【連載】〜I LIKE YOU〜忌野清志郎──《第12回》zAk × 佐野敏也
INTERVIEW : zAk(レコーディング・エンジニア)× 佐野敏也(スペースシャワーネットワーク)
プライベート・スタジオ「ロックン・ロール研究所」で音源制作を行うなど、音作りへの深いこだわりを持っていた忌野清志郎。『KING』『GOD』といったキャリア後年の作品ではソウル・クラシックな音作りが際立っている。そうした作品に携わっていたのが、FISHMANSの作品等で知られるレコーディング・エンジニアのzAkだ。そしてその間を取り持った人物が、『RUFFY TUFFY』『冬の十字架』でレコーディング・ディレクターを務めた佐野敏也氏。2人が間近で見た忌野清志郎の姿とは? zAkの所有するスタジオ「ST-ROBO」にて、対談形式で話を訊いた。
企画・取材 : 岡本貴之 / ゆうばひかり
文・編集 : 岡本貴之
撮影 : ゆうばひかり
ページ作成 : 鈴木雄希(OTOTOY編集部)
協力 : Babys
高校時代、まわりはRCのコピーバンドばっかりだった
──お2人は、お仕事で関わる前から清志郎さんの音楽は聴いていらっしゃったんですか。
佐野 : 僕は世代的には高校の頃に『RHAPSODY』(1980年6月5日)『PLEASE』(1980年12月5日)『BLUE』(1981年11月21日)を聴いて、そこから遡って『シングル・マン』(1976年4月21日)。自分でバンドをはじめる頃に、夢中になって聴いていました。まわりはRCのコピー・バンドばっかりだったし、オリジナルをやっている人もみんな、RCみたいな曲ばっかりやってましたよ。
zAk : RCの活動時期ってどれくらいなんだっけ?
佐野 : 1990年まで活動してた。
zAk : 20年やってたんだ。
佐野 : そう。僕がこの世界に入って音楽の仕事をはじめたときは、「I LIKE YOU」が入ってる『Baby a Go Go』(1990年9月27日)のときだった。
zAk : ああ〜、ヘンリー・ハーシュ(※)とやったやつ?
※ ヘンリー・ハーシュ
レニー・クラビッツのデビュー・アルバム『Let Love Rule』で知られるエンジニア。
後にMr.Childrenのアルバム『深海』も手掛けた
佐野 : そうそう、ヘンリー・ハーシュ。やっぱり音にはすごくこだわっていたじゃない? 清志郎さんって。
zAk : うん、たぶん人と違うところにこだわってた。
当時の清志郎さんのマネージャーから「zAkさんを紹介してほしいんですけど」って言われたんだよね
──zAkさんが清志郎さんと仕事をするようになったのはなぜですか。
佐野 : 僕が担当を離れていた時に、当時の清志郎さんのマネージャーから電話がかかってきて「zAkさんを紹介してほしいんですけど」って言われたんだよね。どうしてかって訊いたら、「ボスがzAkさんでやりたいって言ってるんですよ」って言われて。
zAk : そうなんだ?
佐野 : その理由までは聞かなかったけど、繋いだんだよ。そのときに、zAkに電話が行くかもしれないよって伝えたら、「なんで?」って訊かれたんだよね。それで、「理由はわからないけど、歌は1回録っておいた方がいいかもよ」って言って。「そのくらいすごいよ」っていうことは言った気がする。
RCの曲は、リマスターを手掛けたときに大量に聴きました
──zAkさんは、学生時代に清志郎さんの曲を聴いていたりした経験はありました?
zAk : ないんですよ、それが(笑)。僕は邦楽体験がほとんどなくて。だから、いま仕事で携わっているアーティストたちの音楽も、最初はほとんど元を知らないでやっていたりするんです。やりながら段々学習していくというか。
──ではRCの曲をしっかり聴いたのは、近年のアナログ再発のときにリマスターを手掛けたときなんですか?
zAk : そうですね。1回全部リマスターをしたときがあって。そのときにすごく大量に聴きました(『初期のRCサクセション』(1972年2月5日)から『BLUE』までのリマスターを手掛けている)。
〈完全復活祭〉のゲネプロに行ったらzAkがいて驚いた
佐野 : じつは、僕とzAkで清志郎さんまわりの仕事を一緒にやったのって、そんなにはないんだよね。zAkがミックスを手掛けることになった『KING』(2003年11月19日)とか『GOD』(2005年3月2日)とかあのあたりは、僕は離れていたし。
zAk : ああ、そうだっけ?
