はてなキーワード: 子育てとは
東京も住んで、東京は子供育てるところじゃないなって思ったのが正直な感想
歩いてすぐコンビニはなくても、老人や変な人からの苦情が出ない公園がある。
アクティビティが身近にある。自然豊か。山、海、雪、なんでもある。
どこか出かけるにしても、そこまで混まない。
ご飯と空気が美味しい。しかも並ばないし、子連れでも行ける(そんな人が沢山いるから店も子供の対応慣れてる人が多い)
源田はしんどかったんじゃないか。
「トップアイドルと結婚したプロ野球選手」は結婚した時点で終わって、奥さんはそこから多嚢胞性卵巣症候群という病気になって、それを治療しながら夫婦で不妊治療して。
ともに育児しながらまた不妊治療があって、今度は体外受精で第二子を授かり。
あとはずっと「ママ業を芸能活動とする妻の足を引っ張らないよう、良き夫として振る舞う」ことが求められ、それを実践する。
源田にとって家はずっと「ケアするもの」であって、気を張るところだったんじゃないか。
もちろん源田に限らず、結婚した男はみんなそうだ。
仕事のストレスは家庭に持ち込んではならず、どんなにストレスがあったとしても家庭に帰れば自分がいない間に発生した、心がざわつく出来事に対応した妻の愚痴を聞いてやり、労らねばならない。家事も育児もしないといけない。
もちろんやる。みんなそれをやる。やるんだけれど。
WBCで日本代表に選ばれ、日本中から見られるプレッシャーがあって(しかも大会中指を骨折する)、自分のチームに戻れば主力がいなくなって年々弱くなり、今年はさらに弱くなって史上最弱レベルに負け試合を重ね。
源田はそんなチームの主将だった。
誹謗中傷もあっただろうし、ファンにもメディアにもいろんなこと言われ、書かれ。
それでも前をみて頑張って。
「源田、前ほど打たなくなったね」と言われたりして。
そこで終わりにできるならば。
源田は終わりにできなかった。
遊び慣れていれば「一回遊んで終わり」が出来ただろう。
それを源田はできなかった。
ハレとケのハレにしなければいけなかったのに、ケにしてしまおうと考えた。
それが源田の過ちなんだろう。
週刊文春の記事の中で、源田が「妻と一緒にメディアに出る機会が増え、それが孤独感とプレッシャーになり」とコメントしてたのが気になった。
源田にとって「妻と一緒にメディアに出ること」は、苦しいことだった。
その真意はわからないが、源田は「メディアで輝く妻」を作るためにかなり無理してたのではないだろうか。
https://chanto.jp.net/articles/-/1005378?page=2
結婚したあとに「スポーツ選手の妻」らしくサポートしようとした衛藤美彩に「無理しなくていい、美彩が笑顔でいてくれればそれが一番のサポートだから」と源田は言ったという。
ものすごく気を遣って言ってるが、要は逆効果なサポートだったのだろう。
それをこうやって言ってるところに源田の愛情と気遣いが見える。
ただ、おそらく、源田は家でリラックスできなかった。
そりゃセックスしたいよ。
許されないのはわかる。
奥さんからしたら自分のやりたいことを制限して家で家族のために、その時間旦那が外で女と会ってたらたまったもんじゃない。
怒りが沸くだろう。
百歩譲って外でしてくるにしても、一回で終わらせろ。プロとしろ。
まったくそのとおりだ。
そこをずるずると引きずり、試合に呼び、深みにハマってしまったのが源田の良くないところ。
一方で優しいからこそ関係を切れなかったんだろうし、優しいからこそ週刊文春の突撃取材に対応しつつ、それでいて一切不倫相手と妻のことを話さなかったんだろう。
人は成長にしたがって思ってたことではなく、「その場ではそう言わないといけないこと」を言うようになる。
源田はずっと「言わないといけないこと」を言ってきたんだろうし、これからも言うのだろう。
子育て世帯に金出しても少子化対策としての効果たいしてないってのは明らかになってる
お前がもし本当に少子化対策したいと思ってるなら、提唱すべきは結婚出来ない人達への支援だよ
けど、それは言わないよな
自分が親になったら親の気持ちが分かるようになるよ、というやつ、私は自分が親になって自分の親の気持ちがどんどん分からなくなっている。
子供の誕生日を祝わないこと、国旗敬礼のときに一人だけ直立不動を取らせること、子供の柔らかいお尻をアクリル板を4枚重ねた自作のムチ棒で叩くこと。
全部私には理解できない。
クリスマスツリーの横にプレゼントを見つけた瞬間、ねぼけまなこだった顔がパッと輝くのを見るのは一年に一度の私にとってのご褒美だ。
