「これがあるじゃん」の先は、それぞれで考えましょう──折坂悠太がたどり着いた『心理』
WEBメディア『TURN』の編集長であり、『ミュージック・マガジン』や『YAHOO!』など多数のメディアでも執筆する、岡村詩野が講師を務めるオンライン講座〈岡村詩野音楽ライター講座2021年10月期〉。12月4日に開催されたその最終回には、ゲスト講師としてシンガー・ソング・ライターの折坂悠太が登場し、公開インタヴューを行いました。今回はその当日のインタビューの一部をテキストでお届けします。最新アルバム『心理』についての話を軸に、さまざまな角度からSSW、折坂悠太の思考に迫ります。
INTERVIEW : 折坂悠太
インタヴュー : 岡村詩野
文 : 岡本貴之
いま生きてることってどういうことなんだろう
──今年リリースした『心理』は、想像の100倍以上斜め上からきた素晴らしいアルバムでした。今年の顔と言ってもいい折坂さんに、新作にまつわる話なども伺えればと思います。昨日〈心理ツアー〉のファイナル公演を追えたばかりですが、今回のツアーはいかがでしたか?
折坂悠太 (以下、折坂) : 昨日の公演は、結構イレギュラーなことがいっぱいあって。それはそれでセッション感があっておもしろかったです。重奏はツアーがはじまる前からまとまった感じはあったんですけど、おもしろいのが、終わった後のメンバーの顔を見ると同じ顔をしているんですよね。感触的に、あんまりバラけてないというか。みんなが同じものを共有して自分の手応え的にも、良さも緊張も伝わりやすいみたいなところがあって。そういう意味ですごく良いバンドになったなと思いました。
──そのイレギュラーというのは、どういうことがあったんですか?
折坂 : 私の喉の調子が、じつは東京公演2日間とも、本調子じゃなくて。1日目はなんとかやったんですけど、2日目は途中でかすれたり、そこから派生するような、いままでしてこなかったような演奏のミスをしたりとか(笑)。でもそれもおもしろいところで。私自身「あんまりよくないな」と思ったときにあんまり引っ込む方じゃなくて、「もっとやってしまえ」っていう感じの人間なんですけど、その感じをみんなも持っていて。かなり良い意味でヒリヒリしたライヴになったんじゃないかと思います。
──やっぱり、東京は特別でしたか?
折坂 : 東京の初日と2日目のお客さんの感じもまた違って。「誰々が来てる」みたいな、知り合いが観に来てることが頭にあるのかもしれないですけどね(笑)。ステージにいる側もお客さんも人間同士だし、1対1で話していてもその人によって話も違えば表情も変わる。そういうことがあれだけの会場でも素直に起きるというか。東京2日間もそうだし、各地もそうだったと思います。
──予期しないことが起こる、それによって場の空気も変わって行けば、それが思いがけずに違う道筋を作ってくれるということもあると思うんです。私もアルバムを聴いたときに、そもそもそういう余地を残した曲が多いというのもあると思うんですよね。
折坂 : うん、うん。
──ただライヴってパフォーマンスだけじゃなくて、構成力とか全体のパッケージとしての流れを最初に決めているわけで。それがズレてしまうことで、逆に発見はありますか?「こういう自分がいるんだ」とか。
折坂 : 今回のツアーや重奏をやっていて、それは主軸に置いてる部分かもしれません。曲として歌があって、楽曲の構成としてもわりとカチっとしたものがあって。だけど『心理』の制作過程でも思っていたのは、そこにいかに譜面で表せない音を忍ばせるかということ。それはライヴに於いてもすごくありました。今回、セットリストが全公演ほとんど一緒なんですけど、だからこそ毎日の違い、はみ出す部分の遊びみたいなものがあるというか。楽曲構成以外で、身体的な反応が如実に表れるんですよ。そのなかで自分も、「こういうときは自分はこうなるんだ」みたいな発見はすごくあったと思います。
