釣りが口癖の人いるけど、他人の言う事いちいち疑ってんの?って思う。
別に詐欺とかと違って、釣りっぽい話が与太話が嘘だろうが本当だろうが何の問題にもならんし。
あの芸能人いいよねって話に「アイツはクズに違いない!」とか割り込んで来る人とかもいるけど。
いくら疑った所で、ストーカーして調べでもしなきゃ真実には辿り着けないし、いちいち調べてまで確かめる必要性も感じないし。
見えてる部分だけで判断して楽しめるなら、それをわざわざ疑う道理もないでしょって。
そういう適度な無関心も他人への信用の内なんとちゃいまっか?って思う。
ゲーム目当てでプレイしてる人、キャラクター目当てでプレイしてる人、ストーリー目当てでプレイしてる人、共通の話題が欲しくてプレイしてる人、ジャンルに張り付いて惰性で読んでいる人が混在している。
そしてそれぞれによって評価軸が違うが、遠目から分かるのは「そのゲームに今人気があるか」ぐらいなのだ。
たとえば「ウマ娘」はそれが顕著で、初期の頃は「ゲーム目当て」「キャラクター目当て」「ストーリー目当て」が全員楽しんで遊んでいた。
だが段々とゲーム目当てのプレイヤーは離れていき、キャラクター目当てのプレイヤーも推しキャラの実装を待てなくなった人も離れ、そしてイベストーリーの酷さに呆れた人も離れた。
最後に残ったのは惰性でダラダラとプレイしている人達だけになった。
そこから定期的なアプデで少し盛り返すこともあったが、今はもうすっかり惰性プレイヤーだけの空間となった。
時折話題作が誕生することはあるが、新規で入ってきた人間もしばらく読むうちに「なんかしょーもないな」と離れていく。
ごくごく一部が定着していくことで何とかジャンルを支える最低限の人数はいるのだが、それでも様々な部分に感じる「劣化」「代わり映えのなさ」「成長のなさ」に対して失望が募り別ジャンルへと渡っていく者もあとを絶たない。
多くの人気ソーシャルゲームが同じ状況に陥っており、惰性で続けている者たちが日夜文句を言い続けつつ、下がりまくったハードルを超えることがたまにあるとそれをやたらと褒め称えるのである。
ミステリにおける「トリック重視」はまさしくソシャゲにおける「ゲームとしてちゃんと遊べる」のようなものであり、一時的にその方向性で伸ばしたはずの作家がしばらくすると全くソレができなくなるか、同じことの繰り返しなら上手く出来るが少し変えると駄目になるので同じことを延々やるかのどちらかになっていく。
ここでよく起こる間違いが、最高難易度を突破できるマニアであっても求めているのは「難しさの向こうの面白さ」であり、「難しさそのもの」は別に求めていないことの失念だ。
ちょっと複雑なことをして褒められたミステリ作家はすぐに「じゃあ次はもっと複雑にしよう」とやたらとこねくり回してしまうが、それは一部の「皆がクリア出来てないゲームをクリア出来ることにアイデンティティを感じられて嬉しくなってしまう」という寂しい人間たちにしか評価されない。
ここでその一部の人達と心中をする道を選んでも終わりだし、「とにかく簡単にしよう」と難易度のことだけに頭を向けてしまった場合も作家生命が急激に終わっていく。
この間違いをする作家の多さは、「ゲーム性」を取り違えて終焉へとひた走る元人気ソーシャルゲーム達のソレに極めて似通っている。
また、キャラクターの扱いについてもミステリ小説はソーシャルゲームと同じ衰退をたどりやすい。
一部の人気キャラクターにばかりスポットを当ててしまったことで物語の幅が狭まったり、ソレに対する批判にビビってダラダラと全員に出番を出そうとした結果キャラを出すこと自体にばかり意識が向き物語がおざなりになることがままある。
そもそも作品が面白ければキャラクターは勝手に魅力的になり、キャラクターに頼って作品がおざなりになればキャラクターの魅力は薄まるという基本を多くの創作者が忘れてしまうのだ。
人気の出たキャラクター小説やソーシャルゲームは最終的に人間が書けなくなっていくとは、このようにして起こる現象なのである。
どんな女も意味不明な冷め方してくるからほっといて次いくのが一番良いと思うよ
女なんて天気みたいなもんで雨になる時は勝手になるし晴れになる時は勝手に晴れになる