佐野 : そう。自分はしばらく清志郎さんのところを離れていたんだけど、〈忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館〉(2008年2月10日)のときに、レコーディング・ディレクターとして参加したんです。そうしたら、zAkがPAをやっていて。
zAk : やりましたね。
佐野 : 〈完全復活祭〉のゲネプロで芝浦スタジオに行ったらzAkがいて、「今回のPAはzAkさんなんで」って言われて「えっマジで!?」って驚いたのを覚えてる。
──山本キヨシさん、蔦岡晃さんのお話によると、清志郎さんが〈完全復活祭〉はzAkさんをPAにしたいと希望したそうですが。
zAk : あ、そうなんですか?
佐野 : うん、そう言ってたよ。本当は〈完全復活祭〉のときは僕じゃなくてうちの若い子がディレクターをやる予定だったんだけど、若い子が行ったらプレッシャーで大変だろうから、僕がおせっかいを焼いて行ったんですよ。そのときに、清志郎さんが誰かと話していて、(zAkが作るライヴの音は)「CDみたいなんだよ〜」って言ってたよ。独特の表現やなぁ〜って思ったけど(笑)。
zAk : 「CDみたい」って、良いのかどうなのかわからないよね(笑)。〈完全復活祭〉のPAはけっこう大変だった思い出がありますね。「メンバーが多いなあ」とか、「音数が多いなあ」とか(笑)。しかも360度音が鳴っていて、いろいろ大変でした。グランドピアノが来ちゃったりとか。ああいうバンド編成でフルグランドって長いやつとかは大変なんですよ。短いやつの方が扱いやすいので。音的な大変さがありましたね。
スタジオに2人でいてもそんなに喋ったことないです。空気が似てるんですよね
──zAkさんが清志郎さんの作品に関わったのは、LOVE JETSがはじめてだったんですか。
zAk : そうです。それと、「恵比寿ミルク」っていうクラブで、日本で最後に〈チベタン・フリーダム・コンサート〉をやったときに、僕が主催者と知り合いだったので、面識ができたばかりだった清志郎さんに頼んだらすぐに出てくれることになって。ものすごい爆音の弾き語りをしていて、めちゃくちゃカッコよくて。周りの人みんなが喜んでくれたので、その日のことはよく覚えています。そのときが、清志郎さんと面と向かって話したはじめてのときですね。
──清志郎さんはとてもシャイな方だったと聞きますが、zAkさんははじめてお会いになったとき、どんな印象を持ちました?
zAk : 僕もあんまり人と喋るのが得意じゃなかったので、ちょうど良かったです。
佐野 : ははははは(笑)。
zAk : 空気が似てるんですよね。今日みたいに、2人でよくここ(zAkのレコーディング・スタジオ)にいたんですけど、そんなに喋らなかったです。というか、そんなに喋ったことないですね。
──清志郎さん側が佐野さんにzAkさんの紹介を頼んできたのは、FISHMANS繋がりということですよね。
佐野 : そうです。当時、僕はFISHMANSを担当していたこともあって、zAkを紹介してくれっていう電話がよく来ていたんですよ。それで、その中に清志郎さんのマネージャーさんもいたんです。どんな理由で、ということまでは根掘り葉掘り聞かなかったですけど。だから清志郎さんご自身がFISHMANSの作品を聴いたかどうかまでは聞いたりはしていないです。
『RUFFY TUFFY』のスタジオで歌入れを聴いてぶっ飛んだんですよ。「すっげえ!!」って
──では、佐野さんと清志郎さんとの最初の接点は?
佐野 : ポリドール時代に、『RUFFY TUFFY』(1999年7月28日)を担当することになってからです。おじけん(FISHMANSの元ギタリストでデザイナーの小嶋謙介)がジャケットをやったやつ。彼は僕が紹介したんです。
──高校時代からRCを聴いていた佐野さんですが、清志郎さんと一緒に仕事することになったときには、どんなことを思いましたか。
佐野 : なんというか、正直うれしくなかったと言ったら語弊があるんですけど、やっぱり、なんといっても忌野清志郎じゃないですか?「えっ!?俺⁉」みたいな感じで(笑)。何をするかイメージができなかったんですけど、当時のマネージャーさんに「歌録りがあるからスタジオに来てください」って言われて、『RUFFY TUFFY』を制作中のスタジオに2回くらいお邪魔したんです。完全アウェイ状態で、隅っこにいたんですけど、そのときに歌入れを聴いてぶっ飛んだんですよ。「すっげえ!!」って。だから、zAkに繋いだときは、その時の感想を言ったんです。「歌すごいよ、録った方が良いよ」って。
──もちろん、それまでもライヴで生歌を聴いたことはあったわけですよね?
