「不良」とはまた聞き捨てならないセリフだ。いったい誰のことか。「生活者の哲学を練りあげた」鶴見俊輔、屈折したマルクス主義者にして前衛芸術運動の立役者のひとり花田清輝、はみ出し者に熱い視線を注いだ異端の作家きだみのる、そして、『砂の女』や『他人の顔』で名高い安部公房といった面々である。 では、なぜ彼らが「不良」なのか。著者いわく、彼らは「一つの立場に拘泥し、これに生命を賭ける、ということのばからしさをよく知っている」からだという。戦中から戦後の激動期、彼らは言論界の中心からややずれたところにあえて身を置き、革命や転覆、進化や超越というよりも、転向や転回、逸脱や倒錯、漂流や難破という思考と生の形式をむしろ自覚的に選び取った。著者の共感は彼らのそうした修辞と戦略に向けられる。直球型というより変化球型の書き手たちである。かくいう私も学生時代、花田の『復興期の精神』や『アヴァンギャルド芸術』を貪(む
チャンスを得た三浦、リードを狙う 先制攻撃をかけることを、将棋用語で「仕掛ける」という。電王戦第5局は序盤戦を得意の展開に持ち込んだ三浦弘行八段が、いつ、どう仕掛けるかに注目が集まっていた。 だが、先に仕掛けたのはGPS将棋のほうだった。 「変な手、来たね……」 控え室で戦況を見守る棋士たちから、戸惑いの声が上がる。それは、見るからに違和感がある仕掛けだった。プロでなくても将棋を熱心に学んだことがある者なら、このような仕掛けはうまく行かないと直観的に捨ててしまう類の手順だ。 終盤戦での、玉が詰むかどうかという読みでは、人間はすでにコンピュータの敵ではない。目的が明確なときの演算能力こそコンピュータの最大の強みだ。 しかし、まだ目的が漠然としていて読みを絞れない序盤から中盤にかけては、人間にアドバンテージがあるとされている。経験によって培われた直観、すなわち大局観が、考え方の方向を教えてくれ
宗教のレトリック [著]中村圭志 「かたり」が「語り」でもあれば「騙(かた)り」でもあるということには深い含みがある。マコトの語りとダマシの語りの差をないものにしてしまうからだ。それは「在るもの」と「作られたもの」の区別をさえ失効させてしまう。 レトリックといえばふつう、口先だけの美辞麗句だとか、まやかしの詭弁(きべん)、人を焚(た)きつける雄弁など、誘導の技だとおもわれている。けれども、新聞はアメリカの大統領のことを「ホワイトハウス」と言い、学術論文は「~は明らかである」と結論づける。童話には「白雪姫」や「赤頭巾ちゃん」が登場し、日常の会話には「椅子の脚」だとか「タヌキ親爺(おやじ)」「縄のれん」といった表現が無数にある。唯一無比の存在たるブッダやイエスという名もじつはそれぞれ「目覚めた人」「救世主」という役柄を意味する。こういうレトリカルな表現の織物としてわたしたちの現実は編まれている
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 視覚表現技術をどう進化させるか?という課題が、ひとの想像力をこの時代にあったものに拡張するうえで、重要なポイントの1つだろうという思いを最近より強く感じています。 そんなことをあらためて考えるようになったのは、前回の「反-知の形式としてのバロック的想像力を再獲得する」という記事でも紹介した高山宏さんの『魔の王が見る―バロック的想像力』という本のなかでこんな記述を目にしたからでもあります。 前回の記事中でも取り上げた17世紀初めのヴンダーカンマー(驚異博物館)の流行の時代を、高山さんは「想像力」の時代でもあると読み解きながら次のように書いているんです。 事物の集積に未曾有の関心をもった17世紀初めのそうした「エキセントリック・スペース」の流行を背景にしてみてはじめて、人間は自