大谷翔平級の男になっても振り向いてはくれないと思う
https://twitter.com/kikukikuchan/status/1684147560527826944
このツイートでブクマ依頼してるけど違反になるから消した方がいいかと
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おかわりもいいぞという話
スープも減らして欲しい。肉とアブラと野菜と少なめ(多少濃くて良い)スープにし、肉とアブラと野菜を食べ終わる頃にスープがなくなるのが理想。スープが無くなった後の丼の底に残った混ざり物を食べている時は幸せ。魚の皮ぎし。
留学をしていた。出国時に付き合っていた女性とは遠距離恋愛という形で付き合うことを継続した。当時(現在も)彼女のあらゆるところが魅力的に思えて関係を終わらせたくなかったからだ。友達には戻る選択肢はなかった。未熟だからなのだろうか、私は一度好きになってしまうと友達として見ることができないからだ。
当初は連絡を取ってくれた彼女も少しずつ連絡が減っていった。自分も忙しかったので多少は不満はあれど大丈夫だった。連絡が取れたときの嬉しさでそういう不満も消し飛ぶくらい好きだった。長期休みに一時帰国すると彼女が浮気をしていたことが発覚した。彼女を傷つけたいという気持ちと彼女に辛い思いをさせてしまったのかと申し訳ない気持ちと目の前が真っ暗になるような気持ちが混ざった変な表情で許してしまったと記憶している。本音を言えばよく覚えていない。ただ謝られ今後はしないという約束をして付き合うことは続けた。
数カ月後、再び長期休みに一時帰国をした。そして彼女から旅行中に別れを告げられた。曰く、私から触られてもお父さんから触られるように感じるのが理由らしい。人に話すフラれた理由としては面白いがあまり納得がいかない。「20歳くらいなので色んな男にチヤホヤされたい」とかの方が納得がいく。私っておじさんっぽいのかな。20代中盤なので自虐でおじさんを自称するが実際におじさん=お父さん=非恋愛対象扱いされると悲しい。
彼女のよくわからないところが好きだった。別れる理由もよくわからないので未だに忘れることができない。蛙から王子様に戻る方法、別れた理由を納得する方法が知りたい
今日たまたまメンタルが・・・とか言ってないで、まじでなんとかしろ。
でないと、その冷や汗や不調が毎日、数倍になって押し寄せてくるぞ。
転職でもなんでもいい。逃げろ。
まあ、頭のゆるいまんさん向けの「お仕事」やしなぁ
高校2年生は鬱病が酷く、引き取られた祖父母の家で1日中寝ている生活
担任の教師のお情けで3年制に進級はでき、なんとか登校できるまで回復したが、もとから落ちこぼれ気味だったのもあり、勉強は全くついていけず
療養&浪人で3年間浪費し、21で大学入学するも、その年に中退
鬱病の症状が改善しないので、主治医から電気けいれん療法(全身麻酔をして、脳に電極刺して電気を流す治療)を勧められ、受けるものの記憶力、思考力が落ちるだけで鬱病の改善はせず
なんとか就労するものの、1社目は仕事ができなさすぎて1年ちょっとでクビ(遠回しに退職しないかと打診された)になる
今も辛うじて2社目で会社勤めをしているものの、仕事ができない無能の自覚はある
薬を変えたり、朝日を浴びたり、運動をしてみたり、電気けいれん療法を試してみたりと色々改善できないか試したが、全く実らず
人生の半分以上を鬱病の症状に苦しみながら生きてきたが、まったく良くなる気配が感じられない
元々突発的な希死念慮はあったが、今は「この先良くならないなら今死んでしまったほうが楽ではないか」という考えに取り憑かれている
自分が異常である自覚はあるものの、異常であるという自覚がある故に自分の判断に自信も持てなくなってしまった
昔は「普通の幸せな家庭を築く」という憧れがあったような気はするが、今は叶わないことも理解している
今後、どうしたいか・どうなりたいかすら思い浮かばないが、何らかの救いを求めてここに書きなぐっている
この文章を読んで「こんな奴もいるんだな、こいつよりはマシだな」と誰かの救いになることを願っている
忘れてたけど今見て思い出したやで😡