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三島由紀夫に関するfunaki_naotoのブックマーク (53)

  • キーン誠己 「三島由紀夫とドナルド・キーン」展に思うこと[『図書』2024年12月号より]

    「三島由紀夫とドナルド・キーン」展に思うこと 今年は、三島由紀夫と父ドナルド・キーンが出会って七十年になる。そして、来年1月14日には三島の生誕百年を迎えるという。そうした中、11月18日(月)から12月20日(金)まで、新宿区戸山にある学習院女子大学の文化交流ギャラリーで「三島由紀夫とドナルド・キーン」展が開催される。 三島由紀夫とドナルド・キーンの最初の出会いは、1954年11月の歌舞伎座でのことだった。このとき三島29歳、キーン32歳。出会ったその日から意気投合し、二人の交友は、1970年11月の三島の死によって終止符が打たれるまで約16年間(キーンは、足掛け17年と言っていた)続いた。二人はまさに無二の友であったが、その証しは枚挙にいとまがない。私がその一番の証しだと思うのは、三島がドナルド・キーンに宛てた最後の手紙である。その一部を次に引用する。書かれたのは亡くなる数日前どころか

    キーン誠己 「三島由紀夫とドナルド・キーン」展に思うこと[『図書』2024年12月号より]
  • 石川淳と三島由紀夫−タオイストと芸術家の対話 - FeliscutusverX,the CHATTER

    以下の記事は『石川淳』との対談集の抜粋を中心に書く。 (よってあくまでも「石川淳」と「三島由紀夫」の対談を通して、別の側面からの”三島像”を浮かび上がらせようという主旨です。) 三島由紀夫といえば、自分にとっては、『禁色』と『仮面の告白』だけである。『豊饒の海』は退屈だ。 (むしろ『サド公爵夫人』とか”小説”以外の方が興味深い、エッセイも)。これは、自分がゲイだからという理由とは関係ない。 三島のギリシア体験も、『豊饒の海』もあらかじめ、他の目的の為になされた行為とみえて仕方がない。 自分は小説を読むときに、全体に何が書いてあるか?にはあまり興味がない。ただ、「文体(=スタイル)」だけに目がいく。その点で、三島由紀夫は「文体」こそが素晴らしい。時に天才的にスパークする瞬間の表現を、戦後作家の中では随一、奇跡的になしえたのが彼だ。 この記事を書いているのは、11月25日が、あの防衛庁での自決

    石川淳と三島由紀夫−タオイストと芸術家の対話 - FeliscutusverX,the CHATTER
  • ドナルド・キーンさんと三島由紀夫 「事件」から50年 交流の軌跡 たどる 北区・中央図書館で企画展:東京新聞デジタル

    作家三島由紀夫らが陸上自衛隊市ケ谷駐屯地(新宿区)で割腹自殺した「三島事件」から二十五日で五十年。昨年二月に死去した日文学研究者、ドナルド・キーンさんと三島の交流を紹介する企画展が、北区立中央図書館(十条台一)で開催されている。二人は一九五〇年代に出会って親交を深め、キーンさんは三島作品を英訳するなどして世界に紹介した。十二月二十八日まで。 (砂上麻子) 四十年以上区内に住んでいたキーンさんは、北区名誉区民。「三島事件」から五十年を期に、一般財団法人「ドナルド・キーン記念財団」と北区が共催で企画した。

    ドナルド・キーンさんと三島由紀夫 「事件」から50年 交流の軌跡 たどる 北区・中央図書館で企画展:東京新聞デジタル
  • 三島由紀夫の「革命哲学としての陽明学」を読んだら、ヨガを学びながら感じてきた違和感の背景が見えた - うちこのヨガ日記

    先日、昭和45年に『諸君!』に掲載された「革命哲学としての陽明学」という三島由紀夫作の、講座の書き起こしのような文章を読みました。 三島由紀夫はものすごく昔の人に感じるけれど、それは自分が生まれた時にはこの世にいなかったからで、ご長寿ならまだ生きていてもおかしくない年齢(生きていれば今95歳)。亡くなったころの文章を読むと、これがどうにもおもしろい昭和のマッチョなおじさんです。 その雰囲気は自分が新卒で入社した頃の会社の中年男性に受け継がれていた雰囲気に通じるもので、肌観として多少は知っているだけに完全には嫌いになれない、そういう雰囲気。 思い起こせば90年代。わたしが新卒で就職した会社は隔週週休二日制で、階段の踊り場に喫煙所がありました。会社の中年男性は新卒社員にとって親戚のおじさんのような存在。年の近い先輩男性にちょっかいを出されても雑談まじりに中間管理職の人に「嫌がっていたと言ってほ

