For the best possible experience, we recommend using Chrome, Firefox or Microsoft Edge.
【あの時・オシムの足跡】(1)2チーム6人救急隊員に窮地救われた 2016年2月8日15時8分 スポーツ報知 07年11月16日に脳梗塞で倒れてから75日ぶりに公の場に現れたオシム氏(左は息子のアマル氏) 2007年11月16日午前2時頃、サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督(当時66歳)が千葉・浦安市内の自宅で倒れた。急性脳梗塞だった。日本のみならず、世界のサッカー界に衝撃が走った。当時、実は2台の救急車が駆けつけており、これが幸いした。日本代表の指揮官を辞し、第一線を退いたが、オシムが日本サッカーに残した功績は大きい。現在のサッカーも“予言”していたという名将の足跡に迫る。 浦安市内の一軒家。日付も11月16日に変わった。15日の最高気温は20度。だが、16日のそれは13度までしか上がっていない。一気に冷えた夜だった。オシムは1階のリビングでプレミアリーグの録画放送を見終え、2階の
【あの時・オシムの足跡】(2)「ごちゃごちゃ言うなら帰国する」 2016年2月8日15時6分 スポーツ報知 日本代表監督に就任したオシム(右)は、川淵キャプテンと調印に使ったボールペンを交換 「オシム…、あっ言っちゃった…」 2006年6月24日、日本サッカー協会会長の川淵三郎がドイツW杯を総括する会見で、次期日本代表監督候補の名前をポロリとこぼしてから、オシムの去就を巡る狂騒曲は始まった。日本協会技術委員長の田嶋幸三が2日後にオーストリア・グラーツへ飛び、オシムの自宅で直接交渉した。代表監督就任へ一気に動いたが、クリアしなければいけない問題を抱えていた。 オシムは当時、J1千葉の監督を務めており、07年1月1日まで契約を残していた。日本協会は日本代表専任を要求。シーズン途中で監督を引き抜かれることになる千葉は、契約期間内の兼任を希望した。綱引きが行われているなか、オシムは6月29日に再
【あの時・オシムの足跡】(3)出会いから13年“記念日”を待って 2016年2月8日15時4分 スポーツ報知 05年、ナビスコ杯で優勝して、ファンの声援に応える千葉・オシム監督 オーストリア・グラーツに旧ユーゴスラビア系の人々が集うパブがある。オシムと市原(現千葉)のGM祖母井(うばがい)秀隆は、2003年1月18日になるのを待っていた。時計が深夜0時を指すと、2人は乾杯した。市原のオシム監督が誕生した瞬間だった。祖母井の熱意が「偶然」と「必然」を引き合わせた。 02年12月5日、市原はベングロシュ監督の辞任を発表した。祖母井は次期監督として柏を解任された英国人のペリマンにオファーを出し、1週間後に回答をもらう予定だった。その当日、3枚のFAXが欧州の代理人から届いた。オシムのプロフィルが記されていた。 「えーって驚きました。オシムさんが日本に来るのかって思いましたね。でも、ペリマンさん
【あの時・オシムの足跡】(4)コーチも驚く頭の回転と勝者の意識 2016年2月8日15時2分 スポーツ報知 06年11月アジア杯予選に向けた練習を指揮したオシム監督(右)と小倉臨時コーチ(左) オシムは2003年1月28日、市原(現千葉)の監督に就任するため、来日した。シュトルム・グラーツ(オーストリア)などで結果を残した欧州の名将も、当時の日本ではあまり知られていなかった。しかし、J1が開幕すると、その存在感は増す。市原は、人とボールが動くサッカーで躍進し、優勝こそ逃したものの、第1ステージを3位、第2ステージは2位で終えた。その後、05年11月5日、ナビスコ杯で優勝し、千葉に初タイトルをもたらした。 当時市原のコーチだった小倉勉(現千葉ヘッドコーチ)によると、オシムは常々「勝者のメンタリティーを植え付けたい」と言っていたという。来日して1か月後の03年2月23日、千葉・市原市にある「
【あの時・オシムの足跡】(5)受け継がれる「走れ」「考えろ」 2016年2月8日15時0分 スポーツ報知 07年、日本代表合宿で選手の動きを見つめるオシム監督(中) 「スプリントをたくさんできなければいけない時代が来る」。現在の日本代表監督、バヒド・ハリルホジッチが言いそうなセリフだが、その発言の主は10年前のオシムである。市原(現千葉)と日本代表でコーチとしてオシムを支えた小倉勉(現千葉ヘッドコーチ)は2006年に日本代表のスタッフ会議、視察先の試合会場などで頻繁に聞いたという。 Jリーグは昨季からスプリント回数(時速24キロ以上)などのデータを集計し、公表し始めた。14年のブラジルW杯を制したドイツは、MFミュラーが全体2位の357本、MFエジルが同3位の345本のスプリント回数を記録するなど、パスだけでなく、“走るサッカー”でも圧倒した。ハリルホジッチもデータを集め、選手に要求して
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く