ミュージシャンでプロデューサーの大瀧詠一の訃報を受け、音楽界から惜しむ声が相次いだ。 ◇ 〈「はっぴいえんど」のメンバーでミュージシャンの細野晴臣さんの話〉 最初は誤報だと思っていましたが、とてもショックです。大事な音楽家を失ってしまった。残念にもほどがある、という思いです。彼の中に詰まっていたポップスの宝庫はどこに行くんでしょうか。大瀧君はずっとソロアルバムを作っていなかったのが気になり、11月中旬に「皆で手伝うからソロを作ろう」とメッセージを入れたのが最後です。
2013年12月31日、大瀧詠一さんが亡くなられた。 むかしばなしを一節語って供養に代えたい。 1976年の3月に野沢温泉スキー場で『楽しい夜更かし』を聴いたのが最初の大瀧音楽経験だった。スキー場から戻ってすぐにレコード店に行って『Niagara Moon』を買い、以後37年忠実なナイアガラ-として過ごした。 大瀧さんとはじめてお会いしたのは2005年8月21日。そのときの感動については当時の日記に詳しいので再録。 「行く夏や明日も仕事はナイアガラ 長く生きているといろいろなことがある。 まさか大瀧詠一師匠にお会いできる機会が訪れようとは。 お茶の水山の上ホテルの玄関で、キャデラックで福生にお帰りになる大瀧さんを石川くんとお見送りして、ただいまホテルの部屋に戻ってきたところである。 午後3時から始まった対談は二次会のホテルのレストランから「営業時間終わりです」と言われて追い出されるまでなん
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く