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はてなキーワード: 謙虚とは

2025-01-16

仮面ライダーガブの闇菓子ってあれなんかの隠喩よな…

今年で33になる婚活女子です。今日は、私が大学卒業してから10年間やってきた婚活経験の中でわかったことを3つお話します。

まず1つ目、30歳までに結婚できなかった男性ゴミです

2つ目、実家暮らし男性は歳の割に幼稚な人が多いです

3つ目、結婚相談所やマチアプに魅力のある男性はいません

まあどれも当たり前っちゃ当たり前ですよね。人気のある男性20代結婚しますし大学卒業したら一人暮らししますしマチアプなんて使わなくても大学内で【結婚前提の】彼女を作ることができます。結果として婚活市場には無価値ゴミしか残らないわけです。しか恐ろしいことに、そのようなゴミみたいな男性ほど高望します。もうなんの価値もない中年おっさんが「自分にはもうすぐ運命のお嫁さんが来てくれるんだ」と心の奥底で思ってるわけです。きっしょいですよね肌とか筋力とか頭皮とか色々老化し出してる醜い中年男性乙女みたいなこと考えてるわけですよ。女子からしたら恐怖でしかありません😣。もう未婚の中年男性未来なんてないんだからくそゴミみたいな人生受け入れて謙虚に生きればいいのにね笑

anond:20250116163124

下請けだったり取引先とかに偉そうに説教してる奴とか、見てて寒気するほどダサい

現実社会では基本的仕事できるやつの謙虚なんだよな、コンビニでイキってるやつとかもマジで死んでほしいほど人として恥ずかしい

偉そうにするって弱い立場相手に対しての振る舞いだろ、弱い立場だったり指摘できない立場相手にイキるのはあまりにもダサすぎる、これがわからないやつは本物の底辺

anond:20250114200557

痛がる女にセックス強要するようなバイタリティ溢れる男だから他の男にうっすいn=1の体験談程度で偉そうに説教してくるんやで

女が痛がってたら普通に心配になって萎えるしモテるまともな男は大変謙虚でにこにこしてて他人説教しないので

2025-01-13

サイレントマジョリティはその名の通り黙って去っていく

クリエイターいくら自信を持っても構わないけどな。

ダメなヤツからはたいていの人間は黙って去っていくのよ。

文句を言ってる奴らにはとりあえずご意見ありがとう、くらいの謙虚気持ちでいないと

本当に他人を喜ばせるような作品はできないと思うぞ。

2025-01-10

X(旧Twitter)の"発狂界隈"なる界隈知ってるか?

揃いも揃って高学歴エリート(中高一貫東大京大早慶会計士or予備試験合格とか生涯賃金4.5億確定企業orBIG4内定とか。あと国公立医出た医師なんかも多い)だけど、

『俺達はここに至るまで、家庭環境とか教育虐待とか公立中の生存競争とかなんやかんやで、これでも心に闇を抱えてる弱者なんだぞー!笑』

という理由で、自分らに及ばない学歴年収人間を知恵遅れ、貧困層くらいに見なして鼻で嗤う

……という露悪芸しかしない界隈がXにはある。


恐ろしいことに、彼らの露悪的な鳴き声は全然炎上せずむしろ愛すべき芸風かのように周りから認められており、ファンがどんどんつく始末。

たまに、ツイート内容に対して外野から道徳的観点での苦言を呈されても、彼らは「許して🥺」みたいに余白のない反応をするだけで、煽り返しもせんし、詭弁も弄さない。

この点は淫夢厨に非常に似ている。

自称「闇を抱えている」ことを免罪符に、露悪芸を悲しき症状かのように演出し、炎上と無縁で上手く免罪してもらっている彼らだけど、

誰がなんといおうと現実では厳しめに見ても同世代100人に1人くらいの傷のない経歴のエリートなので、その露悪芸は単に余裕があるからこそのものであり、もっと言ってしまえば金持ちの子どもがホームレスに石投げているみたいな印象ですらある。

