by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 北海道のアパートで9日未明、電子レンジが爆発したと住人から通報があった この火事で2階の部屋がほぼ全焼し、親子とみられる女性2人が死亡 その後、レンジからカップ麺の容器とみられるものが見つかったと分かった 提供社の都合により、削除されました。 概要のみ掲載しております。 関連ニュース ランキング 総合 国内 政治 海外 経済 IT スポーツ 芸能 女子
先月19日に修学旅行中の小学6年生や関係者が乗ったクルーズ船が沈没しました。全員、ライフジャケットを着けており、付近に居合わせた漁船に救助されました。「小学生、全員助かってよかった」と喜びの声が聞かれる一方、水難学会内では「よく漁船に揚げることができた」との声が上がっています。海中から人をボートに引き揚げるのは並大抵のことではありません。ましてや、自力で上がるとなると、ほぼ無理です。 空前の釣りブーム下での事故 先日、日本テレビ系(NNN)ニュースで紹介されましたが、今年は空前の釣りブームです。筆者も含めて、周囲の友人の話題はもっぱら「釣り」です。コロナの時代に見直されたレジャーという位置づけのように感じます。 そういった中で先月28日に発生した鹿島港での遊漁船と貨物船の衝突事故。釣りを楽しみに遊漁船に乗っていた乗客と乗組員の12人全員が船外に投げ出され、うち1人が死亡しました。 衝突後、
日本の貨物船がインド洋の島国モーリシャスの沖合で座礁し、大量の油が流出している問題で、油だけを吸い取る特殊な繊維を使った吸着材が日本の企業から現地に送られることになりました。 東京・大田区の繊維メーカー「エム・テックス」は、油だけを吸い取ることができる、特殊な繊維の製造で特許を持っていてこの繊維を使った吸着材を生産しています。 吸着材は、去年8月の佐賀豪雨で佐賀県大町町の鉄工所から油が流出した事故でも復旧作業に使われていて、今回は1200リットル分の油を吸い取れる量を支援物資として送ることになりました。 19日、派遣される国際緊急援助隊の専門家チームの第2陣が現地に届けることになっています。 エム・テックスの竹ノ下友基部長は、「事故が起きたあと、何かできないかという思いがあった。美しい環境で、今回の事故が起き、現地の方々は大変な苦労をされていて、メイドインジャパンの技術を役立ててほしい」と
商船三井がチャーターした貨物船がインド洋の島国モーリシャスの沖合で座礁し大量の重油が流れ出た事故で、位置情報の分析から、貨物船はモーリシャスの南東沖およそ2キロの地点で針路をほぼ90度右に変え、大幅に減速していたことが分かりました。専門家は、この地点で船が何かと衝突し、座礁の原因となった可能性が高いと指摘しています。 AISと呼ばれる、船の位置などを電波で発信する装置のデータ分析を行っている「IHIジェットサービス」が解析したところ、貨物船は、モーリシャスの南東およそ2キロの沖を航行していた先月25日、1分余りの間に針路をほぼ90度右に変え、10ノット前後で進んでいた速度も1ノット以下に低下していたことが分かりました。 船舶事故に詳しい神戸大学大学院の若林伸和教授は「通常、このように人為的に船の向きを変えることはなく、船底が何かに当たって急に向きが変わったのではないか」と述べ、この衝突が座
1954年(昭和29年)9月26日未明に九州南部に上陸していた台風第15号(のち沈没した船名を冠し1958年に洞爺丸台風と命名される)は、函館海洋気象台によると、15時時点で青森県西方約100キロメートルにあって、中心気圧968ミリバール(当時の単位。数値はヘクトパスカルと同一)、時速110kmで北東に進んでおり、その後17時頃渡島半島を通過して津軽海峡にもっとも接近すると予想されていた。 台風15号の進路 以下、事故当日の洞爺丸の経緯を記述する。 6時30分 下り3便として青森第1岸壁を出航。 11時05分 函館港に入航し鉄道桟橋第1岸(函館駅参照)に到着。折り返し上り4便として14時40分に出航するまで待機[1]。船長の近藤平市[注 2]は、台風接近前に陸奥湾に入り、青森に到着する見通しを立てていた。 11時30分 台風接近のため、函館海洋気象台が暴風警報を発表[2]。 12時40分頃
