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「シャルリー・エブド」誌襲撃事件の後、フランスと日本のメディアによる報道を追っていて、この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。 大まかに言えば、フランスの場合は、「シャルリー・エブド」の編集方針に賛成でない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、日本の場合には、「テロは良くないが」というただし書き付きで、「でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」と表明することが少なからず存在した。 ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。 1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される「シャルリー・エブド」最
ナチュラルソープブランドの「ランパル・ラトゥール(Rampal Latour)」の発表会の様子。(c)MODE PRESS 【8月7日 MODE PRESS】180年以上ヨーロッパで愛されているナチュラルソープブランドの「ランパル・ラトゥール(Rampal Latour)」が日本初上陸を果たした。 「ランパル・ラトゥール」という名前は知らなくても、「マルセイユ石けん」といえば、日本でも少しは馴染みがあるかもしれない。そもそものはじまりは1000年以上前の9世紀頃。当時、フランスの地中海沿岸・マルセイユ地方で、シャボン炊きの職人によって作られていた石鹸は高い人気を誇っていた。しかし、その後、ありとあらゆる粗悪品が市場に出回ったため、17世紀にルイ14世がマルセイユ以外での製造を禁じた。その結果、72%以上のピュアベジタブルオイルを使用、伝統職人による「手作り」のみで作るなど厳しい製造基準が与
ユーロの将来を左右する2つの選挙 5月6日、ヨーロッパで2つの重要な選挙が行なわれた。フランスの大統領選挙の決選投票では、フランソワ・オランド氏が当選した。ギリシャ国民議会選挙では、極左政党が得票率を前回の選挙の3倍に増やして躍進。現在連立政権を形成し、EU(欧州連合)が求める緊縮政策を支持している新民主主義党(ND)と全ギリシャ社会主義運動(PASOK)は大幅に得票を減らした。両党の得票率は合計で40%に満たないことが判明した。PASOKとNDは、他の政党の支持を得なければ議席の過半数を確保できない。このため、ギリシャ政局の混乱は避けられない状況だ。EUが要求する緊縮政策が実行されるかどうかも、未知数となった。 ヨーロッパでは、これらの選挙の結果がユーロ危機の行方、EU諸国の公的債務危機との戦いに大きな影響を与えるという見方が有力だ。ドイツのメルケル首相は、ユーロ加盟国に財政規律の強化と
2024.3.21 『コロンバ』をアップしました。 2024.3. 1 ミニクロワッサンコーナー 今月の限定商品「はちみつレモンとカスター」をアップしました。 2024.2.28 『はちみつフェア ~パン+はちみつでもっと美味しく!〜』をアップしました。 2024.2.16 ミニクロワッサンコーナー 今月の限定商品「りんごのメープルコンポート」をアップしました。 2023.11. 1 『クリスマスフェア』をアップしました。
性的暴行容疑で訴追されたIMFのストロスカーン専務理事に対するアメリカの「野蛮」な扱いに批判が高まるフランスで、被害者の女性の名前や写真が容赦なく公開 IMF(国際通貨基金)のドミニク・ストロスカーン専務理事がマンハッタンのホテルで32歳の女性従業員に性的暴行を加えたとされる事件は、男と女とレイプをめぐるフランスとアメリカの深い亀裂を浮き彫りにしている。 IMFのトップを務め、2012年のフランス大統領選の最有力候補だったストロスカーンに対するアメリカの扱いは、フランス人の目には「下劣」そのものに映る。 手錠姿の写真を公開したことや、カメラマンが居並ぶ中でストロスカーンを裁判所まで連行したことは、フランス人に言わせれば「野蛮」極まりない行為。フランスでは、有罪が確定するまで手錠姿の写真を公開しないなど、報道に一定の制限が課せられている。国を代表する著名人がタブロイドメディアの格好の餌食にさ
この言葉自体は1808年のピエール=マルク=ガストン・ド・レヴィの記述「noblesse oblige」[2]を発端とし、1836年のオノレ・ド・バルザック『谷間の百合』にてそれを引用する[3]ことで広く知れ渡ることになる。 英語では、ファニー・ケンブルが、1837年の手紙[4]に「……確かに、『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが最初である[5]。 最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。 「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律の社会心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力で
