2014年04月30日の日記

2014-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20140430235350

評価されるのと、ニュアンスシンプル翻訳できる、ってのは違うだろうしね。

どうしても、もってまわった翻訳になりそう。(英訳版読んだことがないからアレだけど)

http://anond.hatelabo.jp/20140430235353

流石に男性主導の負の面である虐待の部分が酷すぎる、ってのがアウト化している原因な気がする。

http://anond.hatelabo.jp/20140430235154

その言葉は大体、イライラして感情的になる!! みたいなニュアンスで使われるけど、感情的になりやすいのは男性の方みたいだしね。(男性ホルモン多いせい)

「男は精液出すからだめだ」でいい。

http://anond.hatelabo.jp/20140430234507

三島英訳に向いていないんですかね?英訳されたもの海外で評価されているので、英語としてダメものだとは思わないのですが。いずれにせよ、英訳されたもの日本人英語で読んだ場合には、分かりやすものではないと思います

女は○○で~ダメ

って言葉は、男の特徴ばっかり現していて、男女逆に考えれば大体正しい、ってことを、国会中継から学んだ。

http://anond.hatelabo.jp/20140430232659

村上春樹吉本ばなななんかは、欧米的な思想・発想で文章書いてるから自然英訳が出来る、ってのはありそう。

三島とかは日本的すぎて、そもそも英訳に向かないような……。

http://anond.hatelabo.jp/20140430225756

エスコートは実は女性への差別的発想(男性制御下になく好き勝手動く女は、ビッチではしたない)的な思想から発生してるけど、逆に言えば欧米女性差別日本のそれに比べて比較的許されがちなのは差別する分の負担男性が背負っているからではあるんだよな。

イスラム圏とかその辺はさらに徹底していて、マジで荷物も持たせない、座席はとにかく優先して妻を座らせる。

日本女性差別は、色々と男性が女に甘えまくった上で発生してるから、色々と気持ち悪いが、男性女性依存仕切って甘え倒した社会なので、女性を切り捨てる形にはなれないという点で、そこまで酷い虐待派生しない利点はある。

http://anond.hatelabo.jp/20140430230951

申し訳ありませんが、あなたの文章を理解できるほどの読解力が私には無いようです。

失礼いたしました。

村上英語学習

村上春樹英語で読む。私はこれでTOEIC900点を突破しました。

小説を読むうえで大きなストレスとなることの一つに、著者が描く情景、主人公の心情、時代風景などがピンとこない、ということがあります外国小説場合は、たとえ日本語翻訳したものを読むときであっても、日本人である我々は感情移入ができず、結果として、なかなかサクサクと読み進むことができません。英語で読む場合は、これが「英語という言葉がわからない」「書かれてある内容自体がピンとこない」の二重のストレスになってしまい、英語上達のためのポイントである多読」の障害となってしまます対処法は簡単です。日本人の著者が書いたもの英語で読むこと。そして自分が好きなものを読むことです。

私は昔から村上春樹が好きで、ノルウェイの森特に、これまでにたぶん10回以上読み直しています。話の流れはほぼ完ぺきに頭に入っているので、Vintage版のノルウェイの森は簡単に読み終えることができました。これは、いままで、いろいろな英語小説ポール・オースターからハリー・ポッターに至るまで)にトライし断念してきた私にとって大きな自信になりました。

次に、今まで日本語でも読んだことがなかった、海辺のカフカを試してみました。これも多少は日数はかかりましたが、楽しみながら英語で読み終えることができました。同じようにして、これまでに長編短編を何冊か読んでいます

村上春樹小説の主要なものほとんど英訳されていて、Amazonなどで手軽に手に入ります村上春樹がかなり好きな人であっても、読んでいない作品というのはあるかと思うのですが、そうしたものであっても英訳で読むことができます自分が初めて読む小説が、それが英語で書かれているのにもかかわらず情景がすんなりと理解できる、というのはすばらしい快感です。それは、ちょうど、海外作家の本を英語で読んだ際の、自分理解できているのかどうかに確信が持てないもどかしさの対極にあります

