「宅ふぁいる便」サービスは終了いたしました。 2020年3月31日をもちまして「宅ふぁいる便」サービスは終了いたしました。 これに伴い、退会申請やポイント交換等の機能をご提供しておりましたWEB特設サイトもサービスを終了いたしました。 大変長らくご愛顧いただき、誠にありがとうございました。
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こんにちは。ヨッピーです。 突然ですが、みなさんは「テキストサイト」をご存じでしょうか。 Yahoo!検索で、「テキストサイト」を検索! 昨今はTwitterやFacebookなどのSNS流行の影響か、ブログすら書かない人が増えてきました。そのブログも存在しなかったかつてのインターネットでは、画像でも動画でもなく、「テキスト」をメインコンテンツに据えたサイト群が一世を風靡(ふうび)しており、それらを総称して「テキストサイト」と呼んでいたのです。 そのへんの歴史みたいな部分については、手前味噌(みそ)ですが僕が以前に書いた下記の記事が参考になるかもしれません。 あれだけ流行ったテキストサイトが何故廃れたのか考えてみる(外部サイト) ちなみにこちらの記事は、URL変更のためSNSの数値がリセットされていますが、はてなブックマークが1200件もつくなど大変話題になりました。 そんな、「古き良き時
この連載では、ドラゴンクエスト開発者の中村光一さんや、ポケットモンスター開発者の増田順一さんに、かつて彼らがどんな風にゲームを作ってきたかを「自作ゲーム」という観点からうかがってきた。 今回は、いわばその「番外編」である。初めてパソコンに感動した世代の学生が、現在の自作ゲームと変わらぬ開発人数だったファミコンの時代を経て、ゲームが世界規模の巨大ジャンルに発展していくまでを目にする――そんな当時の共通体験を、開発者に最も近いところにいた"最強のウォッチャー"の視点から語ってもらったのが、このインタビューである。 また今回は、ファミ通編集部のご厚意で当時の誌面を見せていただきながら、往年の名物企画たちの裏側も聞かせていただいた。しばしば言われるように、日本の雑誌カルチャーは、単に情報を伝える媒体ではなく、目利きとしての編集者の企画力と職人技で、カルチャーそのものを育ててきた存在でもあった。それ
浜野謙太(Vo)率いる7人編成のファンクバンド、在日ファンクが日本コロムビアよりメジャーデビュー。その第1弾作品となるニューアルバム「笑うな」が完成した。インディーズで活躍を続けてきた彼らが、なぜこのタイミングでメジャーデビューを決意したのか。インタビューではこの節目に合わせ、インディーズ時代の活動を影で支え、メジャー進出にも一役買った川副耕介マネージャーを交えて在日ファンクの歴史を振り返るとともに、ハマケン個人の歴史にも迫った。 取材・文 / 臼杵成晃 撮影 / 宮腰まみこ 浜野謙太はインテリなのか? ──浜野さんはこれまで、自分のルーツについての発言をあまりしていないですよね? 浜野謙太 ああ、そうですね。あんまり詳しくはしゃべった覚えがないです。 ──在日ファンクをはじめとする浜野さんの音楽を聴いたり、そのほかのカルチャーに対する関わり合いから推測するに、根っこの部分は案外インテリな
愛と憎しみのIE6──当時のIE開発者と現開発者が本音と思い出を語り合う(前編)#ie6 #ie11 2014.04.09 Category:技術コラム Tag:IE ,Windows ,エンタープライズ 2014年4月9日にWindows XP、Office 2003、Internet Explorer 6(IE6)のサポートが終了する。IE4がリリースされた頃から、デファクトスタンダードのWebブラウザとして、コンシューマからエンタープライズのユーザーまでの幅広い人たちに使われてきた。 IE6サポート終了に何を思うのか。「俺たちのIE」について、当時のIE6開発者と現場開発者が本音トークを繰り広げた。 by 馬場美由紀 (CodeIQ中の人) Windows95の登場と共にIEの歴史が始まり、IE4で圧倒的シェアを誇る Windows XPが登場したのは、2001年。それと同時にIE6
近年はPerfume、きゃりーぱみゅぱみゅなどヒットチャートを賑わす人気アーティストの楽曲を手がけていることでも知られる中田ヤスタカ。その彼が自らメンバーとして名を連ねる、ホームグラウンドとも言うべきユニットがCAPSULEだ。かつてのCAPSULEは完成度の高いサウンドと、こしじまとしこのキュートかつクールなボーカルで人気を不動のものとしてきたが、先日発売された最新アルバム『CAPS LOCK』は様相が異なる。今までに見られなかったほど実験的な音楽性に踏み出し、多くのリスナーを驚嘆させているのだ。日本の実験音楽 / エレクトロニカを長く追い続け、多数の著書もある批評家・佐々木敦もまた今まさにその驚きを共有しているという。CAPSULEは何が変わったのか。なぜ変えたのか。それを教示してもらうべく佐々木に話を聞いたところ、彼は1990年代からの音楽シーン全体を射程に入れた、広大なポップス論を