クリスマスはキリストの誕生日ではない、そもそも誕生日を祝うべきではないと否定する親の元では、私はサンタクロースの存在を信じることもその逆に疑うことすらもできなかった。
だけどあの当時の自分は間違っていたとも言う。
けれどあの当時はああするしかなかった、仕方なかった、私の苦しみを知らないくせに、私がどんな思いでいたか知らないくせに、と言う。
知らないよ、あなたの苦しみなんて。
自分で選んで入った宗教で、自分の信仰心の強さを証明するために我が子のお尻にみみず腫れを作る人間の気持ちを、みみず腫れを作られて正座すらできなくなる子供時代を過ごした人間に何を推し量れと言うの。
私は自分の子供に毎年サンタからのプレゼントと親からのプレゼントを用意している。
子は文字が書けるようになってからはクリスマスの2週間くらい前にサンタへの手紙を書いて、窓の外に向けてそれを貼ってサンタに読んでもらうようにしている。
今年は「サンタさんへ。わたしはプレゼントはいりません。」という手紙を書いていた。
遠回しにサンタ業終了を通告されてるのか?と思ったりもしたけれど、我が子はサンタの存在は変わらず信じている。らしい。
Eテレに日本人唯一の公認サンタが出演していたのを見て、子は『サンタという職業があり、その人たちが世界中にプレゼントを配っている。人間だから本人は空は飛べないが、空を飛ぶ乗り物に乗るのであれば人間も空を飛べる』という認識でいる。と、思う。かわいい。
24日の夜、一緒に風呂に入り、私より先に風呂を上がった子は洗面所でスキンケアをしている私のところへコップとお椀を持ってきた。
「これでいいかなぁ?」と言う子に「何のこと?」と尋ねると、トナカイはコップだと飲みにくいだろうからお椀なら牛乳飲めるだろうっていう話だった。かわいい。
子はクリスマスツリーの横に小さな折りたたみテーブルを用意して、牛乳を入れたコップとお椀を置き、お椀の横には「トナカイさんへ、このぎゅにゅうのんでいいよ」と手紙を添えていた。
日本人の公認サンタがテレビで『サンタはお菓子をこぼして食べる』言っていたのを見たので、ポケモンのスナックを入れたお皿の下にはティッシュを敷いていた。
玄関からの動線を考えて、「ここにこうやって座って食べるんじゃない?」とテーブルの向きを考えていた。
プレゼントをもらう気はないけれど、サンタをもてなす気持ちはあるらしい。かわいい。
サンタは、「プレゼントはいらないって書いてある手紙は読んだけど、君はいい子だったからちょっとしたプレゼントをあげるよ」という英語のメッセージを書いたサンタクロースのイラスト入りのポストカードと、小さなサンタのぬいぐるみとお菓子のセットを置いていった。
寝起きでそれを見つけた子は喜んだ。
牛乳が減っているのもお菓子がなくなってまわりに食べカスが落ちているのも確認して、私に「見て!」と言って、サンタのぬいぐるみを早く袋から出してほしがった。
サンタのぬいぐるみを膝の上で踊らせ、「これサンタが作ったのかな」と言っていた。
私はあくびをしながら「サンタ来たねぇ、よかったねぇ」と言って、朝食作りに取り掛かった。
そのあといつも通り出社して、同僚とそれぞれの家に来たサンタの話をした。
そして、サンタって親のために来るんですよね、という話もした。
我が子は多分まだサンタを信じていると思うけど、もしかしたらそうじゃないのかもしれない。
だけど、もう少し信じていてほしいなあ、と思う。
私は我が子にサンタ業務をすることで、サンタを信じる余地すら与えられなかった子供時代の私をあやしているのかもしれない。
そう思うと、子に申し訳なさもある。
もう少し信じていてほしいなぁ、と思うのも、もしかしたら健全じゃないのかもしれない。
それも私にはよく分からない。
だけど、私は子が喜んでいる姿を見るのが好きだ。
みじめな思いをしているのは見たくない。
私は子供の頃、「誕生日に何もらった?」「クリスマスプレゼントなんだった?」という話題が、本当に苦手だった。
誕生日おめでとうを言われるのも苦手だった。
メリークリスマスやあけましておめでとうを口にすることには、罪悪感すらあった。
いい子だったらサンタはやってくる、という、幼少期だけ真の理として存在するそれを、信じられる環境にいてほしい。
私は私の子供が大人になったとき、誰かとサンタの思い出を話してあるある話と盛り上がれるような大人になってほしい。
私は今年でサンタになって6年目、サンタがいなかった私の世界にサンタが存在し始めて6年目ということでもある。
そしてサンタがいる世界にやってきて、この世の全てを憎むように子育てしていた私の親のことが、私はいよいよ分からなくなった。
私はサンタのいる現世で生きていくよ。
