP インスタレーションのメイキング | fladdict

    フランスで展示してきたTHE GIANT MAP。いろいろ四苦八苦したので、制作忘備録。将来の自分と、今後こういうのやってみたい人用。 きっかけ 実はもともとはGoogle主催のアートコンペ、Google Dev Artエントリー用の作品だった。 このDevArtは、グーグルがスポンサーとなって行われるデジタルアート展覧会へに出品するための公開コンペ。たった1人の座を争っての世界中からのバトルロイヤル。条件は2つ。Googleテクノロジーを使った、デジタルアート作品を作ること。そして、途中プロセスを全て公開すること(プロセスも審査に含む)。 ちょうど新しいことをやりたいなぁと思っていた僕は、無謀にもこのコンペにエントリーを試みる。 コンセプト設計 まずは何を作るべきか!?というところで、コンセプト設計から。ロンドン留学時代に学んだことは2つ。コンセプトのない作品は評価されないこと。ワール

    THE GIANT MAP インスタレーションのメイキング | fladdict
  • British Library

    Explore British Library’s 1,073,563 photos on Flickr!

    British Library
  • Google Arts & Culture

    Foaling around The Junier's horse is painted in Rousseau's characteristic Naive style, its spindly legs out of proportion with its body. Who are these characters? These are Henri Rousseau's neighbours, the Junier family, who ran a grocery near where the artist lived in Paris. Rousseau is sat to the right, wearing a straw hat! A very good boy Rousseau often populated his scenes with exotic animals,

    Google Arts & Culture
  • 歴史的にみると... - 偽日記@はてなブログ

    歴史的にみると、どんな王道をゆくようにみえる巨匠でも、その人物が実際に現役として作品をつくっていた時には、決して安定した文脈のなかで自らの作品の正統性を保証されて作品をつくっていたわけではなく、他にも大勢居る作家の一人として、事前に確定された価値に守られることなく、自身の探求への懐疑や迷いをもちつつ、よるべない行いとして制作していたはずなのだ。つまり彼等は常に特異点として存在していたのであって、王道として存在していたわけではない。それが歴史へと回収され、事後的に文脈が整理された後から振り返ると、それがあたかも王道であり、ある種の正しさや法(象徴的な秩序)という原理に忠実であったかのようにみえてしまう。例えば、ピエロ・デラ・フランチェスカやティツィアーノやセザンヌが今観ても素晴らしくリアルなのは、西洋美術の正統な王道だからではなく、それぞれが特異点だからなのだし、グリフィスやフォードやヒッ

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    bartleby0911
    bartleby0911 2010/12/27
    このような文化への敵意それ自体が、ある程度の文化的な資本(の蓄積)によって可能になることは否定しようもない。文化とはあからさまに権威主義によって成り立つものなのだが、人は権威主義(つまり他者への依存や転移
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●いわゆる「現実」は、現実の一部であって決してすべてではないことを、少なくとも忘れないようにしたい。「現実」の外にこそ、別の世界-現実があるかもしれないのだし。「現実」を否定するのではない。だが、それは決して「すべてではない」。それが「すべてではない」ということのなかに(だけ)希望がある。「現実」を変えようとする思考は必然的にマチズモへ至る。そうではなくて、「現実」のなかに、それが「すべてではない」ことを示すしるしを見つけ出すことが、何かを創り出す可能性を開く。そこで生まれるささやかなものによって、かろうじて私は生きることができる。そして、その可能性をあらかじめ閉じようとする「現実」の恫喝に負けないためにこそ、芸術はある。その歴史の蓄積こそが、そのための力となる。 常に夢見がちでいて、進んで夢のなかへと踏み込んでゆこう! 「現実」よりも夢の方がリアルだということは、「現実」から夢への撤退な

