ども。前回の記事が、どうにもうまく書けてないなと思ったので書き直します。メッセージの対象が「自己責任云々したい人」であることを自分でも分かってなかったのが原因だなと思いました。書き換えただけなので内容はかなり重複してます。 ■理想的な態度と現実的な対処理想的な態度としては前々回の通りで、「加害者が悪いのは当然として」と前置きだけして返す刀で「被害者にも、、、」と続けるのはやめようってことだと思っています。一方で、現実問題として事件から教訓を得ていくべきであるという主張もよくわかります。b:id:jROYGB “被害を防ぐ盾”だけについて話すのは難しいような。予防策を考えるのには過去の実例の検証も必要だから。過去の事例においても効果があったであろうと推測される予防策は、今後の被害を防ぐのにもたぶん有効。これには僕も賛成です。僕がこだわってるのはただ単純に、言葉の使い方の問題なのです。被害者に
運が悪いことの責任はとれません。という記事。 基本的に同意するものではあるのだけど、なんか違和感は残るんだよなあ、この手の議論。いやもちろん犯罪者が根本的には悪いんだけども、被害者に一切の責任が無いかのような言説を唱える人がわいてきたりしてるのを見ると、少し不安になる。もちろん元記事書いたy_arimさんはそんなことわかってるだろうけどさ。 さて、このような「責任」の用法は、今年の頭にも見かけた。 例の、「レイプされた女性にも責任はある」ってやつだ。どんな責任か? と問うと、たとえば夜中に危ないところを出歩くなとか男を誘うような露出度の高い恰好なんかするなとか、そういう答えが返ってくる。つまり自衛責任、metalbabble氏の言う「自己防衛手段ぐらい自分で考えなよ」ってやつだ。 一言で斬って捨てよう。それは被害者憎悪withセクシズムである。一言じゃなくね? 運が悪いことの責任はとれませ
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