カラスさんに過疎ブログの方で教えていただく。『大航海』を買ったのはたぶんこれで二回目で、前回は10年くらい前、しかもこれがよくみたら「終刊号」か。 栗原さんの論説は、宇野常寛氏の『ゼロ年代の想像力』への厳しい批判である。詳細はぜひ読まれた方がいい。 (略)宇野のいう決断主義は要するに能動的ニヒリズムだったわけだが、それに対する処方箋は、実存を賭けた「小さい物語」同士のバトルロワイヤルの彼岸とかそんなものではなく、政治経済レベルでこのたびの不況ならびに金融危機が回避されるか否かという水準で議論されるべきことだ。八〇年代並みの成長率が取り戻されればそれで解消してしまう程度の「ニヒリズム」にすぎないのだから(それが果たして「ニヒリズム」と呼べるべきかとうのはさておき)。 栗原さんも指摘されているように、宇野氏が昔から繰り返して使い古されている認識をそのままベタに利用しているのにもかかわらず、そう
不埒な三国人に常に安全を脅かされている大都市・東京で、日本に帰化した朝鮮半島出身者らが土地を不法に占拠し、40年近くにわたって事実上の自治区を勝手に樹立し我が物顔にふるまっていることが、クオリティペーパーである産経新聞の取材でわかった。これら帰化朝鮮人の中には、ムダに時間をかけて都心の大手企業や政府機関に通勤するなど不可解な行動を目撃されている者も多く、日本の機密情報が漏れていた可能性が高いと指摘する声が出ている。 調べによると、これらの帰化朝鮮人が首都圏にやってきたのは5世紀後半から6世紀の初め。当初は古墳を建造する程度だったが次第にわがもの顔にふるまうようになり、1970年には人口が7万人しかいない田舎のくせに 「狛江市」 を僭称し、勝手に自治区となったという。市名の「狛江」は「高麗」(朝鮮)を指しており、暗黙のうちに「帰化朝鮮人の治外法権区域」であることを主張している。 この狛江の帰
どう感想をまとめていいのかわからなかった。 こうの史代の長編「この世界の片隅に」の下巻が発売された。「夕凪の街 桜の国」以来の衝撃を与えてくれたと思う。すでに名うてのコミック評論家たちの熱すぎる評があちこちでアップされている。私も瞼が赤くなるほど泣いた。 http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/konosekaino-katasumini2.html(こうの史代『この世界の片隅に』下巻 紙屋研究所) http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-6b07.html(オールタイムベスト『この世界の片隅に』: 漫棚通信ブログ版) http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090507/p1(すべての漫画好きよ、『この世界の片隅に』を読むべし。 Something Orange) 物語自
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