界隈の何名かは多分下手な学歴YouTuberより知名度あると思う

基本マウントからネタを紡ぐ芸風だから受験就活転職年収不動産にまでトピックが及ぶのでツイートがよくバズる

個人的には発狂界隈は嫌いだ

せっかくこれから日本を支えるトップ高学歴なのだから、こういう謙虚で優秀で他人のお手本になるようなエリートのようであって欲しい↓

https://x.com/ahhyowwww

https://x.com/consabara

https://x.com/1Q_19

https://x.com/keizokusenso

2025-01-05

anond:20250105232320

我欲を捨て去ってて謙虚なんだよ

世の中が前進してさえいれば人類は安泰であるということに気づき個人の影響の小ささを直視し、そこから努力必要性疑問視し、社会蔓延努力からの脱退を成し遂げた勇気ある人間こそが弱者なんだ

2025-01-03

anond:20250103123455

自己紹介しなくても知ってるよwww

自浄作用できず犯罪トラブルを起こすのがちんさんなんだから謙虚土下座しながら生きるべきですよ

とりあえず更年期終わるまで子供部屋から出てこないで下さ〜いwwwww

anond:20250103023051

まともな人って具体的にどんな人?

女叩きに対して寛容で、どんな相手にも丁寧に接して、決して何かを否定することもなく、創作物批判せず、Twitterマイナスなことを書き込まず、

店のサービスが使いにくかった時と電車電話してる奴と空気の読めない奴のことだけは批判するけど、男性権利を奪ったりしない謙虚範囲での男女平等を声には出さないけど大事だと思ってる人?



臭すぎて草

哲学とか倫理とか勉強したことなさそうだな…

2024-12-31

謙虚さとはなにか

聖書における謙虚さは、人間の有限性と神の絶対性の対比からまれものであり、それは単なる道徳的美徳ではなく、人間存在根本に関わる霊的態度である

謙虚さは、神の御業に基づき、自己を見つめ、神の秩序の中で自己役割理解することによって深化する。

これは神との関係を基盤にして成立し、創造契約、裁き、赦しという聖書全体にわたるテーマに深く結びついている。

1. 創造に基づく謙虚

創世記の冒頭に記される創造物語創世記 1-2章)は、謙虚さの根拠となる。

神は天地万物をその言葉によって創造し、人間は「神のかたち」として特別に造られた(創世記 1:27)。

しかし、この「かたち」とは神の全能を共有することを意味せず、むしろ神の被造物としての地位を明確に示すものである

アダムが塵から造られた(創世記 2:7)という描写は、人間が肉体的にも霊的にも神に依存する存在であることを物語る。

謙虚さとは、この依存認識し、被造物としての自己を受け入れる態度である

2. 契約における謙虚

聖書には、神と人間の間に結ばれた複数契約が記されている。

ノア契約創世記 9章)、アブラハム契約創世記 15章)、モーセ契約出エジプト記 19-20章)は、いずれも人間が神の律法を守ることを求めるものだ。

この契約の中で、神は主権者であり、人間従属する存在である

イスラエルの民がしばしば契約を破り、神の裁きを受ける物語士師記、預言書全般)は、人間傲慢の愚かさと、謙虚に神の律法に従うことの重要性を強調する。

3. 裁きと謙虚さの学び

謙虚さは、神の裁きの中で学ばれる場合が多い。

例えば、ヨブ記におけるヨブの試練は、謙虚さを深く考察する重要物語である

ヨブは、自身の苦難に直面し、神の摂理に疑問を抱くが、神が自然界と宇宙の秩序を問いかける(ヨブ記 38-41章)中で、自分限界悟り、最終的に「私は塵と灰の中で悔います」(ヨブ記 42:6)と告白する。

