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戦後80年
日本の終戦から、2025年で80年を迎えます。「戦後80年」を考えるニュースをまとめました。
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旧日本軍の埋没戦車から遺骨と日本刀発見 パラオ・ペリリュー島
2024/12/27 20:48 -
戦後80年
義勇軍参加、伝わる高揚 満蒙開拓 長野出身・森田節夫さんの日記 郷士史家ら「真に迫る」保存・公開検討 /長野
2024/12/27 05:03 -
戦後80年
「平和賞」オンラインイベント 被爆、継承へ思い新た /東京
2024/12/25 02:01 -
戦後80年
敵国から「永遠に友達」 フィリピン兵、元陸軍中尉にメッセージ 写真裏に英文、芝山の自宅から見つかる /千葉
2024/12/24 05:09 -
戦後80年
熊谷空襲「自分ごとに」 市民団体 小学校で公開授業 悲劇体験 児童たちに伝承 /埼玉
2024/12/21 05:02 -
戦後80年
平和かみしめ歩む 大学生11人ら、園児疎開の道体験 桶川駅~蓮田・妙楽寺6キロ /埼玉
2024/12/18 05:02 -
戦後80年
ペリリュー眠る兄よ、父よ 遺骨発見願い「最後の慰霊」へ 壊滅の戦車隊、掘り起こし進む
2024/12/13 02:01 -
戦後80年へ
教え子、戦場に送らぬ 軍国少年、価値観が一変 語り継ぐ会、安藤さん 熊本 /熊本
2024/12/12 05:40
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旧日本軍の埋没戦車から遺骨と日本刀発見 パラオ・ペリリュー島
2024/12/27 20:48 893文字日本から南に約3000キロの太平洋に浮かぶパラオ・ペリリュー島で湿地帯に埋められた旧日本軍の戦車から12月、新たに遺骨が発見された。太平洋戦争で日米が激戦を繰り広げた島では80年が過ぎた今も多くの兵士の遺骨が眠る。現地で発掘調査を見守った千葉と青森の遺族は遺骨が親族のものであることを願い、今後の調
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戦後80年
義勇軍参加、伝わる高揚 満蒙開拓 長野出身・森田節夫さんの日記 郷士史家ら「真に迫る」保存・公開検討 /長野
2024/12/27 05:03 2004文字長野県開田村(現木曽町)出身で、戦争中の「満蒙開拓青少年義勇軍」に入った森田節夫さん(1926~42年)が残した日記などについて、郷土史家らが保存や公開方法を検討している。開拓のため、満洲(現中国東北部)へ渡った人の日記は、敗戦と引き揚げの混乱で失われたものが多く、当時の生活や心情を知る上で貴重と
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戦後80年
「平和賞」オンラインイベント 被爆、継承へ思い新た /東京
2024/12/25 02:01 593文字核兵器禁止条約の署名・批准を日本政府に求める一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」は22日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へのノーベル平和賞授賞式を振り返るオンラインイベントを開いた。式典に合わせてノルウェー・オスロに渡航した参加者が現地の様子を報告し、来年の被爆80年に向けて思
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戦後80年
敵国から「永遠に友達」 フィリピン兵、元陸軍中尉にメッセージ 写真裏に英文、芝山の自宅から見つかる /千葉
2024/12/24 05:09 1461文字「私の友人、小川さんへ。永遠に友達でいましょう」――。第二次世界大戦でフィリピンに出征した元陸軍中尉の小川亨さん(故人)=芝山町菱田出身=の自宅から、裏面に英文のメッセージがしたためられた写真が見つかった。終戦後に出会ったフィリピン兵から贈られたと見られ、「1946年12月15日」とも記されていた
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戦後80年
熊谷空襲「自分ごとに」 市民団体 小学校で公開授業 悲劇体験 児童たちに伝承 /埼玉
2024/12/21 05:02 909文字戦争終結を目前に控えていたにもかかわらず米軍機によって焼き払われ、266人の命が奪われた熊谷空襲。悲劇を子どもたちに伝えようと、市民団体「熊谷空襲を忘れない市民の会」代表の米田主美(かずみ)さん(79)の公開授業が20日、同市石原の石原小学校(加藤信校長、児童数702人)で開かれた。「自分ごととし
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戦後80年
平和かみしめ歩む 大学生11人ら、園児疎開の道体験 桶川駅~蓮田・妙楽寺6キロ /埼玉
2024/12/18 05:02 918文字1944年11月、蓮田市高虫の妙楽寺に「疎開保育園」が開設されてから80年となったのを受け、同寺で平和の大切さを考える集いが開かれた。集いには保育士を目指す大学生も参加。3歳から6歳の幼い園児53人を連れて、最寄りの桶川駅(桶川市)から妙楽寺まで約6キロを歩いた当時の保母らの苦労を知ろうと、同じ道
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戦後80年
ペリリュー眠る兄よ、父よ 遺骨発見願い「最後の慰霊」へ 壊滅の戦車隊、掘り起こし進む
2024/12/13 02:01 1903文字太平洋戦争で日米が激戦を繰り広げたパラオ・ペリリュー島には今もなお多くの兵士の遺骨が眠る。13平方キロほどの小さな島で80年前に父や兄が戦死した遺族らが12日、「再会」を願い現地に向けて出発した。 遺族は、兄の関根実さん(当時22歳)を亡くした千葉県銚子市の丁子(ようろご)八重子さん(87)と、父
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戦後80年へ
教え子、戦場に送らぬ 軍国少年、価値観が一変 語り継ぐ会、安藤さん 熊本 /熊本
2024/12/12 05:40 528文字市民団体の「戦争を語り継ぐ会」の集いが熊本市中央区の「ウェルパルくまもと」であり、会で長年代表を務める安藤冨士記さん(94)が「純粋培養の軍国少年から」と題して講演。戦前、戦中の経験とともに、戦後に社会の価値観が一変する様などを語った。【山口桂子】 安藤さんは終戦当時15歳。熊本市中心部にあった「
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戦後80年「戦争をしない」を続けるために
日米開戦たたえた議員に「よくぞ言ってくれた」 SNS時代なら
2024/12/10 07:00 2540文字「戦争をしない」を続けるために何ができるのか。戦後80年、そしてその先を見据えた座談会の2回目。【司会は前田浩智主筆、構成・鈴木英生】 <関連記事> 「メディア議員」が導いた先の大戦 第1回「メディアと政治」座談会 インテリ層は苦手? 曖昧な情報に耐える「ネガティブリテラシー」 若者の戦死に耐えら
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戦後80年「戦争をしない」を続けるために
若者の戦死に耐えられない現代日本 少子化の中国、10年後の姿
2024/12/10 07:00 2548文字政治とメディアの適切な距離とは。戦前、戦中の歴史的経緯を踏まえたうえで、現代の政治状況に照らし合わせると。戦後80年座談会の最終話です。【司会・前田浩智主筆、構成・鈴木英生】 <関連記事> 「メディア議員」が導いた先の大戦 第1回「メディアと政治」座談会 インテリ層は苦手? 曖昧な情報に耐える「ネ
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