hamusuke㌠ @tomonasisan 「運動中に水を飲んではいけない」「運動中に水を飲むと、それまでの運動の効果が消えてしまう」 「子供は風の子」 「昔はアレルギーなんか無かった!」 「下戸でも飲んで鍛えれば飲めるようになる」 これらの狂気じみた理論で殺された人は多かったはず。 #昭和に戻りたくない理由 2016-06-18 00:33:09
hamusuke㌠ @tomonasisan 「運動中に水を飲んではいけない」「運動中に水を飲むと、それまでの運動の効果が消えてしまう」 「子供は風の子」 「昔はアレルギーなんか無かった!」 「下戸でも飲んで鍛えれば飲めるようになる」 これらの狂気じみた理論で殺された人は多かったはず。 #昭和に戻りたくない理由 2016-06-18 00:33:09
「玉音放送」原盤を初公開へ=来月上旬、「聖断」の防空壕も−宮内庁 「玉音放送」原盤を初公開へ=来月上旬、「聖断」の防空壕も−宮内庁 宮内庁が戦後70年に当たり、終戦の日の昭和天皇の「玉音放送」を録音したレコードの原盤(玉音盤)と音声を8月上旬に初めて公開することが9日、分かった。昭和天皇が終戦の「聖断」を下した「御前会議」が開かれた皇居の防空壕(ごう)についても、内部の写真と映像などを公開する。宮内庁はホームページで音声などを公開することも検討している。 【特集】終戦から70年〜語り継がれた歴史〜 玉音盤は、玉音放送前日の1945年8月14日夜、当時の宮内省庁舎内の一室で録音された。昭和天皇がマイクに向かって「終戦の詔書」を2回読み上げ、計2組の玉音盤が完成。このうち2回目に録音した方のレコードが翌15日正午にラジオで放送された。 今回公開されるのは実際に放送された方のレコードで、時間
どうも、服部です。昭和30年代を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の頃は本当に良い時代だったのか、当時のニュース映像で検証した前回記事「『これ本当に日本?』と驚く昭和30年代の日常まとめ1」の続きです。 前回記事では、鉄道事情・道路事情・タクシーやトラックの運転マナー事情を見て、交通事情に関していえば、昭和30年代は良い時代ではなかったかもしれないと結びました。 今回の記事では昭和30年代の住宅事情、治安、衛生面について書きたいと思います。 ●【住宅事情】引っ越したいけど引っ越せない、超格差な住宅事情(昭和31年) 「大都会を空から眺めますと、立て込んだ家の間にアパートの集団住宅が目立つようになりました」というナレーションでニュース映像は始まります。田んぼや畑が広がっていて、現代に生きる者には、ちょっと大都会には思えませんが……。 団
スーパーのチラシといえば、日常生活に溶け込み過ぎた「ザ・チラシ・オブ・チラシ」であり「チラシ界の雄」もしくは「ドン」と呼べる存在である。わざわざ手元に残しておく人は、まずいないだろう。 しかし、これが50年前のチラシとなれば途端に話は変わってくる。古いパンフレットは古本屋等で入手可能だが、スーパーのチラシとなるとそうもいか ない。身近すぎるあまり保管しようとすら思わないせいか、新聞紙と一緒にちり紙交換に出されるパターンがほとんどだと思われる。 そんな絶滅危惧種レベルに貴重な大昔のチラシを、大量に見せてもらえる機会に恵まれた。じっくり読み込んでみたい。
アルバイト店員が内輪向けのネタ画像をアップして炎上するなどの騒ぎが相次いでいる。この問題における一つの論点となっているのが、学歴の格差というものだ。「低学歴の世界」というセンセーショナルなフレーズとともに、多くの言葉が交わされているが、一昔前によく見かけた、都市と地方の格差という議論にもよく似た印象を受ける。 格差、就職難、ワーキングプア、社会からの孤立。これらの問題のルーツとなるようなものを辿っていくと、昭和初期に起きた一つの奇妙な事件に行き当たる。それが本書で取り上げられている「血盟団事件」というものだ。 この事件は、日蓮主義者・井上日召に感化された若者たちが引き起こした連続テロ事件のことを指す。殺されたのは、元・大蔵大臣の井上準之助と三井財閥総帥の団琢磨。暗殺した小沼正、菱沼五郎の両者は、共に茨城県大洗周辺出身の幼馴染みの青年集団であり、日蓮宗の信仰を共にする仲間でもあった。 ※法廷
桜林さんの「『愛情』があるから人間は戦争をする」※ なんだけれども。 記事全体のご趣旨はともかくとして、昭和15年を「奉祝ムードに沸いていた」とするのは、当時の世相を無視しているのではないか。 桜林さんは、おそらく、左翼的な戦前真っ暗史観への対抗、感情的反発として「2600年奉祝」を持ちだしたのでしょう。だが、当時は日華事変の真っ最中で、配給制が厳しくなる時代である。国際環境を見ても、蒋政権を屈服させる見込みも立たず、ABCD包囲網も狭まり、ヨーロッパでは第二次世界大戦も始まっている。この世相をみて、昭和15年は「奉祝ムードに沸いていた」とするのには無理があります。 一体、誰が昭和15年をして「暗い時代」に突入したなどと決めたのだろうか。そもそもこの年は「紀元2600年」であり、日本中が奉祝ムードに沸いていたはずだ。 「今」の価値観で測って「暗い」「明るい」などと評価するなど、おこがましい
江夏豊の公式twitterです。 江夏 豊(えなつ ゆたか)は、兵庫県尼崎市出身(奈良県生まれ)の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。
カーネギーメロン大学ソフトウエア工学研究所パートナ/カーネギーメロン大学ソフトウエア工学研究所認定インストラクタ/プライベート・テクニカル・コンサルタント
大正から昭和にかけての雑誌や絵本などに登場するイラストレーション。 その時代の雰囲気を伝えるレトロな感じのイラストレーションを紹介させていただけたらと、考えています。 座談会に出席の子供たちの発言から、 当時の子供たちの戦争に対する認識が伺えます。 大東亜戦争はどうして起こったか 平櫛少佐をかこんで 大東亜戦争を勝ち抜くお話會 (少年倶楽部 昭和17年12月号掲載) 大東亜戦争一周年に際して 少国民の方たちに 内閣総理大臣 東条英機 関連記事 画像をクリック ………………………………………………………………………………………… 江田島 遠い記憶 終戦記念日特集 2 二十年ほど前のことです。神田の古本屋で"Far the memories" と書いてある茶色く焼けた袋が…… 114 番外編 ………………………………………………………………………………………… 日米戦争への予感 終戦記念日特集
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