佐野 : ありましたけど、スタジオで聴くのは違いますからね。それで、ジャケットのデザイナーを誰にするかっていう話になったときに、小嶋君を紹介したらハマって。ロッ研(ロックン・ロール研究所)でポラを見ながら、ああしようこうしようって言いながら、結局長女の百世さんが写ったポラロイド写真を使ったジャケットになったんです。
そうしているうちに、清志郎さんと小嶋君は一緒に自転車にも乗るようになったりしたんです。その次のアルバムが『冬の十字架』(※2)(1999年9月22日)だったんですけど、あのアルバムもパッケージまわりの、所謂メーカー・ディレクター的なお手伝いをしたんです。『冬の十字架』のジャケットは、たしか、小嶋君と僕で話していたときに「実家で撮れないかな?」っていう話になって。それで(実家に)行ってみたら良い感じだったので、ああいうジャケットになったんですよ。そのときはさすがに感激しましたね。その後はしばらく離れて〈完全復活祭〉のときにまた関わることになって。〈完全復活祭〉は、当たり前ですけどライヴスタッフの熱量がすごいと思ったので、ちゃんとその熱を受けられるようにした方が良いですよって当時のレーベルのボスに言って、サポートで自分も関わることになったんです。
※2 『冬の十字架』
忌野清志郎 Little Screaming Revue名義のアルバム。
「君が代」のカヴァーを収録しており、インディーズからの発売となった。
なんか四苦八苦して録った形跡があるな、みたいな(笑)
──レコーディングについてお伺いしますが、たとえば『KING』についてはzAkさんは清志郎さんとどんな話をしましたか?「こんな音にしたい」とか。
zAk : いや、ないですよ。「こういう音にしたい」とか、何かをどういう風にしようっていう話はしたことがないです。僕はロッ研(清志郎のプライベート・スタジオ「ロックン・ロール研究所」)で録った音をもらってそれをミックスしたので。なんか四苦八苦して録った形跡があるな、みたいな(笑)。
佐野 : ははははは(笑)。
zAk : 清志郎さん自身がラフミックスしてたのかな? そのあたりは覚えてないですけど。
ものすごい変わった声なのに、聴いていて嫌な気持ちにならない。それはたぶん…
──実際に仕事をするようになってから、清志郎さんについてどのように感じましたか。
zAk : エンジニア的な観点で言うと、人前で歌って華がある人、多くの人が聴ける声の持ち主の人っていうのは、マイクが関係ないんだなって思いました。
──「マイクが関係ない」というと?