男性は年を取るとバナナが柔らかくなるし、ASDなど障害のある子供が生まれやすい。
そして、男女ともにいえることだが、加齢臭がするようになり、更年期障害でイライラいしやすくなるなど老害の兆候が出てくるからだよ。
子育て終わって閉経した女は男やぞ
荒川に限らず金銭的な原因が少子化の原因だと行っている人は多いが、子育て支援はそれについても逆効果だと行っていて、整理すると
この状態で子育て支援という名目で「結婚が出来ている」尚且つ「子どもがいる」という層に金を注ぎ込むと
と指摘している。
統計をマクロ的に分析すると「そもそも所得とか関係なくね?」ってのは、まぁそうですよね。
でもその方面(学歴と負の相関があるとか、女性の所得の伸びとうんぬんとか、独身の男女に相手を宛がえとか)は社会的に受忍できないから直接対処ができない訳で、少なくとも逆効果の政策を広げてくのはやめろ、それは少子化対策って文脈以外に社会を腐らせるからやめろ、って話が主流になってると思う。
子育てに何故多くの金が投下されるかと言えば、掲題の通り沢山金が掛かるからだ。
総務省統計局の発表してる統計で、結婚した夫婦のうち、一人以下しか子供を作らない割合は右肩上がりで増えてる。
具体的には、2002年の調査では夫婦で子供が一人以下だった家庭は全体の12.3%(0人3.4%、1人8.9%)だったのが
2021年の調査では27.4%(0人7.7%、1人19.7%)まで増えてる。
人口減少していく中で、夫婦を増やしたってその夫婦が子供を作ろうとしない現実とまずは向き合え。
子供が生まれたあとに真っ当に育てられる環境を作らなきゃ、婚活支援も無駄になるって事を理解しろ。
だから、子育てにはこれまで以上に利益誘導しなきゃならんのだ。
もし、他への利益誘導を扇動したいなら「手厚い子育て支援の出口戦略どうすんだ?」って言う方が現実的だぞ。
海に囲まれた島国で住みにくい山岳地帯ばかりな日本で人口が増えすぎた頃に手厚い子育て支援を削れるかと言えば、増田のか細い子育て支援批判なんかとは比べものにならない大批判に晒されるだろう。
増える財政負担と人口に圧迫されて身動き取れないままゆでガエルになることは明白だ。
だから、人口減少のデメリットが顕在化して皆がパニックになってる今こそ、人口が増えすぎないように子育て支援は長期的な視点で考える必要がある。
この意見は、少子化対策として「子供を持つ世帯への補助金」の効果に対して批判的な立場を示しており、いくつか妥当な指摘がある一方で、議論を展開する上でいくつかの問題点や矛盾も含まれています。以下にエビデンスを基に評価します。
1. 妥当性のある部分
(1) 「子供を持つ世帯への補助金が少子化に効果がない」という主張
• エビデンス:
国際的な研究では、単純な金銭的補助だけでは出生率を大きく改善する効果が限定的であることが示されています。
• OECDの報告によれば、現金給付よりも、育児休業制度の充実や保育サービスの拡充といった非金銭的な支援の方が出生率改善に効果的であるとされています。
• 例えば、フランスやスウェーデンでは、現金給付よりも手厚い育児支援制度の効果が大きいとされています。
• 妥当性:
補助金が出生率改善に直結しない可能性が高い点は、多くの研究で示唆されており、この主張は妥当です。
• エビデンス:
日本の少子化の原因は、経済的要因以外にも、ライフスタイルの変化や結婚の遅れ、仕事と育児の両立の難しさなど複合的な要因が絡んでいます。厚生労働省の調査によれば、未婚化や晩婚化が少子化の主要な原因とされています。
• 妥当性:
経済的理由を単一の原因として捉えるのではなく、他の要因も考慮するべきだという視点は正当です。
• エビデンス:
低所得世帯に対するターゲット型の支援は、貧困問題の解消や子供の生活環境の向上に寄与し、社会全体の公平性を向上させる可能性があります。
• 妥当性:
一律給付よりも、所得に応じた補助金の方が公平であるという議論は合理的です。
• 韓国では、育児手当の増額が一時的に出生率を改善した事例があります(ただし持続的な改善には至らず)。
• 日本でも、児童手当の拡充が子育て世帯の負担軽減に一定の貢献をしているという調査結果があります。
• 問題点:
補助金が「全く効果がない」と断定するのは、実証的データを無視した過度な単純化です。一部の条件下では効果を持つ可能性があることを無視している点が問題です。
• 「少子化白書」の調査では、未婚者・既婚者を問わず、経済的負担を子供を持たない理由として挙げる人が多いことが示されています。
• 子育てに伴う経済的負担が、少子化を加速させる一因であることは多くの専門家が指摘しています。
