本名アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ。ボッティチェルリとは小さな酒樽のことで、兄が酒樽のように太っていたとも、本人が酒を飲むと真っ赤になって酒樽にようだとも言われています。 1463~4年頃フィリッポ・リッピに弟子入りしています。彼の流麗な線描による優美な女神像や聖母像は多分にリッピの影響を受けていると思われます。ちなみにリッピの傑作「聖母子と二人の天使」(ウフィッツィ美術館)はちょうどそのころの作品です。1467年リッピがフィレンツェを離れたあと独立して工房を持ち、評判も高まってきました。特に当時フィレンツェの支配者であったメディチ家の庇護を受けるようになります。 そのためか図1「東方三博士の礼拝」では、三博士をはじめその従者たちはすべてメディチ家及びメディチ家一門とかかわりのある人々をモデルにしていると言われています。ボッティチェルリ自身も右端に自画像を描き込んでメディチ