ここでの謙虚さは、全知全能の神に対する人間無知と無力を認めることであり、神との関係回復する鍵となる。

4. 赦しに基づく謙虚

聖書では、謙虚さは赦しを受けるための条件ともなる。

ダビデの悔い改めの詩篇詩篇 51)は、罪を認め、神の憐れみにすがる謙虚さの典型である

彼は「あなたに対して、ただあなたのみに罪を犯しました」(詩篇 51:4)と告白し、神の赦しに依存する態度を示す。

このような謙虚さは、人間自己の力では救いを得られないことを悟り、神の恵みによってのみ生きることを受け入れる姿勢である

5. 神の知恵と謙虚

箴言伝道の書は、謙虚さを知恵の根本と結びつける。

「主を恐れることは知恵の初め」(箴言 9:10)という言葉は、謙虚さを神との正しい関係における認識として位置付ける。

伝道者の書では、「人は土に帰り、霊は神に帰る」(伝道の書 12:7)と述べられ、人間の儚さと神の永遠性を対比している。

ここにおいて、謙虚さは虚無感ではなく、神の中に真の意味を見いだす態度として表現される。

総括

聖書謙虚さとは、人間が神の前で自己位置を正しく理解し、全能の創造主への信頼と従順を通じて成長する霊的態度である

それは自己否定ではなく、神の秩序と愛の中で自己発見する行為であり、創造契約、裁き、赦し、知恵というテーマを通じて人間の生の目的を照らし出すのである

この謙虚さは、神の御前での真の自由と平安をもたらす根源的な徳である

2024-12-24

統失友達と大喧嘩したこと書く

時間も経って私の怒りも落ち着いたので、あわよくば同じく統失、激しいメンタル疾患の友達喧嘩した人の気晴らしになればいいなー、と思って書く。

と書き出してみたのだが、気持ちが凪いでしまい、今となってはほとんど書くことがない。どうしよう。

上澄みだけ書いてみる。

まず、なんかしらんがやたらハイテンションメッセージがたくさん来るようになって、「大丈夫か?」と思っていたら私が転職を始めた話をしたこときっかけに大爆発を起こした。

転職ビッチのすることであり、人事のチンポをしゃぶって職にありつこうとする卑しい行為だという。付き合いの長い自分の方があなたのことを理解しており、卑しくも人事のチンポを咥え込む立場となることは勘弁してほしい。あなた独身だがそれは謙虚さに欠けるからだ。自分の母も配偶者心配している。云々。

当時こそ訳が分からなかったが、おそらくきっかけはなんでも良かったんだと思う。全能感がバキバキテンション高い時期に、私が思い通りの反応を示さなかったのでブチギレたというか。

こうなってしまうとどうしようもない。もうその人は早いとこ医療の手に預けるしかない。ちゃんと寝かせて食わせて薬を飲ませる。常人にはどうしようもない。

本人はそれでなんとかなる。

そのあと、なんかよく分からん爆発に巻き込まれ自分が残る。

メンタル疾患の大爆発に巻き込まれると、滅茶苦茶ダメージを受ける。

正直、カウンセリングに行ってもいいと思う。友達だった人の豹変は大変なショックを与える。

私はカウンセリングには行かなかったが、とりあえず自分の受けたショックを整理した。疾患の悪魔が言わせていることもある。でもそれは友達普通の時もうっすら思っていたであろうことをなんとなく感じ取ってしまう。もしくは思っていなくても、「効果的に私を傷つけるにはどうしたらいいか」をわかって発しているといるという時点で言いようもなく不愉快だ。

爆発を起こしたことに対して罪悪感を感じることもないではない。

でもおそらく、それに関しては毎日会っているとか一緒に住んでいるとかでない限り(というかそうであってもおそらく)、メンタル疾患の人の大爆発は起こるべくして起こったなにかであり、きっかけになった人、こと、ものに大きな責任はない。

多少の咎はあっても責任を取るほどではない。遅かれ早かれ爆発していたものだと考えた方がいい。

そのあとジャッジをする。メンタル疾患の人は裁判責任能力なしで無罪になることがあるという。責任能力がないということは、もはや責任を取る権利もないということだ。ならば責任能力のある私には、この関係一方的ジャッジする権利がある。