    ■ - 偽日記@はてなブログ
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●この作品を理解するには、最低限、これこれの文脈は押さえておけ、みたいな言い方にはどうしても反発を感じてしまう。いや、それが善意の啓蒙(親切な教育)だということは分かるし、そういうことを言う人は大抵、頭が下がる位に勉強したり努力したりしてる人であることも多いし。だから、そのような物言いを頭から否定したり、意味がないと言ったりは出来ない。いや、きっと意味はすごくあるんだと思う。でも、やはりどうしても、そういう言い方では何かを「開く」あるいは「つくる」というところには、最終的にはつながらないんじゃないかと思ってしまう。 それぞれの人が一人一人、それぞれ異なる文脈の複合のなかを生きているのだから、少し位置がズレれば、相手の「ある文脈」は見えても「別の文脈」は見えなくなる。わたしからは相手の一部しか見えないし、相手からもわたしの一部しか見えない。だから、わたしとあなたとを同一平面上に配置することは

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    bartleby0911
    bartleby0911 2010/12/02
    それぞれの人が一人一人、それぞれ異なる文脈の複合のなかを生きているのだから、少し位置がズレれば、相手の「ある文脈」は見えても「別の文脈」は見えなくなる。わたしからは相手の一部しか見えないし、相手からも
  • ドガ - at-oyr

    横浜美術館でドガ展。作品数も多く見ごたえ充分の展覧会だが、しかしこの画家の残したおびただしい数のデッサンやタブローのほんの一部、この作家の仕事のわずかな部分しか、ここにはないはず。当たり前だが。しかしそれらを観るというのは生易しい事ではない。観るなら気を出さなければいけない。その作家と共に生きるような気持ちで、その作家の傍らで作品を見せてもらうように。でも、それでもその作家の仕事の全容なんてものは、いくら頑張ってもわからない。たぶんかりに何日もかけて、その作家の全作品を観たとしてもわからない。なぜならその作家の作品を観ながらも、自分の人生もとどまる事無くひきつづき進行中だからだ。作品の作り手も観ている方も共に流される一方で、安定した場所で自分や他人を眺めることのできる機会など、生涯のうち遂に一度たりとも訪れない。出会いは常に起こり、色々なかたちになって、後から後からあらわれては、次々と消

    ドガ - at-oyr
    bartleby0911
    bartleby0911 2010/09/27
    恥ずかしい話だが「浴女」の背中から肩にかけてあたる柔らかな麻の光を見ると、感傷があふれてくる。この光は何の手がかりもなくひたすらもがき苦しみながら20世紀を迎えようとしている画家が見た、ほんの一瞬、恩寵
  • 理由 - at-oyr

    景色を見たりしてそれを美しいと思う事と、絵を描きたい/観たいと思う事は密接に関係しているが、直接つながっているわけではない。 毎日何かを見てうつくしさを感じて、毎日絵を描くのが、多くの人間にとってどれほど困難であることか。 なぜ絵を描けなくなるのか? それは、何かを見てうつくしさを感じられなくなるからでも、絵を描きたくなくなるからでもなく、両者がいったいどのように関係付けられ、結び付けられているのかが、わからなくなってしまうからである。日々を重ねるにしたがい、そのわからなさが、無視できないほど大きく前面化してしまうからである。 極端な話、行為(制作)が外部的な何者かに評価されたり正しさを保証されたりしなくても一向に構わない、と言い切ることは(自分に閉じこもる事によって)可能かもしれないが、しかし少なくともこの私が私自身で最初にうつくしいと感じた何かに対して、私の行為(制作)がそっぽを向いて

    理由 - at-oyr
    bartleby0911
    bartleby0911 2010/09/27
    おもむろに、ただなんとなく、ふいに、唐突に、何の前触れもなく、誰かの力添えとか誰かのお墨付きとかでもなんでもなく、伝統でも歴史でもなく、たゆまぬ努力の成果でも地道な研究の末でもなく、文脈も共有しない、
  • 平衡感覚や遠近感を揺さぶる、傾斜だらけの心のテーマパーク「養老天命反転地」に行ってきた