• 問題点:
経済的理由を完全に否定する主張は、少子化の複合的な原因を過小評価している可能性があります。
• 問題点:
「補助金を求める主張=利益誘導」とするのは、動機を単純化しすぎています。補助金を求める声は、必ずしも個人の利益誘導ではなく、社会全体の負担軽減や子育て環境の改善を目的とする場合もあります。
(4) 全員給付への対案の弱さ
• 問題点:
「国民全員に配ればいい」という主張は具体性に欠け、財源や実現可能性を考慮していません。一律給付が少子化対策にどう結びつくのかが不明です。
妥当な点
• 補助金が少子化対策として万能ではないことを指摘している点。
• 経済的理由以外の少子化の原因に注目する必要性を示している点。
• 代替案(所得に応じた補助金や全員給付)の実現可能性について具体的な考察が不足している点。
結論として、この意見は少子化対策に対する重要な視点を提示していますが、議論を展開する上で一部の要素を単純化しすぎており、補助金政策の可能性や限界をより多面的に検討する必要があります。
「少子化だからこれからは子育て世帯に補助や減免するわ、財源はそれ以外の人で」
すでに金銭的余裕があって心身共に豊かだから結婚して子供を作るのであって、お金が貰えることを理由にわざわざ結婚して子供作る奴なんてまずいない
現在進行形で結婚と子作りに踏み切れないカップルを後押しする理由にはなるかもしれないが、そいつらが一通り結婚したら後は絶望的な格差が生まれるだけだぞ
そもそもはてなでもXでも事ある度に子育て大変アピールしてる連中は、本当の意味での貧困状態のままそのステージに乗ったわけではない
なんだかんだですでに金にも心にも身体にも余裕があったからこそ今現在そのステージに立てているわけであって、後に転落した低収入のシングルマザーでもない限りはその時点で元貧困層ですらない
貧困家庭以外への一律の子育て支援はどこまでいっても持てる者への優遇策であり、はてなやXでなんだかんだで子供がいて幸せですアピールしてる連中によるそれ以外を相対的に不幸に陥れることで自身の幸せのさらなる強化を目的とする以上のものはないよ
すでに金銭的余裕があって心身共に豊かだから結婚して子供を作るのであって、お金が貰えることを理由にわざわざ結婚して子供作る奴なんてまずいない
現在進行形で結婚と子作りに踏み切れないカップルを後押しする理由にはなるかもしれないが、そいつらが一通り結婚したら後は絶望的な格差が生まれるだけだぞ
そもそもはてなでもXでも事ある度に子育て大変アピールしてる連中は、本当の意味での貧困状態のままそのステージに乗ったわけではない
なんだかんだですでに金にも心にも身体にも余裕があったからこそ今現在そのステージに立てているわけであって、後に転落した低収入のシングルマザーでもない限りはその時点で元貧困層ですらない
貧困家庭以外への一律の子育て支援はどこまでいっても持てる者への優遇策であり、はてなやXでなんだかんだで子供がいて幸せですアピールしてる連中によるそれ以外を相対的に不幸に陥れることで自身の幸せのさらなる強化を目的とする以上のものはないよ
なぜ、人工子宮と、国による子育てを推進し、親の肉体的負担をゼロにしようとしないのだろう。
金銭をいくら配ったって、24時間365日子育てするなんて、仕事抱えた普通の人には無理だよ。
少なくとも私には無理。出産とか怖くて無理(物理的にも、仕事のブランクできるのも)だし、子供を正しく育てられる自信もない。
第一に、「子供を持つ世帯への補助金は無意味」などという研究がある? 笑わせるな!研究だの統計だのを振りかざして何かを全否定するのは簡単だが、それで子供を育てたことがあるのか? 背景も考慮せずに数字遊びだけで語るとは無能の極みよ!
第二に、「国民全員に配ればいい」という主張だが、それをやる財源はどこから引っ張ってくるつもりだ?空から金でも降ってくるとでも?それとも国民全員が印刷機を回して札束を刷る夢でも見ているのか?まさに夢遊病者のたわごとだ。
第三に、「所得に応じた補助金」に触れておるが、それを実現するための細かい制度設計や運用コストについて考えているか?低所得世帯を助けるべきという主張には同意するが、そもそも貧困を改善するための教育や医療に金を回さず、ただ現金を配れば解決すると思う方が愚かだ。
本当に少子化を止めたいのなら、まず全方向的なアプローチが必要だ。補助金だけではなく、育児の負担軽減、教育無償化、そして社会全体が子育てを支える風土作りを同時に行う必要があるのだ。それを理解できぬなら、貴様のような奴は黙って金を稼いで税金を払え。