『○に近い△を生きる』(鎌田實著/ポプラ新書)で、こんな話を読みました。 16歳のマララさんは、パキスタンの女学生だった。女性が勉強する自由を訴えたために、イスラム原理主義のタリバンに銃撃され、瀕死の状況に陥った。それを乗り越え、自らの誕生日に国連で演説をした。 「タリバンは私や私の友人を銃弾で黙らせようとしたが、失敗した。 テロリストは何も変えられなかった。 私から弱さと恐怖、絶望が消え、強さと力、勇気が生まれた以外は」 銃弾は女の子を黙らせることはできなかった。この女の子は銃弾を受けたことによって怖いものがなくなったのだ。かえって勇気が生まれたという。 なぜ勉強するのかがわかる、マララさんの大事な言葉である。 「私を撃ったタリバンを私は憎まない。もし私が銃を持ち、彼らが目の前に立っても私は撃たない」 これが勉強することの意味なんだ。首相の安倍さんはやられたらやり返す力を持った普通の国に
ネ タ バ レ っていうか昨晩のツイッターメモをブログ用に整形。 ですが、もう公開から一ヶ月近く立ちますからそんなに配慮しなくてもいい? 戦場ヶ原ひたぎのマナーネタが見たくて二回目を昨日見てきた。ディフォルメガハラさんはなんでソリコミなん? しかし、まあ、ほむほむとガハラさんと斎藤千和さんが混ざって面白かった。 以下ネタバレ妄想考察 ラストの崖で暁美ほむらが聞くチャイムは全ての魔獣を倒し終えた終末のラッパかもしれない。 なんだかんだ、デビルほむらだって勇ましい事を美樹さやかに言っても、中学生レベルのメンタルだから終業のチャイムで終劇。また、君の銀の庭の歌詞も大人になりたくないって歌詞だし、中学生の時間をやり直し過ぎて中学生になりすぎたほむらは悪魔には成れても人間としての人生を取り戻したことは喜べない精神構造になったのかも。 魔獣を全て倒して、まどかの敵になるよりはQBにまた利用されるよりは
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く