    天井から壁が生えていたり、壁に家具が埋まっていたりするパビリオンや迷路と傾斜で構築されたテーマパーク「養老天命反転地」に行ってきました。 ここは美術家の荒川修作とマドリン・ギンズによって岐阜に作られた広大なアート空間で、平衡感覚や遠近感を揺さぶって子どもの状態に戻し知覚を再構成するように計算されているとのことで、実際どのようなものなのかご紹介します。 詳細は以下から。 養老公園の中にある養老天命反転地。 出入り口前の看板。 チケット売り場。構造上ケガをしやすいので、ここでヘルメットや運動の貸し出しも行われています。 入ってすぐにあるミュージアムショップ。チケット売り場とつながっている建物です。 中はこんな感じ。基的に道には傾斜がついています。 「養老天命反転地記念館-養老天命反転地オフィス」。 名前には記念館とついていますが、単に資料などを置いている所ではありません。 中は迷路のように

    平衡感覚や遠近感を揺さぶる、傾斜だらけの心のテーマパーク「養老天命反転地」に行ってきた
  • ART SETOUCHI

    作品情報 / 東エリア [ 大島 ] やさしい美術プロジェクト 「{つながりの家}大島資料室・北海道書庫」は、公開を終了しました。

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  • 直島・犬島、再訪計画ちう。誰か一緒に行かない?(笑) - 玲の「生涯ROCK!!」

    前に、直島には2度、犬島には1度行った事はあるんですが、また行ってみたいなぁ~っ♪て思ってて。 ほんとは、豊島の美術館オープンと合わせて一気に3島回りたかったんだけど、豊島の方のオープンが今年の10月だってんで、そんなに待ってらんないなぁ~、と。早い内に、直島と犬島にはもっかい、そして今度こそゆっくり行ってみたいなぁ~と思い、再訪計画を企みました。 時期的には長期休暇が取りやすい8月が現実的なんだけど、8月は直島がすんげー混むみたいだし、早ければGWあたりでもいいかなぁ~とか思ってんですが、、、どーしよぅ。。 せっかくだから、直島・犬島に興味のある人と行きたいなぁ~って思うんだけど・・・・・誰か一緒に行かない???www 一応、自分なりになんとなぁ~く計画立ててみました。(まだ全然流動的っ) 【初日】犬島 http://www.inujima-ap.jp/ ・朝そんなに早くない時間に地元を

    直島・犬島、再訪計画ちう。誰か一緒に行かない?(笑) - 玲の「生涯ROCK!!」
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    bartleby0911 2010/05/06
    プランの参考に。
  • 直島×犬島×堂島 アートの旅 食編 - ELI ELI レマ・サバクタニ〜ン

    ニッキ いつのまにか二ヶ月がすぎさっていました、生きてますってばエリサバクです。 一週間くらいふらふらっと直島、犬島、堂島を巡るアートの旅にいってました。 ちょっとづつレポートしていきますが、まずはの旅だけザザっといきます。写真の順番が旅の順番とばらばらなのは、わたしの性格の雑さをよく表していると思います。 左上から●犬島カフェ 具沢山でべている間終始無言になるちらし寿司。犬島はフェリーがついてからツアー開始までの時間が30分程度なのでべるかどうか悩むけれど、べておいて正解だった。準備数が少ないみたいで昼には完売になっていたからべたい人は早めにね! ●直島 まるや直島でも有名なカフェまるや。直島風かぼちゃプリンってことで草間のやよいちゃん風。見た目だけじゃなく味も素晴らしい。家プロジェクトでぐったりしたらここだね! ●直島 中奥最近できたらしい隠れ家カフェ。家プロジェクト南寺のす

