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「キレる老人」問題と、現代居住空間の世代間断絶 これを読んだ。 俺は以前家電販売店で10年ほど勤務経験がある。 その時でも所謂モンスタークレーマーは60才以上の高齢男性が多かった印象がある。 理不尽な要求や常軌を逸した言動など、場合によっては暴力を伴いかねない極端なクレームを持ち込むのは決まって高齢男性だった。 朝一で売り切れた数量限定の特売品を昼過ぎに来て「売れ」と要求したり、10年前に購入した冷蔵庫が壊れたから中身を弁償しろなどという無謀なクレームをよく受けた。 彼らには彼らなりのルールがあってそれを店側に押し付けようとしてくるのだが、当然ながら理不尽な要求には答えられない旨をお伝えすると、大抵大声を出して威圧してくる。 胸ぐらを掴まれたことも一度や二度ではない。 どうも彼らは自分の要求が通らないことは自分自身を否定されたと捉えてしまうらしい。 それがどんなに常識を逸脱した要求だったと
前回示したように、承認欲求そのものを叩くことに意義は無い。だが、承認欲求の充たし方、承認欲求にモチベートされて行う行動には、是非や可否が伴う。 承認欲求が充たしたいからといって劇場型犯罪を犯して良いわけがない。 承認欲求が充たすために通勤電車で楽器を弾く行為もまずいだろう。 承認欲求を充たしたい気持ちが嵩じて「ありのままの自分を全部受け止めて欲しい」と異性に望む人は、是非に関わらず、たぶんパートナーシップが長続きしない。 つまり、承認欲求をモチベーションにすること自体はオーケーとしても、社会的に妥当な充たし方かどうか、年齢相応の水準で充たしたがっているかどうかは常に問題になる。 承認欲求の社会化レベルが問われているのである。 幼児〜成人に求められる、承認欲求の社会化レベル 前回も述べたように、承認欲求は幼い時期から認められる、おそらく生得的な欲求だ。二歳〜三歳の頃から承認欲求は認められ、老
もし自分の茶碗をほかの家族が使ったらどう思うか。それが家族であっても何か嫌だよね。 でもカレー皿とかの洋食器は共用だよね?という文に出会った。たしかにそうだ。 茶碗には自分のもの!という意識があるなぁと、ちょっと考えることになった。 元の文は、図書室の本には書き込みしないでという、ごく当たり前の注意を促すページにある。 そのぺージは一橋大学大学院国際企業戦略研究科図書室のサイト内にあるが、 そのごく当たり前のモラルの説明が、ターゲットの知的レベルが高いからか妙にアカデミックなのも、何やら矛盾してて一つの見所ではあるけれど、それは取り敢えず置いといて茶碗について。 何か嫌なのは汚ないからか 「一般的な日本の家庭では、食事の時に各人の使う箸と茶碗が決まっています。夫婦二人きりの家庭でも、あるいは子どもがたくさんいる家庭でも、箸と茶碗は個人の物が決まっているのが普通です。 … 。 ところが、たと
>>1のソース:「コスパにうるさい人」は仕事ができない | 日刊SPA! http://nikkan-spa.jp/451250 抜粋 ――コスト意識に敏感であることはいいように思います。なぜダメなのでしょうか? 「多くの人が言葉に踊らされて、大事な点を勘違いしているからです。『コスパの奴隷君』はコスト削減ばかり考えて、その後のパフォーマンスを見ていません。コスパとは、あくまでもリターンを得るための出費が適切かどうかの度合いを見るためのものです」 ――確かに、「安かろう悪かろう」であることは多いです。その前提に立ってパフォーマンスまで見ることは必要です。しかし、「コスパにうるさい人は仕事ができない」という説の真意はどこにあるのでしょうか? 「繰り返しますが、コスパが悪いのではなく“倹約”の面だけを見るコスパ至上主義が悪いという意味です。たいていこのタイプの人は、“他人より損したくない”と
手に入れた本を読み終えられず、うしろめたさを感じたことはありませんか? 1年前に購入したのに「レベル3」までしか達成していないゲームや、途中で観るのを止めてしまった映画はどうでしょう? 途中で止めてしまってうしろめたさを感じるのは、珍しいことではありません。ですが、どうして罪悪感を覚えるのかを説明するのは簡単ではありません。 Wall Street Journalにおいて心理学者のMatthew Wilhem博士は、その理由は「個人の性格」にあると言っています。 Wilhem博士によると、競争心が強い人ほど途中で止める傾向にあるようです。彼らは「賞罰」の感覚で行動するからで、何かしら見返りや周囲に認められることがなければ、その本を読み終えなければならない理由を持てなくなってしまうというのです。 逆に、もっと気楽な性格の人は、読み終えられないと分かっている本であれば最初から読まないのだとか。
20070511_180952_P5110010 / くーさん 30歳になった。ずっと読みたかった雑誌をパートナーがプレゼントしてくれたので、今日はその感想がてらエントリーを綴りたい。目当ての記事は、男子トイレという空間のもつ政治性について論じたエッセイ、「メンズ・ルーム」(リー・エードルマン)である。 10+1 No.14 特集=現代建築批評の方法 身体/ジェンダー/建築posted with ヨメレバ五十嵐太郎,土居義岳,後藤武,米田明,飯島洋一,南泰裕,塚本由晴,田中禎彦,青井哲人,槻橋修 INAXo 1998-08-10 Amazon楽天ブックス このエッセイの存在を知ったのは、以下のエントリーがきっかけだった。 空間の政治学は性的なものである──空間は単なる抽象的存在ではなく、政治的に無色透明なものではないのだ。 セクシュアリティと空間 - HODGE'S PARROT 空間の政
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