イラクのキリスト教徒たちは、国外に逃げられる人たちはもはやほとんど逃げて、残った人たちは教会にも行けないほどの脅迫を受けている。 エジプトのコプト教会でも自爆テロまであって大変だったのは記憶に新しい。 コプト教会にはカトリック(22万5千人)もいるせいか、フランスではかなりの大騒ぎになった(フランスには4万人のコプト・コミュニティがある)。 エジプトは言わずと知れた初期キリスト教の揺籃の地の一つで、アレキサンドリアはローマと並ぶ国際都市で、あり、神学においても中心地だった。 「コプト」というのはエジプト人を指すギリシア語のaiguptiosを、642年にイスラム教と共にやってきたアラビア人がアラビア風に読んでキリスト教共同体を指すようになった言葉だ。 コプト教会というのはなかなか辛酸をなめてきたグループである。 ヘロデ王による嬰児虐殺を逃れるために生まれたばかりのイエスを連れて聖家族が亡命
あけましておめでとうございます。 昨年10月20日からスタートした本連載ですが、「ローカリゼーションって、海外市場向けだけでなく、国内や人の関係でも言えることですね」と読者の方からメールを頂くことがあります。そういう声が嬉しいです。 なぜなら、意識の変化を促し、新たな視点を持ってもらうことが、ローカリゼーションについて書く、もう一つの目的としてあるからです。今年もいろいろなアングルからローカリゼーションを語ってみます。そこから何らかのヒントを得ていただければ幸いです。 さて、ここからいつもの調子へ。今回のテーマは、アートです。 西洋美術の文脈を読み込んだ 現代美術家の村上隆の展覧会が、パリ郊外のヴェルサイユ宮殿で昨年9月から3カ月間にわたって開催されたのをご存じだろうか? ヴェルサイユ宮殿には現代美術の展覧会を10年もの間、継続的に毎年開催するというプログラムがある。村上隆は3年目、つまり
今、自分が肩を痛めたリハビリを通して、代替医療についてのレポートを書こうとしているのだが、それについてフランス語で読む時と、日本語で読む時の差に気づいて改めて考えさせられた。 昨年鳩山内閣は代替医療のエビデンスを確立したいというような統合医療を目指す方針を出したらしいが、日本では、 「近代西洋医学」 対 「伝統医学」または「代替医療」 という図式があって、 「近代西洋医学」は科学的でエビデンスを追求し、普遍性があるが、機械論や細部にとらわれて全体を見ない、個々の人間を見ない、副作用で体を壊すこともあり、冷たい、 それに対して「伝統医学」や「代替医療」は自然にやさしく人間にやさしく、ホーリスティックで全体を見て、理論は確立していなくとも実績がある、温かい、 という印象がある。 これが、フランスでは根本的に違う。 もちろん、近代医学が解決できない難病などの前に、代替医療系の特効薬や奇跡の治療が
『バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)に書いたことの一部を、分かりやすく言い換えてみよう。 フランス・バロックの音楽は、1650年から1750年の100年間に、その後いわゆる「西洋近代音楽」に発展したイタリア・ドイツ系のバロック音楽とは全く違う、いわば「ガラパゴス」的な展開をした。その後、ある種のヨーロッパ・グローバリゼーションと民主化と産業革命の流れの中で、フランス・バロックは絶滅種となってしまう。 ここでフランス・バロックと言うのは、別にフランス人がフランスで作曲したものと言うわけではなく、スタイルの問題であり、バッハもたとえばフランス組曲を書いている。 フランス・バロックは非常に複雑で知的な体系だった。 それを可能にしたのはルイ14世に頂点をなした中央集権的な芸術の囲い込みという政治的経済的背景である。宮廷や首都に、コーラスやバレエ団やオーケストラや大がかりな機械仕掛けを常駐さ
フランスに亡命アフガニスタン人などが増えたせいか、いわゆるブルカという全身を隠して目のところが網目になっている服を着ている女性がたまに見られるようになった。その他に、サウジ・アラビア風の全身真っ黒のものとか、イスラム系女性が外で身にまとうものはいろいろあるのだが、フランスでは、顔を含めて全身を隠すものをブルカと総称し、これを公道で来て歩くことを制限する法律を作るかどうかでいろいろもめている。 少し前の学校における「イスラムスカーフ禁止法」が、イスラムを特定しないように、あらゆる宗教のシンボルの目立つものは禁止と言い換えたように、宗教と結びつけた抑圧と取られるのはいかがなものかという考えもある。 私も、どちらかといえば、もぐらたたきみたいに法律を作るよりも、ケース・バイ・ケースで、ある女性の全身ヴェールが、どういう力関係によって決められているのかをチェックして、セクト禁止法や女性差別に関する
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