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    bartleby0911 2010/05/06
    主にご飯など
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●物語というのは、ちょっと気を許すとすぐに恋愛の方へひっぱられてしまうと誰かが書いていたのを読んだ気がするのだが、それともう一つ、物語はちょっと気を許すとすぐに「対戦(対決)」の方へひっぱられてしまうと思う。恋愛も対戦もなしで物語を成立させるのは困難であろうし(しばしば、恋愛と対戦とは別のものではなかったりさえする)、逆に、簡単に恋愛や対戦に着地する物語はバカっぽい。そして、ここで物語とは、まさに「現実」を動かしている力のことでもある。だとすれば、決して安易には物語に「対戦」を持ち込まないということは、そのまま、そのような現実へ向けての働きかけでもあろう。 ●格闘技というもののもつ矛盾。格闘家が実際にやっていることは、ものすごい量の情報を、ものすごい速さで処理して状況判断(駆け引き)をし、それをもとに、ものすごい精度で制御された身体運動へと変換してゆくという、ものすごく複雑かつ高度な行為で

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    bartleby0911
    bartleby0911 2010/04/23
    自分の作品が、疲弊した知的な労働者のための肘掛け椅子のようなものであってほしいと言ったマティスを、ぼくはすごく尊敬している。
  • CBCNET

    TOPIC 「ダウンロード」しかないオンライン書店「TRANS BOOKS DOWNLOADs」期間限定オープン Article / DATE: 6月 8, 2020 CBCNETでも度々紹介してきたTRANS BOOKSが、2020年11月末日までの期間限定オンライン書店「TRANS BOOKS DOWNLOADs」をオープンした。 この書店で取り扱う商品は、参加作家が手掛けた多様な […] デザインの現場でよく使われる英単語の解説と実践的な例文をフェーズ毎に紹介する『デザイナーの英語帳』 Article, / プロダクト / DATE: 6月 8, 2020 灰色ハイジ著・関谷英里子監修による、デザインの文脈に特化して覚える「デザイナーの英語帳」がBNN新社より発売。 書は英語が決して得意ではなかった著者がアメリカ移住し、デザイナーとして働きながら実践として学んできた英語 […

    CBCNET
  • Amazon.co.jp: The Places We Live: Gourevitch, Philip (序論), Bendiksen, Jonas (写真): 本

    Amazon.co.jp: The Places We Live: Gourevitch, Philip (序論), Bendiksen, Jonas (写真): 本
  • 美的判断は、 - 偽日記@はてなブログ

    ●美的判断は、共同性とも社会性とも関係のない、あくまで孤独なものだ。徹底して孤独なものだからこそ、共同体や社会と関係なく、あるいは文化とは関係なく、あらゆる人に対して「より無防備に開かれている」可能性を持ち得る。美的判断が、社会性を担保にしたものであれば、特定の社会に属さない人をはじめから除外することになるしかないだろう。 美的判断はコミュニケーションとは関係がない。岡崎乾二郎が『経験の条件』のあとがきで、ウィトゲンシュタインの「自分の見ている青と他人の見ている青とが同じであるとは限らない」という懐疑を、そもそも「自分の見ている青と自分の見ている青とが、同じであるとは保証されない」と書き換える時、そこに重要な差異が生まれる。前者は結局、言語ゲーム(コミュニケーション)の問題でしかないが、後者は「美的判断(美的経験)」の問題となる。芸術によって与えられる「美的な経験」の質は、誰とも共有出

    美的判断は、 - 偽日記@はてなブログ
    bartleby0911
    bartleby0911 2009/03/12
    つまりそれは転移関係からの離脱ということで、ぶっちゃけ、他人の顔色をうかがわなくてもよくなるためにこそ、勉強が必要なのだ。
  • フェルメールやゴッホ、北斎など西洋・日本の名画を楽しめるサイト集 | コリス

    フェルメール、ゴッホ、ミロ、モネ、マティス、ゴーギャン、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、レンブラント、北斎、光琳、若冲など西洋・日の絵画や浮世絵などを楽しめるサイトを紹介します。