村上春樹が好きでない人は、自分の好きな日本人作家を読めばいいと思います吉本ばなな村上龍英訳が多く出ているのでいいと思います三島由紀夫安部公房井上靖が好きなので英語で読んでみましたが、これらは私にはダメでした。時代が違う作家の文章は、英語になってしまうと、一発でピンとくる感じがなくなってしまます小説ではありませんが、最近アニメ日本映画英語吹き替えプラス英語字幕で観るという方法はよいかもしれません。

http://anond.hatelabo.jp/20140430123631

入居審査で落ちるやつはクソ経営会社だと思ってたけど案外身近なんで支援

上場企業に勤めていた時

入居審査なんてなかった。良い条件はあとから提案されたことが多かった。募集してない裏の情報やこれから空く非公開の情報ももらえた。

物件の申込は担当者印鑑。つまり自分の判子でよく、契約時には契約用の印鑑で事足りた。連帯保証などつけられるわけもなくつけてくれとも言われなかった。確かに敷金は多かったが礼金更新料も取られない。全都道府県どこかしら系列ビルがあるので支社の立上げにも物件見に行かずとも契約できる。


非上場企業転職

同じような事務所引っ越し担当を行ったが、全く異なった世界だった。元増田と同じように審査には通らない。裏の情報どころか物件の値段も露骨にあげられる。会社代表者連帯保証につくのは当然で、足りなければ知り合いや家族で同じように保証人をたてられないかと頼まれる。無理やり頼み込んだ親族は今も元気なのだろうか?申込には会社実印を求められ、決算の公開を当然のように指示、敷金はもちろん10ヶ月程度だが礼金やら更新料、紹介手数料などが加算される。とくに言われるのが信用調査情報設立数年の企業は信用度が低いらしく一等地のビルは借りられない。

http://anond.hatelabo.jp/20140430231203

イケハヤにいらっとする人たちの気持ちも、とってもわかるけどね

広告関係時代の先端で商売考えて言葉つくってるはずなのに、すごーく昭和からイケハヤアレルギーぶつぶつ必至

http://anond.hatelabo.jp/20140430052333

源氏物語存在を論拠に日本女性性奴隷する文化なんかない、と訴え出ようとするアレな人達がいることを考えると、多分色々と手遅れ。

http://anond.hatelabo.jp/20140430230237

そうだよ

27か28か、それくらい。

初めて彼を知ったときから脳内暗算から定かではないけど。

それくらいのはず。

http://anond.hatelabo.jp/20140430230604

元発言が書き換わってるみたいなのでもういいです。

Emacsターミナルの行ったり来たりが面倒くさくなってきた。

シェルモード? だっけ。つかってみようかなあ。どうなんだろ

追記)

いや、逆か。ターミナルEmacsをつかったほうが自然か。そうだ。そうしよう。。

http://anond.hatelabo.jp/20140430222529

わからんけど、あそこまで有名になれる力がある人は、

何やったってある程度の成果出せる気がする。

何年も同じ仕事してるのに全然知名度ない自分の方が心配・・・

http://anond.hatelabo.jp/20140430225145

主張を捻じ曲げた、と言われるほど大意に違いがあるとは思えません。

20代の頃いた「知人以上友達未満」の人たちは、いったいどこに?

もっと友達がほしい、もっと人と仲良くしたい。


面白そうなイベントがあっても、気軽に誘える友達がいない。

仕事ノマドみたいな形でやっているから、

普通サラリーマンみたいに、毎日自然と顔を合わす人が、いない。


それに、自分の立ち上げた小さな仕事

個人事業だけど、その代表って肩書きに縛られている。


客商売だから、何するにも評判とかイメージに繋がってしまうから、下手なことが出来ない。

いっそ有名人だったら、向こうから人が集まってくるのかもしれない。

ところが、中途半端に「知ってる程度の人」が多いから

どこへ行っても、私のことをどこかで見かけたことがある程度の人・・と出逢ってしまう。




私は、お一人様は平気だ。

から、1人でイベントに行くのは全然かまわない。


でも、たとえば同業の人が主催するセミナーに出たくても、

「あの人が勉強に来てるってことは、こっちの会社の方が格上」

とか、思われるのが怖くて、出られない。


知り合いが来そうなイベントに1人でいって、

「あそこの社長ぼっち」みたいなイメージ持たれたら・・と思うと、怖くて行けない。


そこで、いっそネットで知り合ったような、全然接点がない人と友達になる。

それはそれで楽しいけれど、点と点って感じのまま、

自分ネットワークは広がらないから、「ぼっち感」は消えないまま。

さびしい(´・ω・`)