プロ棋士として永世棋聖の称号をもち、能美市の北陸先端科学技術大学院大学の特任教授も務めた米長邦雄さんが18日、前立腺がんのため亡くなりました。 69歳でした。 米長さんは19歳の時に将棋のプロ棋士になりました。 昭和59年には棋聖、王将、棋王、十段の4つのタイトルを持つ四冠となり、よく年、永世棋聖の称号を獲得しました。 平成5年には、49歳、7度目の挑戦で初めて名人のタイトルを獲得し、60歳で引退するまでに通算1103勝をあげました。 平成17年から日本将棋連盟の会長をつとめるなど、功績が認められ、紫綬褒章を受章しています。平成20年に前立腺がんと診断されてからも治療を受けながら活動を続けてきました。 米長さんは、ことし1月に東京の将棋会館で行ったコンピューター将棋との公式対局に先だって、去年10月から能美市にある北陸先端科学技術大学院大学でコンピューターとプロ棋士の思考の違い
ネットで東浩紀氏の文庫本に中森明夫氏が書いたあとがきが面白いという書き込みがあったので読んでみた。そこでは東氏の先輩として柄谷行人さんが紹介されていて、要するに東浩紀は柄谷行人の歩んだ道をなぞっているという指摘がされていて確かに面白かったのだが、じゃあ、柄谷行人とはどういうひとなのかと興味を持ち、わりあいに氏の最近の本である世界史の構造という本を序文だけ読んでみた。 その本で柄谷氏が試みているのはどうやらこういうことらしい。マルクスは資本主義下での商品交換を元にした経済的下部構造の上に国家や民族のような上部構造が成立すると主張したが、商品交換以外にも贈与や略取のような交換様式も考慮にいれて経済的下部構造を考えることによって、上部構造である国家のみかけの自立性を仮定しなくても、世界が説明できるはずだという主張だ。 氏の主張が正しいかどうかを判断するのは、ぼくなんかの素人の手に余るのだが、この
ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること ニコラス・G・カー 篠儀直子 青土社 2010-07-23 売り上げランキング : 60919 Amazonで詳しく見る by G-Tools 「ネットとの接続によって脳や文化に何が起こるか」を考える本 刺激的なタイトルにだまされてはいけません。これはインターネットの害を通俗的に煽る本などではなく、メディア史や脳科学、心理学などの知見を総動員して、「現在のネット環境が人間の脳や文化にどのような変化をもたらしているか」を解説していく本です。かんたんにまとめると、ネットがヒトに与えた影響には良い面も悪い面もあり、ネット以前の社会には戻れない今、その「悪い面」に注意を払う必要があるというのが筆者の主張だと思います。分厚い本なのに読みやすく、かつ面白く、何度も読み返してしまいました。 興味深かった点など この本の中で特に興味深かった点を自
以下、わたしが小学生のときに編み出した哲学。その後の人生の思考の中で、実は核になっている要素が高いもの。思考していたときの情景から察するに、高学年の年齢以前。つまり「10代」前。 世界は続く 自分を取り巻くこの世界というもの。これは実在しているものなのか。実は昨日までの記憶というものは、「お話」によくくっついているストーリー設定で、それが記憶として埋め込まれているだけなのではないか。昨日と今日。世界は本当に続いているのか。 実験。夜、いくつかのものを居間のテーブルにセットする。翌日、「自分の記憶」と「現実の状態」を比較する。 違う。おかしい、と思う。世界は続かず、ストーリー設定の範疇に誤差が生まれているのではないか、と思う。(真相→母親が片づけているだけ) 何度か実験。誤差が生まれるときと生まれないときがある。実証できる実験ではない。 膝小僧をすりむいたときに、はたと思いつく。すりむいたケ
デカルトの「我思う故に我あり」は通常、「思考している自分は存在している」と理解される。「自分という意識は確実に存在している」というわけである。当たり前ではないかと思うかもしれない。残念でした。「自分という意識」は脳機能の処理結果であって、それ自体で存在しているわけではない。あなたには自由意志なんてない。あなたの意識や自由意志は脳のプロセスの、ただの傍観者なのである。 冗談のようだがこの話は脳科学を学んだ人には常識の部類である。なにかをしようと意識するよりも身体のほうが先に動くことは実験科学的にわかっているからだ。座っていて「ちょっと立ち上がろうかな」という自由な意識は、実際には立ち上がろうとする身体の神経反応の後から生じている。生理学者ベンジャミン・リベット(Benjamin Libet)が1980年代に明らかにした(参照)。身体運動についての自由意識と思われているものは、身体意識の承認の