私はもうこれをいい機会に、連絡を断つことに決めた。連絡先は全部ブロックした。付き合っていられない。

病気という悪魔が言わせているからその人は無実だという考え方もあるかもしれないが、無実だからと言って付き合いを強制される謂れもまたない。

共通友達経由で、私と「仲直り」がしたいと言っているらしいと聞いた。

謝罪したい」と思っているわけではないらしい。

吹っ切れた。もう2度と連絡はとらない。

2024-12-22

anond:20241222110259

こんなネタで恐縮だけど、あなた謙虚で人のいいところを見つける才能があると思う

2024-12-21

このままでは日本司法死ぬ

ここ最近世間耳目を集める無罪判決がいくつかあった。

私は目を疑った。

SNS特定裁判官個人への憎悪誹謗中傷で溢れ、デモ署名裁判所への嫌がらせ電話を呼びかける声、そして危害行為言及する連中すらいる。

かに納得のいく結論ではない。私だって感情的にはそうだ。しかし私はそんな反知性的行為をしようと思いもしなかった。

不合理な判決には理由がある

ここで知的謙虚人間ならこう考えるだろう。刑事司法専門家である職業裁判官が、一見おかし判決を下したということは、素人自分は思いつかない何か法律上理由があるのだろう、と。

事実そうなのである

裁判官法律に従い判断をするが、その法律社会通念が基になっている。したがって、ほとんどの判決常識を大きく外れることはない。常識はずれの判決が出たということは、基本的にそう判断せざるを得ない理由があるのだ。

そもそも「無実」と「無罪」は同義ではない。被告人道徳的にどれほど酷いことしていたとしても、その行為犯罪構成要件を満たさなかったり、訴因に対する検察官の立証が足りなかったりすれば、裁判官はそれを無罪にするしかない。

たとえ、ひとりの人間として、裁判官被害者にどれほど深く同情していたとしてもだ。

それが刑事司法ルールである罪刑法定主義証拠裁判主義なのだ

しかし、かの連中は、所詮法律素人に過ぎない記者が一部を切り取ったオールドメディア報道だけを見て怒り狂う。そこに至る裁判官判断過程(これが一番重要)を知ろうともしない。

判決批判する資格はあるのか?

素人裁判批判してはいけないのか?と難癖をつける奴もいるだろう。

当たり前だ。

これは医療経済などあらゆる分野に言えることだが、「批判」とは、ある事象や主張の問題点を専門的知見から指摘するものだ。ただの素人がする批判ごっこはどこまで行ってもただの感情論の域を出ることはない。むしろ有害なことすら多い。

せめて判決全文を読んでから言及しろ。それをしないのなら、専門家である裁判官の出した判断に納得できなくとも、最低限の尊重はすべきなのだ

少し落ち着いて考えてほしい。今回かの連中は、自分に都合よく司法を捻じ曲げようとしているが、もし、政党宗教団体、彼ら彼女らと相容れない思想の連中が、同じように裁判所圧力を掛け、判断が歪んでしまったとしたら。

そうならないように、司法権の独立憲法で厳格に保証されているし、手続民意を反映させる手段ほとんどないのだ。

結局、連中のやってることは、裁判官脅迫するどこかの反社と大差ないわけだ。

最後

かの連中は未確定の裁判被告人有罪と決めつけ、無知にもかかわらず自分が正しいと信じ込み、「民意」で裁判を歪め、司法法治主義首に手をかけようとしている。

そして、こういった「民意」こそが袴田冤罪事件を生んだ土壌なのだ。残念ながら、かの連中のような人間がいる限り第二第三の袴田氏は生まれ続けるだろう。

いい加減恥を知れ。

そして、「民意」の圧力を恐れず、刑事司法大原則を守り抜き、無罪判決を出した裁判官たちに最大限の敬意を。

この世で一番憎いもの

金のあるサブカル女が一番憎い 俺の持っていないものを全て持っているか

そういう人間自殺しても嬉しくもないし悲しくもないしただ憎い 全てを持っているクセに自分可愛さに死ぬやがった殺す殺す殺す

そもそも女という生物謙虚じゃない、自分が女というだけでどれくらい世界から愛されているか自覚しないか

しかしこのような呪詛を唱えても何一つ変わらないし、もしもこの言葉を真に受けて謙虚になった女性なんてものが居たら申し訳ないのだ 結局みんな自身成功自身が優れていると思いたいだけで、それは自然なことだからだ このように呪詛を吐いている人間は不幸しかばらまかない そういうふうに考えてしま自分が憎い なぜ生きている 苦しい苦しい苦しい