1月14日に、イランのタンカーが奄美大島の西300kmで沈没し、過去最悪ともいえる大量の軽質原油コンデンセートが流出したとみられています。流出したコンデンセートが日本沿岸に流れてくるという英国の研究機関の予測がSNS上で拡散して、ネット上では不安の声が上がっています。 中国交通運輸省などによると、タンカー「SANCHI」(8万5000トン)はイランの海運会社の所有で軽質原油「コンデンセート」14万トンをイランから韓国に運んでいた。6日夜に長江河口沖300キロで中国の貨物船と衝突。炎上しながら日本に向かって漂流し、14日に奄美大島(鹿児島県)の西約300キロの地点で火勢が強くなり、沈没した。乗組員のイラン人とバングラデシュ人32人のうち、3人は遺体で発見され、残りも生存は絶望視されている。 出典:毎日新聞 SNSなどで良く引用されるのがこちらのロイターの記事です。出だしから、「ここ何十年で最
事故現場近くで慰霊の祈りを捧げる追悼式の参列者たち=1日午後0時6分、秋田県仙北市田沢湖玉川雪崩死亡事故の慰霊碑。毎月1日の月命日や追悼式のたびに温泉施設から持ち込まれる=1日午後、秋田県仙北市田沢湖玉川 【大久保貴裕】秋田県仙北市田沢湖の玉川温泉で昨年2月、3人の湯治客が雪崩に巻き込まれ、死亡した事故から1日で1年を迎えた。事故現場に設置された慰霊碑は「景観を損ねる」とする国の行政指導で撤去され、1周忌の追悼式典について遺族に連絡はなかった。配慮を欠いた対応が相次ぎ、一部の遺族は悲嘆を深めている。 雪崩事故は昨年2月1日夕に発生。屋外の岩盤浴場そばの雪の斜面が縦100メートル、幅約300メートルにわたって崩れ、湯治に訪れていた50代の県内男性1人、60代の県外女性2人が巻き込まれて亡くなった。 事故から3カ月後、温泉内で宿泊施設を経営する湯瀬ホテル(鹿角市)が「事故を教訓に、犠牲者
10月6日から7日にかけて、東京は秋の大雨になった。夜8時過ぎから降り出した大粒雨は、そのまま明け方まで降り続いた。NHKの天気図を見ると、全く同じ時間帯に石川県金沢の周辺でも豪雨になっていて、金沢の人たちのコトバを借りると「秋には滅多に経験しない豪雨」だったらしい。 7日日曜日の今井君は、まさにその金沢で講演会。朝8時にタクシーで羽田空港に向かい、空港ラウンジで1時間ほどブログ記事を書いてから、9時45分のANA機で小松に向かった。 飛行機は離陸から着陸まで大きく揺れた。機長のアナウンスによると「小松上空に活発な雨雲がある」とのことだったが、この時期の小松行きの窓からは、もし晴れていれば木曽や飛騨の山々が紅葉で真っ赤に染まっているのが見られるはず。マコトに残念である。 小松に着いてみると、さっき上空から眺めた分厚い雲がウソだったかのような快晴である。いわゆる運動会日和の秋晴れであって、小
この項目「デーモン・コア」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:en:Demon core) 修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2021年3月) デーモン・コア(demon core)は、アメリカの核兵器開発プロジェクト「マンハッタン計画」で、初期の原子爆弾の核分裂性コアとして製造されたプルトニウムの未臨界塊である。直径89mmの球状で重量は6.2kg。1945年8月21日と1946年5月21日の2度、臨界状態に達する事故が発生した。 このコアは、日本に投下される可能性のある第3の核兵器に使用される予定だったが、日本の降伏によりその必要がなくなったため、実験に使用された。炉心は、爆弾の爆発を確実にするために、わずかな安全
白煙をあげるJR石勝線の第1ニニウトンネルの出入り口=北海道占冠村ニニウで2011年5月28日午前3時40分ごろ、片平知宏撮影 特急スーパーおおぞら14号が走行したJR石勝線の第1ニニウトンネル手前の線路。脱線した車輪の痕のようなものが残る=北海道占冠村ニニウで2011年5月28日午前8時40分ごろ、片平知宏撮影 27日午後9時55分ごろ北海道占冠(しむかっぷ)村のJR石勝線占冠-新夕張駅間の第1ニニウトンネル(長さ685メートル)で、釧路発札幌行き特急列車「スーパーおおぞら14号」(6両編成)が、車両内に煙が充満したため緊急停止した。乗客約240人はトンネル内の線路を歩いて避難。煙を吸い込んだ男女40人が頭痛や吐き気を訴えて病院に搬送されたが、いずれも軽症という。JR北海道は車軸の脱線を確認しており、発煙との関連を調べている。 同社によると、煙が充満したのは後方の1~3号車で、乗客らは非
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