以前、このブログで、アニメ『まなびストレート』を取り上げて共通前提の崩壊について語ったことがあったが(共通前提の崩壊、学園ものの危機――『まなびストレート』を中心に)、もちろん、共通前提の崩壊という現象は、『まなび』という作品だけに見られるものではなく、最近のあらゆるサブカルチャー作品にその片鱗を見出すことができる。小さな物語を扱っている作品には、共通前提の崩壊を、少なくとも潜在的な形で、見出すことができると言える。まさに、その点で、逆説的なことながら、われわれの共通感覚を過度に強調しているような作品は、その背後にある共通前提の崩壊を暗黙のうちに示していると言えるだろう。 その点で、例えば、『らき☆すた』のような作品は、われわれの共通了解というものが、いったい、どのような領域で、どのようなレベルにおいて確認することができるのか(あるいは、確認することができないのか)ということを検証している