2024-12-19

久しぶりに大学に行っていろいろと考えた話

先日、海外就職準備のために大学の成績表や卒業証明書必要になったので、10年ぶりくらいに母校の大学申請に行ってきた。

そしたら、対応していただいた職員の態度がとっても横柄で、

「そういえば大学職員って基本的に横柄なのだった」と学生時代に何度も嫌な思いをしたことを懐かしく思い出すとともに、

同じく社会人となり、敬語を身につけて相手を立てる会話を自然と心掛けるようになった私は、

「よくこれで社会人をやれているものだなあ」と感じて、ちょっとムカッとして、呆れてしまったのだった。

でも、大学での手続きを終えたあと、

コンビニ飲食店従業員ってものすごく丁寧なんだな」

自分普段何気なく使っているサービスの質の高さに感謝したり、

海外店員さんや公務員の態度ってテキトーっていうけど、あんな感じで雑なのかな」

と来たる海外生活に思いを馳せたりできたのは、あの横柄な職員のおかげだ。

しかすると、普段使っているサービスの質の高さに慣れてしまって、自分の中で「普通対応」の基準が上がってしまっていたのかもしれない。

「失礼な態度」をしないように振舞うことが当たり前の環境にどっぷり浸かってしまった結果、失礼な人を認められなくなっているのかもしれない。

そういう意味で、自分自身がちょっと傲慢になってしまっているのかもしれない。

謙虚さって何だろう。

普通(の応対)って何だろう。

よくわからないけど、久しぶりの大学は、職員対応を含めて、あまり変わってなかったです。

2024-12-18

anond:20241218141413

本が原作映画を見ての感想だったんだけど見てないんかいwwwwwww

作中で貴族って言われる金持ち層に一応入ってるから自分を下級貴族表現しただけの話。

アンシャレジーム的な考えならおっしゃる通りだし、(特に都内の)アッパードル以上のソサエティにいるならその謙虚さも必要だとは思う。

でも仕事趣味の知り合いだったり、学生時代の友人に色んな出自の人がいるから、ある程度自分が恵まれ環境で育ったことを自覚しておかないと周りを傷つけることがあるってことも肝に銘じて生きてます

2024-12-15

anond:20241215124757

お互い「こんないい人が???騙されてるのか???」って感じだった。

謙虚さがなくてよろしい

2024-12-14

謙遜謙虚で居れば弱いと思って舐められるし、能ある鷹が爪を隠せば無能扱い。

環境を変えるって大事だよ

啓発本とか意味無いよな

エリートサラリーマンのしごでき啓発本とか、作者と同じエリート職場から通用するんであって、

君らが働いてる誰でも入れる職場チンパンジー集会から意味が無い。人間ですらない。

謙遜謙虚で居れば弱いと思って舐められるし、能ある鷹が爪を隠せば無能扱いだし、まー君らの職場には啓発本とか要らないんじゃない?

anond:20241214041752

例えば汚職賄賂が横行する場所でそれを指摘したらそうした環境では性格が悪い奴扱いされるわけでしょ?