    三島由紀夫の「革命哲学としての陽明学」を読んだら、ヨガを学びながら感じてきた違和感の背景が見えた - うちこのヨガ日記
  • トップページ | 読書人WEB

    『週刊読書人WEB』は、1958年以降のの批評記事(=書評)を収録したオンラインデータベースです。 『週刊読書人』(毎週金曜日発売)は1958年に創刊した伝統ある<書評新聞>。 質の高い書評はもちろん、文学界のニュース、作家、美術家、映画監督たちのインタビューも多数掲載。 創刊以来、休刊することなく、今現在も、日や世界の出来事とともに文壇の歴史を記録し続けています。

  • 三島が師事した「民草」の国文学者 | レビュー | Book Bang -ブックバン-

    新潮社のPR誌「波」をめくっていた時に、ある書籍広告のコピーが目に飛び込んできた。「天皇と三島。清水は二人の紛れもない師であった。」 今回取り上げる『清水文雄「戦中日記」』について、松岡正剛が書いた推薦の辞であった。清水文雄は学習院中等科在学中の平岡公威(ひらおかきみたけ)に筆名「三島由紀夫」を与え、小説「花ざかりの森」を自分たちの雑誌「文藝文化」に掲載した。三島終生の師である。その清水が今上天皇の「師」でもあった、というのである。 この部厚い戦中日記を読むと、正反対であるかのように見える二人は、清水という学習院教授を接点にして、九学年違いにもかかわらず、交錯したという因縁があるのだった。いままでは「正田美智子嬢」と三島との歌舞伎座でのお見合いという因縁が語られてきた(工藤美代子『皇后の真実』では、正田家側の重要人物二人が否定証言をしているが)。そうした「週刊誌天皇制」のゴシップではなく

    三島が師事した「民草」の国文学者 | レビュー | Book Bang -ブックバン-
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • 自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自決を遂げた日に三島由紀夫が歌った「唐獅子牡丹」

    三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地において東部方面総監室を占拠し、憲法改正のために自衛隊の決起を呼びかけた後で、覚悟の自決を遂げたのは1970年11月25日のことだった。 何ごとにも几帳面だった三島由紀夫が事前に立てた計画は、小説や戯曲と同様に細部まで神経が行き届いていた。 およそ一年をかけて身辺をきれいに整理し、約束していた執筆や対談などの仕事を順に片付けていったのだ。 仕事知人たちとの約束をひとつづつ果たしながら、主だった友人たちにはさりげなく会うことによって、それとなく別れを告げている。 前日の夜は友人アメリカにおける翻訳者であるドナルド・キーンとH・Sストークスに宛てて、最後の所感と死後の指示書を手紙で送って、すべての段取りを整えた。 君なら僕がやろうとしていることを十分理解してくれると思う。だから何も言わない。僕はずっと前から、文人としてではなく武人として死にたいと思っていた。(

    自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自決を遂げた日に三島由紀夫が歌った「唐獅子牡丹」
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

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  • SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト

    サービス終了のお知らせ SankeiBizは、2022年12月26日をもちましてサービスを終了させていただきました。長らくのご愛読、誠にありがとうございました。 産経デジタルがお送りする経済ニュースは「iza! 経済ニュース」でお楽しみください。 このページは5秒後に「iza!経済ニュース」(https://www.iza.ne.jp/economy/)に転送されます。 ページが切り替わらない場合は以下のボタンから「iza! 経済ニュース」へ移動をお願いします。 iza! 経済ニュースへ

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  • 【オリンピズム】64年東京のいまを歩く(1)三島由紀夫が見たあの瞬間 東京五輪の取材ノート(1/2ページ)

    なぜ、山中湖なのか。素朴な疑問を抱きながら「山中湖文学の森 三島由紀夫文学館」に足を運んだ。先に見つかった、三島の1964年東京オリンピックの取材ノートが初公開されている。 一隅にノートはあった。開会式のページ。縦書きの流麗な文字は美しく分かりやすい。丹念な記録は祭典の記録者たろうとする真摯(しんし)な思いからか。自分の拙(つたな)いメモが恥ずかしい。 三島は当時39歳。前年、ノーベル文学賞候補に挙がるなど充実の時を迎えていた。会期15日間以外にも意欲的に取材し朝日、毎日、報知3紙に寄稿した。 64年は作家が縦横に新聞紙上に筆をふるった大会だった。五輪を機にテレビが普及、お茶の間に瞬時に映像が届けられた。新聞はその対応に追われ、「作家たちの個性的な文章を求めた」と日文学者の石井正己は編著『1964年の東京オリンピック』(河出書房新社)に記す。「付加価値が必要だと考えたに違いない」とも。

