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批評と評論に関するkana321のブックマーク (7)

  • 作品を語るときに何故あなたは「外在的文脈」を使うんですか?(6154文字) - 猫箱ただひとつ

    作品と文脈の主従関係が逆転した語り アニメ、漫画映画、演劇、ノベルゲームといったあらゆる作品*1について語るとき、歴史的観点、時代背景、イデオロギー、作者といった「外在的文脈」を何故あなたは使うのか? ポニョは宮﨑駿が目指した◯◯だったとか、エヴァは当時のアダルトチルドレンについて表されたものだったとか、白い巨塔は封建的な機構と人間関係を描いたと作者解説を読んでなぜそういう物語だと見做すのか。 歌取り? 外在的文脈を用いて語らないと考察を尽くしていないから?違うでしょ。楽だからだよ。外在的文脈を用いて語るのはインスタントでお気軽でお手軽なものだからだ。 いくつかの同著作品を読めばその作者を含めた語りなんて誰だってできるし、アニメを100も見れば業界論だって平気な顔で語れるようになれる。内実に全然詳しくないのにね、業界に通じてるわけでもないただの一般人なのにね、でもアニメーター年収

    作品を語るときに何故あなたは「外在的文脈」を使うんですか?(6154文字) - 猫箱ただひとつ
  • てらさわホークの『マン・オブ・スティール』評の事実誤認について - 移転跡地

    的に映画というものは、誰がどのように語っても構わないとは思うのだが、それが間違った情報に基づいていたり、劇中で描かれているものを無視しているようなものは、問題があるだろう。てらさわホークという方の「モヤモヤ超大作「マン・オブ・スティール」のスーパーマンが煮え切らない件」という一文が、まさにそれだった。以下に、事実誤認と思われる箇所を指摘してみる。 (…)滅亡したはずのクリプトン星から地球に侵攻してきたゾッド将軍。この狂った軍人とスーパーマンがもの凄いバトルを繰り広げる。(…)派手にブッ壊れる高層ビル、あっという間に崩壊寸前に追い込まれる大都市。地上では瓦礫に閉じ込められた一般市民が死を覚悟している。そういう彼らをスーパーマンが助けるのかと思う。ところがヒーローは彼らに一切、目をくれることすらしないのだ。 まず、これは端的に言って見落としだ。メトロポリスでのアクションの結末では、無辜の市

    てらさわホークの『マン・オブ・スティール』評の事実誤認について - 移転跡地
  • 新春特別対談:「踊る大捜査線」とは何だったのか【1/7】

    「踊る大捜査線」とは何だったのか 速水健朗×佐野亨 2012年――劇場版第4作『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』をもって、1997年のTVシリーズ開始から15年間続いた「踊る大捜査線」の幕が閉じられた。国民的大ヒット作とうたわれる一方で、厳しい批判の声も数多く聞かれたシリーズ。そんななかで筆者には、肯定的にせよ否定的にせよ、重要と思われるテーマ、キーワードが語り落とされているのでないかとの疑問があった。そこで今回は、ライター・編集者の速水健朗さんとともに、「踊る大捜査線」という作品が残した功と罪、その質について語り合った。(構成:佐野 亨) 「踊る大捜査線」のリアリティ 佐野 僕が速水さんと話をしてみたいと思ったのは、『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』の劇場公開が始まった直後に、速水さんがご自身のブログに書かれた感想を読んだからなんです(※1)

  • 「『若い発想』信仰の最大の犠牲者はお笑い芸人」からはじまる、お笑い評論の話。

    地雷魚 @Jiraygyo これだけミリタリな女の子アニメやゲームがあふれていても、やはり軍ヲタたちが今でも一番崇めるヒロイン第一位の座はクシャナ殿下で揺るがないやろなあ。特に第三軍指揮の騎兵クシャナ。 2012-11-11 12:18:32

    「『若い発想』信仰の最大の犠牲者はお笑い芸人」からはじまる、お笑い評論の話。
  • コッポラのコーマン門下生時代について - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    「コッポラの胡蝶の夢」のパンフに、コーマン門下生時代のフランシス・コッポラについて書きました。 1960年代初め、ハリウッドのメジャー・スタジオは閉じられていた。 監督やカメラマンなどスタッフの平均年齢はほとんど60歳を越えていたにもかかわらず、大卒の募集は行われず、わずかに縁故採用があるだけだった。 いっぽう、全米各地の大学にはようやく映画学科が設立されていった。大衆の娯楽だと思われていた映画は、フランスで芸術として評価されるようになり、その影響がようやくアメリカに及んだのだ。コッポラもUCLAの映画学科で学んでいたが、何のコネもない彼にとってハリウッドに入るのは不可能に近かった。 まず自主制作で映画を撮ってポートフォリオにしようにも、当時まだ8ミリ映画の機材はまともな映画を作れるレベルには達していなかったし、学生の自主映画を評価してくれる映画祭なども確立されていなかった。そんな状況で、

    コッポラのコーマン門下生時代について - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
  • 内田樹の研究室

    ローカリズム宣言 地方移住のための情報誌「TURNS」で2年間ほど連載していたインタビューを採録しました。グローバル資主義の終焉、少子高齢化による過疎化と限界集落化という現実を踏まえて、「地方移住・帰農・山河の回復」というオルタナティブについて提言をしております。 昨日うかがった話では、地方移住支援のためのある NPO の窓口を訪れた人は去年一年で 25,000 人、10 年前の 10 倍にのぼるそうです。半数以上が 20 代 30 代とのこと。 この趨勢はもう止まることがないでしょう。 デコ/2017-12-07 変調「日の古典」講義 安田登さんと二人であちこちで行った対談の集成。話題は『論語』から能楽まで多岐にわたります。安田さんが何か驚くべきことを言うとこちらも負けじとさらに驚くべきことを言い、安田さんがそのような挑発を受け流すはずもなく、さらに驚くべき話で切り返す・・・という悪

  • 漫画版「風の谷のナウシカ」のラストについて : 情報学ブログ

    「風の谷のナウシカ」は、多くの人が知っているアニメ映画ですが、この映画の原作となる漫画版の「風の谷のナウシカ」では、ラストが大きく違っているということは有名です。そして、この「マンガ版ナウシカ」は、思想史に残る重要な作品と言われる一方、根強い反対意見もあるようです。特に、ネット上で検索をすると、ほとんどの人がナウシカに批判的なコメントをしています。 自分は、最近、やっと「漫画版ナウシカ」を読むことができたのですが、ラストシーンでのナウシカの行動に共感すると同時に、「なぜ、ナウシカはあのような行動をとったのか」そして、「なぜ、ナウシカの行動が理解されないのか」ということについて、自分の学問的なバックグラウンドを踏まえて、きちんとまとめておかないといけないと強く思いました。特に、ネット上の意見が誤解に満ちたものであったため、そうした誤解を解く必要があると思ったからです。 最初に強く言っておきた

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