所属欲求が満たされない。


ただの、人と人として仲良くしている友達はいるんだけど、

30も半ばになると、みんな結婚して育児していたり、

家庭以外にもそれぞれのコミュニティを持っていて、

そこでよろしくやっている感じ。


元々、人を遊びやらに誘うのが苦手だけど、

20代の頃は周りのみんなも遊びやら仲間やらに飢えていて、

しょっちゅう飲み会やらキャンプやらに誘われて、自然友達になれた。


自分もなんの肩書もなかったから、

色々考える必要もなく、

初めての異業種交流会にぽんと飛び込んで仲良くなれた。


自分でも色々企画した。

そういう不慣れなイベントを「一緒にやろう!」とノッて来てくれる仲間がいた。


「50人規模のクリスマスパーティを開催する」みたいな、

社会の薬にも毒にもならないような、意識だけは高いイベントを企画して、


仲間同士でのいざこざがあったり、

頼んだ仕事をやってくれないとか、

リーダーを批判するやつがいたりとか、

人が集まらなくて必死集客したりとか、

学生時代にやり尽くせなかった「青春」をしていた気がする。


それが30代も近づくと、

そんなことしてても経費で赤字リスクがあるだけで儲かるわけでもないし、

苦労した割には感謝されないし、

そういうイベントごとにももう飽きが来て、

純粋に「みんなで集う楽しさ」みたいなものが感じられなくなっていった。


おんなじ労力かけるなら、仕事にかけた方が、見返りもある。

ただの仲間が増えても何にもならない。

それより仕事に繋がる人脈をつくろう。

そういう打算が勝って行ったように思う。


それで、仕事の繋がりばっかりが増えていって、

お客さん=友達みたいな数年を過ごして30代半ばになった。

だけど、それはそれで、言えないことや気苦労が多くて疲れる。


すると今度は、また、ただの友達がほしくなった。


けれど、ふと周りを見回しても、思い当たる人がいない。


20代の頃あんなにたくさんいた、

「知人以上友達未満」の人たちは、いったいどこに行ったんだろう?


いや、実際は、

彼らはどこにも行ってなくて、

今も変わらずどこかの飲み会にいたり、家庭に入って子育てしたりしてるんだろう。

ただ私が、彼らとの接点を持ち続ける努力をしなかったから、

その繋がりが切れてしまっているだけで、消えたわけじゃない。

でも、私の目から見れば、消えたも同然だ。


気軽に、飲みとか遊びに誘える友達がいない。

新しくつくろうにも、そこにはお互い何らかの目的がある場合が多くて、

20代の頃のように、無邪気に交流できないような気がする。

仕事恋愛、人脈。


そういうのを抜きにした「ただの友達」を作ることの難しさ。


30半ばにもなって、自分自身のコミュニティ

意識して作ってこなかったことがいけなかったんだろうか。


このまま行くと、40代突入した頃にはどうなってしまうんだろう?

どうしようもない大人、ぼっちだけど自分を変えられない大人、になってしまいそうで怖い。

http://anond.hatelabo.jp/20140430190025

港区ではないですが23区内です。

そこにいたころ、お客さんからはたいてい「いいところですよねー」って言ってもらえてたんだけど、

いまのオフィスに越してからは「なんで引越ししたんですか?」って聞かれたのがちょっとつらかったか

極端な話、レクサス乗ってた人が軽自動車に乗り換えたようなもんだから・・・

挑戦し続ける男たち

今日、1Qで上司からインタビューがあった。遅いなぁ。

毎回毎回同じことを思うのだけれど、成功しか許されない行動を「チャレンジ」と表現するのどうなんだろう。挑戦というのは、ほぼ失敗するもんだと思うのだけれど。ほぼ成功する行動をチャレンジと呼んでいいのかという逆説的な疑問も浮かぶ。インタビューは四半期ごとだから、その期間で結果の出る内容しか設定できないし。半年、1年、3年かかるような目標には価値がないのか。

大きな目標を1年、半年、四半期に分解して段階的に処理していけばいいのかもしれないけれど、それでも途中の失敗は許されないし。別に「挑戦したけど失敗したね」と慰めてほしいわけじゃないけれど、特に途中で助けてくれるわけでもないし。ほったらかしなんだよなぁ。

なんですかね、チャレンジって。進研ゼミか。

映画館に行くとポップコーンが食べたくなる

新幹線に乗るとビールが飲みたくなる

こういうステレオタイプはある種の幸せと直結している

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