zAk : みんな、(レコーディングの際に)いろんなマイクを使って試してみるんですよ。それこそ、5万円くらいのものから200万円くらいのものまで。でも、(清志郎は)基本的に声の特徴が変わらないから、聴こえてくる音としての声が一緒なんですよね。まあ、何でもいいかって言ったらそうでもないし曲に合わせて選んではいたんですけど、そこはすごいなと思いました。さっきも車の中で聴いていて思ったんですけど、ものすごい変わった声なのに、聴いていて嫌な気持ちにならないんですよね。それはたぶん、本当のことしか言ってないし、本当の声でしか歌ってないからだろうなって。嘘がまったくないからじゃないかなって思います。
──そういうニュアンスは、たとえばFISHMANSのヴォーカル佐藤伸治さん(1999年3月に逝去)等、他のアーティストにも感じることはありましたか。
zAk : 幸い、僕が一緒にやっている人たちは、本当のことを歌っている人ばかりだと思います。そういう人たちがこっちに来てくれるのかもしれないですけど。
──佐野さんは清志郎さんのヴォーカルについてはどんな思いがありますか。
佐野 : ライヴではたくさん聴く機会がありましたけど、すごく個性的だし心を掴まれますよね。自分が音楽制作のディレクターをやってきた中でも、最初に歌った瞬間の声のインパクトは、いまだに残ってますよね。そういう人はあんまりいないですよ。「うわっすげえ!!」っていう。
──その「すげえ!!」っていうのをもう少し具体的に言葉にしてもらうと……。
佐野 : いや、もう「すげえ!!」しかない。
zAk : 「すげえ!!」は「すげえ!!」ですよ(笑)。言い表す言葉がそれしかない。
『KING』の音を聴いたら「これはオーティス・レディングだな」って
──オーティス・レディング「Try A Little Tenderness」的に展開していく「Baby何もかも」から始まる『KING』は、こもった感じの音が特徴的ですが、どんな音に仕上げるかはzAkさんに委ねられていた感じなんですか。
zAk : そうですね。音を聴いたら「これはオーティス・レディングだな」って思ったので。そういう風にした方が良いのかな、とか。それを今っぽくしてもしょうがないので(笑)。かといって、こっちも昔の機材でミックスするわけではないので、そこは違うんですけど。でも、僕も10代の頃にブラック・ミュージックが好きでよく聴いてたし、これは1960年代の音だなっていう。何か言われたかっていうと言われてないと思います。その前のLOVE JETS(『ちんぐろ』(2003年7月2日))のときも、何も言われてないから。
── LOVE JETS『ちんぐろ』と『KING』って、真逆にある感じの作品ですよね。LOVE JETSのアルバムが斜めすぎるというか(笑)。
zAk : LOVE JETSはおもしろかったですね。ヘンな録りかたをしていたのを、清志郎さんはすごく喜んで見てたのを覚えてます。ドラムの周りに別でスネアとかを置いて、そこに別にマイクを立てて、ドラムを叩いて別のスネアの音が一緒に鳴っているのをまた別で録って足していくっていう。
佐野 : すごいことやってたね(笑)。
──それは、清志郎さんのアイデアで?
zAk : いや、僕が勝手にやってただけです(笑)。それを清志郎さんは喜んでくれました。
強制をしてまわりが動くのが正しくないっていうことをわかっているんじゃないかな
──清志郎さんは、あまり人に「こうしてほしい」とかって言わない方だったんですね。
zAk : たとえば、「ごはんを食べたい」って直接的に言う人と、「お腹がすいたなあ」ってボソって言う人といると思うんですけど、清志郎さんは後者の方ですね。それでどういう風に思うかは人それぞれじゃないですか? 「じゃあ、ごはんを作りましょう」って言う人もいるし、放っておく人もいるし。それは人の自由だから委ねるみたいな感じはありましたね。でも、僕以外にも清志郎さんを見ている人もいるから、「清志郎さんはお腹が空いてるっぽい」って思う人は別のアクションを起こすし。たぶん、強制をして周りが動くのが正しくないっていうことを、わかっているんじゃないかなって。そこには本来の喜びは絶対にないから。それぞれが本心でやりたいことをやるっていうところは、ちゃんとあるんじゃないかなと思います。
「RC、再結成しません?」
佐野 : 僕は本当にそんなに喋ったことはないんですけど、一度「RC、再結成しません?」って本人に言ったことがあるんですよ。たぶん、そんなこと直接本人に言ったのは僕くらいだと思うんですけど(笑)。僕が当時の関係者と一番繋がっていた時期、FISHMANSでRCの前の事務所と繋がっていたり、山崎まさよしでオフィス・オーガスタの森川(欣信)さんと繋がっていたりとか、宗像(和男)さんとか、いろんな方々と繋がっていたときに、ポロっと「RC再結成すればいいじゃんね?」って何気なく言ったら、「佐野さんだったら言えるかもしれない」って宣伝担当者に背中を押されちゃって。後にも先にもそれくらいだと思うんですけど、取材が終わった後の清志郎さんに、モジモジしながら「RC、再結成するというのはどうでしょう?」って言ったんですよ。そうしたら、長い沈黙があって。ひと言で言うと「そんなに簡単なことじゃない」というニュアンスのことを言われました。
──それはいつ頃の話なんですか?
佐野 : 僕が最初に関わった『RUFFY TUFFY』の時です。後は『冬の十字架』までしか僕は関わっていないので。たぶん〈RESPECT! 忌野清志郎〉(2000年3月3日 日本武道館)をやった前後だと思うんですよね。結果的には、〈完全復活祭〉のときみたいな、ソウル、ロックンロールショーをやったらどうなるのかなっていうのは、清志郎さんもあったのかもしれないですけど。
──なかなか、古くからのスタッフの方だと言いにくいことだったんじゃないかと思いますけど、言った後の周囲の反応はどうだったんですか?
佐野 : まあ、みんな笑ってましたよ(笑)。それからは二度とそんなことは言わなかったですけど。「それはそうだよなあ」って。それと『シングル・マン』のレコーディング・ドキュメントをやったときに、僕とzAkはちょっと協力したんですよ。現場で映らないようにトラックのパラデータを聴いていたんですけど、そのときに思ったのは、僕は別のアーティストで『シングル・マン』と『RHAPSODY』を超えるものを作りたかったのかなっていう気がしたんですよね。やっぱり日本で音楽の仕事をしている以上、この2作品を目指したいというか。そういう意味では、それを作った本人に対してはリスペクトしかなかったですし、話しかけようにも緊張してしまってどうしたらいいかわからなかったです。だから、あんまり話したことはなくて。
ダック・ダンがず〜っとコードを間違えててクロッパーに怒られてて。あれはめっちゃおもしろかった(笑)
──そのときくらいなんですか、清志郎さんとちゃんとお話したのは。
佐野 : さっきのRC再結成の話と、あとは最後の「RUN寛平RUN」(2009年1月14日配信限定リリースの『RUN寛平RUN / 走れ何処までも』)のときくらいですね。あれはここで録ったよね?
zAk : ここでやったね。スティーヴ・クロッパーとドナルド・ダック・ダンがきて。「あ! ブルース・ブラザーズや!」って思いました。
佐野 : あのとき、ダック・ダンがコードを間違えてクロッパーに怒られてたよね?「だから、そこはそうじゃないっ!」「ごめん、ごめん」「また間違えた!」とかって。
──ははははは(笑)。貴重なシーンを目撃してますね。
zAk : ダック・ダンがず〜っと、間違えてCのコードを弾いてて。
佐野 : そうそう(笑)。
zAk : あれはめっちゃおもしろかった(笑)。
佐野 : 本当、コントでしたよ。
zAk : 〈サタデー・ナイト・ライブ〉みたいだったもんね。
佐野 : それを見て清志郎さんが笑っているという(笑)。そのとき、マスタリングをしていたときに、清志郎さんが突然僕に「「Run Rudolph Run」(ラン・ルドルフ・ラン / チャック・ベリーの曲)って、中黒(・)あったっけ?」って訊いてきたんですよ。それで「確かあったと思いますけど」って答えて。「RUN寛平RUN」っていうタイトルにするからっていうことで、確認したかったみたいですけど。それが、アーティストとディレクターとして交わした唯一の会話くらいです(笑)。音楽の話もしたことないし、ストーンズが好きだとかも言ってないのに(チャック・ベリーの曲をローリング・ストーンズのキース・リチャーズがカヴァーしたバージョンがある)。でも、いきなり訊かれたからすぐ一緒に調べて。ちゃんと話したのって本当それくらいなんですよ。
──zAkさんも、それほど話した記憶はないですか。
zAk : 僕は、スタジオに2人でいることが多かったから、もっといろいろ話していたと思うんですけど、あんまり覚えてないんですよね。自転車で走ってきて、スタジオに入って「ハァ〜」って一息ついて、いろいろ喋ってたと思いますけど、あまりにも普段、自然な会話しかしてなかったから。そういえば、いま思い出したんですけど、一番最初にこのスタジオに来たときに「神社みたいだね」って言われたんですよ。
──まさかそこからLove Jetsの曲「UFO神社」の発想が生まれたんでしょうか⁉
zAk : いや、それは知りません(笑)。
佐野 : まあ、「UFO神社」っぽいといえば「UFO神社」っぽいけどね、ここ(笑)。
一同 : (笑)。
「JUMP」は問答無用の名曲でしょう
──では、好きな3曲を挙げてもらえますか。