ほのぼのとした場で社会問題の話をしたら、難しい話して性格が悪い奴!とかいう人もいる

リベラルを取り巻く環境の事を言ってるつもりなんだろうけど、自認と実際が狂いまくってるねー

ネトウヨの言う普通の日本人や、謙虚で穏やかな日本人レベル

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

2024-12-11

anond:20241211175102

・「女は欲張って声やら身長やら鎖骨やら求めてよくて男は多くは求めず謙虚であれなんて不条理

どこかおかしいこと言ってるか?

anond:20241211175102

高校から付き合ってた元カレ転職してからDVモラハラするようになり

女って暴力振るう男大好きだよな

殴らぬオタクより殴るDQN

>ちなみに相手に求める条件は1歳年下〜10歳年上、年収400万以上、離婚歴あってもいいけど子供はいない、タバコ吸わない、できればインドア派(アウトドア趣味があってもいいけど一緒にやりたくない)

>そんなに理想高くない

年収400万とか十分理想高くてワロタw

>・初対面でいきなりコート脱がされて服にダメ出ししてきたけどそういう本人はバキ童みたいな格好

初対面でダメ出しされる服ってどんなだよw

自分ダサいの棚に上げて人のことバキ童とかよく言えたな


>・ファミレスに連れて行かれた

ファミレスのなにが気に食わないわけ?

お前のために店選ぶ手間も惜しいってことだよわからん

>・「痩せてますね。体重キロですか?」と聞いてきた

デブ体重聞いたら失礼だが痩せてるならいいだろ

>・「年齢詐称してませんか?」と言ってきた

よっぽど老けてるんだなw

>・ドリンクバー奢っただけでドヤ顔で「こういうところは年上が奢るものですよ」と言う

>・店を出てからも「お金のことは気にしなくていいですからね」「奢るのは当然ですから」と奢ったことについてしつこく言ってくる

ドリンクバーだけでも奢ってもらったら感謝しろ

奢ってもらっといて文句つけるな

>・解散してからあなた常識的にするべきことができていません。ですが私はクラスで除け者にされている人とも仲良くできる男なので大丈夫ですよ。今度は腕を組んで歩いてみたいです。頭を撫でたいとも思いました」と気色悪いメッセージが来た

常識的にするべきこともできないとか終わってるだろ

自分のこと棚に上げて気色悪いとか言うな

>・こちから話を振らないと喋らないし返事も短くて会話が続かない

お前と話したくないんだろ

>・「奢るから会いませんか?」と誘ってきたのにいざ会計の時になったら「割り勘で」と言ってきた

奢る価値もないと判断されただけ

>・「かわいいので恋人候補になると思います」と上から目線で言ってきた

こんなことで上から目線って捻くれすぎ

>・陰キャラブコメだいだいくんみたいな格好

またまた人の服を馬鹿にして何様?

>・事前にどこに行きたいか聞かれてカフェと答えたら連れて行かれたのはドトールだった

ドトールカフェで間違ってないだろ

>・「アニメが好き」と言うから私も好きと言ったら「どうせ男しか出ないやつばっかりみてるんでしょ?」と言ってきてそんなことないと言っても「でも男しか出ないアニメ好きでしょ?」としつこい

よっぽど腐女子みたいな見た目してるんだなw

>・初回がファミレスで2回目は相手が服が欲しいからとユニクロワークマン

またファミレスw

ファミレスユニクロワークマンがお似合いの女なんだって自覚しろw

>・月収聞いてきて「同僚の奥さん専業主婦から女の収入もないよりはマシ」と言ってきた

よほど収入少ないんだなw

>・「女は欲張って声やら身長やら鎖骨やら求めてよくて男は多くは求めず謙虚であれなんて不条理」と言ってきた

これは本当に思う

なんで女ばっかり選ぶ権利があるのか謎

>・「同僚にあなたの話をしたら騙されてると言われたんですが、どうなんですか?」と言ってきた

しまれるようなことしたのでは?

男性レベルが低すぎるんだね。

お前のレベルが低いからお似合いの男しか寄ってこないだけでは?

>あまりにも失礼だったりどこかズレてて結婚どころか友達になるのも遠慮したい人ばかり。

お前も失礼だしズレてるぞw

女性から選ばれないことを女性のせいにしてる男性自分言動のせいだって自覚してほしい。

やれ下方婚は嫌だの低身長は男として見れないだの清潔感がどうとか事実として女の理想が高すぎるわけだが?