──私が京都でライヴを観せてもらったときは、折坂さんの身体能力の高さを感じたんですね。昔日本でカエターノ・ヴェローゾを観たときにライヴ・パフォーマンスが本当にフィジカルだったんです。その時点で50代~60代だったにも関わらず、体で音を鳴らしていて。彼自身は楽器はギターを持つぐらいなんですけど、その身体性というのはどんなアスリートにも負けないぐらいのフィジカリティで。それと同じものを、今回のライヴで感じたんです。私たちは着席していて、立てないし声も出せずに踊ることさえできなかったわけで、どうしてこれに対応して乗っかっていけばいいんだろうっていう、私はそことの戦いでしたね。
折坂 : へえ~!そうですか。
──ステージであれだけ身体能力の高い折坂さんのパフォーマンスに、果たして自分たちは客席でどう応じるのかっていうところが、ものすごく自分のなかの大きなテーマで楽しんだ感じでした。一昨日のライヴを観に行った者は、「まるでお化けに遭遇して金縛りにあったようなライヴだった」と言ってました。なかなか上手い表現ですよね。
折坂 : あ~、なるほど。狙いと言ってはおこがましいですけど、そのお知り合いが感じたようなことは思ってました。そもそも自分のライヴってめちゃくちゃお客さんがノリノリで揺れていてというようなことがなかったような気がするんです。普通にスタンディングでやってるときも、みんなそれぞれじっくり聴いてた気がして。それをちょっと気にしてたときもあるんですけど。でもあんまりそういう感じじゃないのかなって感じはじめてて。ホールツアーで、『心理』というタイトルにした時点で、むしろ簡単に動けない状態を作って、そのなかで夢を見ているみたいな。舞台で起こっていることのディティールをすごく細かく見ていくような見方ができたらおもしろいのかなと思っていたので。初日にGEZANのマヒトさんが来たんですけど、連絡をくれて「両隣に人がいて、じっと座っていられるか不安だったけど、暗闇が助けてくれた」みたいなことを言っていて。すごく良い観方というか、そんな風に観てくれたんだなって、うれしかったですね。のめり込んで内へ内へ反芻することによって、むしろスタンディングで自分のポジションを自由に決められる以上に、なにか自由になるということが起きるんじゃないかなっていうのが、このツアーの狙いというか。
──観る方もやる方も、座ってる状態になんとなくジレンマがあると思うけど、言ってみればそれを逆手に取ったというか。簡単に動けない状態を作るというのは、まあ普通の発想だと思い浮かばないことですよね。最後に客席が暗くなって、メンバーのみなさんがいなくなってからパッと客電が点いて、気が付いたらステージには誰もいないという。そこで、いままで私たちが観たことって、実際に観ていたことなんだろうか、もしかしたら幻想だったんだろうか?っていう、現世とそうでない部分、リアリティとエクスペクテイションみたいなものの境目が曖昧になっちゃっているおもしろさがあった気がします。重厚感のあるパフォーマンスですごくビターなものだったし、とくに京都では“ユンスル feat. イ・ラン”をやる前に、「亡くならないで欲しい人がどんどん増えていくことの重み」みたいな話をされていたじゃないですか。ああいうことを聴いた後に、あのライヴの後半部分というのは、すごく自分のなかでずっしり重い物として残ったんです。
折坂 : 『心理』を作ったときに、人が生まれて死んでしまうということが、身近に多かったので。この世からいなくなることと、いま生きてることってどういうことなんだろう?って、直視しちゃったというか、真面目に考えてしまったときがあって。最後の“鯨”なんかは、その時期に作った曲なんですよ。そういったテーマはずっと頭のなかにありました。感情というものが形をなして、言葉になっていって、でもまたそうじゃないナチュラルなものに帰っていくみたいな感覚を上手くライヴで表現できないかなと思って、最初と最後のパートはそういう演出をしたのかなと思っています。前回の〈うつつ〉という配信のときは最後にカレーを食べて終わったので、もうちょっと舞台から生活に帰すイメージだった。でも今回のホールツアーは生まれてから死ぬまでをなるべく2時間で表すみたいなことがあったのかなと。