    【オリンピズム】64年東京のいまを歩く(1)三島由紀夫が見たあの瞬間 東京五輪の取材ノート(1/2ページ)
  • Contest | ライブラリー | IMA ONLINE

    IMA 2025 Spring/Summer Vol.43 2025年4月29日発売 写真、未踏の領域へ 写真家たちをめぐる環境は、日々更新されている。AIをはじめとする技術革新、表現手段の多様な進化、曖昧になっていく写真と現代アートの境界……創造の場の拡張は止まるところを知らない。多くの写真家が、ドキュメンタリー、ポートレート、ファインアートなどのジャンルの融合や分離を繰り返しながら、新しいビジュアル・ナラティブを創出している。こうした変化の中で、若手写真家たちは独自の視点と手法で新しい価値観を切り拓き、写真表現の可能性を再定義していく。 今号では、固定概念すらものともせず、まだ誰も見たことのない写真の未踏の領域を開拓していく気鋭の17名を厳選。それぞれの方法で表現と真摯に向き合う若手の眼差しに、写真の新たな可能性を探る。

    Contest | ライブラリー | IMA ONLINE
  • The Strange Case of Yukio Mishima - 1985 - BBC - Arena - documentary

    Here's a fascinating documentary about famous Japanese Writer and Nationalist Yukio Mishima. This BBC produced documentary about Yukio Mishima highlights the many known major aspects of his life and personality. Mishima was a pen name he adopted en route to his chosen life as a writer. He eventually became recognized as one of Japan's most prolific post-World War II writers, producing stories, pl

    The Strange Case of Yukio Mishima - 1985 - BBC - Arena - documentary
  • 三島由紀夫「革命としての陽明学」(『行動学入門』所収) - やぶしらず雑記録

    行動学入門 (文春文庫) 作者: 三島由紀夫出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 1974/10/25メディア: 文庫購入: 9人 クリック: 33回この商品を含むブログ (32件) を見る 何となく陽明学に興味を持ち、『行動学入門』の中に入っている三島の陽明学論を読んでみた。日で陽明学に傾倒するのは、革命家が目立つ。大塩平八郎、吉田松陰、西郷隆盛といった幕末・明治維新の人々から乃木希典、そして最後は三島自身と、体制に抗し、自らの思想を実力行使しようとした人たちの系譜である。一方、インテリからは忌避されていたと三島はいう。知行合一、行動しなければ、知ったことにはならないという、あまりにも激しい思想だからかもしれない。 三島をはじめ、今でも少なからぬ人たちが陽明学に惹かれる人がいるのは理解できるものの、そこまで傾倒して、革命によって実現しようとするものが何なのか−−そのあたりはわかるような

    三島由紀夫「革命としての陽明学」(『行動学入門』所収) - やぶしらず雑記録
  • 【模索舎store】 ●若松孝二 11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち

  • 起て!紅の若き獅子たち  楯の會の歌  三島由紀夫と楯の會

    音源そのものが超貴重で、尚且つ高音質。 ―《起て紅の若き獅子たち》― 1970年4月29日発売。 三島は作詞を担当。作曲は越部信義。歌唱は三島と楯の会の会員たち。 一、 夏は稲冬は霜富士山麓に鍛え来し 若きつはものこれにありわれらが武器は大和魂 とぎすましたる刃こそ晴朗の日の空の色 雄々しく進め楯の会 二、 憂いは隠し夢は秘め品下りし世に眉上げて 男とあれば祖國を蝕む敵を座視せんや やまとごころを人問はば青年の血の燃ゆる色 凛々しく進め楯の会 三、 兜のしるし楯ぞ我すめらみくにを守らんと 嵐の夜に逆らひて蘇えりたる若武者の 頬にひらめく曙は正大の気の旗の色 堂々進め楯の会