いまから150年前、この日本ではどんな「音楽」が鳴っていたのか? 長い鎖国の終わりを告げる黒船軍楽隊の響きに始まり、西洋との出会いは政治、教育、娯楽とも絡み合いながら、日本の音楽を激変させていきました。そして、そこには、今日のポピュラーミュージックに直結するトピックも見えてきます。その様子を楽器、楽譜、レコード音源から関連アートまで304点を揃えて伝えるのが東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている『五線譜に描いた夢 ─ 日本近代音楽の150年』展。今回はミュージシャンの菊地成孔さんをゲストに、このユニークな音楽の展覧会を体験。彼が「クラシック以外の音楽が好きな人たちこそ見るべき」と語った、発見にあふれる体験を紹介します。 文明開化の渦中における「日本近代音楽」の産声 開国以降、現代までの日本近代音楽の変遷をたどる4章構成の同展覧会、第1章はずばり「幕末から明治へ」。展示室入り口で
「ビートルズの秘書を11年間してたけど何か質問ある?」海外掲示板にまさかの人物が現れ、ファン感激 いまだに愛され続ける、20世紀を代表するイギリスのロックバンド「ザ・ビートルズ」。 その全盛期にビートルズの秘書を11年間していたという女性、フリーダ・ケリー“Freda Kelly”さんが掲示板に現れ、質問を受け付けていました。 Photo フリーダさんは1961〜1972年までの11年に渡ってビートルズの秘書を務め、ほぼ50年経った現在は、ドキュメンタリーが制作されたとのことです。 (ビートルズは1962年10月にレコードデビュー、1970年4月に事実上の解散) そんな彼女が質疑応答に答えると、掲示板に登場していました。 彼女しか知りえない、ビートルズの当時の姿が垣間見えるエピソードをご紹介します。 Q: ビートルズの音楽は楽しんでいましたか? お気に入りは誰でしたか? A: 音楽は楽しみ
インタビュー/飯塚真紀子 世界にその名を轟かすアメリカを代表する75歳の文明論者が、本誌のロング・インタビューに答えて、これからの日本のあり方を語り尽くした。「知の巨人」の目に映った日本の姿とは? これをやれば経済は再生する —アベノミクスで日本経済は復活すると思いますか? ダイアモンド 日本経済の復活はこれからですが、少なくとも安倍首相が、日本経済の復活を看板政策に掲げているのは、正しい選択です。願わくば、今年や来年の利益ばかり見るのでなく、少なくとも10年先の日本経済を見越した、長期的視野に立った政策を取ってほしいです。 —日本経済の復活のために提言したいことはありますか? ダイアモンド 結局、日本が決めることではありますが、私としては、日本は移民を受け入れるべきだという考えです。 欧米社会も出生率低下の問題を抱えていますが、移民政策をとって海外の若者を自国に移民させ、労働力の減少に対
クリストファー・ロイド氏(Christopher Lloyd) 1968年英国生まれ。英ケンブリッジ大学で中世史を学んで91年に学位を取得、その後サンデータイムス紙の記者となる。新聞では科学と工学を担当し、94年には「今年の科学ジャーナリスト」として表彰される。96年、英タイムズ紙、サンデータイムス紙などの発行元であるニューズ・インターナショナルのマネジメントに転じ、同年サンデータイムス紙の初のウェブ版を立ち上げた。その後ベンチャーのインターネットメディアビジネスなどに携わった後2000年、オックスフォードにある教育ソフトウエア出版社に経営者として転職、売上をほぼゼロから300万ポンドにまで成長させる。2006年に退社、妻と自宅で教育していた2人の子供と共に欧州中を旅しながら『What on earth happened?』の執筆を思いつき、2008年に発売。2010年、出版社What o
ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃 編集長:Kazuhisa カメラマン:田井中純平 12→ ファミリーコンピュータ(以下,ファミコン)黎明期の1985年12月にアイレムから発売された,「スペランカー」という作品をご存じの方も多いだろう。自分の身長程度の高さから落ちるだけで死んでしまうという,「テレビゲーム史上最弱」と讃えられた(?)冒険家が主人公として活躍するアクションゲームだ。ひ弱な主人公の伝説は,当時その難度に歯ぎしりしたファンから,その頃まだ生まれていなかった若いプレイヤーにまで広く伝えられ,発売から27年が経過した現在も愛され続けている。 「みんなでスペランカー」 そんなスペランカーをこの時代にリメイクし,「みんなでスペランカー」として,日本の現地法人と共に自社ブランドでリリースしている
「昨日、吉野家行ってきたんです。吉野家――」 10年前、2ちゃんねるで流行した“吉野家コピペ”。それをどこかで見たスナイパー風のキャラにしゃべらせ、大ブームになったFLASHアニメが「ゴノレゴ」シリーズだ。 作者の名前はポエ山さん。現在はFLASHアニメからニコニコ動画へ活動の舞台を広げ、初音ミクなどのPVを投稿している。4月28~29日開催のイベント「ニコニコ超会議」でもPV職人として講演のステージに立っていた。 ポエ山さんの本業は映像作家だ。プロとしての“作家”、プライベートでの“職人”。オンとオフ、2つの生き方をどちらも選ぶという新しいライフスタイルは、今、仕事との付き合い方を少しずつ変えている若者たちの生き方にも通じるものがある。その先駆けとなったポエ山さんは、この10年間、どんな人生を歩んできたのだろう。 これは向いてない、これも向いてない ―― 今日はゴノレゴの話をいろいろお聞
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