kechackさんが中島岳志氏のテクストを援用して、「保守主義」の「空洞化」を論じている。曰く、 私の私見と付け加えると、日本の戦前・戦中の全体主義は「人間の全能性を過信した理想主義」であって本来保守主義者が批判すべき対象である。戦後、戦前の全体主義体制の反省を踏まえつつ、共産主義を批判する保守主義が日本にも胎動したが、しだいにその保守主義が空洞化してきたのでろう(sic.)。不図思ったのだが、「保守主義」が「空洞化」したというよりも、戦後日本で〈保守〉とか〈右〉と呼ばれてきた人々というのはそもそも「保守主義」とはずれていたのではないか。勿論、中島氏が名を挙げている小林秀雄、福田恒存、江藤淳、山崎正和、勝田吉太郎といった人々を「保守主義」と呼ぶことに異議はない*1。 「保守主義」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060504/1146764157