>とにかく変な男性と一緒にいて嫌な気分になるくらいなら独り身の方が遥かにマシだから婚活はもうやめることにした。

男もお前に対して同じこと思ってるから安心しろw

婚活してたけどまともな男性がいない

高校から付き合ってた元カレ転職してからDVモラハラするようになり、29歳で別れて婚活を始めた。

友達の友達マッチングアプリ結婚したと聞いて同じアプリをやってみたけど出会う人みんなどこかおかしい。

ちなみに相手に求める条件は1歳年下〜10歳年上、年収400万以上、離婚歴あってもいいけど子供はいない、タバコ吸わない、できればインドア派(アウトドア趣味があってもいいけど一緒にやりたくない)

身嗜みに気を使っていれば顔、体型、身長は気にしない。

そんなに理想高くないと思ってたからすぐ相手見つかると思ってたけど私の考えが甘かった。


1人目

・初対面でいきなりコート脱がされて服にダメ出ししてきたけどそういう本人はバキ童みたいな格好

・お互い傘持ってるのに相合傘しようとする

ファミレスに連れて行かれた

・「痩せてますね。体重キロですか?」と聞いてきた(152cm43.5kgの普通体型)

・「年齢詐称してませんか?」と言ってきた

・「エロ漫画100冊以上持ってます」と気持ち悪い自慢をしてきた

アニメ見せてきたか音出してたら周りの迷惑になると言ったら逆ギレしてきた

・「子供が欲しいから18〜32歳の女性結婚したい」と言いつつ「年下は子供扱いしてしまう」と言う(相手は38歳)

ドリンクバー奢っただけでドヤ顔で「こういうところは年上が奢るものですよ」と言う

・店を出てからも「お金のことは気にしなくていいですからね」「奢るのは当然ですから」と奢ったことについてしつこく言ってくる

解散してからあなた常識的にするべきことができていません。ですが私はクラスで除け者にされている人とも仲良くできる男なので大丈夫ですよ。今度は腕を組んで歩いてみたいです。頭を撫でたいとも思いました」と気色悪いメッセージが来た(常識的にするべきことがなんなのかは聞いても言わない)

2人目

学生時代から愛用してるというプリントの剥げかけたウインドブレーカー着て顔にチョココロネチョコつけてた

こちから話を振らないと喋らないし返事も短くて会話が続かない

・「奢るから会いませんか?」と誘ってきたのにいざ会計の時になったら「割り勘で」と言ってきた

・「かわいいので恋人候補になると思います」と上から目線で言ってきた

お断りしたら「真剣恋人探してるってちゃんプロフィールに書いてたんですけどねー。読んでないんですかねー。仕方ないか友達でもいいです。次はいつ会いますか?」と言ってきた

3人目

陰キャラブコメだいだいくんみたいな格好

・事前にどこに行きたいか聞かれてカフェと答えたら連れて行かれたのはドトールだった

・座り方がだらしない

・何度も前のめりになってニヤニヤしながら顔をジーッと見てきた

・「写真撮っていい?」と言ってきた

・会って20分くらいでいきなり告白してきた

お断りしたのにかなりしつこく食い下がってきてなかなか帰らせてくれなかった

解散してからブロックするまで「どうしても付き合いたい」「考え直してほしい」「彼女できたこともないし自信もないけどよろしくお願いします」と何通もメッセージ送ってきた

4人目

・「すごくオシャレなカフェを見つけたから期待してて」と言ってたのに予約必須の人気店を予約してなくて筋肉痛になる程歩いてホットドッグ屋に連れてかれた

・「オシャレして行きます」と言ってたのに普通パーカー

・やたらと仕事ができる&忙しいアピールしてくるけどおっちょこちょい仕事できるように見えない

自称面白いと言われる」「クラス中を笑わせてた」らしいけど会ってみると暗そうな感じで全然会話が盛り上がらない

マッチングアプリで1年連絡取ってた女性に突然ブロックされたと愚痴ってくる

子供いらないと言ってみたり欲しいと言ってみたり言うことがコロコロ変わる

いじめられてうつ病になった過去を長文で語ってくる

5人目

遅刻してきた

カフェオレをティースプーンでちまちま飲む

・2回目の誘いをOKしたら「遅刻しても許してもらうよ」と言ってきた

お断りした後も通話したいと言ってきた

6人目

・「アニメが好き」と言うから私も好きと言ったら「どうせ男しか出ないやつばっかりみてるんでしょ?」と言ってきてそんなことないと言っても「でも男しか出ないアニメ好きでしょ?」としつこい