七つの女の子と話をしていたら、作文が終わらなくて困っているという。彼女は小さい子にしては要領よくしゃべるんだけれども、なにしろ七歳は七歳なので、話がくどい。しかもしょっちゅう脱線する。最後まで聞いて推測するに、どうやら何を書いて何を省くかがわからないので作文が長くなっている、ということらしかった。 学校の授業の作文で七五三の話を書くことにして、けれども原稿用紙六枚書いてもまだ、当日の朝ごはんが終わらない。メニューとその匂い、湯気のようす、パンの焼き加減の好みに関する主張で六枚目が終わってしまった。今までのぶんを捨てて書き直すべきか、という意味のことを、彼女は言う。読ませて頂戴と言うと、ずいぶんとはずかしがってから、結局読ませてくれた。 八枚切りのパンを焦げるぎりぎりのところまで熱してからバターを塗り、しみこませて食べる、ジャムはパンに塗るべきではない、ヨーグルトにいっぱい入れたほうがいい、
脳内の「不安の源」と言える場所が、思考をつかさどる前頭葉にある前帯状皮質の前部(pACC)にあることを、米マサチューセッツ工科大の雨森賢一研究員(神経生理学)らのチームが突き止めた。PTSD(心的外傷後ストレス障害)やうつ病などさまざまなタイプの「不安障害」のメカニズム解明や治療法確立につながる可能性がある。8日付の米科学誌ネイチャーニューロサイエンス(電子版)に掲載された。 人の研究では、不安を強く感じる人は「不快な刺激」を過大評価するため、うつ病患者は「報酬」を過小評価するために、いずれも不快な刺激を拒否する割合が高いことが分かっている。 サルを使って実験した。体に空気を吹き付ける「不快な刺激」と、「報酬」にあたるえさの組み合わせの量や質を変え、受け入れるかどうかの意思決定をさせることで、サルがどのように不安を感じているかを調べた。 その結果、不快な刺激と報酬のセットを受け入れる時も拒
思想史の面白さを体現する優れた論考を読みました。機械論、生成、化合(混合)というこのブログでも繰り返しとりあげてきた問題を通じて、ジャン=ジャック・ルソーの哲学の核心に迫ろうとするものです。 淵田仁「『化学』を巡るフィロゾーフたちの戦い:ルソーを中心として」『「百科全書」・啓蒙研究論集』1, 2012年、169–186頁。 http://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=25506 啓蒙期の哲学の目標とは、あらゆる領域についての一元論的な理論を立ち上げることでした。この目標を自然哲学の領域で達成するための有力なツールとみなされていたのが機械論哲学です。機械論哲学とは「自然の現象や物質的実体の作用を機械論的な諸原理(すなわち、自然的物体を構成する諸部分の運動、重さ、形象、配列、配置、大きさ、あるいは小ささ)によって説明する哲学
海外FX業者を利用する上で、ボーナスは絶対に欠かせません。口座を新規開設するだけでもらえる「口座開設ボーナス」、入金時にもらえる「入金ボーナス」、その他にもキャッシュバックなど、様々なボーナスがもらえます。 受け取ったボーナスはそのまま取引に使え、利益が出た時は出金することも可能です。お得はあっても損はないボーナスなので、海外FX業者を選ぶ際には必ず比較しておきたいところです。 そこでこの記事では、海外FXボーナス(口座開設ボーナス・入金ボーナスキャンペーン)全195社を徹底的に研究した上で、おすすめ完全比較ランキングにまとめました。日本人に人気のFX業者だけでなく、マイナーの海外FX業者や注意点なども詳しく解説していきます。 「海外FXボーナスが豪華な業者をすぐに知りたい」という方向けに、海外FXボーナス選びに役立つカオスマップを作成したのでこちらも併せて参考にしてください。 「どのFX
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く