    起て!紅の若き獅子たち  楯の會の歌  三島由紀夫と楯の會
  • 三島さん~個人的感想 | 福田逸の備忘録――残日録縹渺

    角川シネマ有楽町で三島由紀夫の映画特集が終つた。行かう行かうと思ひつつ殆ど果たせず、2日に授業の合間を縫つて(と言へば聞こえが良いが、実際は逆で映画の合間を縫つて授業をしたのだが)、漸く二だけ観た。昼過ぎから「憂国」、授業からとんぼ返りで夜は「人斬り」。 映画評をするつもりはない。 「人斬り」を観て、さすが三島の殺陣は見事と感心しきり。様になつてゐるどころか、他の出演者を圧してゐる。群を抜いて美しい、型が決まる美しさといふべきだらう。また、剣を使ふ時の三島の目がいい、気合ひが違ふ。気迫が違ふ。澄んだ眼をしてゐる。自決を内に秘めてゐる、などと言ふつもりは毛頭ない。 三島ファンに期待を持たせておいて、肩透かしをはせるやうなことを書くことになる。この映画を無理して観ておいてよかつたと痛切に感じてゐる。どういふことかはさておき―― 三島といふと、どうしても、その最期が強烈なイメージとして残る。

    三島さん~個人的感想 | 福田逸の備忘録――残日録縹渺
  • 三島を観る(2) 『憂国』(続き)。 - ryuuzanshi’s blog

    私は、時折りこう思う。 昭和天皇は、「三島由紀夫は、困ったヤツだな」、と思われていたに違いない、と。 三島由紀夫の2.26三部作が収められた『英霊の聲』の巻末「二・二六事件と私」に、三島由紀夫、こう書いている。 <二・二六事件の将校にとって、・・・・・大御心に叶う所以だと信じていた。しかもそれは、大御心に叶わなかったのみならず、干犯者に恰好な口実を与え、身自ら「叛軍」の汚名を蒙らねばならなかった>、と。 さらに、 <・・・・・私はどうしても天皇の「人間宣言」に引っかからざるをえなかった>、とあり、 続けて、 <昭和の歴史は敗戦によって完全に前期後期に分けられたが、・・・・・そのとき、どうしても引っかかるのは、・・・・・天皇御自身の、この「人間宣言」であり、この疑問はおのずから二・二六事件まで、一すじの影を投げ、影を辿って「英霊の聲」を書かずにはいられない地点へ、私自身を追い込んだ>、と記す

    三島を観る(2) 『憂国』(続き)。 - ryuuzanshi’s blog
  • 『昭和45年11月25日』 - 一条真也のハートフル・ブログ

    一条真也です。 『昭和45年11月25日』中川右介著(幻冬舎新書)を読みました。 内容は、「三島由紀夫自決、日が受けた衝撃」というサブタイトルそのままです。 三島由紀夫没後40周年に出版された一連の回顧の中の1冊で、帯には「あの瞬間、日と日人の何かが変わった。」と書かれています。 三島由紀夫自決、日が受けた衝撃 著者は、歌舞伎やクラッシク音楽などの分野を中心にした文筆家で、同じ幻冬舎新書に『坂東玉三郎』『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『カラヤンとフルトヴェングラー』『カラヤン帝国興亡史』『世界の10大オーケストラ』『松田聖子と中森明菜』などの著書があります。いずれのも、膨大な資料を収集し、比較対照作業から見逃されている事実を再構築するという独自のスタイルで執筆されています。書も例外ではありません。 この著者ほど、三島関連の資料を読んでいる人はちょっといないのでは? それには

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  • 三島由紀夫の「素面」 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    藤田三男さんは河出書房の編集者時代に三島由紀夫のを何冊も手がけていられる。編集者として見た三島由紀夫の「素面」を書きとめた文章は、装丁を手がけたの書影とともに『榛地和装』『榛地和装 終篇』の二冊の著書に収められているけれども、なかでも印象深いのは自裁した1970年夏の三島の表情をとらえた一文で、三島は現今の文壇の沈滞に呪詛の言葉を投げかけ、ノーベル賞の受賞を逸した原因について語り、執筆中の「豊饒の海」が完結してもなんの話題にもならないだろうと悲観をこめて予見したという。 「すでにこの時、一個の文学作品が文壇において評価されいかに問題にされようと、その事自体に「欠伸をして」いる三島由紀夫がいた。三島さんの底知れぬ焦立ちと荒廃を感じ、私はただ黙って聞いていた。」*1 と藤田さんは書いている。あらゆることに絶望し、絶望した涯にあらゆることに倦んだ一人の天才がここにいる。すでに長く生き過ぎ

    三島由紀夫の「素面」 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra