「いわゆる、強化形ネアカ」ってのがよくわからん
人間、権威には弱いものといいますが、さすが長年権威と付き合ってきた生命体だけあって、多種多様な権威への依存方法を持つようです。最近見かけるのがおおいのは「権威を批判することによって、自分を大きく見せること。これに依存するヤツ」です。なんというか、さも自分が偉いやつの誰も気付かないあの点を指摘してやったwみたいな顔をして言ってたりコメントしてたりするんですが、お前の言ってることってたいした説得力ないし、お前が自分に対するささやかな賞賛が欲しくてそれ言ってることって見栄見えだから。まじはずかしくないんかね?と思います。
前段、女性差別がどうとかで批判してる人なら分かるが、hokusyu氏は女子学生への肩入れ具合はかなり控えめだと思うがなあ。彼の提示してる論理自体はもう女子学生と関係ないだろ。
後段、モデルとしての単純化を言いたいのだとしても、トリアージを引き合いに出す必要全くねえわなw というか、他の現実的論点を呼び込んで余計に複雑化してるじゃねえか、「現に」。不適切だったのはあきらかだよねえ。
「お嬢さん、貴方の言うことは現実にはよく分かる。でも、これはモデルとして単純化した話なので、利益の最大化という単一の目的を設定した上で見ることに同意して欲しい」
とでも言えばいい。モデルとして彼女の観点を容れるのが複雑すぎるのだとしても、現実の問題としての彼女の疑問を封殺する必要は無いはずだ。
つーか、Fランク(という言い方もどうかとは思うが)の学生にこそ、モデルという概念やその意義は教え込んでおくべきだ。学問全体の基礎だからな。
いわゆる、強化形ネアカの人にありがちな会話作法として「(相手が何か主張したときに、不自然なくらいの笑顔で)ですよねー」と言い返すのってあるけど、
それを受けて「会話が楽しい」と感じている人っているのかな。
「礼儀のひとつだからなんとも思っていない」というのはあると思うけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A2
発端
http://mainichi.jp/select/world/news/20080807dde007030032000c.html
インタファクス通信によると、南オセチアを実効支配する独立派政府は、勢力圏内の要衡をグルジア治安部隊が占拠したため、砲撃戦の末に奪還したと主張。一方グルジア側は、グルジア支配地域の村が砲撃されたため反撃したと主張している。独立派政府はグルジアの砲撃で住民3人が負傷したと発表。グルジア側は死傷者はなかったが、数十軒の住宅が破壊されたとした。
軍が砲撃開始
http://mainichi.jp/select/world/news/20080807dde007030032000c.html
グルジア軍の司令官は8日、グルジアのテレビを通じ「われわれが一方的に停戦したにもかかわらず、独立派が攻撃を継続した。憲法秩序回復のため攻撃に踏み切った」と説明した。
グルジア軍の攻撃に対しては、南オセチアに隣接する同じ民族でロシア連邦内の北オセチア共和国や、グルジアから同じく分離独立を求めるアブハジア自治共和国の独立派勢力が義勇兵を派遣し、グルジアと闘う姿勢を見せている。再燃した南オセチア紛争が、カフカス全体に飛び火する懸念もある。
http://mainichi.jp/select/world/news/20080808dde001030035000c.html
ロシアのテレビ局は、現地の特派員電で少なくとも15人が死亡したと伝えた。90年代の紛争が再燃し、現地に駐留するロシア平和維持軍を巻き込んだ本格的戦闘につながる恐れも出ている。国連安保理はこの問題に対応するため、緊急会合を開くことで合意した。
グルジア軍司令官は8日、グルジアのテレビを通じ「われわれが一方的に停戦したにもかかわらず、独立派が攻撃を継続した。秩序回復のため攻撃に踏み切った」と説明した。
グルジアのサーカシビリ大統領は7日夜、国民向けテレビ演説で独立派政府に「グルジア領内での最大限の自治」を提案し、ロシアに「保証人」となるよう求めていた。
ロシアの強攻策
http://mainichi.jp/select/world/news/20080809k0000m030145000c.html
NATOの声明
http://mainichi.jp/select/world/news/20080809ddm007030058000c.html
グルジアからの分離独立を求める南オセチア自治州に対するグルジア軍の攻撃を受け、北大西洋条約機構(NATO)のデホープスヘッフェル事務総長は8日、事態に懸念を表明、全当事者に対し「軍事衝突の即時停止と直接対話」を求める声明を発表した。
http://mainichi.jp/select/world/news/20080809k0000e030009000c.html
安保理各国は状況への懸念と停戦の必要性では合意しているが、紛争当事者に武力行使の放棄を求めるロシアに対し、米英仏は「紛争当事者の武力行使放棄」がグルジアの自衛行動をも規制する可能性があると主張し、対立している。
EUの対応
http://mainichi.jp/select/world/news/20080809k0000e030028000c.html
使節団派遣はクシュネル仏外相が南オセチア情勢の悪化を重く見て、米国、OSCEの担当者と協議の上、決めた。仏政府は声明で「敵対行為の停止と交渉の速やかな開始」を呼びかけ、ロシア側に対して「グルジアの主権と領土の一体性の尊重」を促した。
また、EUのソラナ共通外交・安全保障上級代表は8日、ラブロフ露外相、ツケシェラシビリ・グルジア外相と相次いで電話協議し、即時停戦を求めた。EUの行政府・欧州委員会の報道官も同日、記者会見で「信頼醸成措置による紛争解決に向け、貢献を拡大する用意がある」と述べた。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080809k0000e010042000c.html
高村正彦外相は9日午前、南オセチア自治州をめぐるロシアとグルジアの武力衝突激化に対し「深刻な懸念と憂慮を表明する」との談話を発表した。
「すべての当事者」に「武力行使の即時停止」を要求。「グルジアの領土一体性が尊重されることを期待する」として同自治州の独立は支持できないとの立場を示し、当事者間の対話による早期の事態収拾を促した。
http://mainichi.jp/select/world/news/20080809k0000e030008000c.html
ライス米国務長官は8日、ロシアに対して「航空機やミサイルによる攻撃を中止し、グルジアの領土の一体性を尊重して戦闘部隊を撤退させることを求める」との声明を発表した。
1400人死亡?
http://mainichi.jp/select/world/news/20080809dde001030007000c.html
グルジアのサーカシビリ大統領は8日深夜、テレビを通じ、ロシア軍の空爆や南オセチアへの進攻作戦でグルジア軍兵士ら30人が死亡したと述べた。グルジアのテレビはロシア軍が黒海沿岸のグルジアの港湾都市ポチなどを空爆したと報じ、首都トビリシでもロシア軍の空爆を警戒して住民の避難や「戦略的な施設や重要な国家機関」の撤退が始まったと伝えた。ポチへの空爆についてロシア側は確認していない。
福田首相の反応
http://mainichi.jp/select/world/news/20080810k0000m010024000c.html
http://mainichi.jp/select/world/news/20080810k0000m030079000c.html
http://mainichi.jp/photo/news/20080810k0000m030078000c.html
大統領によると、戦時状態の承認は戒厳令や非常事態宣言を超えるもので、戦闘への総動員態勢を組むことを意味しているという。大統領は9日の会見で「グルジアは負けない」とあくまで戦闘を続ける考えを示した。
ど素人なんで、もっとちゃんとしたのをえらい人お願いします。
あと、こういうときのソースってどこを引っ張るのがよいんでしょうか?
http://anond.hatelabo.jp/20080809233709
hokusyuさんは「かわいそう」と言った女子学生を、反全体主義の旗手として
祭り上げたいように読めたんだけど。基本はあくまで両者の一対一だよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080809231804
あとこれにもう少しつっこむとね。
モデルの複雑性としては、1時点を問題にしたモデルより、多時点間を問題にした
モデルの方が当然ながら込み入っているわけ。Fランクとおぼしき大学の初学者向けの講義としては、
いくらショートカットと難癖付けられようと、どちらがふさわしいかはあきらかだよね。
まあ、どのくらいの数のイ映オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のイ映趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないインド映画の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、インド映画のことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にインド映画を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う休憩2回、3回のインド映画は避けたい。
あと、いくらイ映的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
無声映画好きが『ハリシュチャンドラ王』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
インドの知識はいわゆる「カレーで美人」的なものを除けば、旅番組程度はたまに見ている
映画好き度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「DDLJ以前」を濃縮しきっていて、「DDLJ以後」を決定づけた
という点では外せないんだよなあ。長さも189分だし。ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、
彼女との関係が崩れるかも。この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、
それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション
アレって典型的な「オタクが考える日本の一般人に受け入れられそうなインド映画
(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「イ映オタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFイ映オタが持ってる東南アジアへの憧憬と、シンガポール観光局たぶん未監修の
オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えて
いかにもローシャン兄弟な
「山奥のおばあちゃん子的なださカッコよさ」を体現するクリシュナ
「山奥のおばあちゃん子的に好みな女」を体現するプリヤー
の二人をはじめとして、イ映好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「七人の侍だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがインドでは大人気になったこと、インドなら10年ごとに
リメイクされて、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、近年日本国内でこういうのが
つくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりインド映画は未婚男性のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは
「ヴィールとザーラ」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるカーンの
思いが好きだから。断腸の思いで削りに削ってそれでも2時間54分、っていう尺が、どうしても俺の心を
つかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えて
しまうから。 MHN の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、
一方でこれがバンサーリーやヴァルマだったらきっちり2時間30分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に歌掛けて唾かけさせて2時間54分を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の
物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえカーンがそういうキャラでなかった
としても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でラジニ映画見たことある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
パダヤッパよりも前の段階で、ラヴィクマールの哲学とか特撮技法とかはこの作品で頂点に達していた
とも言えて、こういうクオリティの作品がタミル映画でこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくイ映好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるタミル政治問題でしかラジニを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
レカーの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、
ということではなくて。「終わらない踊り見物を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかな
ということを感じていて、だからこそアイシュワリヤ&アビシェク夫妻の初リメイク作はウムラオ・
ジャーン以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その
「オタクの気分」の源はウムラオ・ジャーンにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも
口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでテルグ映画化して、それが非オタに
受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にKHNHを選んだ。
DDLJから始まってKHNHで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降の海外フルロケ時代の
先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
残念ながら女子学生はそんな文脈で「かわいそう」を使ってないよ。
プリミティブだと誰かも言ったようにね。
その場の教育的効果としてはトリアージの例は鮮烈さもあって最適じゃないの?
そちらの挙げるような話をしたければそういう話をするでしょうよ。
質問なら明確に質問として書け。
正直、酸いも甘いも知ってる馬鹿みたいな経験豊富さだけど、なに答えていいか分からん。
あれをみせた結果、彼女が自分自身をはるかにしのぐ知識を持つオタクに転がり落ちてしまったら
一体どうなるんだろう。
が質問なら、「願ったりかなったりじゃないのか?」が答えだ。
知人についてどう思うかが質問なら、「最低だなそいつ」が答えだ。
現実に抗わない。
追従しなければ成り立たないからこそ使えるし確立できるのだろう。
でもなぜ「そうである」のか答えてくれはしない。
ただ「そうなのである」と述べるばかりだ。
世界の仕組みをばらしてはいるけれど、同時に世界を記号化していっているよう見える。
この世はテレビゲームのように0・1だけでできている気がして、何かを学んでいくことが世界を無味なものにしていくようで。
そんな思いを打ち消せないのだ。
自分は現実をよく知らないのかもしれない。
0・1だけで、いや科学だけですべて片づけられるほどに世界は単純じゃない、ということを知れないでいるのかもしれない。
だったらいいのだけど、いずれあらゆる現象の仕組みが画面上でシミュレートできてしまうようになったら。
生きている実感とかなんだとかを画面上で感じられるようになったら、
どうしようもなく「俺以外みんな哲学的ゾンビなんでね」感にさいなまされそうで。
いま自分がそんな気分なんだけど、この先もっとそんな人が増えそうで心配なのだ。
そんなはずねーと思いたいのに否定する材料も労力もなくてどうすりゃいいやら。
何がいけないのだろう。自意識過剰すぎるだけならその治し方が知りたい。
(実は科学とかどうでもよくて自分の自意識過剰さとかどうしても消せない「マトリックス感(造語)」の克服法を得たいだけでした)
他にもこういう話があるぜ? ってのを全否定するためにトリアージ概念を援用してんだろうがよ、経営学者のセンセーさまは。
その粗雑な全否定は経営学的にも狭いし医療用語としてのトリアージの用法としてもダメだし政治的にも問題だろ、ってことだよ。
「かわいそう」の延長でだって経営学は出来るし実際世の中ではやってんだよ。いや「かわいそう」という表現は使ってないとは思うけどなw
センセーだって、そういう解を求められれば、「切り捨てるのが最適解」の一点張りで押し通したりはしないだろうさ。ただあの書き方あのやり方ではまずいだろ。
うああ、すごい。
企業は常に利益の最大化という観点で合理的な選択をして失敗した部署を「トリアージ」するべきであり、そこへ批判を入れるのは全部難癖であり経営学的に誤りである、と。
あのさ、いい悪いをおくとしても(いやおいちゃだめだが)、多くの企業はそこまで非情な理屈で動いてないし、経営学の応用例にも、
http://anond.hatelabo.jp/20080809231804
ここで上げたようなものは考えられるんじゃねえの? 普通。
こっちの作文に具体性なんか必要ないよ。
とりあえず、誰が読んでも歴史社会学という衒学的ハッタリだけで
何も説明出来ていない事は明らかだから。違うと言うんなら説明しよよ。
お前の作文に具体性がないだけだろが。
具体的に本文に当たってと言うけど、誰が見ても具体性がないからね。
お前は全体主義者じゃ!みたいな話の論拠らしき物が「歴史社会学的な云々」しかないから。
中身がないのに偉ぶる奴を衒学的と呼ぶのは、辞書的にはともかくわりと許容範囲だと思うよ。
流れ的にはさ、
こいつなんかネオリベっぽい雰囲気がしてむかつく!
↓
でも資源の最適配分を否定するのは流石にバカだよな。どうしよう。
↓
そうだ、トリアージの歴史を紐解けば何か言えるかも知れない。やってみよう。
↓
資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民・・・
↓
↓
あとは件の経営学者を呆れさせた女子学生の「かわいそう」をプリミティブな
という感じでさ、具体性も理屈も何もないよね。
コレはまさに実現不可能な夢の試合 「阪神vsPL学園(清原桑田世代)」 そのまんまぢゃないですか?
プロだからアマとは試合できない、そんな言い訳をしていた時代があったような
とある将来有望な投手は、「オリンピックにプロは出られない」がためにプロのスカウトを断り続け、野球人生をオリンピックに捧げてきた
それなのに
時代がいつの間にか替わって、日本は「世界の野球同好会」相手にプロを選抜して「金メダル欲しい♪」ですかそうですか
アマの連中を集めて星野さんが叱咤激励、鼓舞し金メダル獲得を狙うならわたしも野球が好きな人間です応援は惜しみません
結果、優勝して金メダル取れたならもろ手を挙げて祝福しましょう!乾杯しましょう!ニューボトル入れちゃいましょう!
でも全員プロなんですよね?野球でメシ喰ってる人たちなんですよね?
優勝して当たり前、金メダル取って当然でしょ?
いや、そこで極限状態の生き死にを持ち込んで話を「捻じ曲げ」たのhokusyuじゃなくて先生だから。
アホか。つか、全く読んでないんだなお前。
「かわいそう」だから、なんとか売れない百貨店をつぶさないで済む方法を考えましょう、利益の最大化という観点からすれば合理的には今つぶすのが最適なんだけど、なんとか他の部署で赤字を吸収しつつ改善を試みて行きましょう、というような話の展開だってありうるわけだし、そういうことを考えるのにも経営学は使えるわけだろうが。
トリアージってのはギリギリの切捨ての論理なんだよ。いきなり飛びついてどうする。
トリアージの喩え話でその辺のありうる展開全部切り捨てて話を単純化したら、そりゃ非難されるわ。それはトリアージ概念の否定でも経営学概念の否定でもないぞ。
横入りするが、hokusyuがおかしいのはそこで、
さて、「限られたリソースを適切に分配すべきである」という言説について考えてみましょう。こんなこと当たり前です。はっきり言って、これ自体では何も言っていないのと同じです。問題は「適切な配分」とは何かです。
とかいって、
経営学者様はこれが肝心だといいます。例として彼は四川大地震をあげました。ぼくもひとつ適切な例を知っています。ホロコーストです。
資源の有限性(アーリア民族の生存圏)がその合目的的(アーリア民族の生存)な最適配分(アーリア民族への配分、障害者やユダヤ人の切り捨て=虐殺)を促し、戦略性(ガス室)やリーダーシップ(総統の独裁)や組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)も意思決定(最終的解決)も価値判断(アーリア民族至上主義)もそこから始まる
これこそ経営学的には素晴らしい組織です。ユダヤ人がかわいそう?そんなこと言ってたら(最終的)解決しませんよ!偉大なるアーリア民族が貧窮してもいいんですか?というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。
勝手にここまで捻じ曲げて、
我らが経営学者様の手にかかって、救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき、上のような全体主義思想が復活するのです。
とか吹いていたわけで。
一番最初のfuku33のエントリーでは、「百貨店が競争に負けてかわいそう」とかいう学生のていたらくをぼやいていたわけで、まさにその「当たり前」の話から説明しなければならないから躍起になってトリアージのような穏当でないモデルまで使ったのが軽率なんだろう。だからといって、上の引用のようにいちいち「組織内の規範意識(ハイル・ヒトラー)」みたいにカッコ内を悪意で埋めて「全体主義理論じゃん!」とまで罵ったhokusyuが、「経営学もトリアージも否定してない」というのなら、否定はしていなくても十分もとの意図を理解したうえでわざと自覚的に悪意で貶めているんだよ。「「適切な配分」とはユダヤ人問題の最終的解決だ」というのを強弁と呼ばなければ何が強弁なのかわからなくなるくらいのものだ。
それでこういうことを書いたら自分もHALTAN認定されるのかな?