佐野 : RCから1曲選ぶとするなら、最後のシングルになった「I LIKE YOU」です(『Baby a Go Go』にも収録)。その頃にはもう、ディレクターとして音楽の仕事をしていたので、アルバム自体もファン時代とは違った視点で見て聴いてたし「すげえな」って思ったんです。その中でめちゃめちゃポップな曲が「I LIKE YOU」で。シングルが出たときは買いました。2曲目は「JUMP」。問答無用の名曲でしょう。メロディの良いロックンロールというか、これは最高ですよ。
zAk : ライヴでカッコよかったよね、この曲は(「完全復活祭」の1曲目だった)。すごく世界が開けていく感じで。
佐野 : そうそう、開けて抜けていくんだよね。
zAk : そこかな、清志郎さんの良いところは。声を聴いて、バーっと花が咲いていくようなところ。
──〈完全復活祭〉の1曲目で「JUMP」が始まったとき、観客が360度清志郎さんを囲んだ武道館の光景はまさにそんな感じでした。
zAk : そうですよね。
佐野 : 筑紫哲也さん(故人)も、ブルーノート東京のライヴの時(2008年2月18日)に前説で「JUMP」のことをコメントしてたよね。すごい曲だって。
zAk : 筑紫さんが前説っていうのがすごいよね(笑)。
佐野 : 3曲目は「毎日がブランニューデイ」。歌詞が良い。(実際にスタジオで聴きながら)いいよね? グルーヴもいいし。
zAk : あ、“75%”の曲ね。これは良いよね。
佐野 : うん、めちゃめちゃ良い曲だよね。この3曲かな。暗いときに聴く曲もあるけどね。「いい事ばかりはありゃしない」とか「ひどい雨」とか。でも今の気分だとこの3曲です。
佐野敏也が選ぶ忌野清志郎の3曲
①「I LIKE YOU」
②「JUMP」
③「毎日がブランニューデイ」
僕がディレクターとして一番ライヴ・アルバムを出したのは『RHAPSODY』があったから
──では、アルバムを1枚選んでください。
佐野 : 『忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館』(2008年6月18日)かな……いや、やっぱり『RHAPSODY』(1980年6月5日)にしておこう。僕はディレクターとして一番ライヴ・アルバムを出してると思いますけど、それは『RHAPSODY』があったからなんですよ。『完全復活祭』が終わって、相澤さん(清志郎事務所の当時の代表)と話していたら「次のアルバム、どうしよう」って言われたんですよ。それで僕は『RHAPSODY 2』を作ったらどうかって言ったんです。RCじゃないから違うっていうことはあるんだけど、今ライヴで新曲を録るっていうのはすごく良いんじゃないですかって。そう言ったのだけは覚えてます。その後に連絡があって、本人と直接話してって言われたんですけど、その後体調を崩されたので、結局打ち合わせもできなかったんですけどね。そんなこともあって、『RHAPSODY』を選びたいです。
佐野敏也が選ぶ忌野清志郎のアルバム
『BABY#1』レコーディングエピソード
──zAkさんはいかがでしょうか。
zAk : アルバムは、自分でやらせてもらった『BABY#1』(2010年3月5日)が好きですね。これは思い入れがあって。清志郎さん本人がいなくて、他の関係者の方とか、所縁が深かったミュージシャンの方々を「この曲はこの人に頼もう」ってどんどん集めてこのスタジオに来てもらって録音したんです。息子さんの竜平君にも来てもらってコーラスをやってもらって(「I LIKE YOU」で参加)。でも、お父さんに似て竜平君もすごくシャイだから、みんなに見られているのが恥ずかしいっていうことで、僕と竜平君2人きりにしてもらって、ここで録ったんです。
zAkが選ぶ忌野清志郎のアルバム
佐野 : あれは、すごく良かったよね。
zAk : それでコーラスをやってもらったら、すごく声が馴染むから、ビックリしましたね。そこはすごく感動しました。
──清志郎さんが旅立った後のアルバムですけど、思い出深い作品になったんですね。
zAk : そうですね。しかも、僕が全く知る由もない頃の、1989年の録音ですよね(※1989年にベーシストの小原礼とLAでレコーディングされた未発表音源が元になっている)。なんで当時出なかったのかはわからないですけど、それを完成させたいっていうお話をいただいて。僕なんかでいいのかなって思いましたけど。でもやるだけのことはやらせてもらおうと思って、音楽的にも良いものが作れたと思ってます。