ラブライブが好きだと言ったら「ドルオタじゃんw」とバカにしてきた

イラストを描くのが趣味だと言ったら「アマチュアの絵は美大卒が見たら色々気になるだろうな」「落書き趣味ルーズイメージ」と言ってきた

7人目

・初回がファミレスで2回目は相手が服が欲しいからとユニクロワークマン

・とにかく歩くのが早くてゆっくり歩いてほしいと頼んでも合わせてくれない

動物イラスト可愛いと言ったら「女はすぐ可愛いって言う。パンケーキ可愛いって言う女がいたんだけどどうかしてる」と言ってきた

・月収聞いてきて「同僚の奥さん専業主婦から女の収入もないよりはマシ」と言ってきた

・「女は欲張って声やら身長やら鎖骨やら求めてよくて男は多くは求めず謙虚であれなんて不条理」と言ってきた

・「同僚にあなたの話をしたら騙されてると言われたんですが、どうなんですか?」と言ってきた

・「次は僕の部屋で映画を観ましょう」と言ってきた

お断りしたら「何を企んでるのか知らないけど狡猾な女ですね。女は素直なほうがいいですよ」と言ってきた

婚活界隈で普通男性はなかなかいないって言われてるのは女性の考える普通レベルが高いだけだと思ってたけど、そうじゃなくて男性レベルが低すぎるんだね。あまりにも失礼だったりどこかズレてて結婚どころか友達になるのも遠慮したい人ばかり。

4人目の人は「周りの人から彼女できないのが不思議なくらいいい男と言われるのに10婚活しても彼女できない。ちゃんと見てほしい」と言ってたけど何もかも口先だけな上に他の女性に未練たらたらでメンヘラアピールされたら誰だって嫌だよ。中身をちゃんと見た結果だよ。

女性から選ばれないことを女性のせいにしてる男性自分言動のせいだって自覚してほしい。

友達の友達はいい人と出会えてるわけだしそのうちいい人に巡り会えるのかもしれないけど、これ以上続けてたら男性のこと嫌いになりそう。

とにかく変な男性と一緒にいて嫌な気分になるくらいなら独り身の方が遥かにマシだから婚活はもうやめることにした。




追記

使ったアプリペアーズ。

複数アプリ兼用しようかとも思ったけどペアーズだけでもいいねが来すぎて処理しきれないからやめた。

ちなみにいいね最初1月目で500以上きてた(500以上はカウントされない)

写真をめちゃくちゃ褒められたから撮ってくれた友達感謝

その中からプロフィールタグまでしっかり見て趣味が合いそうな人(インドア派やアニメ漫画好き)にいいねを返して、メッセージの段階でおかしな人はフェードアウトしてた。

自分語りしかしない人とか、おうむ返しばかりの人とか、好きなアニメ聞いたらズラーっと大量に作品名並べてきた人とか、推し地下アイドルについて長々と語ってくる人とか。

もしかしてインドア派やアニメ好きっておかしな人が多いのかな?

でも用がなければ外に出たくないひきこもりからアウトドア派の人と結婚したらしんどいかなと思ってしまった。

旅行趣味の人多かったけど、たまにならよくても頻繁に旅行に連れて行かれたらやだな…と。

それにアニメ好きのほうが私の趣味(萌え系のイラストLive2Dモデリング)を理解してくれるんじゃないかなという期待があった。

それにしても1人目の人は年収600〜800万だったからこんな失礼で距離感おかしい人でも社会では上手くやっていけてるんだなって感心しちゃった。

男性婚活相手を目の前にするとおかしなっちゃ呪いがかかってるのかもしれない。

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