日本国内では、いつもどこかで建設工事が行われています。超高層ビルが登場したり、新しい施設やおしゃれな住宅ができたり。一方で、長年にわたって親しまれてきた建造物もあります。味わいや趣が深い「レトロの美」を、カメラマンが訪ねました。
◆白糸川橋梁 (神奈川県小田原市)
大正のかおり残す199メートル
相模湾に面した神奈川県小田原市で、三方を山に囲まれた集落を白糸川が流れています。河口にまたがる白糸川橋梁は、JR東海道線の鉄道橋です。現在の橋は1925(大正14)年、2代目として架けられました。長さは約199メートルに及びます。
初代は22年に開通しましたが、翌年の関東大震災で大規模な土砂災害が発生し、周囲の集落とともに壊滅的な被害を受けてしまいます。再建工事で、被災前とほぼ同じ姿が再現されました。
三角形を組み合わせた構造のワーレントラス橋で、鉄鋼製のため強度が高くなっています。赤く塗られた鋼材には無数のリベット(びょう)が打たれ、重厚感を醸し出しています。強風が吹きやすい地形のため、たびたび鉄道の運行に影響が出たことから、91年に両脇に暴風柵が設置され、現在の姿になりました。
高さ約25メートルの橋梁を海岸沿いの国道から見上げていると、列車が集落の上を渡るように通過していきました。のどかな集落と調和する姿は、鉄道写真の愛好家に人気です。2019年には「旧熱海線鉄道施設群」の一部として、土木学会選奨土木遺産に認定されています。【写真・文 須賀川理】
◆居蔵の館(福岡県うきは市)
神様を踏まないように
福岡県うきは市吉井町は、かつて精蠟(ワックスなど)や酒造り、菜種製油などで栄えた地域です。この町の「居蔵の館」(旧松田家住宅)は、精蠟で財をなした大地主の住宅でした。壁だけでなく軒の裏までもしっくいで塗られ、2階の雨戸は銅板で覆われていて、火災に強い構造です。
この一帯は、江戸期から1869(明治2)年にかけて3度の大火に襲われました。その教訓から、延焼しにくい造りになったといいます。
建物の中に入ると、奥行きのある土間が広がっています。奥にある土蔵まで、荷馬車が行き来していたようです。お客が出入りしていた玄関は別にあり、とても豪華です。
神棚の上部は「神様の頭上を踏むことがないように」との配慮から、吹き抜けになっていました。浴室の天井は、板を少しずつずらした隙間がつくられ、屋根から換気ができるように工夫されています。今の換気扇のような役割を果たしていたのです。
建築されたのは明治末期と伝わっています。1917(大正6)年に改築した記録が残り、そこには改築に携わった棟りょうや左官の名前も並んでいます。【写真・文 金澤稔】