佐野 : 大変だよね。zAkもそのときに言ってたけど、アーティスト不在で作品を完成させるっていうのは、作る側はすごくヘヴィだよね。どこに落とし込むかっていうのは。
zAk : 何度もそういう状況になってるけど。亡くなってその直後に作らないと駄目っていうことはよくあるので。
佐野 : これは、NYのテッド(テッド・ジェンセン)のところにマスタリングに行ったよね。
zAk : そうだね。あれは絶対、テッドの方が良いと思ったから。
佐野 : それで、zAkと2人でNYに行ったんですよ。
「ぼくの家の前の道を今朝も小学生が通います」を聴いてたら…
──では、zAkさんの好きな曲を挙げてもらえますか。
zAk : 僕は3曲選ぶのが難しいので、1曲にさせてください。「ぼくの家の前の道を今朝も小学生が通います」(『sings soul ballads』(2011年11月23日)収録)という曲なんですけど。なんでこの曲かというと、今朝ごはんを食べながら清志郎さんの曲をいろいろ聴いていて「この曲全然知らないな」って思いながら「ぼくの家の前の道を今朝も小学生が通います」を聴いてたら、外からものすごく大きな声が聞こえたんですよ。それで外を見てみたら、僕の家の前の道をランドセルを背負った小学生が30人くらいバーッて通っていたんです。それを見たときに「ああ、清志郎さんっぽいな」って思ったんですよね。引きが強いというか、亡くなっていてもそういうことが起こるっていうのは、清志郎さんっぽいなっていうか、今日のこの取材があったからそういうことが起こったのかなって思いました。この曲が僕の思い出に残っているから選んだわけではないんですけど。でもたぶん、どの曲でも良いんですよ。歌詞も全部素晴らしいし、この声で歌われたらどれも良く聴こえると思うし。だから敢えて曲で選ぶっていうのは難しいなって思いましたし(「ぼくの家の前の道を今朝も小学生が通います」を選んだ理由は)そういうことかなって思います。
zAkが選ぶ忌野清志郎の1曲
①「ぼくの家の前の道を今朝も小学生が通います」
「俺はいないけど、みんなの力を合わせて頑張るときだ」っていうことなのかなって
──では最後に、若い音楽リスナー、アーティストに向けて清志郎さんのどんなところをとくに知って欲しいかメッセージをお願いします。
zAk : 音楽の話と少し離れてしまうかもしれないですけど、3.11の震災があったときに、若い人を含めて、みんながこれからのことをすごく考えたと思うんですよ。そのときに、清志郎さんはもういなかったわけじゃないですか? 僕は「こういうときに清志郎さんならどうしてたのかな」って、ずっと思っていて。音楽を通して正しいことを伝えるということに関しては、みんな結構、清志郎さんに頼ってたんだなって思ったんですよね。
あのとき、いろんなメディアやSNSとかYouTubeを通して、自分が持っている音で頑張って訴えようとした人は多かったけど、全然そこまで及ばなかったなって思ったんです。そこまで強くなかったというか。(清志郎は)たぶん1人でも立ち上がって何かをやって、いろんなことをみんなに伝えていたんじゃないかなって。あの頃は、いろんな人が亡くなっていて、そうやって1人でも人前に立てる人がいなくなっていたというか、そういう時期じゃなくなっていた気がしたんです。でも、これは「みんなで頑張れよ」っていうことなのかなって、僕は思っていて。「俺はいないけど、みんなの力を合わせて頑張るときだ」っていうことなのかなって思いながら過ごしていました。
いま、そういう存在の人がいない世界ですけど、何かに頼るのではなくて、自分たちで正しいことを切り開いて、正しいことをちゃんと見て声に出していくっていうことをすべきじゃないかっていうことを、僕は清志郎さんを通して思いました。
佐野 : さっき〈完全復活祭〉のときの「JUMP」がすごく良いっていう話をしましたけど、今zAkが話したようなことも含めて、全部あの曲に入ってるんじゃないですかね。僕はエンターテイメントにいろんなことを盛り込んで伝えていくというのがすごく好きなんですけど「JUMP」っていう曲の中に全部それが入っている気がします。だから、清志郎さんの曲を知らない人は、今の時代だったら「JUMP」を聴いてみるのが良いんじゃないかと思います。
>>>【連載】〜I LIKE YOU〜忌野清志郎は、次回7月27日(金)掲載の第13回で最終回となります。最後は清志郎ファン代表のあの方が登場! お楽しみに!