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戦争とフィリピンに関するkana321のブックマーク (2)

  • 国籍取得の残留日本人に多額の罰金請求 NHKニュース

    戦前、フィリピンに移住した日人男性と現地の女性の間に生まれ、戦争の混乱などで取り残されたいわゆる残留日人の70歳の男性が、ことし日国籍を取得したところ、フィリピン政府から生後の70年間は不法滞在に当たるとして多額の罰金の支払いを求められていることが明らかになりました。 不法滞在とみなされたのはフィリピン南部のミンダナオ島に住む70歳の日人男性です。男性は戦前、ミンダナオ島に移住した日人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれましたが、父親が旧日軍に召集されて消息不明になりそのまま取り残されたいわゆる残留日人で、ことし3月、日のNGO団体の支援で日国籍を取得しました。 これを受けて、父親の故郷を一度、訪ねたいと日行きを計画したところ、フィリピンの入国管理局から生後の70年間は不法滞在に当たるとして日円にしておよそ320万円の罰金を支払わなければ出国を認めないと通達された

  • 40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』というで明らかにした。 当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日兵」と言われてもピンと来なかった。 それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書

    40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」(山田順) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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